kodonのプロフィール
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- 登録日2005/09/16
- 太平洋戦争が侵略(=罪悪)であると前提として
太平洋戦争が侵略(=罪悪)であると前提として 日本が負けるようにスパイ行為をした日本人は 道徳的に正しかったと言えるでしょうか? 例) ・本土空襲に際し、地上情報がアメリカ側に提供されていた形跡 ・沖縄に上陸してきた米兵に一部の県民が日本兵の隠れ場所を教える
- 今の日本の教育は腐っている!
いつも思うのです、戦前の教育は良かったなぁと。 昔は教師や家庭に威厳があり、子ども達は自分自身を「家族の一員」「学校の一員」「地域の一員」「国家の一員」とステップアップして自覚していくような、そして道徳心も徹底していた教育だったと思います。 もちろん中には不良行為をする者もいたはずですが、それが発覚すれば問答無用の鉄拳制裁!が当たり前。 これを軍国主義・暴力反対と言われ、赤かぶれの教育現場や、それに引きずられるように軟化してしまった家庭。 当然地域も右へならえと軟弱化・・・・。 「大日本帝国」時代の教育は理想的だと思うのですが、なぜか、軍国主義と言われてしまいます。 現に戦前は残虐な少年犯罪や大量殺人、親殺し子殺しは皆無だったのに・・ 今からでも、戦前の修身愛国教育を復活させるべきだと思うのですが、 皆さんはどう思われますでしょうか?
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- vin7gb8a4y
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- 第二次大戦 日本てほんとに真面目でしたよね 特攻までやるんですからね
特攻というのは、他からみると実に笑止千万だったのではないでしょうか?なぜなら、 「なぜそんなにしてまで戦果を挙げたいの?」 「なぜ、国の構成要素である人名を消耗品と割り切って使うの?バカ?」 「なんで、イタリアみたいにさっさと降伏しないの?」 というような、日本の戦い方に関して嘲笑的な評価が結構妥当でないでしょうか? 質問の本題ですが、特攻は、少ないパイロットの技量でも確実に戦果を挙げるためと言う狙いだと思うのですが、いまさら戦果を挙げて何になるのか?という感覚があります。すでに負けは決していて、いつ結末に持っていくかという段階で、なぜ「人命を消耗品として割り切ってでも少しでも戦果を上げるのだ!」というような、一種クソ真面目の2乗のような考え方を採用するのでしょう? それほど、日本と言う国民性は、「命よりも国家の方が大事なのである」というような、人間蔑視ともいえるような極論を推し進める傾向があるきがします。言い方を変えると、人の価値が薄い国家である。 なぜ、こういうことになったのでしょうか? 、
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- garcon2001
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- 集団疎開と縁故疎開はどちらが気が楽だったのか
戦時中、親戚等いる場合は縁故疎開で縁故疎開できなければ 集団疎開していましたが、どちらが気が楽だったでしょうか。 漫画「少年時代」では主人公が一人縁故疎開したが、 疎開先の子供達に受け入れられず苛めにあって辛い思い をしています。 集団疎開(学童疎開)なら親しい友人達と共に 疎開するのでそのような辛い思いはしなかったのでは ないかと思うのですが(労働奉仕はどちらでもあったで しょうから肉体的な辛さではなく精神的な辛さです) 実際にはどちらが気が楽だったのでしょうか。