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浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか

otherwindの回答

  • otherwind
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回答No.30

>>親鸞聖人が生きておられた時代に、もちろんいわゆる面授の弟子の方々、家族の方々は、そりゃあ、親鸞聖人という人がいることは、分かっていたとは思いますが、その他の人々、仏教界全体、世界の宗教界全体とか、さすがに、存在もしらない人ばかりではないでしょうか。 >2.何がおっしゃりたいのか、理解できません。 こちらも返信が大変に遅れてしまいました。すみません。 元々のご質問に「浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか?親鸞は初めて「肉食妻帯」を行いました。」とあります。 しかしながら、親鸞聖人は無名の人であったと思いますので、日本の仏教界に影響があったとはとても思えない…という意味です。 「日本の仏教界」に影響をあたえるには「日本の仏教界」に知られていないといけないというロジックになると思います。 「日本の仏教界」に知られていない人が「日本の仏教界」に影響をあたえるというロジックには無理があるんじゃないかなぁ~と思ったものです。 江戸時代になってからでも、親鸞という人は僧侶を集めた本などにまったく名前が登場しないわけですよね。 江戸時代と言ったら、ついこの間です。 もちろん本願寺(浄土真宗本願寺派、真宗大谷派)は、とっくの昔に大きいでしょう。 しかしながら、明治時代でも、親鸞という人は歴史上存在していなかった、単に、真宗の中だけでの伝説上の人物であろうという説があったわけですから…。 そうなると、親鸞が非僧非俗ではなくて、僧侶である、仏教界の中にいた人間である、しかも仏教界で有名人である、そしてなおかつ、そういう人間として、初めて妻帯した、それが大変に有名だったので、仏教界に大きな影響を与え、あの親鸞さんですら……となって、みんな、親鸞を仏教者は尊敬していたらから、妻帯するようになった……というようなことは、とても思えません。 非僧非俗というか、愚禿釈親鸞という、まあ、高野聖みたいな人ですかね、今となっては有名ですが、昔はまったく知られていないそういう人間ひとりが結婚していてもしていなくても、とにかく仏教界で存在も知られていない人ひとり、何をしようが、仏教界に影響を与えたとはとても思えません。 妻帯が始まった最初とは時間軸として、とてもとても信じられません。 親鸞が有名になったのは本当にごく最近だと思いますね。 門徒さんの間では御開山さまですから、そりゃあ、昔から有名でしょうという話と、仏教界では無名でしょうという話を、一緒くたに、最初のコメントはしてしまい、分かり難かったようです。 すみませんでした。

maunder-max
質問者

お礼

* 申し訳ありません。ここのスペースをお借りします。 私への批判めいた回答があったようですが、消えてしまったようです。 誤解があるようですので、返信しておきます。 1.すでに冒頭の私の質問でも、 >この肉食妻帯は、今や仏教界にとどまらず宗教界全体、宗教団体の教祖にまで蔓延している。 宗教界の腐敗堕落は、肉食妻帯が原因だと思いますが、いかがでしょう?< と書きました。 つまり新興宗教、新新宗教などの教祖も、妻帯(複数の妻)が原因で腐敗堕落しているんではないか、と主張したいわけです。 2.創価学会のシンパなどでもありません。 私は過去に創価学会や日蓮、および法華経批判を、回答という形で書き込んでいます。 「日蓮大聖人の折伏について教えてください」 http://questionbox.jp.msn.com/qa6202231.html 3.ご僧侶の回答への返信が遅れているのは事実です。 回答中で、ご紹介いただいた著書・石田瑞麿氏『女犯―聖の性』を現在探しています。

maunder-max
質問者

補足

>しかしながら、親鸞聖人は無名の人であったと思いますので、日本の仏教界に影響があったとはとても思えない…という意味です。 失礼ながら奇説というか新説ですね。 >「日本の仏教界」に影響をあたえるには「日本の仏教界」に知られていないといけないというロジックになると思います。 江戸時代ですか?一般庶民ですら親鸞は知っていたはずです。 >「日本の仏教界」に知られていない人が「日本の仏教界」に影響をあたえるというロジックには無理があるんじゃないかなぁ~と思ったものです。 なぜそんなことが言えるんですか? 何の根拠も示されていませんが。 >江戸時代になってからでも、親鸞という人は僧侶を集めた本などにまったく名前が登場しないわけですよね。 その本とは具体的になんですか?法然はあるが、親鸞はないとでも、おっしゃるんですか? 私は何度も具体的な著書の名前と引用をしてくださいと書いていますね。他人を納得させたいのなら、ぜひお願いいたします。 私は具体的著書を掲げられますよ。 江戸時代でしたら井原西鶴の著書にちゃんと載っています。 『世間胸算用』親鸞とその弟子・平太郎殿のことが(巻5-3) 大晦日、住職を尋ねてきた参詣人はわずか3人だった。その訳は~(落ちがあるのでぜひ読んでください) また蓮如の時代は信長との一向一揆で、真宗は惨憺たるものだったようですが、秀吉の時代や家康の時代は、土地も与えられ寺院を建造しています。彼らが開祖が誰かも知らずに認めるわけがないでしょう。 Wikipedia 浄土真宗 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 京都に再興 「秀吉の時代になると、天正19年(1591年)に、顕如は京都中央部(京都七条堀川)に土地を与えられ、本願寺を再興した。1602年、石山退去時の見解の相違等をめぐる教団内部の対立状況が主因となり、これに徳川家康の宗教政策が作用して、顕如の長男である教如(1558年-1614年)が、家康から本願寺のすぐ東の土地(京都七条烏丸)を与えられ本願寺(東)を分立した。」 つまり貴方のご説には、残念なことに全く信憑性がありません。

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