原発の哲学的考察

このQ&Aのポイント
  • 原発の是非を問うスレはいくつかありますが、ここにはなかったように思い、たててみました。結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。
  • 放射能は本当は怖くないのでしょうか?廃棄物処理は意外と簡単だったりして。これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重は無いということが関係すると思います。経済問題である以上に優れて哲学的な設問の範疇かと思います。
  • 原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。
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原発の哲学的考察

原発の是非を問うスレはいくつかありますが、ここにはなかったように思い、たててみました。 この議論は、結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。 あるいは、 これからも犠性者はあっても、それが許される範囲にとどまるなら進めて良いということになるのでしょうか。その程度はどのくらいでしょうか。 放射能は”本当は怖くない”のでしょうか? なら廃棄物処理は意外と簡単だったりして。 これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重は無いということが関係すると思いますし、ゆえに これは経済問題である以上に優れて哲学的な設問の範疇かと思います。 人間が火を使い始めたころは、なかなかコントロールが難しく、しかし様々な試行錯誤を重ねて、今ではなくてはならないものになっていますが、時には火事になったりして人命が失われることもあります。 火を使ってもいいということは人間のコンセンサスになっています。 車も多くの犠牲者が出ますが、無くそうというひとはごく少数意見です。 車はいまや無くてはならないものになっているとしていいのかもしれません。 原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。 ただ、 折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。それは可能でしょうか?なら、いつまで?どの程度ならOK? アンケートに出す手もありましたが、横すれ歓迎ということで、非力な質問者抜きで大いに諸賢のご明察とご意見を伺いたく。 よろしくおねがい言いたします。

noname#194996
noname#194996

質問者が選んだベストアンサー

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  • madao50
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回答No.24

 これまで再三、ご自身の「前提条件」についての再考をお勧めしてきました。 それはテーマに「哲学的考察」という言葉があったためです。 自分なりの理解として、哲学は「自分とは何者か」という命題を重んじてきたと思っています。  前提条件を再考するというのは、その命題に通ずるのではないかと思ったのですが・・・・。 人を○○派と色付けして自分と区別するような発言は「哲学的考察」に向かう為には障害になるような気がします。 私は自分を原発を「即時撤廃」とする立場ではありません。ただ、かなり偏屈・へそ曲がりである自覚はあります。巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 komaas88様の発言を誘導的と感じたのは、「前提」とされた内容があまりに電力会社の言い分そのままに思えたからです。ひょっとしたら「関係者」なのか?とも思いました。 >原発はそれ自身では非常に画期的な、うまく使えば人間にとって有用なエネルギーである。  原発を完璧に近く制御することは人間の技術の問題である これは仰るとおりだと思います。課題としては、制御に関わるコストが折り合いのつくものかどうかという点でしょう。 >石油資源はさきゆきかなり逼迫していくようである。 不思議に思うのは原発推進の根拠として、必ずこれが言われている事です。 ここでもウラン燃料が無限であるかのような「見せかけ」が行なわれているように思います。 ウランは間違いなく化石燃料と同じ有限な地下資源の一つの筈です。可採年数60年とも80年とも言われていますが、採掘コストが劇的に下がらない限りこの年数は変わらないと思われます。今後各国の原発建設が進めばこの年数も短縮されていくでしょうし、採掘時の安全管理が取り沙汰されれば採掘コストが上昇し経済的採掘量を減少させる可能性もあります。(採掘時の放射性残渣が野ざらし状態で、かなり深刻な問題になっているそうです) いずれ無くなる以上、再生可能エネルギーにシフトするまでの、過渡期のエネルギーとして位置づけるべきではないでしょうか。 今後建設を考える際に、1000年に一度どころか100年に一度程度の地震・津波対策をしても、60年で枯渇してしまうようでは建設の意義も薄れてしまいます。もともと日本は国土の特性として、原発には不向きな土地ではないかと。建設にあたっては国の枠組みを超え世界規模で(利権抜きで)立地条件の検討を客観的におこなうべきだと思います。 >方射能は世に言われるほど恐ろしいものだろうか?疑問もある。 ガイガーカウンターは実は(人間の生体に比較して)敏感すぎるのではないか? (東大の教諭の一人は200mシーベルト/毎時? でも怖くはないといっていますし、プルトニウムは呑んでもこなれずすぐ出るから怖くないというちゅうだいの先生も居ます。) これは蛇足でしたね。学者は必ずしも常に科学的な発言をするとは限りません。「水爆の父」テラー博士がNHKの番組の中でインタビューに答え、「死の灰が人体に与える影響などない」と言い切っていた事を思い出しました。その先生が報道陣の目の前でプルトニウムを服用して見せたうえで、数千名単位の被験者に対して40年間追跡調査を行い、学会に論文を出されるのであれば耳を傾けても良いかも知れませんが。 チェルノブイリでは間違いなく小児の甲状腺がんなどが発生しており、イラクでは劣化ウラン弾の影響で白血病・がん・奇形児が異常なレベルで発生しています。乳幼児や胎児など、子どもが小さければ小さいほど影響は強く現れます。「風評」というよりも、こういった「危険をできるだけ遠ざけたい」と考えるのはきわめて「普通」の発想だと思います。

noname#194996
質問者

お礼

重ねてのご回答ありがとうございます。 賛成派、反対派という色づけは便利な面もありますが、確かに仰るとおりです。 私はこの質問を設定するにあたって、できるだけどちらへも寄らない様に、しかし現在見られる重要な事実は前提として提示したわけですが、それも私の恣意的な期待値のようなものであったのか、立場が異なればそれとは異なった見方も可能なのかと気付かされました。今は反省しております。 確かにまだお様の仰ることが真実に近いのかもしれませんね。前提条件は撤回します。ただ、これからも現れるであろう多くの”権威者”の面々の発言は彼らが専門家で、実績のある人々であり、それなりの論理にかなっている限り、世間へ一定の影響を与えていくことでしょうし、それは不条理とはいえないと思います。上げ足を取るつもりはありませんが >巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 こういったものもやはり一種の先入観というか、ローカルな、哲学とは違う価値観に根ざすものではないかとも思います。彼らTVの教授諸氏のお話はそれなりに筋が通っており、私には単純に欺瞞とは思えませんでした。重要なことは、彼らの話を聞くとともに、彼ら以外の様々な異なった意見も合わせて聞いて、できればそれらの裏を取り、自身でその正否を判断することでしょう。私を含めて多くの一般人には不可能なこともあるかとは思いますが。 ここで修正後の前提条件を書けば、  ウランを含むメジャーな資源は、いずれ枯渇する。  原発の電力に頼らずとも今の文明を継続することは可能である。  放射能はいくら少なくとも確率的に危険をもたらすものであり、可能な限りない社会を作るべきである。 こういった条件を列挙して来るべき未来のあるべき姿を考えれば、やはりその過程で多少の不便を我慢することは不可避なのかと思ってしまいます。 先刻は田中優氏のyoutube を見てきました。そんあことも影響しているかもしれません。 ありがとうございまhした。

その他の回答 (27)

  • ok9608
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回答No.28

  No. 17、19、26です。 ザッキさんが観術の中身を語らない理由は『komaas88さんが、観術の中身に興味が無いのに、無理矢理にお伝えするのは筋が違うと思っています。そして横すれには僕はいつも応じません。』ということですね。現実に起きている原発問題に対して のこの理由は 了見が相当に狭い か あるいは 評価に値しない中身をあえて隠している と思われます。そこでお願いですが 抽象的言葉で観術の中身(先にNo.17で指摘した)を説明して欲しくない ということです。 

回答No.27

zakky74でございます。 >>次元上昇した哲学の必要性を・・・良かったでしょうか? >いや、勘違いではありません。・・・ご返事が先送りになっていました。 了解致しました。 数学も科学も、その前提とするところは哲学である事が圧倒的に多いです。つまり、科学に次元上昇を起こそうと思えば、哲学にも次元上昇が起きる必要性があります。 そもそも、原子力の問題においても哲学の限界ゆえに起きている一つの現象でもあります。それを同じ意識レベルから出発している哲学によって是非を問うことは出来ません。 また、是非を問うても不十分な是非となります。ですが、 >当面は原発の是非について考えております。ここで という事ですので、観術の立場から是非に触れたいと思います。 >ウランを含むメジャーな資源は必ず枯渇する。 >原発の電力に頼らずとも(少なくとも日本での)・・・可能出はないだろうか。 >放射能はいくら少なくとも・・・ない社会を作るべきである。 >原発のコストは上記によればどこまで許容出来るだろうか。 >これらの前提にご承諾いただいた上でご回答願えれば幸せです。 頭の中で成り立つ論理は、必ずしも現実では成り立ちません。 例えば、頭の中では平面上に描かれた直角三角形で一つの角度が60°の時は、残る角度は30°となります。ですが、これは現実では起こりえないものです。実際は、どんなに頑張って計ってみても30°にはなりません。 その様に、頭の中で成り立つ論理としては、無論、放射能の無い社会を実現するべきでしょう。理由は、前回までの投稿に触れておりますが、コントロール不可能な存在だからです。つまり、技術になり切っていないという点です。 そして、人類がその気になれば新しいエネルギー開発や、或いは今までのエネルギー生産方式に戻る事なども出来なくはありませんので、そういう意味では原発の必要性は必ずしも絶対ではありません。 ところが、頭の中では成り立つ論理であっても、必ずしも現実に描かれる論理はそうはなりません。理由は、その他の多くの論理との兼ね合いが出てくるからです。 即ち、既得権益者たちの思惑や、新しい変化に対して主体的に働きかけをし続ける存在の有無などに限界があり、高い確率で原発が直ぐに必要とされなくなる運びには至りませんでしょう。必ずしも絶対に原発を放棄しなければならない理由も見つけられないからです。 こうした判断基準の違いをどの様に統合できるのか? また、完全な判断基準を持つ存在をどの様に見出すのか? どちらの思惑も同時に満たす事が出来る時に円満解決なのですが、それが今までの哲学では無理でございまして、どうしても限界が生じます。 文明は、常に進化発展する事を、意外にも自然界から要求されます。 そうした人間の存在意義から観る時に、文明が前の時代に戻る事は出来ませんし(それを選択すれば自然から淘汰される)、かと言って今の学術的理解方式、学術的認識方式の延長では、哲学・数学・科学ともに進化発展は望めません。 引くに引けず、進むに進めず・・・ 故に、今までにない全く新しいアプローチ、代案が必要となります。 >私の立場としましては、・・・強い期待もあるわけですが、 よく分かりました。 観術は、学術的理解方式、学術的認識方式の限界をキレイに超えてくれます。 今の時代、特に日本は、最も欲しいと思う価値高い新技術でしょう。今の日本の経済事情を根本から解決するのは観術による認識産業、認識経済しかありません。それだけに、僕の立場としてはですが、観術を軽く見たり誤解する人に、或いはキョリを置いている人に、無理矢理お伝えしようとは思いません。 価値あるものです。 本当に、それを学びたい人、活かしたい人、人類69億人の為に、そして未来1000年の先にまで想える人であれば、とことん共有したいと思っています。逆に言えば、聞く気がないのに誰にも彼にも伝えたいとは思いません。 >いかんせんその鍵となっている観術というものが皆目私には分かっておりません。 分かっていらっしゃらないのに、「学ぶと高額である」という点に着目していらっしゃるのは何故でしょうか?僕はこれを観た時に、現段階で、komaas88さんは観術の中身には興味がないと受け取っています。 >横すれのOK様、アクシス様のご意見にもありますように、・・・ではないでしょうか。 komaas88さんが、観術の中身に興味が無いのに、無理矢理にお伝えするのは筋が違うと思っています。そして横すれには僕はいつも応じません。質問者さまの関心に触れた箇所のみ横すれに応じます。 僕が観術の中身について、(語れないのではなく)語らない理由はご理解頂けましたでしょうか?原発の考察に、特に触れました

noname#194996
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >分かっていらっしゃらないのに、「学ぶと高額である」という点に着目していらっしゃるのは何故でしょうか?僕はこれを観た時に、現段階で、komaas88さんは観術の中身には興味がないと受け取っています ザッキーさんのお話を伺ううちに、観術に興味を持ったことは確かです。でもその内容をわれわれが知るてだては、ただお金を出して講座に入るということしかないようなので、諦めたわけです。 私が知るのはザッキーさんが「観術は原発やらそれを正当化する哲学を教えてくれる。今の技術も更に高度に発展させてくれる」と仰るので、興味を持ったわけですが、いつまで経ってもその証拠の片鱗も見れないので、正直言って今は余り信じられないというところです。たとえば、観術を使ったことでアメリカで新しい原子炉が動き出したとか、韓国でそういった具体的な動きがあるとか、そんな実績をだしていただかなければ、やはり駄目なのではないでしょうか。 >僕が観術の中身について、(語れないのではなく)語らない理由 こういったお話がこのスレの時系列のどこで現れたかを考えれば私の疑念が正当なことがはっきりすると思います。 では。

  • ok9608
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回答No.26

No.17、19です。zakky74さん もうこのコーナーへは現れないのかと心配しておりました。 私への回答もよろしくお願い致します。

回答No.25

zakky74でございます。 お久しぶりでございます。komaas88さんからの返事を暫く待っておりましたが、もう返事を頂く事は出来ないと受け取っても良いのでしょうか? この後も投稿は続くと思っていた為に、一応、確認の為に再度、投稿させて頂きます。 >この間の矛盾を、できればわかりやすくお示しいただければ幸いです。 に関して、前回の投稿にて、矛盾ではない筈だという僕側の見解を示しました。komaas88さんにとって、矛盾は晴れたのでしょうか?それとも晴れていないのでしょうか? それともう一つ。 >>重要な事が一つあります。 >>哲学さえも学術的理解方式の上に留まっています。 >>むしろ、哲学の突破を見ないからこそ、科学技術が・・・言い換えれば物理学・数学がその程度に留まっているという事です。哲学さえも、今までの次元を超えた哲学にならねばなりません。 >>哲学は確かに必要ですが、学術的哲学の土台だったから、今の限界がある事に気付くべき時です。本来は、komaas88さんが仰る哲学とは、そうした上昇された哲学の事を指しているのだとは思いますが、念のために書き記しておきます。 >>次元上昇された哲学であれば、メチャ必要です。 >>如何でございましょうか? としながら、哲学の次元上昇、哲学の限界突破について触れていますが、komaas88さんが仰る「哲学」という言葉が指し示しているイメージとは、一体どういうイメージだったのでしょうか? 僕は、次元上昇した哲学の必要性を問い求めている様に受け取っているのですが、それは勘違いでしたでしょうか?それともその受け取りで良かったでしょうか? 如何でございましょうか?

noname#194996
質問者

お礼

ザッキー様、何度もお運びいただき、申し訳ありません。 >次元上昇した哲学の必要性を問い求めている様に受け取っているのですが、それは勘違いでしたでしょうか?それともその受け取りで良かったでしょうか? いや、勘違いではありません。ただ貴回答の抽象性についていけず、ここでの設問以外に哲学そのものについて議論させていただく余裕がなかったもので、ご返事が先送りになっていました。失礼致しました。 当面は原発の是非について考えております。ここで ウランを含むメジャーな資源は必ず枯渇する。 原発の電力に頼らずとも(少なくとも日本での)今の文明を継続させることは可能出はないだろうか。 放射能はいくら少なくとも確率的には危険をもたらすものであり、可能な限りない社会を作るべきである。 原発のコストは上記によればどこまで許容出来るだろうか。 これらの前提にご承諾いただいた上でご回答願えれば幸せです。

noname#194996
質問者

補足

先刻は舌足らずで失礼いたしました。 私の立場としましては、この質問スレも2週間が経過しており、事務局からの催促もありますので、できれば近日中によい形で閉じさせて板だきたいとも思っております。もちろん個別の議論はなお尽くされているとは申せませんし、とくに貴回答で提起されました現在の科学を越え、更に哲学そのものも「次元上昇(今の思考を昇華して更に高度な次元で考え直すという意か?)」して新しい哲学を構築すると仰るところには強い期待もあるわけですが、いかんせんその鍵となっている観術というものが皆目私には分かっておりません。横すれのOK様、アクシス様のご意見にもありますように、ザッキー様におかれましてもなによりもこのあたりの分かりやすい解説が早急に望まれているのではないでしょうか。

  • madao50
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.23

誘導の意図がなかったのであれば、一度御自身の「前提条件」を洗い直してみては如何でしょうか。 例えば >現実:現状では原発が全停止したら計画停電が日常になるだろうと思いました。 >原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています >世界に向けて約束した25%のCO2削減 これらを不変の条件とされた根拠・またその出所について。 東電の動きを見ると、事故後休止中だった火力発電所の再開や建設工期の短いガスタービン発電の建設を急いでいるようです。事故前、政府や電力会社は温暖化対策を追い風に火発については否定的でした。 それが今このような方向転換を行なっているのは、現状で最も「現実的」だからと判断したのでしょう。 つまりこの選択肢は以前から存在していたという事になります。 以前から、発電所の設備利用率は5割以下でしかなく、仮に原子力発電所の分をすべて火力発電所で補ったとしても利用率は7割程度という話がありました。 「日本の電力の3割は原子力に頼っている」というのは実はそのように「見せかけた」数字である可能性も考えられます。 原子力 5.3円 石炭火力 5.7円 LNG火力 6.2円 石油火力 10.7円 水力 (稼働率 45%) 11.9円 よく目にする電気事業連合会発表の「モデル試算による各電源の発電コスト」です。疑問なのは、なぜ「実績原価」ではなく「試算」なのかということです。 試算の条件では40年間の稼動で設備利用率80%となっています。何の故障も事故もなく核燃料サイクルも順調に行った場合の40年後のコストというのが果たして現実的数字なのでしょうか。 経済産業省へ提出される「原子炉設置許可申請」に発電原価について試算を記載する項目があります。 東京電力が提出した申請の数字は以下のようなものでした。  柏崎刈羽1号機 14.04円 初年度   〃  2号機 17.72円 初年度   〃  3号機 13.93円 初年度   〃  4号機 14.24円 初年度   〃  5号機 19.71円 初年度   〃  6号機 11.24円 耐用年   〃  7号機 10.37円 耐用年 同じ試算でも条件設定によって随分変わることが分ります。 電力会社に都合のよい見せ掛けの数字ではなく、「実績原価の比較」のほうが判断材料として適切だと思うのですが、残念ながら私は目にした事はありません。 温暖化対策については私はやや楽観的な立場です。日本の窮状を訴え、温暖化対策は一時棚上げし、二酸化炭素の回収・固定化対策を急ぐということで国際的な理解を得るのは、そう無理な話ではないと思います。 東電の責任の取り様については、最後まで見届けるという意味ではありません。人それぞれの判断時期があってしかるべきと思っています。

noname#194996
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 >>現実:現状では原発が全停止したら計画停電が日常になるだろう。  (原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっている) 確かに、この夏のピークをこのままの(原発の半分以上が動いていない)現状で乗り切ることができれば、原発は不要だという明快な証拠になるわけですね。 今日もネットでは注目すべき情報が流れていました。 今夏の東電の電力計画に、例の本来原発立国の所産である揚水発電隠しが体制側でなされているということらしいです。察するにこれも政府役人がぐるになっての陰謀のようで、その気になれば、原発は停止したままで日本は安泰だということなのでしょう。 仰るように、この前提は取り下げさせていただくということで。 いや、生活レベルを下げずに原発が我慢できればそれが良いに決まっています。 残る問題は >世界に向けて約束した25%のCO2削減 ですが、ご提案の方向でとりあえず乗り切ることは可能かもしれません。 一番問題は、石油や天然ガスが有限だということです。代替エネルギーのコスト低減、更なる新技術の開発が急務になるのは必定だと思います。うーん、それは可能でしょうか? やはりそれへの乗り換えの過程ですくなからず日本経済は揺らぐような気がしてなりませんが。 私は世界の趨勢として原発が電力需要に必要不可欠な利器になっていく流れは到底止められないだろうと思うものです。日本が原発を廃止していくとともに、ドイツや北欧などもその流れに同調するかもしれませんし、その危険性と廃止を日本発でPRする(これが筋の通ったことであるのは理解できます)ことは可能かもしれませんが、軍事兵器の輸出禁止はともかく、原発の日本発中国向け、インド向け、あるいはアメリカ向けの輸出まで禁止できるものかはいささか?のように思います。 原発はずいぶん魅力的な輸出商品です。でもすじを通すなら我慢するべきでしょうね。基本的に仰る実績単価(で原発は安くはない、危険だ)というコストを示せば、世界も納得してやめるかもしれません。少なくともフクシマ後の原発は更にコストが上がるはずですし。

noname#194996
質問者

補足

すみません。お礼の捕捉という形で、言い足りないところがあったものですから。 まだお50さんはおそらく反原発派かあるいは新派といったところかと拝察します。 まあこんな色眼鏡をかけて対象をみるのは良くないかとは思いますが。 このスレを立てるとき、確かに私は原発推進派に近かったと思います。もちろんここに出した理由はそれを補強したかったという本音があったことは否めないでしょうが、当然ながら自分の実力ではとても分からない、結論は出せないというのが大きかったです。 私の推進派としての理由は次の2つです。 人間が文化的な快適な生活を維持するにはエネルギーがたくさん要るし、そのための石油資源はさきゆきかなり逼迫していくようである。 原発はそれ自身では非常に画期的な、うまく使えば人間にとって有用なエネルギーである。 原発を完璧に近く制御することは人間の技術の問題である(やれば出来るんじゃあないの?あと一息?)。 放射能は世に言われるほど恐ろしいものだろうか?疑問もある。 ガイガーカウンターは実は(人間の生体に比較して)敏感すぎるのではないか? (東大の教諭の一人は200mシーベルト/毎時? でも怖くはないといっていますし、プルトニウムは呑んでもこなれずすぐ出るから怖くないというちゅうだいの先生も居ます。) ネットはとかく信用ならない情報が飛び交いますが、あるラドン温泉ではフツウの1000倍の放射線量の場所があってそれが日常らしいです。これもうそか?) 確かにチェルノブイリでも福島でも何万というひとが故郷を追われて難民化していますし、これを悲惨な状況ではないというつもりはありませんが、これだってひと→ひとの風評の犠牲と取れないこともないわけです。 こんなかんがえもあるということで。 ここの回答者様の中には「原発は嫌いなのだ」とおっしゃるひともいて、いろいろです。私は敦賀がルーツでたくさん親戚が居て原電で勤務しているいとこもいるのですが、どちかというと私は原発は嫌いではなく、むしろ魅力を感じています。このままではまずいとも思いますが。 それから、お礼で言ったかと思いますが、体制側(東電?)が今度の計画停電の問題で揚水発電を隠していたというのは、単純に効率が悪くて火力の発電量をそちらへ溜め込むのを躊躇した(あるいはコスト的に嫌った)ということかもしれないと思いました。でも緊急避難的にはこれも有効だと素人的には思いますし、隠すことはないでしょう。

  • madao50
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.22

>原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。 これを前提条件とすると、結論はすでに確定していて、課程をどうするかという議論になるのでしょうか。もし誘導の意図がないのであれば非常に窮屈な議論の場になっているように思います。 そもそも原発が無くてはならないとする考えは、どのような根拠を持って質問者の前提と成り得たのか? 何者かがそっと潜り込ませた可能性は無いのか?もし何らかのデータを根拠にしたのであれば、誰がどのような解析を行なった結果なのか、そこに意図的な操作はなかったのか? いくらでも疑問の余地があるように思います。 原発の是非を問うのであれば、これからの東電の責任の取り方を見届けてから判断しては如何でしょうか。安全対策がコスト面との兼ね合いで線引きされているように、保障に関しても同様の事が行なわれるでしょう。要は我々がそれを受け入れるかどうかでしょう。

noname#194996
質問者

お礼

>これを前提条件とすると、結論はすでに確定していて、課程をどうするかという議論になるのでしょうか? いいえ、もちろんそうではありません。どこかへ回答者様諸氏を誘導しようという意図は毛頭ありません。もしそういう誤解を招かれたのでしたら、こちらにも責任はあるかもしれません。 >>原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています 2つの条件をつけました。現実:現状では原発が全停止したら計画停電が日常になるだろうと思いました。 また、こばと政権が世界に向けて約束した25%のCO2削減は、やはり原発の稼動を前提になされたものであることが明白です。これらを考えれば、原発の停止はすぐにでも日本経済を縮小する可能性が大だと判断したのですが、間違っていますでしょうか?間違っているならば、その方がいいと(正夢であることを)願うものですが。 >これからの東電の責任の取り方を見届けてから判断しては如何でしょうか。 確かにそういったご意見は予想しておりました。 それもひとつの見識です。 ただ、それを、最終的な結論を何年も、あるいは水俣のように何十年も待っていられる余裕があるか?ということがあります。また 原発のひとつの現状がなまなましくさらけ出された今だからこそ出る発想がある、とも思います。また、 はなはだ僭越ながら、今後巻き起こるであろう原発是非論争のさきがけとして先入観なく話し合えるのではという思いもあります。 そういったところも含めて、まだお50様のご卓見を伺うことはかなわないでしょうか?

  • hakobulu
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回答No.21

#20です。 >1万年以内安全なものを建設することは不可能である。ゆえに1万年規模の巨大災害のときは覚悟してほしい、では駄目、といわれるのですね。 : というより、原発というもの自体が好きじゃないのです。 危急存亡に関わる場合以外は。 然るべき代替エネルギーを目指すべきと思っています。 一万年災害が起きなくても、内部テロという可能性もあり得るでしょう。 災害も含めて、その際、放射線の威力を考えれば取り返しがつかないですし、当事者、当該地域、当事国のみの問題ではすまない、というのが最大のネックだと思います。 しかし、現にあるものですし、すぐに廃止は無理です。 この場合、仮に「100年大丈夫」という発想だと、「じゃあ、定期的に点検補修していれば何とかなりそう」といった思考に流れ勝ちでしょう。 そうではなく、「100年の間にこういう事故が起きる可能性はあります」ということを政府・電力会社は言明して、その事故による被害の詳細をつまびらかにしておくことが大事ではないかと思うのです。 「なるほど。わかりました。その場合は仕方がないと諦めましょう」という決断ができます。 これは自らの命の取捨選択でもあるわけですから、真剣に検討されやすくなるでしょう。 現在は、この焦点が極めて政府によって曖昧にされており、また電力会社は曖昧にしようとしており、さらに国民は曖昧なほうが面倒がなくて良いぐらいの感覚で受け止めています。 たとえば、被害の状況によっては翌月から所得の30~50%を震災対策として徴収します、といったような法律があっても良いでしょう。 それがないために危機感が稀薄になります。 そして、というかそれゆえに事後に大騒ぎし戸惑う。 建設地域の人は補償金に目をくらまされ、それ以外の人々は他人事として考えています。 これが実態ではないでしょうか。 つまり、「危機の内容を我が身に引き受けなさすぎる」ということになるでしょうか。 我が身に引き受けるには「万一、想定以上のことが起きたら仕方がない」と言える必要があると思います。 このように言うことが、もっとも我が身に引き受ける気持ちと向き合いやすいのではないか、ということです。 そうすると、100年ではとんでもない、という感覚が自然にもたらされるでしょう。 検討が深められ、では1000年後となるかもしれません。 その場合、防災対策は一段と強化されるはずです。 >世界が当面の原発の稼動、導入を控えるはずはないと思います。 : そうでしょうね。 わたしが述べたのは、世界規模の監視システムがまずできたら、の話です。 原発の危険性をまず十分に認識することが大前提です。 そして費用のことは度外視しても万全の対策をとるべきだ、という世界的な合意の形成につなげます。(この形成にいたるための方法として、仕方がない という思考が有効ではないか、と思うわけですが) こうした結果、やはり原発は危険なだけではなく経済的にも結局は損なエネルギーだという結論に至る可能性があります。 そして世界規模の監視システムが導入され、全原発が撤廃されれば経済格差は生じません。 しかし、そう悠長なことも言っていられませんから、当面は、核軍縮ではありませんが、製造禁止と現状維持、さらには徐々に減衰させていく方法が望ましい、という考えです。 そのためにはどういったことが効果的だろうか、とういことになると思います。     

noname#194996
質問者

お礼

>現在は、この焦点が極めて政府によって曖昧にされており、また電力会社は曖昧にしようとしており、さらに国民は曖昧なほうが面倒がなくて良いぐらいの感覚で受け止めています。 仰るとおりですね。日本人は特にその傾向が強い民族だと思います。 推進側は明確な危険域を捉えていて、(そこまでは)大丈夫です、といい、それ以上は駄目ですのでお覚悟をとは口が裂けても言わない。しかも(そこまで)の内容を明かさなかった。住民側はなんとなく(そこまで)という限度を感じていて、しかし意気地がないからなのか、意識して目をそらしてきた。その方が面倒もなくて良いからなのでしょうが、それは推進側に取っても結構なことですから、そこでしゃんしゃんと手を打ってしまうということがずっとなされてきたのだと思います。東電側はもちろんですが福島県側も同じ運命共同体だという意識が少なく、それなりに責任はあるということでしょう。 それにしても、何度も申しますが、問題は「この線以上ではこんな被害が出ることは避けられないが、いいでしょうか?」と言う言い方では、より感情的になっている反対側を納得させることは、その限度をとんでもない(ありえない)高さに引き上げる以外に合意の可能性はないということです。 >こうした結果、やはり原発は危険なだけではなく経済的にも結局は損なエネルギーだという結論に至る可能性があります。 反対論者であられるはこぶる様はそれをこそ狙っておられるのでしょう。 >そして世界規模の監視システムが導入され、全原発が撤廃されれば経済格差は生じません。 理想的にはそうだと思います。世界連邦の誕生です。 お付き合いいただきありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.20

おじゃまします。 かなりまとめられている内容ですので、それに沿って私見を述べます。 >この議論は、結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。 : それも重要な焦点のひとつになるでしょうね。 利便性・快適性と安全性とのバランスということになるでしょう。 しかし、現状としては当面は前者が優先されているし、いくでしょうから、 >これからも犠性者はあっても、それが許される範囲にとどまるなら進めて良いということになる : のだと思われます。 ただ、「犠牲者が出ることを明確に認識しようとしない」ことが電力会社も政府も国民も含めて問題なのだろうと私は思います。 >その程度はどのくらいでしょうか。 : 犠牲者数のシミュレーションすら受け止めれないのですから、その程度も曖昧にされていると思います。 電力会社はそれを望み、国民も補償金なり快適性なりといった自らの欲望に水を差さないために、その程度を明確にしようとはしない。 これが実態でしょう。 >これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重は無いということが関係すると思いますし、 : これは明らかに理想論でしょうね。 軽重は存在する、という(無意識的にせよその)認識が明らかに多数を占めているはずです。 >折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。 : これが当面は最善の方法だろうとわたしも思います。 ただ、そのためには代替エネルギーの確立が必要になりますから、これをより強力に推し進めるべきでしょう。 もっと効率の良い太陽エネルギーの利用などできそうな気がしますけどね。 >それは可能でしょうか?なら、いつまで?どの程度ならOK? : 原発の稼動については相当の懸念を持っており、基本的には脱原発が理想と考えています。 科学は実験と犠牲によって進歩する側面も持っているでしょうが、犠牲が大きすぎるでしょう。 あまりに未知の部分が多すぎる。 とはいえ、研究開発はもはや止めることは無理だろうと思います。 原発の可能性を知ってしまった以上、その追求に関して目をつぶることはできないでしょうから。 世界で一箇所だけに研究施設を作り、そこでのみ研究を続けます。 遠い将来的には太陽も消滅し現在の形での地球も終焉を迎えるでしょう。 その際にこのエネルギーが必要とされる場面が無いとも言い切れません。 こういった環境を整えるために、その前提として、まず、 原発ならびに核施設の建設をチェックできる世界規模のシステムが必要になると思います。 現在でも行なわれているかもしれませんが、たとえば人工衛星による監視システムです。 このシステムを強化した後、核軍縮を強力に推し進めさらには原発自体も廃止の方向に向かわせる。 こういったシステムができて初めて脱原発が可能になるでしょう。 この場合、たとえ代替エネルギーの効率が悪くても世界が足並みを揃えているので、不満はおそらく出ません。 少なくとも経済格差の原因にはなりません。 全ての原発(当然核開発も)を一時的にせよ停止可能にするにはこういった手順が必要になるような気がします。 >いつまで? : その研究施設で安全が確認されるまでです。 あるいは、多少の犠牲は止むを得ない、とその時代の人間が考え始めたときです。 >どの程度ならOK? : 私はどの呈でも不可という立場です。 しかし、実際的には、その時代の人間の知性の進み具合次第だと思います。 現在は、少なくとも上に述べましたように、多少の犠牲は止むを得ないと考えている時代でしょう。 この事実をまず明確に認識することが、完璧とは言えないまでも最短の事故回避策、あるいは被害軽減につながると考え、かの質問を立てさせていただいた次第です。     

noname#194996
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 世界規模、近未来規模での原発のあるべき姿というきわめてスケールの大きいはこぶる様のビジョンを伺い、目が覚めるような気がいたしました。 貴すれへの拙答は、あるいはすれ違いであったのかと気がついたしだいです。 >犠性は(程度はどうあれ)しかたがない、 と当事者、あるいは推進者が漏らした段階で、その計画は破綻したと考えねばならない というのがはこぶる様のお考えなのですね。 私は、千年以上安全とされるなら、それは安全だ、だからそんな原発はOK、という立場なのですが、確かに、一年後、またフクシマにM9由来の大津波が来る可能性は0ではないでしょう。でもそうなっても安全なら、住民は理性的には、ま、いっか、とするだろうと思ったのですが、そうではない、のでしょうか? 千年以上安全な原発は不可能である、のではなく、1万年以内安全なものを建設することは不可能である。ゆえに1万年規模の巨大災害のときは覚悟してほしい、では駄目、といわれるのですね。 厳しいですね。 対案として >世界で一箇所だけに研究施設を作り、そこでのみ研究を続けます。 遠い将来的には太陽も消滅し現在の形での地球も終焉を迎えるでしょう。 その際にこのエネルギーが必要とされる場面が無いとも言い切れません。 これは原発全否定ということだろうと拝察いたします。 確かに、現在の状況は、仮の実用原発をつくって住民を巻き込む壮大な実験を繰り返しつつ改良を続けているということでしょう。 人間の欲望が次期の完璧なエネルギー源の完成を待てないままとりあえず不完全なパワーステーションを使いまわしているのが現実です。 >この場合、たとえ代替エネルギーの効率が悪くても世界が足並みを揃えているので、不満はおそらく出ません。 少なくとも経済格差の原因にはなりません。 世界が当面の原発の稼動、導入を控えるはずはないと思います。それこそ核兵器の廃棄だけでてこずっている状況では、なにをかいわんやというところでしょう。 この件に関して、日本は脆弱で狭い国土という基本的なハンディをもろにかぶったというわけでしょう。 EUとはこと異なり日本では電気は金では買えないマテリアルです。 中国から3峡ダムの電気を買おうというビジョンが以前どこかでありましたが、原発の電気でもいいかもしれませんが。でもそうなると尖閣の島のひとつ二つどころでなく献上しなければならなくなるかもです。 格差拡大はいかんともしがたいですね。 国民が耐えられるでしょうか?

  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.19

No.17です。先にザッキ74さんに重要な案件で質問しました。30H以上たちますが答えがありません。推察するに (1)本質問をまだみてない (2)答えが批評に耐えるものになってない (3)答えはあるが タダで開示するわけにはいかない の何れかのように思います。 (1)は福島原発問題の重要性を考えるとOK質問コーナーといえども真剣さが足りないように思います。(2)の場合は今後のことを考え観術なるものから手を引くべきではないかと思います(3)このOKコーナーは商売するコーナーではないと思います。この場合は即刻OKコーナーから手を引くべきかと思います。 可及的速やかな何れの場合にも該当しない答えを願っています。

  • _AXIS_
  • ベストアンサー率11% (2/17)
回答No.18

観術というものに可能性があるとして、それにお金を特に払わなくてすむように、例えば学校などで教えるようになるには、意識のブレイクスルーが必要ですね。例えば震災とか、それ以上の天災とか。 何十万も、何百万も受講料を払った人がこのような所で教えたくないのは気持ちは分かります。

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