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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:原発の哲学的考察)

原発の哲学的考察

このQ&Aのポイント
  • 原発の是非を問うスレはいくつかありますが、ここにはなかったように思い、たててみました。結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。
  • 放射能は本当は怖くないのでしょうか?廃棄物処理は意外と簡単だったりして。これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重は無いということが関係すると思います。経済問題である以上に優れて哲学的な設問の範疇かと思います。
  • 原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。

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  • madao50
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回答No.24

 これまで再三、ご自身の「前提条件」についての再考をお勧めしてきました。 それはテーマに「哲学的考察」という言葉があったためです。 自分なりの理解として、哲学は「自分とは何者か」という命題を重んじてきたと思っています。  前提条件を再考するというのは、その命題に通ずるのではないかと思ったのですが・・・・。 人を○○派と色付けして自分と区別するような発言は「哲学的考察」に向かう為には障害になるような気がします。 私は自分を原発を「即時撤廃」とする立場ではありません。ただ、かなり偏屈・へそ曲がりである自覚はあります。巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 komaas88様の発言を誘導的と感じたのは、「前提」とされた内容があまりに電力会社の言い分そのままに思えたからです。ひょっとしたら「関係者」なのか?とも思いました。 >原発はそれ自身では非常に画期的な、うまく使えば人間にとって有用なエネルギーである。  原発を完璧に近く制御することは人間の技術の問題である これは仰るとおりだと思います。課題としては、制御に関わるコストが折り合いのつくものかどうかという点でしょう。 >石油資源はさきゆきかなり逼迫していくようである。 不思議に思うのは原発推進の根拠として、必ずこれが言われている事です。 ここでもウラン燃料が無限であるかのような「見せかけ」が行なわれているように思います。 ウランは間違いなく化石燃料と同じ有限な地下資源の一つの筈です。可採年数60年とも80年とも言われていますが、採掘コストが劇的に下がらない限りこの年数は変わらないと思われます。今後各国の原発建設が進めばこの年数も短縮されていくでしょうし、採掘時の安全管理が取り沙汰されれば採掘コストが上昇し経済的採掘量を減少させる可能性もあります。(採掘時の放射性残渣が野ざらし状態で、かなり深刻な問題になっているそうです) いずれ無くなる以上、再生可能エネルギーにシフトするまでの、過渡期のエネルギーとして位置づけるべきではないでしょうか。 今後建設を考える際に、1000年に一度どころか100年に一度程度の地震・津波対策をしても、60年で枯渇してしまうようでは建設の意義も薄れてしまいます。もともと日本は国土の特性として、原発には不向きな土地ではないかと。建設にあたっては国の枠組みを超え世界規模で(利権抜きで)立地条件の検討を客観的におこなうべきだと思います。 >方射能は世に言われるほど恐ろしいものだろうか?疑問もある。 ガイガーカウンターは実は(人間の生体に比較して)敏感すぎるのではないか? (東大の教諭の一人は200mシーベルト/毎時? でも怖くはないといっていますし、プルトニウムは呑んでもこなれずすぐ出るから怖くないというちゅうだいの先生も居ます。) これは蛇足でしたね。学者は必ずしも常に科学的な発言をするとは限りません。「水爆の父」テラー博士がNHKの番組の中でインタビューに答え、「死の灰が人体に与える影響などない」と言い切っていた事を思い出しました。その先生が報道陣の目の前でプルトニウムを服用して見せたうえで、数千名単位の被験者に対して40年間追跡調査を行い、学会に論文を出されるのであれば耳を傾けても良いかも知れませんが。 チェルノブイリでは間違いなく小児の甲状腺がんなどが発生しており、イラクでは劣化ウラン弾の影響で白血病・がん・奇形児が異常なレベルで発生しています。乳幼児や胎児など、子どもが小さければ小さいほど影響は強く現れます。「風評」というよりも、こういった「危険をできるだけ遠ざけたい」と考えるのはきわめて「普通」の発想だと思います。

noname#194996
質問者

お礼

重ねてのご回答ありがとうございます。 賛成派、反対派という色づけは便利な面もありますが、確かに仰るとおりです。 私はこの質問を設定するにあたって、できるだけどちらへも寄らない様に、しかし現在見られる重要な事実は前提として提示したわけですが、それも私の恣意的な期待値のようなものであったのか、立場が異なればそれとは異なった見方も可能なのかと気付かされました。今は反省しております。 確かにまだお様の仰ることが真実に近いのかもしれませんね。前提条件は撤回します。ただ、これからも現れるであろう多くの”権威者”の面々の発言は彼らが専門家で、実績のある人々であり、それなりの論理にかなっている限り、世間へ一定の影響を与えていくことでしょうし、それは不条理とはいえないと思います。上げ足を取るつもりはありませんが >巨大組織がエリート臭をぷんぷんさせながら、一般人に行なう欺瞞行為が何よりも嫌いです。 「原発が」というよりも「欺瞞」が嫌いなのです。 こういったものもやはり一種の先入観というか、ローカルな、哲学とは違う価値観に根ざすものではないかとも思います。彼らTVの教授諸氏のお話はそれなりに筋が通っており、私には単純に欺瞞とは思えませんでした。重要なことは、彼らの話を聞くとともに、彼ら以外の様々な異なった意見も合わせて聞いて、できればそれらの裏を取り、自身でその正否を判断することでしょう。私を含めて多くの一般人には不可能なこともあるかとは思いますが。 ここで修正後の前提条件を書けば、  ウランを含むメジャーな資源は、いずれ枯渇する。  原発の電力に頼らずとも今の文明を継続することは可能である。  放射能はいくら少なくとも確率的に危険をもたらすものであり、可能な限りない社会を作るべきである。 こういった条件を列挙して来るべき未来のあるべき姿を考えれば、やはりその過程で多少の不便を我慢することは不可避なのかと思ってしまいます。 先刻は田中優氏のyoutube を見てきました。そんあことも影響しているかもしれません。 ありがとうございまhした。

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その他の回答 (27)

noname#163492
noname#163492
回答No.7

いろいろ書いていただいておりますが肝心なことがありません。 哲学とは何か、とお聞きしたんですが お答えいただいておりません。 ストレートなお答えをぜひいただきたかったですが。 これ以上は何を話しても無駄と判断いたしました。 おわりです。 返事はいりませんので。 どうせもうこのスレは読みませんので。

noname#194996
質問者

お礼

申し訳ありません。 行き違いがあったようです。 >話がずれますが、質問者さまがおっしゃる哲学とは何ですか。  もしよければ具体的におしえてください。  どうやら、話がかみあわないのは、哲学の意味が、質問者さまと私とでは違っていることが原因のようです。 これですよね。 私にはrupapo様との会話にかみ合わないところがあtったという認識がありませんでしたので、 どこかで「哲学」の説明を意識せずすっ飛ばした、手抜きをしたというところがあったのかもしれません。それが質問者様を不愉快にさせてしまったのでしょう。申し訳ありません。 一般的に哲学を理解することはウィキなどをご覧になればずっと手っ取り早いと思いましたし、私の説明できることはとっくにご承知であろうと思っていましたので。 私の考えとしては「哲学」とは仰る信念に近いものではありますが、それよりはずっと科学に近い、論理的なものだと思っています。 信念は科学と宗教の間にあって、むしろ宗教に近い働きをするものです。 哲学はむしろ科学と親和性があると思います。筋道を大切にします。 科学がその力では到達できない真理の高みへの間をつなぐ想像的あるいは創造的なもの、 あるいは(科学が提示した)いくつかの矛盾する結論の選択に決着をつけられるかもしれない価値観を構築する学問、といったところでしょうか。 原発の問題にそれらが応用できるかもしれないと考えたまでです。 うまくいえなくて申し訳ありません。 宜しければまた戻ってきてご示唆いただければ幸せです。

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  • alwen25
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回答No.6

物理化学的な立場で書きます。 放射能が全くなかったら、地熱になるはずの エネルギーが全くなくなってしまいかなり 寒冷化すると思います。 また、原発でなくてもいいですが、 放射線治療用の線源を作るための 原子炉は絶対必要です。 また、どうしても核エネルギーを使いたいなら 太陽熱発電所(太陽のエネルギーは核融合という核反応です) をもっと作ればいいのにと思いますが。 また、原発事故は私が知っている限りでは、 チェルノブイリとスリーマイルと今回の福島の3つだけです。(JCOは原発ではありません) 安全装置を改良することで事故を起こす可能性は下げられると思います。 絶対に事故を起こしてはならないというならば原発を廃止するしか ありませんが。

noname#194996
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに自然放射能というものはかなり存在するのですね。 でも、ないところにはないから、突然、何万倍!というものが出て びっくりさせられるんですよね。いや あるところには千倍ほども常時あるそうですから、 そんなところの住民の健康なんかデータがないのでしょうか。 要するに科学的に完璧な安全データ、 っていうものはないのでしょうか。 >原発事故は私が知っている限りでは、 チェルノブイリとスリーマイルと今回の福島の3つだけです 確かに、そうなんんですね。 限りなく事故の確率は低い。 飛行機事故の方が怖い? そういった論理で福島県の人々を納得させられるでしょうか。 第二のオキナワ問題(少数民族?)を抱えたということではないのでしょうか。 沖縄問題は国防哲学(?) フクシマは健康問題?それとも生活する権利? >絶対に事故を起こしてはならないというならば原発を廃止するしか  ありませんが。 いや、起こっても安全に推移できるのならいいとおもいます。 フェイル・セーフ ですね。 これが破綻したから困ってるのです。

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noname#163492
noname#163492
回答No.5

丁寧なお礼をくださいまして、ありがとうございました。 まとめていただいた内容は間違ってはおりません。 ただまとめていただいたのは結果のみですね。 理由は排除されています。 私は結果ではなく、理由が大事だと思うんです。 No.2の方は、原発推進派で私とは反対の意見ですが、理由が記されているので好感がもてます。 理由が記されていれば、あとはそれが正しいか考えることができます。 私はそういうのが科学的だと思うんです。 削除覚悟で書きますが、理由もなく結論だけ書いておられる回答方がいます。 私は哲学とは何かがわからないんですが、友人は「哲学は信念だ」と言っていました。 結論だけ書いておられる方は信念をお書きになられたのだろうか、それが哲学的ということなのだろうかと思いました。 それで、科学的に論じるべきではないのか、と申しました。 勘違いであったならば、申しわけありません。 >科学者はそれこそばんばん可能性を追求するだけで、原爆を作ったように 結果がどうあろうとも基本的に責任は持たないものなのです。 なるほど、だけど、科学者の中には原発反対の方もおられます。 科学者=推進派ではありません。 今回いろいろ調べてみて、何人か原発反対の科学者を見つけることができました。 武田さんも科学者といえると思いますが、彼は安全なら賛成(=安全でないので反対)というお考えをお持ちですね。 >科学自体が決着をつけるというのはどういう場合なんでしょうかねぇ。 例えば、安全か安全でないかという議論を例にとって考えてみても、科学的に考えるべきだと思うんです。 信念ではなく。 私がいう科学的とは、データや科学的根拠に基づいて考えるということです。 放射性物質は管理できる。 ・・・これは信念ととらざるをえないです。理由が記されていないので。 >少なくとも完璧な技術なんかあろうはずはない、というのも科学が証明するところです。 そのとおりです。 >これを(必要なら)制御するのが哲学だと私は思います。 申し訳ない、話がずれますが、質問者さまがおっしゃる哲学とは何ですか。 もしよければ具体的におしえてください。 どうやら、話がかみあわないのは、哲学の意味が、質問者さまと私とでは違っていることが原因のようです。 ここにスレを立ち上げたのは意味のあることだと私も思います。 >私もこの魔人が人類の味方なのか敵なのか分からなくなっています。 福島の事故に関していえば、死者は出ておりません。 が、10年後、20年後に癌になる人が増えるかもしれない。 福島の方々は実験材料にされたわけです。 けれど、原発事故との因果関係を立証するのは難しいでしょうね。 原発で働いていて被曝した人が裁判をおこしましたが、立証できずに敗訴しています。 そういうわけで、テレビなどのメディアは「安全」を繰り返しているのかもしれませんね。 立証できないのだから、責任をとる必要などない、と。

noname#194996
質問者

お礼

何度もお運びいただき、まことにありがとうございます。 >私は結果ではなく、理由が大事だと思うんです。 もちろんそのとおりです。私もそう思います。 >私がいう科学的とは、データや科学的根拠に基づいて考えるということです。 そのとおりと思いますが、そうしたデータだけではどんな結論へも至らないことが往々にしてあり、 (放射能の危険性の評価などがそのひとつでしょう。) あるいは灰色のままで立ち往生してしまわざるを得ないことがあり、 そこに様々な価値観が介助して、いろんな結論を選択し、あるいは想定するという混乱があらわれるのでしょう。 これまでの原発の現状では人間の幸福は経済学で決められることが多く、そういったコスト計算でフクシマも作られた。その結果がこうだ、ということではないのでしょうか。 経済学優先もひとつの哲学といえばそうです。こんどの残念な結果はただ、単なる計算違い(想定のミス、あるいは単純な見落としなど)だった、方向性に間違いはなかった!という言い方も可能ではありますが(東電などは絶対そう主張するはずです)。 ですから、 もちろんこれからも日本としてそのでんでいこう(改善すべきは改善して)というのもひとつの見識です。 私が”哲学的に”この問題ををあげた意図は、これまでの基本的な考え方をひとつ疑ってみようということです。 分かりにくい言い方になっているかもしれませんが。 しかしrupapo様はあきらかに違う路線を選択されているように思います。 あきらかに別の哲学、価値観による未来の選択をされたということだと私は考えております。 >放射能はやっぱり怖い。 フクシマは人災だった。 人間という不完全なものには 原発を完璧にする能力はない。 なくても良い社会を構築するべき。 科学の更なる進歩が以下の立証を可能にするかもしれません。 >福島の方々は実験材料にされたわけです。  けれど、原発事故との因果関係を立証するのは難しいでしょうね。  原発で働いていて被曝した人が裁判をおこしましたが、立証できずに ミナマタが最終的に企業敗訴になった例もあります。 そういった未来を怖れている私も、実はあるのですが。 科学が追いつくまでに哲学が予見する場合もあると思います。 愚だ愚だ書いて申し訳ありません。回答者様へのお答えになったでしょうか。 最後の目標は人類の幸福だと思いますが。

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noname#163492
noname#163492
回答No.4

No.3ですが、もう少しお話させていただきます。 原子力発電推進派の意見として、資源の枯渇、という問題があると思います。 原子力発電なら、1000年はもつんでしたっけ。 ところが1000年持つというのは、高速増殖炉計画が実現した場合の話です。 現在、高速増殖炉もんじゅは事故をおこして動いておりません。 各国も高速増殖炉計画に失敗してめどがたっていない、と聞いています。 危険な冬山には登らない勇気を持つことも大切だと思います。 原子力発電が安全であるというのは神話にすぎません。 仮に放射性物質が管理可能であるとしても、人間の管理が難しい。 私はかつて建材メーカーで仕事をしていたことがありますが そのメーカーでは強度データの改竄を行うなど日常茶飯事でした。 強度って、製品を作ってるメーカーで検査するんですよ。 だいたいこういうシステムからしておかしい。 武田邦彦さんも次のようなことをおっしゃっていました。 原子力発電所の設計図を審査に出したところ、okとなった。 しかし見直してみるとおかしい点がみつかった。 作り直したい、と申し出たが「国が認めたものを変更することはできない」といわれたと。 つまり、審査自体がいいかげんなんです。 ソフトの部分でのシステムの改善はある程度可能かもしれませんが 人間が道徳的な生き物であるとはとうてい思えないです。 あと、私は哲学がどんなものなのか、いまだにわからないんですが 原子力の問題は、科学で考えるべきものではないかなあ、と思いました。 放射性物質の管理は可能、といわれても私には納得できないんです。 その理由とか、実例などがあって初めて納得できる。 質問者さんは理由がないのに、なぜ納得できるんですか。 とても不思議に思いました。 とにかく、原発はひとまず停止させてほしいです。 なんせ、震度5で壊れる設計になっているんですから。

noname#194996
質問者

お礼

更なるご丁寧なご回答ありがとうございます。 ご指摘のことよく分かったつもりです。 武田氏のお話は私も聞きました。 分かりすぎるほどよく分かるお話でした。漫談的ですが、たしかに 人間不信が募るお話でしたね。 >原子力の問題は、科学で考えるべきものではないかなあ、と あ、これはですね、私の思い込みでは、 科学者はそれこそばんばん可能性を追求するだけで、 原爆を作ったように 結果がどうあろうとも基本的に責任は持たないものなのです。 ですから、早い話、最近は大学内に倫理委員会なんかが出来て 研究の方向を制御しています(出来ているかどうかは別して)。 科学自体が決着をつけるというのはどういう場合なんでしょうかねぇ。 人間性のことは別にしても 少なくとも完璧な技術なんかあろうはずはない、というのも科学が証明するところです。 当事者である科学者はとことんまでやりたいに決まっています。 これを(必要なら)制御するのが哲学だと私は思います。 ここにスレを立ち上げたのは、まだ熱い内にこの議論を交わすべきだと思ったからです。 この問題が収まってからでは、絶対に「喉もと過ぎればなんとやら」で、 魔人つーか巨神兵が口をぬぐって再起するに決まっているからです。 でも、私もこの魔人が人類の味方なのか敵なのか分からなくなっています。 どんなものでしょうか。

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noname#163492
noname#163492
回答No.3

>放射能は”本当は怖くない”のでしょうか? このごろ、少しの放射線をあびることはかえって健康にいい、という人がおられます。 例としてラドン温泉などをあげておられますが、 私が読んだ本では、海外では病人がラドン温泉につかることを、戒めているところもあるといことでした。 で、年間100ミリシーベルトまで大丈夫だという専門家もぞくぞくと現れましたが 許容値として定められた数値は一般人で年間1ミリシーベルトです。 年間100ミリシーベルトという数字は5000人にひとりが癌になる数字だそうです。 これを怖いと考えるか、どうかは個人によるでしょう。 怖くない人は、ガンガン被曝なさるといいと思います。 しかし法律では許容値は1ミリシーベルトなので、法律では100ミリシーベルトという数字は「怖い」数字だいう認識なのだと思います。 つまり国は法律を守って、国民が年間被曝量1ミリシーベルト以下に抑える必要があると思います。 火は生活にかかせないものですね、ですから危険ではあっても使用は認めるべきですね。 車は生活にかかせないものとは断言できないと思います。 事故による死亡者などは原発よりもはるかに多いんじゃないですか。 排気ガスには発がん性もあるし。 ですから、見直しが必要だと思います。 原発は管理できればいいですが 管理しきれなくなると、甚大な被害がでます。 チェルノブイリ事故では4000人以上の死者が出たともいわれています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%A4%E3%83%AA%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85#.E6.AD.BB.E8.80.85.E6.95.B0 また今回の事故でいろいろ調べたんですが 原子力発電所の耐震性は400ガルしかない。(阪神大震災は820ガル) つまり、地震がきても大丈夫はうそ。 武田邦彦さんによると、震度5で壊れる設計になっているそうです。 で、関西の番組で「福島原発は津波がくる5分前に壊れている」ともおっしゃっていました。 また水力発電や火力発電は50パーセント以上使用されておらず、それらでかなりの電力がまかなえるはずで、原発は不用であるという研究者もいます。 もちろんco2の問題はクリアしないといけませんが。 使用済み核燃料も数百年にわたって管理しつづけなくてはいけませんし。 いま、はっきりわかったことは、原発は安いエネルギーなどではなかった、ということです。 マスコミは風評被害といいますが、風評被害じゃないですよ。 実際に放射性物質で汚染されていると考えられるから野菜や牛乳を買わないんです。 今後、魚も売れなくなるでしょうね。 また、汚染された土壌で、農業ができるようになるには、何年もかかると思います。 避難している人の生活補償も必要だし 東電さんは、これを補償できるんでしょうか。 本当はこういった事故がおこったときの補償も組み込んで電気料金を決めておかなくてはいけなかったのだと思います。 >原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印 東電の隠蔽体質からして、原発が信頼できるものには決してならない、と思います。 電気が不用とは思わないんですが 無駄使いが多いようにも思いますのでそのあたり見直してみるとか 原子力以外の発電技術を開発するとか そういう方向で進むことを期待しています。 大阪に住んでいますが、他人事じゃないですよ。 敦賀に原発があって、今も動いてると思うと、心配になってきます。

noname#194996
質問者

お礼

長文のご回答ありがとうございます。 勝手にまとめさせていただくのは僭越ですが 懐疑派というお立場ですね。 放射能はやっぱり怖い。 フクシマは人災だった。 人間という不完全なものには 原発を完璧にする能力はない。 なくても良い社会を構築するべき。 間違っていればご指摘ください。

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  • 7kugino
  • ベストアンサー率12% (37/296)
回答No.2

人間の歴史は、酸化に依る <第一の火 > 火によって食物を加工することで、安全な食事は、種の繁栄を謳歌して来ました。 そして、発電により <第二の火>は地域社会を均等に結びつけ、文明は大きく飛躍し、それに伴い新しい文化が生まれてきました。是非は別にして。 これにより 人類は文明の利器を誰もが利用できる為に より大きなエネルギーが必要になり、 <第三の火> 核分裂の大きな力を得ましたが、この世にある全てのものが 諸刃の剣と知っても コントロールする事で利用してきました。 人間は求め続ける事が人間性と定義できるように、核融合の研究は50年間成果が出なくても まだ頑張っています。 一度知ったものを捨てる事は、難しいように思いますが、意外と簡単なのです。 戦場や刑務所 これを一般社会に持ち込めば、抵抗は有ってもなれるものです。 しかし、我は同胞6000万 8000万 1億 1億2000万と増えてきた国民が、国土の農地だけで生きていくことは無理があります。 車もテレビも要りません としても蒔きで飯を炊けばたちまち禿山です。 最低限度の 鉄 石油などを輸入したら、当然輸出が必要になります。 日本中が喜んだ 黒四ダム 発電量は33万キロワットとものすごく大きな発電量だと子供のときに思いました。 が 原発一基110万キロワットならば、水力発電の位置エネルギーが大きい川がどこに有るでしょうか。 火力を石油が無くなる間での40年間 と天然ガス発電で温暖化の為に確実に 江東区などはアトランティスと呼ばれます。 温暖化は科学者が30年以上前から 言っていましたが ようやく京都議定書がスタートした一歩でつまずいてしまいました。 しかし、私たちは人間です。前に歩くのは得意ですが、後ろに歩くのは下手です。 ですから 原発絶対必要と考えています。 そのためには 1+5=6 と右辺と左辺は同じなのが 数学であり 物理学で有るのです。 文学は読む人の能力や性別で、受け止め方が変わります。 今回の事故は、人災です。理数系の学問上の問題が、政治家と御用学者が文学を論じて設計と建築をしました。 確かに学者に任せれば 建築時間 コストなど問題が多くなりますが、原発においてコスト意識ほど結果的にどれだけの 利益か <東電が倒産しても足りない補償額>  ナチ犯罪者を法律を遡及させて作り 裁いた様に、学者 経営者 役人を <退職した者を含む> 曖昧でも裁いて罰を与えるときに、原発の賛成 反対のスタートが切れると信じます。 国民が政治家 役人 を信じられる国家になった時、国民は心の中で賛成 反対の検証を行うでしょう。  

noname#194996
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 技術者に任せきり、思い切りコストをかければ良いものが必ずできる、進むべきだ、と仰るのですね。 人間不信を完全に払拭できる理想社会は原発が可能な社会でもあると。確かにそのとおりですね。完璧な技術、完璧な社会システム。 今思いつきましたが、石原都知事におねだりしておだいばに1000Mワットの沸騰型を置かせて貰うというのはどうでしょうか。

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回答No.1

「使わない技術は進歩することは無い」という命題を提起させていただきます。 >放射能は”本当は怖くない”のでしょうか? 否。 放射性物質は火薬や劇薬などと同じように管理可能である。

noname#194996
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 簡潔にして当を得たご回答です。 求めよ、さら得られんということでしょうか。 放射能は怖いけど、管理可能ということですね。 もくぞさまの科学者的ご信念さわやかに感じます。

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    福島第一原発の収束はまだまだ見通しがたたない上に、まだ現場で必死に作業をしてくださっている方々がいるという時に原発の是非についてはあまりとやかく言いたくありませんが… 一応、私は脱原発を目指すのが理想的だと思っています。 雇用はどうするとか色々問題はありますけれど。 例えばの話なのですが、日本全国にある原発をすべて廃止するとします。 原子力発電以外の発電は現状のまま稼働(定期点検も通常通り行う)します。 そこに今できる範囲での太陽光発電を追加します。 地熱・波力・潮力発電などはとりあえず保留とします。 各家庭や企業での省エネ家電への買い替えは今までどおりの早さとします。 タバコや飲料などの自販機の数を減らすなど、企業単位でできるだけの節電します。 (自販機に関しては無駄に放置されてる自販機も多いと思います。賞味期限2年切れの飲料が出てくる自販機もありますから/笑) この条件で国民全員でできるかぎりの節電生活をした場合、一人当たり月々の電気代をどの程度まで下げれば生活していけるでしょうか? 私の家では夏も冬もエアコンをつけないので、いつでも電気代は4000円台(2人家族なので単純に一人当たりにすると約2000円ちょっと)です。ちなみに関西電力圏です。 まじめにもっと節電しようと思えば節電の余地はあると思います。 インターネットで調べたところ、原発を停止させた場合は昭和中期の生活に戻さなければならないとか、せいぜい15年くらい前の生活に戻せば大丈夫とか、まったく今のままの生活でも大丈夫とか、色々な意見があってよくわかりません。 15年前の家の電気代は子供の頃のことなので覚えてませんし、昭和中期の生活も知りませんので想像がつきません。 金額にしたら一人当たり(一家庭当たりでも可)いったいどのくらいの電気代になるようにすれば原発なしでも生活できるのでしょうか? ご意見いただければと思います。よろしくお願いします。

  • 原発は本当に、本当のほんとうに必要か!?。

    俄か知識や、ネット上などで得た専門外の知識などはこの際除外して、あなたは本当に『原発』って必要だと考えておられるでしょうか。 本日の報道で、原発を全廃すると電気代が1000円以上上がると言っていました。 1年で1万2000円以上の値上がりとなります。 本日のニュースの内容。 原発のために自殺した酪農家・・・。 悲しい事件です。 地震による直接被害からの復興は、ある程度先が見えているようです。 しかし、間接的に影響している原発関連の被害については、まったく先が見えない。 悲観的になってもおかしくない状態となっています。 こんな状況になってしまう、大きな可能性を持っている原発。 1ヶ月に1000円程度の出費をとるか、今、福島原発の被害を受けて苦労されておられる方々の、できることなら身代わりになってあげられる気持ちと本気の行動力があるか・・・。 事故の起こる「確率」は低くても、あくまで『確率』なので起こるときは起きてしまいます。 今までの原発事故のほとんどが『人災』と言える内容です。 こんな危険極まりない、リスクの大変大きいモノが本当に、ホントウに今後も我々の生活に必要なのか大変疑問です。 必要だと言われる方々の、それぞれの理由を聞いてみたいと思いました。 不要だと言われる方々の意見も参考までにアンケートしてみたいと思います。 よろしくお願いいたします。

  • 一大テーマとなったこの「原発」は本当にいるのか?

    原発が稼働していなくても、日本は稼働していました。 短い期間ながら大丈夫である証明をしましたが、ではなぜすべてを廃炉にせず、また動かし始めたのでしょうか? 福島の教訓をもう忘れたということでしょうか? いまだに福島の原発はメルトダウン等の危険を背負い込み、以前不透明な状況が続いています。 代替エネルギー、自然エネルギー、火力、水力、地熱等合わせたエネルギーでやっていこうと舵取りをしてできないことがあるのでしょうか? 法師によると、脱原発の賛成派は数多くいて、日蓮宗や浄土宗などなど各宗派層は、原発がなくても大丈夫だという意見が多いようです。 質素な生活をしているイメージもあり、エネルギーも少なくてもやっていけそうな雰囲気はあります。 自家発電なども組み合わせていけば特に問題なく日本は正常に動くと思われる意見も多いようです。 アイドルでは藤波心さんという脱原発を掲げたグループも出現し、それを筆頭に小沢代表や橋下市長、ならびに野党は原発反対を訴えています。 ただ、中身が薄いのが問題なのですが、 原発ない方向性としては、経済的には今は世界でも3位ですが、これが5位6位あるいは、10位くらいまで落ちるかもしれません。 しかし、代替エネルギーや自然エネルギーに転換するまでの間なので、これが完成すればまた順位を上げていきます。 それまでの低迷はいか仕方ないというのも理解できます。 日本古来の伝統文化を呼び覚ますということも考えると、エネルギー消費量を低減し、京都の街並みや風情を参考にし、日本全国津々浦々経済成長を下げて、安静な暮らしをするためにもちょうどよい感じになるのではないかと想像する動きも出てきています。 森林浴などはとてもよく好まれます。 そして、今は代替エネルギーのラインナップは、風力、ソーラーパネル、水力、地熱となっていますが、今後ではメタンハイドレート、オーランチオキトリウム、海力、波力を使ったエネルギーなど楽しみな代替エネルギー群がひしめいています。 そういう未来のエネルギーの可能性を抱きながら、原発を稼働するというのはまずい。 原発のまずいのは何よりも事故もさることながら、使用済み核燃料棒が増えていき、それを廃棄できない状況があるということがとてもネックです。 一方原発稼働の考えで行くと、今の時点では火力が主流になり、Co2などの心配や燃料がこちらも石油などの消費を膨大にし、環境破壊にも直結する動きも見られます。 やむをえなく原発で石油の消費量を抑え、電力消費料のバランスをとっているわけですが、ほかの水力、風力、ソーラーなど合わせてもまったく足りないということがあります。 これを受けると、やはり原発はまだ必要だとする動きもあります。 長い目で見て、原発をまだ稼働させ、未来エネルギーが確立できれば原発は御役御免ということでようやく廃炉に向かうという流れになると思います。 現実的にはこちらの方が有力となり逆転されてしまう形になります。 法師のような暮らしをしていれば、電力は少なくても大丈夫なようにお見受けでき、ロウソクの火で生活をするような形を全国で毎日送れば、未来エネルギーの創造を柱に質素な生活をしようとする考えもあります。 しかし、質素な生活でいいとするならば、未来エネルギーも必要としないとも考えられます。 しかし、この未来エネルギーは、火力に対してそれに変わるエネルギーということで、創造する側面もありますから、開発はしていくということにできます。 法師のような生活をしつつ、片方では未来エネルギーをつくるために近未来的なものが必要となるとこの差が大きく出てしまい、未来エネルギーを作るための電源は結局は火力、原子力に頼る他にはなくて、未来エネルギーをつくるための火力、原子力になってしまうのは考えてみればちょうどいい感じではあります。 しかしながら、今現時点では、法師のような生活でなくともいろいろな物価が安くなっており、現代版質素な生活は確立されつつあります。 その中でなら、未来エネルギーを創造するのは差を感じることなくできるという考えも大多数おられます。 病弱な老婆などがつけざるをえない、パルスメーターなどにかかる電源に必要なので原発はいるとの認識をもっている方もおられますが、そのくらいの電力は自家発電でカバーできるほどの微弱な電力でしょう。 なのでそういった家庭用の自家発電をつければ済む話なので、そして自家発電が万が一停止した場合でも別ルートのガスや石油での発電を少量加えれば保てる話です。 なので、こちらの話はこれで始末はつきます。 使用済み核燃料棒を宇宙へ捨てるという考えもあります。 シャトルも安全に飛ぶようになってきていますし、人工衛星もよく飛んでいます。 宇宙ごみを拾うシャトルもあるということで、これを参考にシャトルで燃料棒を運び、できれば月までもっていき、そこに埋める。 そういうことも考えられますが、やはり無謀なので、岐阜か北海道の山林に穴を掘り、そこに保管する動きも出ています。 地下深く保管しておけば大丈夫であろう!というのが大方の見方ですが岐阜でも北海道でも、核燃料棒をもっていく最中に放射能がもれたり、道中で事故を起こしたらその場で放射能は拡散されてしまい手では触れるものではないのですぐには戻せず、その場で全員が被爆する可能性もあり、それだけで一帯が住めなくなってしまいます。 この本当に厄介な「原発」やはり要らないのではないでしょうか?

  • 15日お昼に福島の原発が「もうだめ」といった教授

    3/15 お昼放送のFM東京系の放送中車でラジオを聴いていると、福島第一原発で起こったトラブルについて京都大学の助教授の小出裕章さんが、現状について解説をしておりました。 原発について情報と私に知識がない中、専門家の意見がきけると耳を傾けたところ 開口一番 「もうだめですわ」 「スリーマイルを超え、チェルノブイリに近づいている」 と解説をはじめ、聞いていてとても恐怖心を煽られたのですがこの助教授さんの意見は信じられるものなのでしょうか? 原子力の専門家として本当に権威のある方なのか、本当はあまり詳しくない方が、とりあえず呼ばれた程度なのか?どうなのでしょうか? この先生の経歴、意見の信憑性、賛成意見のあるかた、反対意見のある方の見解をお聞かせください。

  • 原発事故、地震で避難しています住む場所を探してます

    地震と原発事故で福島から避難し、今、関空のホテルにいます。 今日オーストラリアにいく息子を見送ったあと、すぐに住む場所を探さなければなりません。 夫婦と犬(トイプードル)が3匹一緒に住めるところを貸してくれるかたはおりませんでしょうか。 車で移動しますので、関西でなくとも結構です。 とにかく1ヶ月程度住めればと考えています。 費用面でご迷惑はおかけいたしません。 それにしても、関西にはこんなに物資もあり普通の生活ができるのに、 なんで物資をとどけられないのか、不思議でなりません。 道路も生きています。 私の車はたまたまガソリンが満タンで、退避できました。 途中10リッター程度の給油も可能でした。 現地は悲惨です。

  • 6.11に全国で行われた反原発のデモについて

    去る6月11日、全国で反原発のデモが行われましたね。 総勢10万人規模での参加が見込まれたのではないか、とされていました。 ところが、私はあのデモをニュースで見ていて、とてつもなく違和感を覚えたのです。 けたたましく鳴り物を鳴らし、コスプレや仮装を行い、子供を連れ、私が見たニュースでは、行進の最 前列の人たちが、満面の笑顔を浮かべて行進を行っているのです。 確かに福島の原発の状況は問題ですし、同じようなことが起きるのではないか、と全国の原発の廃 止を訴える人がいる。その気持ちは分からないでもありません。 ですが・・・。 こういった大人数の人間が動くときは、必ずその集まりを主導している人間がいます。 それがだれかと言ったその正体さえ分からないのに、簡単に迎合し、あたかも自分たちだけが正義 であるかのようにふるまう。 政権交代が行われた、あの時もそうでしたね。 まともに政治を見ようともしない人間が、TV報道だけを見て「今だったら政権交代ができるんじゃな いか」と偽りの正義に振り回され、大多数の人間が本来歩むべきではない方向に歩みを進めてしま いました。 さらに遡って、郵政選挙が行われた時だってそうです。「官から民へ」とか、「財政再建なくして景気 回復なし」だとか、妙なスローガンに振り回されて、結果国民の生活を窮地へと追いやるような法律 まで次々と通過し、それが全てリーマンショックの折に噴出したわけです。 理念もなく、ただ周りが正しいというから正しいに違いない、と自ら疑うこともせず大規模なプロパガ ンダに簡単に乗っかってしまう。 ・・・未だに福島の原発事故も、東北地方の津波による災害も、地震そのものによる被害でさえも、 まだまったく収束がついてはいないんですよ。あれだけの人数が同じ目的に向かってあれだけ大規 模な行動ができるんであれば、もっともっと、被災された皆様の為に出来ることは山ほどあるはずで す。 それを・・・あんな笑顔でにこにこと笑って、仮装して、鳴り物を鳴らして、ダンスをして・・・。 ネット上で同じ情報に検索をかけてみても、どれもこれもあのパレードをたたえる記事ばかり・・・。 国民は自らの頭で考える事ができなくなっているのでしょうか。 ぜひぜひ、皆様のご意見をお聞かせ下さい。

  • この本当に厄介な「原発」やはり要らないのでは?

    原発が稼働していなくても、日本は稼働していました。 短い期間ながら大丈夫である証明をしましたが、ではなぜすべてを廃炉にせず、また動かし始めたのでしょうか? 福島の教訓をもう忘れたということでしょうか? いまだに福島の原発はメルトダウン等の危険を背負い込み、以前不透明な状況が続いています。 代替エネルギー、自然エネルギー、火力、水力、地熱等合わせたエネルギーでやっていこうと舵取りをしてできないことがあるのでしょうか? 法師によると、脱原発の賛成派は数多くいて、日蓮宗や浄土宗などなど各宗派層は、原発がなくても大丈夫だという意見が多いようです。 質素な生活をしているイメージもあり、エネルギーも少なくてもやっていけそうな雰囲気はあります。 自家発電なども組み合わせていけば特に問題なく日本は正常に動くと思われる意見も多いようです。 アイドルでは藤波心さんという脱原発を掲げたグループも出現し、それを筆頭に小沢代表や橋下市長、ならびに野党は原発反対を訴えています。 ただ、中身が薄いのが問題なのですが、 原発ない方向性としては、経済的には今は世界でも3位ですが、これが5位6位あるいは、10位くらいまで落ちるかもしれません。 しかし、代替エネルギーや自然エネルギーに転換するまでの間なので、これが完成すればまた順位を上げていきます。 それまでの低迷はいか仕方ないというのも理解できます。 日本古来の伝統文化を呼び覚ますということも考えると、エネルギー消費量を低減し、京都の街並みや風情を参考にし、日本全国津々浦々経済成長を下げて、安静な暮らしをするためにもちょうどよい感じになるのではないかと想像する動きも出てきています。 森林浴などはとてもよく好まれます。 そして、今は代替エネルギーのラインナップは、風力、ソーラーパネル、水力、地熱となっていますが、今後ではメタンハイドレート、オーランチオキトリウム、海力、波力を使ったエネルギーなど楽しみな代替エネルギー群がひしめいています。 そういう未来のエネルギーの可能性を抱きながら、原発を稼働するというのはまずい。 原発のまずいのは何よりも事故もさることながら、使用済み核燃料棒が増えていき、それを廃棄できない状況があるということがとてもネックです。 一方原発稼働の考えで行くと、今の時点では火力が主流になり、Co2などの心配や燃料がこちらも石油などの消費を膨大にし、環境破壊にも直結する動きも見られます。 やむをえなく原発で石油の消費量を抑え、電力消費料のバランスをとっているわけですが、ほかの水力、風力、ソーラーなど合わせてもまったく足りないということがあります。 これを受けると、やはり原発はまだ必要だとする動きもあります。 長い目で見て、原発をまだ稼働させ、未来エネルギーが確立できれば原発は御役御免ということでようやく廃炉に向かうという流れになると思います。 現実的にはこちらの方が有力となり逆転されてしまう形になります。 法師のような暮らしをしていれば、電力は少なくても大丈夫なようにお見受けでき、ロウソクの火で生活をするような形を全国で毎日送れば、未来エネルギーの創造を柱に質素な生活をしようとする考えもあります。 しかし、質素な生活でいいとするならば、未来エネルギーも必要としないとも考えられます。 しかし、この未来エネルギーは、火力に対してそれに変わるエネルギーということで、創造する側面もありますから、開発はしていくということにできます。 法師のような生活をしつつ、片方では未来エネルギーをつくるために近未来的なものが必要となるとこの差が大きく出てしまい、未来エネルギーを作るための電源は結局は火力、原子力に頼る他にはなくて、未来エネルギーをつくるための火力、原子力になってしまうのは考えてみればちょうどいい感じではあります。 しかしながら、今現時点では、法師のような生活でなくともいろいろな物価が安くなっており、現代版質素な生活は確立されつつあります。 その中でなら、未来エネルギーを創造するのは差を感じることなくできるという考えも大多数おられます。 病弱な老婆などがつけざるをえない、パルスメーターなどにかかる電源に必要なので原発はいるとの認識をもっている方もおられますが、そのくらいの電力は自家発電でカバーできるほどの微弱な電力でしょう。 なのでそういった家庭用の自家発電をつければ済む話なので、そして自家発電が万が一停止した場合でも別ルートのガスや石油での発電を少量加えれば保てる話です。 なので、こちらの話はこれで始末はつきます。 使用済み核燃料棒を宇宙へ捨てるという考えもあります。 シャトルも安全に飛ぶようになってきていますし、人工衛星もよく飛んでいます。 宇宙ごみを拾うシャトルもあるということで、これを参考にシャトルで燃料棒を運び、できれば月までもっていき、そこに埋める。 そういうことも考えられますが、やはり無謀なので、岐阜か北海道の山林に穴を掘り、そこに保管する動きも出ています。 地下深く保管しておけば大丈夫であろう!というのが大方の見方ですが岐阜でも北海道でも、核燃料棒をもっていく最中に放射能がもれたり、道中で事故を起こしたらその場で放射能は拡散されてしまい手では触れるものではないのですぐには戻せず、その場で全員が被爆する可能性もあり、それだけで一帯が住めなくなってしまいます。