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すべてのひとを説得することができますか

pokoperopoの回答

回答No.47

ぽこぺろぽ上等兵であります。3度目の蟄居を命じられ、不名誉除隊寸前であります。しかるに、もとよりの無学に加えて、舌鋒鋭くというわけには参りませんがおゆるしください。  彼らを水飲み場に連れていくには、水の安全性や美味さを説くことではなく、《渇き》という本能に訴えるのが鍵となるでしょう。いや、むしろ「み、水をくれ・・」と相手が懇願するようになれば儲けものです。ということは、予め水のありかを示唆することは、説得方法として下策なのではありませんか?  この《渇き》を引き出す方法が、対話と呼べるのでしょうか?対話というものは、自らも主張すると同時に、相手の主張も許すということです。そうなると、水飲み場よりも普段の牧草地での生活がいいやということになり、水飲み場のありかを教わりたいという願望が生まれにくくなります。対話にもかかる必要性に応じた力学が働くので、説得と呼ばれる状態にあること自体が、説得困難な状況の証左と考えますが、いかがでしょうか?

bragelonne
質問者

補足

 pokoperopo さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  3度目の蟄居ですって? 少々荒いことをやっておいでになるスサノヲイストでいらっしゃいましょうか。ほうっときますよ。  今回のご回答へのお応えは 比較的かんたんです。  ★ 彼らを水飲み場に連れていくには、水の安全性や美味さを説くことではなく、《渇き》という本能に訴えるのが鍵となるでしょう。  ☆ これは おっしゃるように  ★ 予め水のありかを示唆することは、説得方法として下策なのではありませんか?  ☆ です。そのとおりだと考えます。  つまり 決して 《水の安全性や美味を説く》ことはしていません。ただただ 主題に応じて 自分の見解を述べて 対話をすすめているだけです。《〈渇き〉という本能に訴える》ことも 決して けっきょく それとしては していません。すべて 主題をめぐる問答のすすむところなのだと考えます。   つまりは とうぜんの如く わたしたちは みな 水を求めています。そのことが 対話の過程で 分かってくる。気づいてくる。ただ それだけです。つまり それだけで すでに 水飲み場まで馬を連れていったことになります。決して 策を弄しているわけではないのです。  ★ この《渇き》を引き出す方法が、対話と呼べるのでしょうか?  ☆ たしかに おのづから 《渇き》に気づくようになるということは 《引き出した》かたちになっているようですね。でも それは つねに そういう状態にあるということではないでしょうか。それに気づかないのは その水を もう まったく 問い求めないという場合でしょう。要するに 水を棄てたという人の場合だと考えます。  ということは 気づいてよかったという人の場合が まづ あります。ただし そのとき 気づかされたと思うと 素直に 飲もうとはしない。のが 多いのでしょう。  気づかないという人がいます。気づいても 気づいただけ さらに 遠ざかるということなのでしょう。むろん ほうっておくしかないと考えます。  ですから 次のご批判に対するお答えは 決まっています。  ★ 対話にもかかる必要性に応じた力学が働くので、説得と呼ばれる状態にあること自体が、説得困難な状況の証左と考えますが、いかがでしょうか?  ☆ 対話ないし説得というとき じつに 焦点が違うという前提があります。あくまで 対話も説得も 一定の主題について すすめるというものです。水や渇きのことを 直接には あつかっていません。  しかも そのことに気づかされるというのは ひとつに 哲学というのは そういう人間問題をあつかうということ。ひとつに 人は つねに 水と渇きの問題を かかえているということ。という事情なのだと考えます。どうでしょうか?  ★ 水飲み場よりも普段の牧草地での生活がいいやということになり・・・  ☆ ですから くどいように繰り返すなら 《水と渇き》の問題は 《普段の牧草地での生活》の真っただ中に つねに 起きている。それは 《水飲み場》への場所としての移動の問題ではない。というふうに思われるのです。

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