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戦後、軍隊の偉い人達は切腹したのですか?

特攻攻撃を命じたり、明らかな無謀な攻撃をさせたり、捕虜になるぐらいな自決させたりなど、旧日本軍は非人道的すぎるほど規律が厳しかったと聞きます。 そういった命令を下した人間は、敗戦が決まったとき自決したのでしょうか? 戦艦の艦長や、硫黄島だったかの司令官は自決したと聞いた事がありますが、軍部でも最高位地にいて権力が強い人間は戦後どうしたのでしょうか? 映画ローレライだったかで、地位の高い軍人に自決を迫るも誰もやらないというシーンがありましたが、実際もそういう感じだったのでしょうか?

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  • booter
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回答No.3

いろいろです。 した人。 大西瀧治郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E 「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み、特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54。 橋田邦彦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6 この方はとてもよくできた方です。 http://d.hatena.ne.jp/realjazz/20090815 今回戦争責任者として指名されしこと光栄なり。さりながら勝者の裁きにより責任軽重を決せられんことは、臣子の分として堪得ざる所なり。皇国国体の本義に則り茲に自決す。或は忠節を全くする所以にあらずと云はれんも我は我の信念に従うのみ。大詔煥発の日既に決せんと思ひしも、邦家の将来に向って聊か期するところあり忍んで今日に到り、敵の召喚をうけて時節到来せるを歓ぶ。 本庄繁 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E7%B9%81 しなかった人。 辻政信 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%94%BF%E4%BF%A1 牟田口廉也 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F # インパール作戦が敗色濃厚となり部下(参謀の藤原岩市といわれる)に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した(もとより慰留を期待しての事とされる)。これに対し部下は「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と言われ、あてが外れた牟田口は悄然としたものの結局自決することはなかった。 # 前線では補給不足で苦戦が続くなかで司令部に清明荘という料亭と芸者を随伴させ、遊興に耽っていた。しかも、作戦中も毎日5時を過ぎると自宅へ帰り、そこで浴衣に着替えて料亭へ出向く生活ぶりは英軍に筒抜けであった。英軍はこれを前線でスピーカーを通じて流したため日本軍将兵の士気を著しく下げた。また、これらに対して諫言を呈した部下を最前線に送り玉砕命を下した。 # 敗色濃厚と見るや司令部の裏手に祭壇を築かせ、作戦指揮そっちのけで毎朝戦勝祈願の祝詞をあげていた。 # 「失敗したら腹を切れ」と部下を難詰するも、自身は自決することなく、余生をまっとうした。 東條英機 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F 孫に当たる方も東條英機著の本出版に際してコメントをしており、私としては複雑な心境なのですが、一応。 その他: http://www.geocities.jp/m_karitto_sakutto/politics/D02_jisatsu.html

その他の回答 (4)

回答No.5

誤解があるようです。 切腹したから責任を取った、そうは言えないと思います。 切腹、自殺は、自分の命で責任を取ったと日本では受け取られますが、実際は自己陶酔や逃避に過ぎません。 指揮官が自殺した場合、その次級者・次席指揮官が責任者として対応しなければなりません。 また、本来ならば責任を取るべき立場の人間がいなくなることで、第三者が訴追され、誤解の上で処罰される恐れも出てきます。 B・C級戦犯といわれる人の中にはそういう犠牲者も存在します。 指揮官たるもの、安易に死を選ぶべきではなく、己が指揮・命令の責任を最後の決着まで取る必要があると思います。 いかなる形であれ、自決は現実逃避・自己陶酔に他なりません。 自殺したから偉いと言うのではなく、きちんと自分の取った言動の責任を取ることこそ、必要なことと思います。 終戦時、米軍と取引することで訴追を免れた者達、自分達も戦争を礼賛し、戦前、非戦を唱えた政治家・軍人達に開戦を迫った日本国民も、責任を自覚すべきです。

  • booter
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回答No.4

追加。この人を忘れてはいけないので。 しなかった人: 瀬島龍三 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%89 回顧録 http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%BE%E5%B1%B1%E6%B2%B3%E2%80%95%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%89%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2-%E7%80%AC%E5%B3%B6-%E9%BE%8D%E4%B8%89/dp/4594020410 使われている写真がやたら格好いいですが・・・。 しなかったから悪い、という訳ではないのですが、のらくらかわして責任を取っていないように思われる人を挙げてみました。

  • isa-98
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回答No.2

面白い話がありまして、 日本軍の搭乗員は落下傘を持たない。 もしもの時は自決する覚悟は既に出来ている。(一億総特攻。) こう思っていたらしく、帝都防空の夜間戦闘で 自機の四式戦疾風が火だるまになり落下傘で地上に降りたら 民間の警ら隊に棍棒で思いっきり殴られたんだそうです。 「いたい!」そう言うと、 「皇軍の方でしたか!」と相手が驚いたそうです。 栗林忠道は唯一敵陣に突撃した大将だそうです。 戦艦の館長は船と命を共にする。 こう言う方もいますし、何度も水兵と一緒に泳いだ艦長もいます。 大西瀧次郎は特攻作戦を提案し、敗戦時に割腹し自決しています。 特攻基地指令の中には、 「貴様らだけを死なせはしない!最後には私が特攻する!」 こう言いながら、最後は台湾に逃げ出した指令すら存在します。 宇垣 纏のように、玉音放送の後に自らが特攻し、 5機の命令を11機かき集め、自らすすんで最期までお供した ケースもあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%9E%A3%E7%BA%8F

回答No.1

何人かはいました。 たとえば、阿南陸軍大臣 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%8D%97%E6%83%9F%E5%B9%BE

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