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諸行無常

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.5

いやぁ~、難しい質問ですねぇ。 >>。悟るとは、何を、悟るのですか。悟ることがない、と言うことを、悟るのですか。  悟りとは何なんでしょうねぇ。実際のところ私にもトンと分かりません。私は仏教でも浄土真宗という宗派を信仰している者ですが、少なくとも私自身は今のままでは悟れないと思っています。  そもそも悟りとはサンスクリット語で「bodihi」という言葉で覚り・覚悟・証・修証・証得・証悟・菩提・道と訳されます。真理(法)に目覚めることという意味で、「迷い」の対義語として使われます。  我々は煩悩(欲望)に左右されているから迷いが生じ、迷いから離れられません。それは何事も思い込みや・先入観をもって判断し納得しようとする結果だといわれます。  そこで迷い(苦・輪廻等のものを含む)から智慧(知恵とは意味が異なります)をもって、解脱(抜け出し)が求められます。その知恵とは、物事を思い込みや先入観から離れ、あるがままを洞察することといわれます。ゆうなれば、現実から真実を見抜く力をつけるということでしょうか。『大日経』では「如実知自心」と言って、あるがままに自分の心覚知することが悟りであると説きます。  仏教では知恵を得ること悟りというのではなく、その知恵を体現することを「智慧」と呼ぶようです。そんなこと言われてもって感じですねぇ。なかなか体現できませんねぇ。どうしても、コンビ二などに行くとレジはきれいなおねぇさんのレジに並んでしまって、思い込みや・先入観といった執着に左右されてしまいます。それできれいなおねぇさんに応対してもらえればいいのですが、隣のレジのそうでもないおねぇさんから「隣のレジへどうぞ」と声をかけられたりします。煩悩ですねぇ。  「迷い」とはどうしても自分の執着によって判断してしまい、またそれによって生じる「苦」も指す言葉のようです。そういった執着が輪廻を生むということにもなります。苦とはサンスクリット語で「duhkha」といい、直訳は「圧迫して悩ます」となり、意訳すると「思い通りにならないこと」ととなるそうです。自分の思ったとおりになるという判断に執着してしまい、結果的に違うことが起きると苦しみってことです(先ほどのコンビニの話がまさにそうですね)。そういった、思い込みによる判断はしないようにして、あるがままを受け止めて善いほうにだけすすんでいくことができるというが悟りであり解脱ということのようです。 >>誰が、悟ると言う言葉を、使い出したのですか。  迷いを離れ「悟る」という概念自体はお釈迦様が生まれる以前より存在していました。代表的なのは「ウパニシャッド」の思想でしょうか。ヴェーダ(アーリヤ人が伝えたインド最古の聖典郡の名称。バラモン教徒の精神生活の権威になっていたもの)を中心とする時代に最終的なヴェーダーンタ(ヴェーダの極意)といわれるものです。もともとウパニシャッドは「近くに座す」という意味で、師弟が間近に対座して「秘密の教義」を伝授したということから秘義を載せた聖典郡の総称になって行きます。  基本的な教義は「梵我一如」の思弁です。「梵(ブラフマン)」という語は多くのヴェーダで頻繁に見られます。もともとはヴェーダの祈祷の言葉ならびにその神秘の力という意味でしたが、このころには「宇宙の根本原理・絶対者の一人称」として使われていました。「我(アートマン)」という語は見解はさまざまありますが、個人の本体を表す術語です。この個人の本体であるアートマンと最高の存在であるブラフマンと同一であるというのが「梵我一如」となります。この、梵我一如の真理を直観しブラフマンと一体となることで、輪廻(仏教で説く六道説はなく「五火・二道説」が説かれます)という迷いの世界からの解を脱究極な目的とします。  また同時期に、ヴェーダによるバラモン至上主義に対して自由思想家と呼ばれる人たちも登場した。その目的もやはり、世界全てのものの法則を悟ることにあります。お釈迦様もその一人と言う事ができるでしょう。  このように輪廻や悟り解脱といった思想はお釈迦様以前から存在し、インド人の思想根底には常にあるもののようで、インダス文明のころからヨーガや沐浴などが行われていたようです。 >>諸行無常とは、どういう意味で、何を指し示しているのですか。  どういう意味ですかね。一般には「諸行無常」は現実存在なんていわれるもの全部姿だとか本質なんてのも、いつもに流動的に変化しつづけるもの、一瞬といえども次の一瞬には違うものになってしまうい、同一性を一瞬たりとも保持することができないことをいいます。この場合、諸行とは一切のもの、有為法をいいます。  私の勝手な解釈ですけど、善いことも悪いこともそのままじゃなく移り変わっていくって事でしょうから、「そのうち何とかなるだろう。」てなくらいでいいんじゃないですかね。  どうせ分からないんだったら、こんなふうに単純な言葉に置きかえてみても楽しいですよ。難しい言葉でで書いてあるなら、簡単な言葉にしちゃえばいいんです。もちろんこんな解釈学問的に間違ってるって言ったらそれまでなんですけどね。それでも自分で解釈するということにチャレンジしてみてください。  仏教は「自覚の宗教」と呼ばれたりするそうです。知識として得ても、自分が納得しなくてはお話にならないってことですね。厳しいようですが、自分で考えることが大切です。もちろん、しっかりとした知識に基づいた自分の考えということですけどね。お釈迦様も「自燈明・法燈明」といって、「自分自身に由りなさい。その自分は法によって生きなさい。」と法とともにしっかり自分で考えることの大切さを説いておいでです。 >>その意図はなんですか。教えてください。 う~ん。これはほんとに難しいですねぇ。「仏意量りがたし」ってところですかね。悟ってみないとなんともいえません。申し訳ないです。それを求める作業のはてに、悟りがあるのかもしれません。  何てのは逃げですかね。ほんとごめんなさい。  長々駄文を連ねました。的外れな答えかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。   合掌 南無阿弥陀佛

tirolin
質問者

お礼

 はい。わたしも、南無阿弥陀仏と、すがってます。ありがとうございます。

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