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生きて虜囚の辱めをうけず

10pphの回答

  • 10pph
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回答No.5

日露戦争では、日本は全面戦争になった場合に場合勝ち目が無いので、短期間の局地戦の後、諸外国に講和を斡旋してもらうつもりでした。 ですので、陸海軍とも国際法に基づいた戦争をしており、捕虜についてもジュネーヴ条約(傷病者の取扱についての赤十字関係の条約)やハーグ陸戦条約(戦争のルール・捕虜の規定もある)を遵守したそうです。 ですから、相手の捕虜の身分も保証しましたし、味方で捕虜になった人に対しても処分をしなかったそうです。 しかし、1929年の「捕虜の待遇に関する条約」(これもジュネーヴ条約と呼ばれる。)については、日本は批准していません。 この頃から日本にとっては「捕虜」はあってはならない事態であり、だから相手の捕虜も認めない、だから捕虜の待遇に関する条約など批准する必要がない、という論法に進んだようです。

Houghton
質問者

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