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すべてのひとを説得することができますか

pokoperopoの回答

回答No.52

ぽこぺろぼです。あらかじめお断りしますが、「存在を愛し、欠陥を憎む」との、措定そのものには異論はございません。対話の必要性についても同様で、問題に気づく、あるいは気づかせることが肝要です。  さて、議論禁止はこのサイトに限定された話ですが、アマテラス影響下の一般社会においても、議論はしばしば罪悪視されます。あらかじめ議論禁止と決められている以上は、私もそれに従うに吝かではありません。  しかし、質疑応答で良質な議論が起こり得る、あるいは水掛け論になるといった、両極端な効果が出る可能性がある以上は、罵倒や皮肉や頻度の高い問答の応酬のみを、禁止するといった措置も考えられます。失礼ながら、大佐の提起された質疑応答は、必ずといっていいほど議論に発展しています。大佐ご自身も議論の余地を含むことを、自覚なされてのご質問でしょう。運営者がこれらを杓子定規に捉えた場合、規約に抵触すると判断しても不思議ではないでしょう。もちろん、有意義な部分も多く内包しますし、ご質問ごと削除されては、複数のご回答を寄せられている皆さんも、私も途方に暮れてしまいます。  溺れている子供の存在を助けるのは自由ですし、その行動は人道に適ったものです。ただ、私は彼を憎むから助けないのではなく、双方の自由意志の合致をもって助けないのです。通常であれば、憎まれっ子も助けます。しかし、お礼を拒絶する子供には、事故の前後ともに対話の成立の可能性がありません。  私はいかなる極悪人も、断頭台に架けてはならぬとの信念を持ちますが、正気の自死の責任は負いません。責任があるにしても、事故を目撃したことによるもので、助けるかどうかは二次的な問題です。他の者による救助の邪魔立てなどという、不粋は決して致しません。こうした態度で臨まなければ、対話拒絶を目論む者はなくならないでしょう。私は極論を唱えているのでしょうか?

bragelonne
質問者

補足

 pokoperopo さん ご回答をありがとうございます。  どういうふうに言い表わせば いいでしょう。  わたしには 統合失調症の妹が います。入院していますから それほど 手間がかかるわけではありません。もう一人の妹がいて いくらか離れたところに 住んでいますが わたしが 責任者となっています。   或る日 こう言いました。虫の居所がわるかったのでしょうか 何も お兄さんに面倒を見て欲しいと わたしが頼んだ覚えはないと。しかしながら――つまり 小さなことを数えれば もう百回二百回は 絶望したことがあるわけですが―― ほうっておくわけには行きません。  こういった単純なことを言おうとしていたのですが どうでしょう?  あと 議論につきましては あくまで 主題を決めて それについて 回答と応答とを繰り返して――つまり 《情報交換》は 規約の趣旨なのですから―― よりよい解を見出していくというに尽きると思うのですが どうでしょう? 哲学の主題――つまり 質問内容ですね――に関しては この質疑応答が 長くつづくということ。あるいは 言いかえれば 解を見出すことは むつかしく ほとんど常に 問い求めを広く深くすすめる程度に終わるというものです。  交通整理をしておくといった情報交換になると考えます。  これは 規約の精神にも そして 規約の条項にも 合致しているとわたしは考えますので 質問者として そういう姿勢で臨んでいます。それでも 規約違反の議論をしていると言われれば もう わたしは あぁ そうですかと返すほかないというところです。  たぶん pokoperopo さんは この基本的な考え方から遠く離れておられるわけではないと思います。ただし さらに何とかならないか もっとうまい方法はないものかと探っておられるのではないでしょうか? ですから わたしの場合は 実際に 規約にも合致して わたしの哲学の考え方にも沿った理想的な情報交換としての質疑応答を 実地に おこなっていくことで 新たな地平に ともに 駆け上がりたい。こう思うのみです。  おっしゃっていることは 原則であり 原則として 妥当だとわたしも考えます。世の中にあるのは この原則が想定している人びとの行動だけではないようなのです。違反しているというよりも その違反の状態であることが分かっていないという場合が あると わたしは 分かったわけです。  ちなみに なぜこのように地球外知性が現われたか。わたしの考えでは スーパー歴史知性によってふつうのイリ歴史知性がパクられて 超道徳規範として打ち出された《和の精神》が 厚い壁となって 立ちはだかり これは 人びとを 次から次へと 絶望の淵へ落とし込んで行ったからだと見ます。  素朴な生きた横の関係としての《和》が 縦の関係となって 規範として堂々と掲げられ頭の中にいつもひんぽんと翻る不動の大旗と化した《大和(やまと)》に取って代わられています。  あとは どうも 独我論とやらが 同じく 人びとの頭の中で こんな旗などは もはや 自分には関係ないと言い聞かせるようになった。つまり 自分のほうから――アマテラスではないふつうの市民のほうから―― 死んでいけばいいのだと思うようになったのではないか。うんぬんです。どうでしょう?

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