• ベストアンサー

動物の命が短い理由は?

tabataba3の回答

  • tabataba3
  • ベストアンサー率47% (211/443)
回答No.8

生物の生存においては、自らの種を保存することと、生態系の中で役割を果たすことが表裏一体になっています。 長命で個体数が増えると、餌が不足して種全体の生存にかかわります。 その種の危機は食物連鎖でその上にある種の危機にもなります。 逆に食物連鎖で上の種が減ることも、個体数の増加と言う危機をもたらします。 そのため、多くの動物は老化が早く、老化が来たら他の種の餌となることで、自らの種の保存と、連鎖全体の均衡に貢献するようになっているのです。 一つの生態系においては、想像を絶する長い時間を経て、各々の種の産児数、老化する年数が、その環境において最もバランスが取れるように生成されたのです。 人間は食物連鎖の中にいたときは短命多産であったが、脳を発達させ、遺伝・本能の部分にプラスして行動の自由を得たため、この連鎖を抜けて自然の生態系とは別の人間社会を作るようになりました。 これによって、自然界ではまれである、生理的に生存可能な生存年数をまっとうして生きる個体が増えたのです。 自然界で要求される社会的な生存年数は、生存可能な生存年数に比べ大幅に短いのに対して、人間社会においては両者が限りなく近づくことになりました。(生態的生存年数と生物的生存年数の区別についてはこちらを参照。http://www.doujidaisya.co.jp/jyom.html) ここからは特にわたしの勝手な考えですが、 さらに、脳の発達によって社会的な生存年数が延長したことで、生物的に生存可能な生存年数そのものも延長したと考えられます。 長く生きても生存できる、生存したい、生存が認められているということが、人間の身体をそのように形成した、ということです。 犬については、野生動物と異なり、生存可能な生存年数を全うする場合が多くなりましたが、人間のような脳の飛躍的発達がないため、生物的生存年数の延長が見られないのだと思います。 でも、犬が30年も40年も生きたら、苦しい生活を強いられている犬の場合には過酷ですし、飼い犬の場合でも飼い主との死別のリスクが増えるので、犬の寿命は人間にとっても犬にとっても、期せずしてちょうどよいくらいになっていると思います。

lamo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人間として生きていると、大自然の中で繰り広げられている 自然の法則、食物連鎖を忘れがちになります。 それは、人間の生き易い環境に人間がしてきたことですが なんだか勝手な気がしました。 でも動物のように、寒さや干ばつで直接的に苦しむこともなく(先進国に限りますが) こうやって自然界の不思議を感じる生き方ができている自分は 充分に恵まれていると感じますが。。。 確かに、犬側としては、長生きすればするほど、思うまま生きられない日が 続くってことですよね。長生きしてほしい、と思うのも、人間のエゴなのかもしれません。

関連するQ&A

  • 動物の寿命に関する疑問

    動物の寿命ですが、ほ乳類に限って言うと、体の大きな種のほうが寿命が長い傾向があるという話をよく聞いたり、読んだりします。 ところが、身近なほ乳類のイヌは、大型犬のほうが、小型犬より寿命は短い傾向があると思います。マスチフやセントバーナードのような大型犬は10年以下の寿命が多いですが、小型犬・中型犬だと10年以上生きる犬は珍しくないと思います。 犬の犬種を紹介したような書籍でも、大型犬の寿命の短さはふれられています。 これは何故なのでしょうか? 一見してみると、矛盾しているように思えます。 それとも最初のほ乳類の寿命と体の大きさの関係は、同種内の体の大きさには関係ないのでしょうか?

  • 動物の命の重さ

    最近私は動物や他の生き物の命の尊さについて疑問に思っています かわいそうとかではなく簡単に命を奪いすぎなのではないかと 今自分が生きている事がどれほど奇跡的なことなのかとよく考えてます 物凄い数の人や生き物が生きてきた中での自分で全ての命が一回だけの命 裕福でもないですし病気などもしてるので凄く幸せとかではありませんが産まれた事が本当に幸せな事だと思ってます そう思うと肉や魚など他の命を食べていて良いのかなと思いました でも私が食べなくても結局出荷される量はかわりませんしそれでは単なる偽善、自己満なんだと自分で思いました どんな生き物だって食物連鎖で成り立っているのだし仕方のない事だとは思います 自分なりに勉強をしてそれが生きるということだと学びました だけど売れ残りなど殺処分が多く命を無駄にしてるのが理解出来ません その命は1つしかないその時だけの命で消費する側としては感謝し無駄にしてはいけないと思います 自然界では無駄に殺したりはしないしそれゆえに色々成り立っている 動物の虐待や処分が多すぎます 人間の場合それなりに罪も重いです 猫や犬など殺しても罪は本当に軽いです なぜ同じ命なのにこんなに罪の意識や重さが違うのでしょうか? 行為的に命を奪う、いたぶるなんて最低の行為 こんなこと言うのはよくないですが人や動物を行為的に殺した人は処分で良いとおもうのです 犬が人を噛んだだけで、猫が言うことをきかないだけですぐ処分されてしまうのですから 現在食事は毎日していますがなるべく無駄にしたりせず感謝して食べています 蚊すら殺す事が出来ません 自転車に乗っている時ですらアリを踏まないようになど命を自分なりに大切にしているつもりです 偽善だと思う方もいると思いますがこれがまだ私(人生観の甘い20代女)の意見です 色々書きましたが質問というより色んな方の動物の命への意見が知りたいです 動物実験など例えたらキリがないので書いてある中での意見をもらえるとありがたいです あくまでも人間の虐待は良いととか言っているのでは全くなく動物の事について書いているのでそこは了承下さい 乱文になりましたがご意見のほどお願いします

  • 人間より長く生きる動物

    人間より長く生きる動物には、どんなモノがあるのでしょうか? オウムの話をよく聞いたりしますが‥ 犬や猫は20年も生きれば長寿と言われますが、 例えば象だと神奈川の野毛山動物園に56歳のハマコがいますね。 でも56歳で長老扱いされているということは、寿命は人間ほどではないですね。 人間より長く、具体的には80年~100年以上生きる可能性がある動物は、 存在するとしたら何が挙げられるのでしょうか? (細菌などの微生物は除外して、  いわゆる哺乳類・鳥類・魚類・両生類などなど、生きてる実感のあるもので。) よろしくお願いします。

  • 動物の年を人間に例えると?

     生物学のほうで聞こうか迷いましたが、 こちらのほうがこの質問に興味があり 答えを持っている方が多いのではと思い ましたので質問させて頂きます。  他の動物もそうですが、よく犬の年を人間 に例えると何歳を言うときがありますよね。 猫も言うのかな・・・?  この犬は9歳です。人間だと60歳くらいですね。 みたいな。  何を基準に換算しているでしょうか? 平均寿命を比較しているのかとも思いましたが、 人間だって時代や地域など、環境が違えば 大きく違うし、戸籍のない犬、猫じゃ平均 寿命のデータも出せないですしね。

    • ベストアンサー
  • 命の尊さとは

    動物を特集した番組を見て考えたことです。 動物愛は人間愛にもつながり、教育的によく言われる「命の尊さ」の刷り込みに利用されている気がしました。 しかし、一口で「命」と言いいますが、それはどういう対象を指しているのでしょうか。 生物学的にはそれこそ、バクテリアも「命」の対象に入りますよね。それならばたとえば人間にとって害を及ぼす害虫、細菌のようなものまで、尊い命という風に考えなければ不徹底でしょう。普通の感覚では、犬はかわいがるが、蚊やハエは見るなり退治しようとします。もしかしたら蚊を殺すに忍びないと言う人でも、疫病の病原菌生物を愛護しようとは思わないでしょう。本当の「命」愛護家なら、自分の肉体を病原体微生物に与えるのでしょうか。 そう考えると、その線引き、尊い命とそうでない命のボーダーはどこにあると考えたらいいのでしょうか。 また、このような不徹底な人間中心主義的なおごった考えを、さも正論のようにかざす無神経さはなぜ批判されないのでしょうか。

  • 動物の命を助ける為には

    長文失礼します。 私は動物が大好きです、ですが 牛、豚、鳥とお肉と命は頂いています。 命を繋ぐために命を頂いています。 ですが動物実験や殺処分 余って捨てられてしまうほど生産 されている牛、豚、鳥など そしてリアルファー、ミンクの毛を 使用したまつエク、悪徳ブリーダーが許せません。 そして人間のエゴによって 罪もない動物達の命を救いと想い 活動したいのですが どうしたらいいのがわかりません。 動物実験をしている研究所に 務めて実験を辞めさせるというのは 無理に近いと考え その輪の中に入るのではなく 他者、外側からの力の方が効くのでは と想い 現在美容学生として美容を学んで 美容業界で有名になり発言力を得ようと しています。 発言力を得えて外側から圧力を かけて動物実験を辞めさせる事を考えています。 ですが一人で言うよりも 10人、100、1000と数がものを言うと おもうのです。 今日も殺処分という殺害が おきています。 人間を信じ冷たい部屋でまっている 動物達が報われることもなく 殺されています。 どうにか助ける事が出来たらと 思うのですが より早く助ける事はできないでしょうか。 どうしたらよいのでしょうか。 この文章を読んで頂き ありがとうございます。 そして貴方様の御意見を 頂けたらとおもっております。 より多くの御意見 お待ちしております。

    • 締切済み
  • 同じ命でも…

    凄く疑問に思っていることがあります。 それは、同じ命でも人間とその他の動物で、なぜ命の扱いに差が生まれるのか?ということです。 人間の欲求を満たすため、犬や猫などのペットをお店で購入しておいて、「育てられなくなった」と言って、山の中に捨てたり、保健所に預けたりする。 人間に食べらるためだけに、生まれ、育てられ、屠殺され、加工された牛、豚、鶏肉で不要になったものは平気で廃棄する。 人間のために新薬を開発するため、動物実験をする。動物の住みかを破壊してでも、人間にとって住み心地の良い住環境を構築する。 に対して、人間はと言うと… 人権、法律、倫理、道徳なんていう、人間にとって都合の良い言葉を盾にして、しきりに「命は大切だ!」などと訴えてくる。多くの動物たちの命を犠牲にしたうえで、日常生活が円満におくられているにも関わらず。散々、命をぞんざいに扱っておきながら、虐待や窃盗、殺人など犯罪を犯した人間でさえ、のうのうと生きている。同じ「命」なのに、なぜこれほどまでに、扱いに差が出てくるのでしょうか?

  • 動物の殺処分について

    犬や猫などの殺処分について 中学三年生の女子です。 読みにくく長い文章ではありますが、どうか皆さんの意見をお聞かせください。 最近、犬を飼いはじめたのですが、犬を飼うことで動 物の殺処分について興味を持つようになりました。 無責任な飼い主などのせいで、行き場をなくした子たちが殺処分されるのがどうしても嫌で仕方ありません。 動物が可哀想というのもありますが、動物も人間も同じ命だと思います。 親をなくした小さな人間の子どもは施設で育ち、大人になっていくのに、どうして飼い主をなくした動物は殺されてしまうのでしょうか。 中には牛や豚は殺されてもいいのか、と思う方もいると思います。 私の身勝手考えかもしれませんが、牛や豚や鳥などは私たち人間が食べ、私たちの体の一部になり生きているんじゃないかと思います。 なのに、行き場のなくなった犬猫はただ殺される。 考えるととてもつらいです。 ドイツでは殺処分、処分場が0だと聞きました。 日本でも、また世界中でもドイツのように殺処分を0にすることは不可能なのでしょうか。 また、社会人でもなく義務教育も終わっていない私にできることはないのでしょうか。 私は将来どのような活動や行動をすれば、殺されてしまう犬猫などを助けられるのでしょうか。 ただの偽善者だと思われるかもしれませんが、助けたいです。

    • 締切済み
  • 寿命の長さを決めているものは?

    子どものころ、動物の寿命は体が大きいものほど長くなるというようなことを親から聞きました。しかし、ウマや犬のようにそこそこ大型になる動物でも長くて2、30年程度しか生きないことがある反面、一部のオウムのように、体が小さくとも人間と同じくらい長生きする動物もいるので、親の言っていたことは必ずしも正しいというわけではないと気づきました。 生物の寿命の長さを決めている要素はなんなのでしょう?

  • 犬に対し「虫と同じ命だろ」「殺しちまえ」と言う父

    飼い犬のことではなく(犬は飼っていません)、例えばテレビで人工呼吸をしてもらっている瀕死の犬などの話を振ると、かなり酔っている場合は、上記のようなことを言います。 父は慶應の文化部卒であることが自慢で、確かに知識量的には「インテリ」に入ると思われる人間ですし、本人も自分の事を「頭がいい」「一流の人間」などと自負しています。 先に挙げたケースでは、父が「犬を殺すのとショウジョウバエを殺すのと何が違うんだ」「殺しちまえ、死んじまえ」と言うので、私が「それは犬を差別してるからそう思うんだよ」「人間も動物であり哺乳類なんだから、哺乳類である犬に同情するのは当然」と言うと、「それじゃ君は虫を差別してるってことだろ」「なにが哺乳類だからだよ」と物にあたりながら投げやりに返してきました。 確かに私は虫は苦手ですし、正直に言って虫は基本的に気持ち悪いと思ってしまうところがあり、嫌いと言えば嫌いです。 しかし、殺す必要がない時(「耐えがたい害」等がない場合)には、無駄に殺したことも、殺したいと思ったこともありませんし、まして死ねばいいとも、誰かが殺せばいいとも思いません。 これは私と父、どちらがおかしいと思いますか? なお、父は猫好きで過去に飼っていた経験もあるのですが、犬は不潔だとか、嫌いだと以前から言っています。(虫も嫌っています) 私が犬を飼いたいというと、最初は嫌がっていましたが、「楽しそう」などと言うほど変わってきました。 だからこそ、酔った時にふと出る、犬蔑視の言葉が気になるのです。 普段は自分の事を「動物は嫌いじゃない」などと言っていますが、これは酔ったから本音が出ているということでしょうか。 前述のような言葉を聞くと犬だけでなく動物が大好きな私にとってはものすごく不快ですし、父に対し本当は抱きたくない軽蔑心すら湧いてきます。 皆さん、どうかご回答よろしくお願いいたします。

    • 締切済み