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浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.29

 私もすべて書ききれるかは定かではありませんが、できるだけコンパクトにまとめます。 >>『憲法十七条』(694)で仏教、儒教などを重要視していました。 >>当時仏教を真に理解していたのは、太子だけだったとも言われていますが。  これもちょっと難しい問題なんですよね。確かに文献上仏教の「お説教」を初めて行なったのは聖徳太子です(『三経義疏』)。また、「十七条憲法」第一条の「和を以って尊し」は、『論語』からの引用でもあります。しかし、井沢元彦氏は『逆説の日本史』の中で、聖徳太子の「和」の思想は論語や仏教ではなく、日本がそもそももっていた古代集落を「環(わ)」と呼んでいたことに由来すると述べておられます。まだ仮説の域を出ていませんが、確かに一世紀から三世紀の中国の歴史書『漢書地理志』『後漢書東夷伝』『魏志倭人伝』などでは、日本を「倭」日本人を「倭人」と呼ばれ、後に「大和」になったという事は事実としてあるわけです。ですから、聖徳太子の「十七条憲法」の根底にあったのは、仏教や儒教よりも日本的な感覚だったかもだったかもしれません。 >>腐敗していたのは仏教ではなく、貴族階級だったのではないですか?  これに関しては専門ではありませんが、そのような見方も出来ると思いますよ。 >>このころの仏教は国家レベルの寺院建立であり、天皇などの病気平癒が仏教に課せられていたのではないですか?  『日本書紀』の中に、蘇我馬子の病気平癒のために千人の人が出家したという記述があるはずです。 >>一般庶民・平民には普及していなかったのでは?  ここは仏教の伝来と関わってきます。こちらに書いちゃいますね。少なくとも先に挙げた中国の歴史書は日本のことを述べていますし、仏教公伝以前にまったく仏教徒が日本に来ていなかったとは考えずらい。ただ当時の庶民達仏教伝播の状態に関する史料は私の知識不足かもしれませんが見たことがありません。  『続日本紀』によれれば「都鄙に周遊して衆生教化す。道俗、化を慕いて追従する者、動もすれば千を持って数う」とあり、奈良時代には行基菩薩の民衆への布教を記しています。 >>初めて、妻帯を肯定し宣言したのが親鸞ではありませんか? >>親鸞以前に「妻帯肯定宣言」をした僧はいませんよね  いますよ。  まずは法然上人。『禅勝房伝説の詞』に「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろずをいといすてて、こえおをとどむべし。いわく、ひじりで申されずば、めをもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、聖にて申すべし。」と述べて、結婚しないと念仏できないなら結婚して念仏しなさいと述べておられます。ただし、法然上人は「念仏の助業と思わずして身を貪求するは、三悪道の業となる。」と説いて、自分勝手な解釈を持って悪行を追求することは、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちる原因になりかねないものと強く誡めておられます。  もう一人挙げますと、真言立川流の東院阿闇梨仁寛です。仁寛阿闇利は生年は不明ですが、『中右記』によれば、承久二年(1114年)に亡くなっています。真言立川流派は邪宗と見られ史料はほとんどありませんが、批判的史料がいくつか残っています。その一つである『受法用心集』(1268年撰)には「この経の文には女犯は真言一宗の肝心、即身成仏の至極なり。(中略)肉食は諸仏菩薩の内証、利生方便の玄底なり」とあって、この立川流は『理趣経』を根拠に「不二冥合説(男女二根の冥合)」という性交渉による即身成仏を説きました。また、同書には「辺土田舎においては真言師と聞ゆる輩の中に十人が九人は皆是れを密教の肝心と信じあへり。」とあって、田舎の方の真言宗のお坊さんは九割立川流になってしまったそうです。ちなみに最澄さんが空海さんに「本を貸して」と手紙を送って、空海さんが「貸しませんよ」とお断りした『風信帖』という手紙は有名ですが、この時最澄さんが貸してほしかった本が『理趣経』の解説書なんですよ。  立川流は女犯を即身成仏の至極としてプラスに取られていますが、法然上人や親鸞聖人は女犯をプラスに取えていたわけではありません。例えば、『教行信証』には「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることをよろこばず、真証の証に近づくことをたのし まず、恥ずべし、傷むべし」とあり、その方向性は末法の凡夫であることの自己反省に向かうという特徴があり、女犯は悪行というマイナスと取えています。  私も半分しか書けませんでした。すいません。書けなかった部分については著作を紹介させていただきます。石田瑞麿氏『女犯―聖の性』には仏教伝来から鑑真和尚の来日までの日本仏教の戒律の変遷が詳しく載っております。  合掌 南無阿弥陀

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