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権力とは?国家とは?

ghostbusterの回答

回答No.3

補足欄、拝見しました。 質問者さんの問題意識のポイントがわかったように思います。 できるだけわかりやすく書こうと思いますので、ついてきてください。 『監獄の誕生』で何よりも重要なのは「身体」ということです。 以前、権力の機能と考えられていたのは、あくまで「力」でした。 ある人物Aが、人物Bに対して、自分の思い通りにするために行使する「力」。それが権力だった。たとえばマルクス主義の国家権力を暴力装置とする考え方がそれです。 一方、支配されている人物Bも、実は支配されることを望んでいるから、AとBのあいだに権力関係が成立するんだ、という考え方は、ヘーゲルの主奴論から始まって、実はマルクスもそのことを考察していたし、ウェーバーの権力論(たとえば『支配の諸類型』など)でも、ジンメルの「支配」でも、ずっと問題にされてきたことです。 なぜ人は権力者の前にひざまずくのか。権力論はそれを解き明かそうとしてきました。 その流れのなかで、ウェーバーもジンメルも、ディシプリン(規律訓育)ということを考察しています。すなわち、本来なら、服従する者は服従しない自由もあるはずなんですが、権力がディシプリンというかたちをとるとき、服従しないという可能性そのものが、服従者には立ち現れてこない。 このように、すでに「見えない権力」という考え方は、ウェーバーやジンメルにおいて出てきています。 そういう社会学方面から考察されてきた権力論とフーコーが一線を画すのは、「身体性」ということでした。人間は身体を持ちながら、思考し、認識するのではありません。身体があることで初めて認識も思考も可能になる。 このことによっていったい何が言えるのか。 主体がまずあって、権力作用のなかに入っていくのではなく、わたしたちが「主体」となるということは、それ自体として独特な形式の権力に対する従属化の産物である、ということです。つまり、権力への従属なくしては「主体」もありえない、ということ。 これはものすごく重要なことなので、頭にたたき込んでおいてください。 わたしが「権力が発動(行使)」という言葉に覚えた違和感は、「発動」というメタファーに対する違和感です。 つまり、「エンジンを発動させる」というとき、エンジンは動いてませんよね。エンジン稼働率ゼロ状態から、「発動」させることによって稼働率をあげていく。 同じように「権力が発動される」というとき、あたかも「権力ゼロ」の状態が想定されているのではないか、そうして「発動」というメタファーによって、一種の実体化がなされているのではないか、と感じたのです。 エンジンとはちがって、「権力ゼロ」の状態はありえない。「権力から自由になる」というのも無意味なお題目です。 もう少し、実体化、ということを書きます。 フーコーの『監獄の誕生』には、ベンサムの考えた「パノプティコン」という監視装置が出てきますよね。 パノプティコンが真ん中にどーんと立っているために、囚人たちは常に監視されている(ちょっとでも怠けていれば処罰されるかもしれない、すなわち身体に直接苦痛が与えられる)という恐れから、規律正しい行動をおこなうようになる、というものでした。 つまり、この「規律権力」というのは、抑圧によって行為者の意思をくじくのではなく、そのようなことを自発的に意志できるような主体を育成すべく、作用したのでした。 ここでパノプティコンに注目してみましょう。 パノプティコンが「権力」として「発動」されているのはどんなときか。 パノプティコンがもっともその機能を発揮するのは、そこに看守が「いない」ときです。誰も見ていないのに、見られているという「可能性」が権力として作用している。つまり、監視人は必要ない。 さらにそれが進行していけば、パノプティコンすらも存在する必要はなくなります。囚人たちはパノプティコンを内在化することによって、規律正しい主体となっていく。 もう少し、ちがう例を考えてみましょう。 銃を持った銀行強盗が金を出せ、と入ってくる。周囲の人びとに対しては、動くな、と威嚇する。 人びとはこの強盗の言うがままになるでしょう。 けれどもそれは「銃で撃つ」という暴力行為が実際には「なされてない」からこそ、権力の作用を及ぼしているわけです(現実に撃たれて殺されてしまえば、その人にはもはや権力は及びません)。その銃がモデルガンであろうが、弾がこめられていまいが、周囲の人びとが、「銃」を脅威、あるいは「力」と認めることによって作用する。 たとえば国家権力を暴力装置として実体化する考え方というのは、看守が、あるいはパノプティコンが人びとを弾圧している、強盗の銃(の威力)が人に対して言うことを聞かせている、とする見方です。この見方は、権力が実際には「発動」されていないときにこそ、作用しているという点を見落としています。 「見えない権力」「隠された権力」というのは、権力の裏につねに暴力が存在していて、その力が隠されている、というのではない。「権力」はそれ自体としては、まったく空っぽなものなんです。空っぽ(抽象的)であるにもかかわらず、これに従属する者の視点に対して、時間的・空間的に、完全に普遍化されている。 そんなことはないじゃないか、実際に、政治権力はわたしたちを支配しているではないか、実体がないと言ったって、現に支配されているじゃないか。 当然こういう疑問が出てくるかもしれません。 そのことに対しては、こう答えることができるように思います。 まず第一に、わたしたちはある完全に抽象的な権力に従属することを通して、主体となっていく。 その上で、第二に、わたしたちによって自覚的に選択された支配者の支配が重ねられる。 この支配者が、抽象的な権力を代行(具現)するのです。 たとえば先ほどの銀行強盗の例をもういちど考えてみましょう。 銃を持った強盗が銀行に入ってきます。わたしたちはとっさに「危険だ」「身体に危害が加えられたら大変だ」という恐れから、みずからを「銀行強盗によってとらえられた主体」として形成していきます。そこでの「銀行強盗」というのは、わたしたちが自覚的に選択した支配者なんです。 あるいは民主主義のもとで、わたしたちは自らの支配者を自覚的に選択することによって、わたしたちを主体として形成した抽象的なもの、見えない支配を、見えるようなものへとしていきます。 たとえばフーコーも「国家権力」という言葉の使い方もしているのですが、これはあくまでもそういうものとして使われていると理解してください。 >最近の特捜検察の小沢秘書逮捕、起訴などみていると、昨年から検察権力の動きなどをみていると、勿論、逮捕後は、マスメディアや検察のリーク情報によって、「関係の総和」という社会状況を作り出し、起訴、裁判手続というように、検察特捜という司法権力が発動されているように、…… ここで質問者さんは「検察権力」「検察特捜という司法権力」という言葉を使っておられますが、これらの「権力」は、わたしたちが及ぼされている支配を、これらの言葉によって対自化していることを理解しておいてください。 わたしが先の回答で「実体化しているのではないか」と言ったのは、そういう意味です。 > フーコーの方法論を勉強して、日本の現実の社会政治問題に適用、応用できるのではないか フーコーの登場以降、「権力はあまねく偏在している(わ、畳語だ)」とか、わたしたち自身の個人的関係や日常的活動に刷りこまれている、とかいう考え方は、一種のスタンダードになってきたと思うんです。そして、この「気づき」というのは、ものすごく重要なことだと思う。 加えて、フーコーは、思想は社会の中で役立つ「ツール」でなければならないと考えていたそうです。だからフーコーを勉強することは、有意義じゃないかと思います。 そのうえで、フーコーの権力論は、ずいぶん変わっていっています。 初期の『監獄の誕生』から『性の歴史 1.知への意思』を経て、〈生-統治〉へと至る。 たとえばジェノサイドとか、民族浄化ということは、「規律権力」からだとうまく説明できないんですが、〈生-統治〉、あるいはバイオ・ポリティックスなら、説明が可能になる。たとえば「医療」や「健康」の問題を考えていくときに、この視点は非常に有効だと思います。 ただ、現実の社会問題に応用しようとするなら、やっぱりしっかりと「思想」として勉強しておかないと、ほんとに用語だけを借りてくることになっちゃう。 「支配」「権力」ということを考えるなら、やはり社会学系の本はとても参考になります。 熊沢誠の『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』(現代教養文庫)とか藤田弘夫の『都市の論理 ─権力はなぜ都市を必要とするか』(中公新書)とか、具体的な考察がなされていて、おもしろかったので、よかったら読んでみてください。

4219hidepon
質問者

お礼

1、「そういう社会学方面から考察されてきた権力論とフーコーが一線を画すのは、「身体性」ということでした。人間は身体を持ちながら、思考し、認識するのではありません。身体があることで初めて認識も思考も可能になる。このことによっていったい何が言えるのか。 主体がまずあって、権力作用のなかに入っていくのではなく、わたしたちが「主体」となるということは、それ自体として独特な形式の権力に対する従属化の産物である、ということです。つまり、権力への従属なくしては「主体」もありえない、ということ。 これはものすごく重要なことなので、頭にたたき込んでおいてください」 いや~~~~~これは、仰るとおりです。 2、「ここで質問者さんは「検察権力」「検察特捜という司法権力」という言葉を使っておられますが、これらの「権力」は、わたしたちが及ぼされている支配を、これらの言葉によって対自化していることを理解しておいてください。」 (これって、権力を具体的に対象化された言葉として使っていることを、俺に理解しときなさいよ、ということですよね。) 3、「わたしが先の回答で「実体化しているのではないか」と言ったのは、そういう意味です。」 この点の、文章の繋がりと「実体化している」という意味は?

4219hidepon
質問者

補足

大変有難う御座います。ちょっとバタバタしており、時間をかけてじっくり読ませていただきます。ところで、この下のフランス語は日本語ではなんと訳されてますか?叉、原書はなんというタイトルでしょうか、ご存知であれば、ご教示願いたいのですが。 Selon le philosophe français Michel Foucault, « le pouvoir n'est pas une autorité s'exerçant sur des sujets de droit, mais avant tout une puissance immanente à la société, qui s'exprime dans la production de normes et de valeurs »

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