• 締切済み

浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか

ctaka88の回答

  • ctaka88
  • ベストアンサー率69% (308/442)
回答No.27

>これでは修行など出来るものではない。涅槃の境地、悟りの境地など遥かに遠い。 ご存じのとおり、親鸞は自らの修行による「涅槃の境地、悟りの境地」を求めているわけではないのですから上記のような批判は、すれ違いになってしまいますね。 また親鸞は僧籍を剥奪され、制度的には僧侶ではなくなっています。 聖職者を男性に限定し妻帯を禁じているのは仏教以外では、私の知識ではカトリックと東方正教会だけかと思います。プロテスタント各派の牧師は結婚しているのが普通ですし、イスラムでも宗教指導者は当然結婚しています。 ということで、肉食妻帯が当然のキリスト教、イスラム教は、maunder-maxさんの説によれば腐敗堕落した宗教という事になります。 これは「自らの行いにより宗教的な高みに至る」と信じるか、「救いは既に予定されている」と信じるかの差異ではないかと思われます。 前者であれば、修行し、独身で禁欲的な生活を行うことに意味を見いだせます。 後者であれば、普通の生活を感謝をもって生活し続けることが、「予定された救いへの道」です。とすれば結婚を禁ずる必用はないのです。

関連するQ&A

  • 浄土真宗ではなぜ肉食妻帯を許しているのですか。

    浄土真宗ではなぜ僧侶に肉食妻帯が許しているのですか。 また無戒であるのはなぜでしょうか。

  • 浄土真宗の教義では神道をどう説いていますか?

    親鸞あるいは蓮如は布教の拡大にあたって必ずしも在来の神道を排除しなかったようですが、具体的に真宗の教義の上で神道をどう理解し、解釈していたのか、これに触れている文献等があれば教えてください。 また、真宗の立場からみて天台系神道と真言系神道との間に違いはあったのでしょうか? それとも系列の如何を問わず、神道は仏教と両立し得るとみて、真宗門徒が神社を作り、神を祀ることを容認したのでしょうか?

  • 浄土真宗親鸞会って怪しい団体なんですか?

    うちは浄土真宗西本願寺派です。 私自身、中学・高校と西本願寺派の学校に通っていました。 新聞の広告で、ちょっと気になる本があったので読んでみました。 「親鸞聖人の花びら 桜の巻/藤の巻」 「思いやりのこころ」 「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く」 これらの本を読んでいる間に、この三作が全て「浄土真宗親鸞会」という新しい(?)宗派の人が書いたものと分かりました。 本自体の感想としては、「思いやりのこころ」と「幸せのタネを~」は普通に読めたのですが、一番期待していた「親鸞聖人の花びら」は、 「あれ?親鸞聖人の教えってこんなんだったっけ?」 と思って中学高校時代の仏教の聖典や教科書を引っ張り出して見比べるところもありました。 (とは言っても元が難しい文章なので解釈の違いと言われればそれまでですが…) ネットで「親鸞会」で検索すると、被害者の会のサイト、元はものすごく怪しいと思っていたけど今はすっかりハマっている人のブログ、など色々出てきます。 特に後者のブログでは、最初は本願寺派の住職が「そこは怪しい」というので「やっぱり怪しいんだ!」と思ったところ、実際に講演とかを聞いたら「こっち(親鸞会)が正しい、今のお寺は親鸞聖人の教えを正しく教えていない」と思うようになった、ということが書いてありました。 私はここ数年、身内や親類の不幸が多くて、お坊さんのお話を聞く機会も多かったのですが、確かに「このお坊さん大丈夫かな?」と思う人もいます。 かといって本願寺派を否定するつもりは全く無いし、中学高校には僧侶と教師を兼任している人もたくさんいて、その中には本当に信頼できる人もいました。 親鸞会に肯定的な意見の人のサイトを見ると 「カルト宗教なんかではない。今のお寺が教えない、本当の親鸞聖人の教えを広める会だ」 という話なんですが、実際のところどうなんでしょうか? ご存知の方教えてください。

  • 浄土真宗についてです。

    私は日本の宗教(神道や仏教)等は全くの無知で関心はないので何方か教えていただきたいです。 友達の家庭は浄土真宗ですが、仏壇やお墓、お盆、49日といったものはありませんか?

  • なぜ親鸞は日本で人気があるのですか

    日本僧侶の肉食妻帯の元なのに、何故人気があるのですか? こそこそするよりも正式にしたほうが潔いというのは、ちょっと言い訳というより開き直りに聞こえます笑

  • 僧侶妻帯の「宗教的解禁」について

     現代日本の僧侶は、当たり前のように結婚をしています。けれども、仏教ではもともと不淫戒があって出家者は結婚できないことになっていました。宗祖自らが妻帯した浄土真宗を例外として、ほとんどの日本仏教各派ではずっと僧侶の妻帯を宗教的戒律として禁止していた筈です。  公に僧侶の妻帯(ついでに肉食も)が解禁されたのは、明治五年の太政官布告によるものとされています。ですが、これはあくまで「政治的解禁」であって、宗教的戒律を保持するか放棄するかについては、仏教各派の中で議論があった筈だと考えています。王法の仏法への介入ともいえる太政官布告を、各宗派はどのように受け止め、議論し、そして「宗教的解禁」にまで至ったのでしょう。  この辺りの消息をご承知の方がおられましたら、御教示ください。また、参考となる文献・論文等についてもご示唆いただけると喜びます。

  • 仏教が教える煩悩とは何でしょうか

      仏教が教える煩悩も時代とともに変わってきたのでしょうか。 昔の坊さんたちは煩悩をどのように考えていたのでしょうか。 現代の坊さんたちは煩悩をどのように考えているのでしょうか。 それとも現代の肉食妻帯坊主はもはや煩悩のことなど気にしないのでしょうか。 あの世のことは知らず、この世を楽しむことは煩悩でしょうか。 あるいはそれは逆でこの世のことはさて置き、あの世のことだけを願ってせっせとお題目を唱えることが煩悩なのでしょうか。 あるいは単に心の平安を阻害するものが煩悩ということでしょうか。    

  • 仏教には戒律が有るのか、戒律は有ったのか

      肉食妻帯坊主というのがいます。 いるというより今の坊主は実質100パーセント肉食妻帯坊主でしょう。 ところで仏教には戒律というものがあるのでしょうか。 あるいはそもそも戒律というものがあったのでしょうか。 もしもあったとするならその戒律とは肉食せぬこと、妻帯せぬことのことではないかと考えます。 ではいつの頃からその戒律は消えたのでしょうか。 あるいはその戒律は無意味であるとみなされるよーになったのでしょうか。 実際その戒律は無意味だったのでしょうか。 因みにイスラムのように戒律だけが中身である宗教も存在します。 戒律があるからイスラムは存続できているのです。 一方仏教においては戒律は本質的ではないということでしょうか。 戒律などというものは2次的なものであり、本質ではないとみなしているのでしょうか。 戒律は形であり、形に拘るものは愚かであるという仏教本来の教えなのでしょうか。  

  • 宗教は人を救うものであり、人が宗教を救うのではない

       洋の東西を問わず、なぜ宗教は斯くの如く腐敗し堕落したのか。 キリスト教は奇跡を説くカルトであり、 世の仏教と坊主たちは戒名料をせしめることだけに奔走し、 イスラムはジハードを掲げては自爆テロに明け暮れ、 ヒンズーはカーストを掲げてはインド中でレイプ事件ばかりを起こしているではないか。 いったい人の道は何処へ行ったのか。 本来の宗教は人を救うためにあるはずであるが、これらの腐敗し堕落した既製宗教は人によって救われたいと願っているのではないのか。 如何に腐敗し堕落しても信仰の自由さえ説いていれば人が救ってくれると考えているのではないのか。 何か本末が転倒したように感じるのは果たしてこの私だけであろーか。    

  • 僧侶の妻帯、世襲

    前から疑問に思っていたことで、歴史のカテを見ていたら同じような疑問を持っている方もいましたので、宗教に詳しい方に解説いただければと思います。 ご承知のように明治までは出家した僧侶の妻帯は禁止されており、発覚すると遠島、さらし者などの刑罰もあり、もちろん宗派からは破門されました。 真宗などは自ら「在家教団」としていますから、出家はいないので、妻帯しても問題ないですけど。 明治5年に太政官布告が出て法律では許された訳ですが、 >僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム この条文を見ても「随意」と書いてあるだけで、妻帯を強制している訳ではありません。 宗派の戒律で「妻帯禁止」であれば、政府はその戒律には介入しないわけですから、明治以降も宗派の決まりとして、妻帯した僧侶は破門しても問題なかったと思います。 何故この時点で多くの伝統仏教の宗派が教義を変えてしまったのでしょうか? ここからは私の考えですが、どうも現在のお寺の世襲は問題が多いように思います。 お寺が住職一家の私物となってしまい、一部寺院では住職が投資に走ってお寺が潰れたり、檀家が問題の多い住職の交代を要求しても居座り、本山もそれ以上は介入できず困る事例も多々あります。 明治までは住職は血縁に捉われず、弟子の中からふさわしいものを跡継ぎにしたので、現在よりはマシだったのではないかと想像します。 また、プロテシタントの牧師さんのように、定期的に移動するほうが馴れ合いが無くなり、すっきりすると思います。 何故明治になってほとんどの伝統仏教の宗派は教義を変えてしまったのでしょうか。 もし僧侶の方がこの質問を読まれたら、お寺の世襲に関してどう考えていますか? 現代は宗教に関心がある方も多く、在家でも出家してお寺を持ちたい方は少なくないと思いますが、他人(弟子)に譲ることは抵抗があるのでしょうか。