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浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.25

 ご招待いたただきましたので、思うところを少し書かせていただきます。  この、問いの中心にあるのは「妻帯」という事のようなので、これを中心に考えていきたいと思います。  まず、先に答えておられる方もいらっしゃいますが、仏教が日本に伝来した時(この年代について詳しくはもう一方の方でお書きします。遅くなったらすみません。)には「戒律」が伝わっていません。正確に言うと「戒律を授ける作法」が伝わっていなかったのです。まぁ、戒律が伝わってませんから当初の仏教者の中に妻帯するものがいてもおかしくなかったわけです。  そして、日本に戒律を伝えたのが鑑真和尚です。仏教伝来は『日本書紀』には552年、『元興寺縁起』『上宮聖徳法王帝説』には538年とあり、文献上は500年代半なのですが、鑑真和尚が来日するのは754年ですから、正確に戒律が日本に伝わるまでに約200年の開きがあるわけです。もちろん、それまでにも仏教研究が進むに連れて戒律を守るまじめな僧達も存在しましたが、正式な戒師を要請せざるを得なくなった日本の状況について安藤更正氏は『人物叢書鑑真』のなかで、僧尼の堕落が指摘されています。律令制度の混乱により税金逃れのために僧侶になるものも相次いだようで、政府は禁令等を出したのですが歯止めがきかず、このような混乱状態を防ぐには正式な戒律を与えた僧侶を育成する方が早道と考えたようです。  このように、正式な戒律の伝来が遅れたことが日本における仏教者の妻帯一要因といえます。  しかし、仏教者の妻帯の要因は私はこれだけではないと考えています。これには仏教伝来以前の日本人がそもそも持っていた宗教観も大きく関わっていきます。日本の宗教者達は仏教が日本に伝わるとともに、「聖(ひじり)」と呼ばれるようになります。この「聖」という言葉について、江戸時代の本居宣長は『古事記伝』のなかで「日知り」として、天気予報をしたり日本は農耕が中心ですからどの季節に種をまけばいいかなどを人々に教えていたのではないか考えたようです。また、五来重氏は『高野聖』のなかで、聖なる火を管理する「火知り」に由来があり、起源は非常に古いとしています。『古事記』には「聖帝」、『日本書紀』には「聖皇」と、天皇のことを呼んでいることからも、いわば原始的な「宗教指導者」をあらわしたようです。五来重氏によれば、彼らは強い呪力を身につけるために一定の期間山林にこもり厳しい修行をおこなっていた。しかし、修行の期間は一定の時間的制限であり、それ以外の時間は肉食妻帯をすることや生産活動に従事することは至極当然のことと考えられていたようです。  そして、特筆すべき点はこういった聖が仏教の伝播とともに、仏教徒となり仏教の布教に大きく貢献していたという事です。つまり、日本仏教は教団に所属した正規の僧侶はもちろんのこと、それ以外の聖の力も大きく関わっているわけです。  こういった聖の史料として「三州俗聖起請十二箇条事」が挙げられます。この中には「(性交渉によって)道が妨げられること自体がいぶかしい」とあり、道心(求道心)さえ堅固であれば日常生活を営むこともかまわないと言う立場が記されています。  浄土真宗の人間は「親鸞聖人こそが肉食妻帯した最初の僧侶だ」といいたがるのですが、これは間違いといわざるをえません。「三州俗聖起請十二箇条事」は「寛弘元年」とあり、西暦では1004年ですから、親鸞聖人から遡ること170年ほど前になります。  また本願寺三代目覚如上人の『改邪鈔』には「教信沙弥のごとくなるべし」とあり、親鸞聖人は教信沙弥という聖に憧れを持っていたようです。この教信沙弥は『今昔物語』に記述があり、貧しい暮らしをしながら、家族をもって、小さな草庵に住み、みんなで念仏しながら暮らし、亡くなって犬や鳥の餌になったという方です。こんな方が親鸞聖人より前にいたわけです。  このように見てまいりますと、 >>腐敗堕落の原因の発信源・発病元は、親鸞であると考えますが、いかに? ということは、私にはいえません。親鸞聖人以前にはもうすでに肉食妻帯をよしとする風潮は存在していました。こういった問題に関して、単に仏教の戒律に違反しているという視点だけでは語りつくせない問題をはらんでいると考えています。 >>日本以外の仏教界で肉食妻帯を認めている国はないのではないか?  まずは韓国。ただ、こちらは日本仏教の影響ですから、純粋に韓国の思想とは呼べないですかね。あとは詳しくありませんが、チベット仏教のニンマ派サキャ派などは妻帯は良いそうですし、それに付属してネパールの仏教も妻帯が許されているそうです。  肉食はタイやスリランカの上座部では問題ありませんよ。  急ごしらえのため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。  合掌 南無阿弥陀佛

maunder-max
質問者

お礼

続きです。 鑑真が来日以前にも律令制、僧尼令や私度僧禁止など、貴族だけでなく僧侶に対しても厳しい制約を設けていたのが、事実だったのではないですか? また鑑真が戒律を日本に初めて伝えたようですが、 「聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇に戒律を授けた」と書かれています。  上記著書 p64 授けたとはどういう意味でしょう?この戒律の意味は「権威付け」と考えるのが自然ではないでしょうか? >このように、正式な戒律の伝来が遅れたことが日本における仏教者の妻帯一要因といえます。 7.戒律と言うか、本来僧侶でない私度僧が氾濫し、「税金逃れの僧もどき」が横行した結果ではないでしょうか?いわゆる「偽坊主」でしょう。偽坊主ですから妻帯していても不自然ではなく、罪の意識もなかったのでしょう。 私度僧の中にも、まじめに仏教に取り組んでいた人もいるでしょうが。 「僧兵」も実は僧侶ではなく、地方武士出身者や山法師だそうですね。 繰り返しますが鑑真が来日以前にも「僧尼令」「私度僧禁止」があったのですから、 戒律がなかったとは言えないと思います。また鑑真の戒律は中国仏教の認定であり、 日本側からすれば「権威付け」であったということではないでしょうか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%91%E7%9C%9F 鑑真 「仏教では、新たに僧尼となる者は、戒律を遵守することを誓う必要がある。戒律のうち自分で自分に誓うものを「戒」といい、サンガ内での集団の規則を「律」という。戒を誓うには、10人以上の正式の僧尼の前で儀式(これが授戒である)を行う必要がある。これら戒律は仏教の中でも最も重要な事項の一つとされているが、日本では仏教が伝来した当初は自分で自分に授戒する自誓授戒が行われるなど、授戒の重要性が長らく認識されていなかった」 これも私度僧禁止と、正式な僧であるという認定と権威付けでしょう。 妻帯云々についてはふれていないようですが。 >しかし、仏教者の妻帯の要因は私はこれだけではないと考えています。これには仏教伝来以前の日本人がそもそも持っていた宗教観も大きく関わっていきます。 8.日本古来の神は、非常に性に対して大らかで、罪の意識はありませんね。 いざなぎのみこと、いざなみのみことが交わって、日本の島々が誕生したという 「国生み神話」もありますね。ただこれは中国などに元々あった神話の借り物というのが定説ですよね。中国も性に対して大らかではないんですか?『金瓶梅』はいつの時代だったでしょうか。インド古来の神話・ヒンズー教もシヴァ神は、破壊神であり性の神ですよね。 >日本の宗教者達は仏教が日本に伝わるとともに、「聖(ひじり)」と呼ばれるようになります。 9.それはいつの時代からですか?初めからではないと思いますが。 ひじり、という言葉を聴くと、修験道のイメージが沸くのですが。 >この「聖」という言葉について、江戸時代の本居宣長は『古事記伝』のなかで「日知り」として、天気予報をしたり日本は農耕が中心ですからどの季節に種をまけばいいかなどを人々に教えていたのではないか考えたようです。 10.現在の「気象予報士」的人物を指していたと? だとすると、逆に僧からは遠くなってしまうようですが、 僧は一般的にそのようなことをしますか? 雨が降らないときは、雨乞いをしたようですが、予報まではしなかったんではないでしょうか?具体的そのような予報をしていた、僧侶のお名前を挙げていただけませんか? >また、五来重氏は『高野聖』のなかで、聖なる火を管理する「火知り」に由来があり、起源は非常に古いとしています。『古事記』には「聖帝」、『日本書紀』には「聖皇」と、天皇のことを呼んでいることからも、いわば原始的な「宗教指導者」をあらわしたようです。 11.たいへん興味深いですね。 卑弥呼は巫女でしたよね。そして政治的統治者でもあった。 政治的決断を占いで行った。亀甲占いですか?そのとき火も使いますね。 「火知り」と関連がありそうです。 また卑弥呼は日食を事前に予測できなかったので、シャーマンの資格はないとして殺害されたという説もありますね。(248頃)それが「天の岩屋戸隠れ」の神話に転化されたと。 これが事実なら「日知り」と関係がありそうです。 * 後半部分は入りそうもありません。

maunder-max
質問者

補足

無理にお願いしたようで恐縮です。 真宗のご僧侶から直々にご回答いただき、たいへん嬉しく思っております。 具体的な著書の数々の紹介、大変参考になります。 >正確に言うと「戒律を授ける作法」が伝わっていなかったのです。まぁ、戒律が伝わってませんから当初の仏教者の中に妻帯するものがいてもおかしくなかったわけです。そして、日本に戒律を伝えたのが鑑真和尚です。   1.鑑真和尚は非常にまじめで誠実なご僧侶だったようですね。  それまで戒律が無かったとは驚きです。    >仏教伝来は『日本書紀』には552年、『元興寺縁起』『上宮聖徳法王帝説』には538年とあり、文献上は500年代半なのですが、 2.はい、それは別の質問者さんへの回答で、『日本書紀』の552説は作為的ではないかと指摘させていただきました。その返信はまた別にお待ちしています。 >鑑真和尚が来日するのは754年ですから、正確に戒律が日本に伝わるまでに約200年の開きがあるわけです。もちろん、それまでにも仏教研究が進むに連れて戒律を守るまじめな僧達も存在しましたが、 3.聖徳太子はどうなのでしょうか? 『憲法十七条』(694)で仏教、儒教などを重要視していました。 当時仏教を真に理解していたのは、太子だけだったとも言われていますが。 552年仏教伝来作為(説)に引用した『新編 日本仏教思想史』によると、 『憲法十七条』には「浄土思想は全く見られない。太子には如何なる種類の浄土であれ、浄土信仰はなかったと推断せざるを得ない」p55 「この憲法の目的は、中央集権の政治制度を整えようとするのではなく、 腐敗した貴族官僚を教え戒めて、政治を実質的に改革しようとすることにあった」p56 腐敗していたのは仏教ではなく、貴族階級だったのではないですか? このころの仏教は国家レベルの寺院建立であり、天皇などの病気平癒が仏教に課せられていたのではないですか? 一般庶民・平民には普及していなかったのでは? >正式な戒師を要請せざるを得なくなった日本の状況について安藤更正氏は『人物叢書鑑真』のなかで、僧尼の堕落が指摘されています。 4.私はいままで、そういった僧侶の堕落の記述は読んだことがなかったのですが、 指摘されて探してみたところ、いくつかの著書にもありました。 ただ、具体的僧侶の名前や、僧侶の妻帯について肯定的に主張している人物はいないようです。本来は修行の妨げになるので公では否定し、裏では妻帯している。本音と建前がある。 それを初めて、妻帯を肯定し宣言したのが親鸞ではありませんか? 親鸞以前に「妻帯肯定宣言」をした僧はいませんよね。 >律令制度の混乱により税金逃れのために僧侶になるものも相次いだようで、政府は禁令等を出したのですが歯止めがきかず、 5.私度僧ですね。農民・百姓なども多く、私度僧になったようです。 当時の農民への税金・課役の過剰な搾取、重労働が原因ではないでしょうか? 貴族階級の横暴さ、腐敗の方が問題だと思います。 >このような混乱状態を防ぐには正式な戒律を与えた僧侶を育成する方が早道と考えたようです。 6.農民の浮浪と勝手な出家の禁止ですね。717年です。 この頃は私度僧が氾濫していたのでしょう。 ところが鑑真が来日したのは754年ですね。私度僧の取り締まりがされた後です。 またそれよりずっと以前に律令国家として日本は成立していました。673年ころより。 律は唐の「五刑」を採用し、日本では「五罰」としました。大宝律令は701年制定。 最悪は死刑、次が流罪(近流・中流・遠流)親鸞の流罪は越後でしたから中流でしょうか?また「八虐」もあり、最悪が「謀反」で天皇殺害、国家転覆罪ですが、下から3番目に「大不敬」があり、神社仏閣の破壊、祭具盗賊などとなっています。  以上、『新詳日本史』浜島書店 p60~63   「僧尼令」も、やはり大宝律令と同じ年のようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%A7%E5%B0%BC%E4%BB%A4 「飛鳥浄御原令に僧尼令の名称が存在した形跡は無く、大宝令が初出であるとされる。『続日本紀』には施行前の大宝元年6月1日(701年)に道首名が大安寺で僧尼令の講説を開いたことが記述されている。」  上記著書にも「僧尼令が定める刑罰」の一つに、「還俗」がすでにあります。  「酔乱した場合などは僧尼という特権的身分を剥奪」と書かれています。p71  妻帯にはふれていないようです。私は私度僧でなく正式な僧は妻帯をしていなかったと見ています。法然の浄土教の僧侶でさえ、妻帯は特異なことでした。それついては後で著書からの引用をします。 *文字制限になってしまいました。まだ1/3にもなっていませんがUPします。

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