• 締切済み

権力とは?国家とは?

ghostbusterの回答

回答No.7

前の回答はえらく不親切でしたね。 引用は単に「戦略」の使い方を例示するつもりだったんですが、重要なところだったんで、どうしても内容に目が行ってしまう。前後関係もわからず、そこだけひょいと出てきたら、とまどいますよね。どこまで書いたらいいか、迷うところなんですが。 まず、お礼欄の方から。 1.> いいかれれば、「社会に内在する力」が、個々人に対して条件付けるというか無意識を身体化するところのものが、「権力」というように言っているように思うのですが。 その理解の仕方で大丈夫だと思います。 2.> 日本社会においては、その最たるものは、マスメディア(=知識人)ということになりますね。 えーと、マスメディアと知識人を等号で結ぶことには多少躊躇があるんですが、確かに「書く」という行為は、人びとのものの見方・考え方を統御していくという側面は大きいですよね。マスメディアによって媒介された「知識人」の言説が、多くの人びとに影響をもたらすということはあると思います。 けれども、その「知識人」のある特定個人に何らかの目的があって、人びとをこっち方向に誘導していこうという明確な意図があってその言説を行うとき、というのは、かえって「あれはプロパガンダ(政治宣伝)だ」というふうに、人びとに警戒されてしまうのではないでしょうか。 メディアのなかで、書き記す人びとはつねに複数であり、特に内容を検討したり、確認しあったりしているわけではありません。むしろ、そういう人でさえ、知らずに従属していた統御規則というようなものがあるはずではないでしょうか。 そうして、わたしたちにその書いたものに関して、反発であれ、賛成であれ、とりあえず理解ができるということは、その統御規則をわたしたちも共有しているということでしょう。 メディアに乗って発信している人は、まったく気づいていないかもしれない、100%自分の考えとして発信しているかもしれないのだけれど、その人の書き、語る行為を制御しているものは存在します。そうして、わたしたちも同じものに制御されているからこそ、理解できる。その制御しているものこそが、ある時代の、ある社会における言説の生産を決定づけています。 たとえば「出会い」というタイトルで作文を書かせたら、ほとんどの人が自分の経験を掘り起こして、「すばらしい出会い」という形で文章をまとめると思います。「出会い」というのは言葉のひとつに過ぎないのだけれど、決して無色透明の言葉ではない。「愛」にしても、「平和」にしても、「戦争」にしても、「環境」にしても、たいていの言葉は、その時代、その社会によって、微妙に色合いを変えていきます。それは、使う側も、受けとる側も、無意識に参照している「参照軸」のようなものがあるからです。 それはいったい何なのか。それは「物」ではないし、「人」でもない。だから、直接目で見ることはできません。けれど、さまざまな言説を読むとき、わたしたちが無意識に参照している「参照軸」を見つけることができれば、その目に見えない、実体としてはつかむことのできない「それ」を、浮かび上がらせることができるのではないか。 そういう言説の分析は、おもに『知の考古学』のなかでなされています。『監獄の誕生』や『知への意思』は非言説的分析、と分けることができるかと思います。 3.> 小沢秘書問題も検察という「権利主体」が、マスメディアの規範と価値を代行しているってことになりませんか? これはどうだろうなあ。わたしはそうは思いません。 小沢秘書問題に関して言うと、荒っぽく言ってしまえばふたつの立場があるわけでしょう? あれは国策捜査だ、っていう見方と、違法は違法だ、という見方と。 要は二種類の参照軸があるんだと思う。 マスメディアにしても、識者にしても、自分をどちらかの側に置いて、そのどちらかの参照軸に沿った発言をしているに過ぎない。わたしは寡聞にしてそれ以外の発言を聞いたことがありません。もちろん検察もその参照軸に従って実践しているわけですが。 誘導とか、そういうものではないと思いますけれど。 補足欄の方はどこまで書いたらいいか、よくわからないんで、また考えます。

4219hidepon
質問者

補足

3.> 小沢秘書問題も検察という「権利主体」が、マスメディアの規範と価値を代行しているってことになりませんか? 「これはどうだろうなあ。わたしはそうは思いません。小沢秘書問題に関して言うと、荒っぽく言ってしまえばふたつの立場があるわけでしょう? あれは国策捜査だ、っていう見方と、違法は違法だ、という見方と。」  法は形式なんですが、政治資金規正法では、形式的に政治団体から寄付されればその名前(未来研?)を書いて、報告書を都道府県の選挙管理委員会に提出しなければなりません。実際はの寄付の出所が西松であって、送金名義人(=形式)を書いて出さねばなりません。西松と書いて出せば形式的には違法ですから、都道府県選管は、訂正を指導します。  だから、小沢言うように、西松からであれば、自分の政党支部に寄付という形式を取れというように訂正を指導されるのですよ。  従って、「違法は違法だ」ではないのですよ。検察は、小沢の秘書が実際は、西松が金の出所であるという認識にもかかわらず、それを隠していたという内面の問題も問題として「違法だ」といっているのですよ。  これは、特捜検察がすごい事を犯罪容疑だといい始めたということです。  国策捜査であるかないかはともかくとして、これは凄いことだと思いますね。検察ファッショと言い得ると思うのですが、その点ともかくとして、フーコー的にいえば、 Selon le philosophe francais Michel Foucault,le pouvoir n est pas une autorite s exercant sur des sujets de droit, mais avant tout une puissance immanente a la societe, qui s exprime dans la production de normes et de valeurs. 「フランスの哲学者ミッシェル・フーコーによると、権力とは権限ある主体によって行使される権威ではなく、規範と価値の生産を体現するところの、何よりも社会に内在する力である。」  この判りやすい意訳からすれば、小沢秘書の逮捕については、国家機関の一環である特捜検察機関(権限ある主体)よって行使された権威ではなく、規範と価値の生産を体現するところの、何よりも社会に内在する力(日本国民の意識の水準力やマスメディア等の報道力の関係の総和としての力)として起訴権限(国家権力)が行使されたもの=「権力」という理解が、フーコー的な理解ということになるのでは。 又、お時間あれば、ご意見くださいませ。

関連するQ&A

  • ミシェル・フーコーは「バイオの権力」(生権力)への対抗策をどのように考えていたのですか。

    私が読んだ解説本(中山元著、初めて読むフーコー)には「バイオの権力」という権力との関係を楽しむという選択肢しか書いてありませんでした。 しかし、「バイオの権力」からの逃避、抵抗などという選択肢もあってよいように思うのです。 ミシェル・フーコーの著作に直接あたった方いらっしゃいましたら、御回答よろしくお願いします。

  • 中世の教会と世俗的権力

    中世の教会と世俗的権力 ・中世における教会と世俗的権力との関係 ・当時の教会と庶民との関係 ・当時の世俗的権力と庶民との関係 ・教会がどのようなプロセスを踏んで民間信仰をキリスト教信仰にすげ替えたか(魔女刈りなど) 以上の事柄を、特に12C周辺について知りたいです。 こういったことについて書かれた本をご存知の方、お教えください。

  • 古代の土地に対する権力について

    古代日本がどれくらいの権力をもってたかを知りたいのです。 やはり当時の財は土地から生まれると思ったのですが、口分田とか墾田永年私財法やら荘園やらそこからイメージしにくくて困ってます。土地から生まれる財やそこに住む農民とかが権力になると思うので。 それらの関係など・・・わかりやすく教えていただけたら助かります。 図で説明したものとかわかりやすい解説の本やサイトなどないでしょうか・・・。 付け加えて、京の下級貴族が地方の国司(受領でしたっけ?守介とかでしたっけ?)に任命されてそこからマージンをもらって京に渡すような感じだったと思うのですが、京から任命した人ってどれだけいたのか、その任命された人ってどれだけ権限をもってたのかも知りたいです。

  • レポートの引用のカッコの使い方に困っています

    レポートに本の引用を載せる時に、引用文にすでに「」があり困りました。 gooで調べると、引用部に「」を使い、引用文中には『』を使えばよい、とありました。 でも、『』は引用した本の題名を載せるのに使っています。 こんな場合、どうすればよいのでしょうか。 ごぞんじの方、教えてください。

  • テロリストのパラソル

    藤原伊織の「テロリストのパラソル」を読んでいたら、中に”警察は国家権力の暴力装置”というフレーズがありました。” ”がついているので、何かの引用だと思います。出典はなんでしょう。ご存知の方、教えていただけないでしょうか。

  • “神様のレシピ”と言う本?!

    伊坂幸太郎の本の中で、度々引用される“神様のレシピ”と言う運命論的な言い回しがすごく好きなのですが、本の題名でしょうか?伊坂さんが影響を受た本だとすれば、尚読みたいです!! ご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。

  • 引用元を秘密にする人が多いのは何故なんでしょうか?

    こんにちは、お世話になります。 僕は、英語カテで、主に質問(難しい英語)、回答(答えられるもの)をしているのですが、良く見かけるのが、 ・ある小説にこう書いてあったのですが、 ・本を読んでいて、こんな英文がありました、 等という方が多い事が不思議です。一応ルールでも、引用については、 ~~~~~~~~~以下引用文~~~~~~~~~~~~~~~~ * 原著作物が公表されているものであること。 * 出所が明示されていること。 * 改変がされていないこと。 * 引用することに必然性があること。 * 本文と引用文の区別が明確であること。 * 本文が主、引用文が従の関係にあり、引用の量が正当な範囲内(本文よりも短いもの)であること。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ http://service.okwave.jp/cs/beginner/prohibition.html とありますし、別に「こんな本読んでいます」という本の題名を内緒というか、秘密にしたい理由って??? と首をかしげています。文章からして、特に「いやらしい本(秘密で読む本)」とも思えないので、堂々と題名を言えると思う質問ばかりなので余計に不思議です。(別に引用元を書くのは、OKWAVEだけじゃなくて、大学のレポートにしろ、なんにしろ普通は書きますよね? ) 何か、引用元を書いたばっかりに、何か処分を受けた人とかいるんでしょうか?? 教えてください、よろしくお願い致します。

  • 国家権力

    国家権力で肩書き以外の力は有りますでしょうか。

  • ★国家権力と戦うことになりました。(^^)

     今晩は、何と国家権力と戦うことになりました。それも本人訴訟です。現役の裁判官の行為について不満がありまして、それを違法行為として裁判官の勤務する裁判所に国家賠償請求の訴訟を提起しました。(我ながら、大それた事をしております。(^^))  そこで、質問です。  (1)裁判官同士庇いあいは、ないでしょうか?ひいきと申しますか、内輪漫才で相手方=訟務検事に有利なことをさせる行為を、私を裁く裁判官が行なう心配は無いかということです。  (2)それともかえって裁判官同士庇いあっていると私に批判される事を予測して、厳正に裁判をやっていただける事が出来るでしょうか?  予測も入りますし、裁判官のめぐり合わせもあるでしょうが・・・・実は、合議でやっていただけるので丁重にやってもらえるかなと期待しているのですが(楽観過ぎるでしょうか?)ご意見やアドバイスよろしくお願いいたします。  

  • 涅槃経について

    涅槃経というお経に興味を持ったのですが、その概容と入手方法について教えて欲しいのです。 このお経は確か釈迦の涅槃について書いたお経だと思っていたのですが、ネットで少し調べてみるとちょっと違う内容に思えて、実際のところあまりよくわかりません。 また、長いお経のようですが、解説本や原典(翻訳)などは入手できるのでしょうか。 ご存知の方々、よろしくお願します。