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浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.31

 失礼します。他の方の回答を読んでいて、私も同意権だったので史料的な部分を補足させていただきます。 >>>しかしながら、親鸞聖人は無名の人であったと思いますので、日本の仏教界に影響があったとはとても思えない…という意味です。 >>失礼ながら奇説というか新説ですね。  この説は真宗史の立場から言えば今や「当たり前の常識」です。  親鸞聖人は鎌倉時代の仏教界どころか、当時の法然上人の門下のなかでもそれほど重要な位置にいた人ではありません。例えば「七ヶ条起請文(七箇条制誡・七箇条教誡)」です。この「七ヶ条起請文」は比叡山天台宗徒の念仏禁止運動に対して、門下の非行を七ヶ条にわけて誡められたもので、1204年に成立したものです。この中で、お弟子の中では最長老の法蓮房信空上人を筆頭に、西山浄土宗の善慧房証空上人や、法然上人に最後まで御使えした勢観房源智上人等の、歴史的に名の知られる上足の弟子達は前半にまとまっているのに対して、親鸞聖人はやっと真ん中くらいに来てあまり知られていないお弟子達に混じって当時の名前で「釋綽空」と記されています。つまり、法然上人の教団内部ではさほど重要視されていた人物とはいえないわけです。  それは、法然上人の亡き後の門下をまとめた史料からも読み取れます。1257年成立の七愚勧住信著『私聚百因集』、または1311年成立の凝念著『浄土法門源流章』によれば、法然上人亡き後の教団を「五流」としています。名前だけを挙げますと、幸西上人の一念義、証空上人の西山義(現在の西山浄土宗の流れ)、隆寛上人の多念義、聖光上人の鎮西義(現在の浄土宗の流れ)、長西上人の諸行本願義、の五つです。この中に親鸞聖人のことは一切記されていません。親鸞聖人の流れが存在することが、真宗史料以外の客観的史料で現れる最初は南北朝時代を経て室町時代まで待たなければなりません。それが、1416年成立の浄土宗八代目聖聡上人の『浄土三国仏祖伝集』のなかに初めて「一向義」という名前で紹介されています。つまり、史料的に見れば、法然上人の浄土教団内においても浄土真宗が一宗として広がりを見せるのは、1311年~1416年の間くらいなわけで、親鸞聖人の直接の影響力とはいえません。  このように親鸞聖人ご自身をは鎌倉時代当時の客観的な史料からは見出すことができません。ですから、鎌倉時代当時の仏教界ならびに、法然上人の教団内においてもさほど大きな影響力をもっていたとは考えられないわけです。 >>法然はあるが、親鸞はないとでも、おっしゃるんですか?  私は同意権です。親鸞聖人に対して、法然上人は『愚管抄』『玉葉』等々当時の代表的な史料には多く名前が現れていますから、当時すでに影響力を持っていたと考えるべきでしょう。  私が推察するところ「鎌倉時代において親鸞聖人一人が妻帯を宣言したところで、仏教界がひっくり返ってしまうような大きな影響力があったとは考えられない。」というのが、otherwindさんの意見だと考えます。もしそうであるならば、私も同意権です。 >>しかしながら、明治時代でも、親鸞という人は歴史上存在していなかった、単に、真宗の中だけでの伝説上の人物であろうという説があったわけですから…。  これはいわゆる明治期にいわれた「親鸞抹殺説(親鸞聖人は実在の人物ではないとする説)」ですね。これは、辻善之助氏の『日本仏教史』によれば、当時を代表する官学者田中義成氏と八代国治氏が唱えた説ですが、研究をおこなって論文発表等の公式な発表ではなく、雑談の中で「親鸞聖人は客観的使用にほとんど出てこないからもしかしたら居なかったのかもね。」と一部の仲間に話しただけのようです。  しかし、これが真宗側に火をつけます。真宗を学問的に研究する事業が始まり、その中心に居たのが清沢満之という人物です。この人物についてあの司馬遼太郎氏も『この国のかたち』のなかで「清沢の活動がなければ、親鸞は “お他力さん” などと呼ばれる北陸・東海の篤信者に取り囲まれただけの泥臭い存在に終っていたに違いない。この清沢の新解釈がなければ、親鸞の 『歎異抄』 が、昭和初年以後、知識人にとってつねに新鮮な書として印象付けられることもなかったはずである。くり返すが、今日親鸞といえば、ヘーゲルと並べさせても、印象的に違和感を感じさせないというようにしたのは、清沢の力によるものだった。」と評価しています。つまり、親鸞聖人が現在のような評価を獲得するのは、実は明治からになるわけです。  otherwindさんへ  私の解釈が間違っていたら、何なりとご指導下さい。  急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛  先は文字数の関係で「佛」が飛んでしまいました。申し訳ありませんでした。

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