• 締切済み

父親の死と私の人生

父親が癌で一年ほど前に余命宣告されました。治療にはあまり専念せず、酒もタバコも止めず、気ままになるがままに過ごしています。初めはどうして家族のためにやめてくれないのか、という怒りもありましたが、最近はそれが父の意志で、自然の姿なら、寂しいけれど、認められるようになって来ていました。病状が悪くなるにつれ、毎日のように戻ってきてと言われ、私は毎日泣いて悪夢も見るし、精神的に限界が来て、自分の意に反し実家に戻りました。やっと親のすねかじりを終え、自分にも自身がつき始め、やりたいこともあったし、恋人もいたし、将来の人生計画も夢も希望もありました。親を助けたいという思いは十分にありますが、帰郷して、私がこんなにも人生の方向転換をしたのに、なぜ父は生きようとしてくれないのか、なぜ方向転換してくれないのか、なぜ皆私自身の意志や、気ままな、なるがままの姿を認めてくれないのか、と感じています。父に見返りを求めたわけではありませんが、自分の中に矛盾があってつらいです。帰郷しても精神的に辛い事に変わりはありませんでした。自分の今までの人生がすべて無駄だった、すべてぐちゃぐちゃになったという感に襲われ、どん底にいる気分です。何でもいいです。今の気持ちと状況を整理したいです。助けてください。

みんなの回答

noname#22895
noname#22895
回答No.11

私は一昨年の今頃、父を亡くしました。寿命宣告2ヶ月で、その通りになってしまいました。 8年前、東京で働いていた私の職場が倒産し、長男でもあることから実家に戻りました。戻ってもかつての仕事と同じものを望めないとはわかっていても過去を引きずる私に、父は様々な形で仕事というものに対しての構えを忠告してくれました。 それでも実際には本音らしい本音を語る事の無かった親子関係だったのに、病院の床に伏した父は私の未来を憂い私を奮起させるために「戻りたいなら東京に帰っても良い」と言ってくれました。 言うべきは言い、言葉を言葉として確実に理解してもらえる段階で本音を語り合うことは積極的に行うべきです。 逝った人に語りかけても答えはありません。 たとえ答えが有ったとしても、それは自己都合の解釈でしかありません。 本気で語り合ってください。 罵りあいになって怒りしか感じなくても、逝った後のことを考えれば 言質として心に刻めるはずです。 私をどう思うか? 私がどう生きればいいのか? 私に対しての望みは何だったのか? その三点だけでも聴ければ行く末は見えます。

  • mintmiko
  • ベストアンサー率21% (128/605)
回答No.10

No.5のものです。 >私は思春期にも父親と険悪になったことはないし、出来る時に出来る親孝行をしてきたつもりです。 私も思春期にも父親と険悪になったことはありません。 できるときにできる親孝行もしました。 私は今いる自分の進路は、半ば家の家業のために進んだもので、進路変更をしようと思った矢先に父の病気が分りました。その後兄が家をでてと。いろいろありました。 今現在、家業は私の姉が継ぎ、私は私の自立のために今の進路に進んでいますが、父が生きていたときも、亡くなった今も、それは私が望むものではありません。 父がまだ生きている頃、私も散々悩みました。 やりたくないことを、やらなければいけない状況。 私からしたら、父のそばに少しでもいいからいたかった状況の中で、父が望んだことは、そばにいることではなくやりたくないことでも、どうにかそれをやり遂げてほしいということでした。やりたいことは、人生が続く限りしようとすればできることだから、今は最低限生きることのために今していることをすることを私に望んでいました。 >今実家に戻って、悩みながら過ごして、「遠くに居ても心いっぱい父親の幸せを願う」のと「傍に居て心半分」とどちらが良いのか、と思います。自然の流れに沿った兄が正解なのかもとも思います。そう思うと私だけ逆流しているようで。 遠くにいて心いっぱいに幸せを本当に願えると思いますか? どんな状況でも自分の心に迷いがあるのならば心半分になってしまうと私は思います。 覚悟を決める勇気をもたないといけないと思います。 >同じ自己犠牲でも、自己満足に近い形もあると思うんです。父の傍に居たいと思うのも、父がそう言うからなのか、私がそうしたいからなのか。 自己犠牲だと考える時点で、あなたは依存心が強いと思えて仕方ありません。 犠牲にしないで、親と話をして、それだけいうのなら、出て行けばいいじゃないですか。 大切にする覚悟がないのであれば、どこにいたって、結局大切にできないです。 何も大切にすることはできないと思います。 あなた自身がしっかりとしないといけないことです。 あなたは、あなた自身のお父さんのことをどう思っているのかしりません。 あなたが今本当に望んでることが、今しないといけないことならば、すればいいと思います。 それが、お父さんと過ごす時間よりも大切なものであるのなら。 最後に、自分の人生を最高にするのも、最悪にするのも、有効にするのも、無駄にするのも、自分自身だと私は思います。 自分自身の選択で、一生後悔する選択肢を選ぶこともあります。そのような選択をしないことを、願っています。

回答No.9

私は父を癌で亡くしました。 私の父は癌だと宣告されてから入院してた 病院を無理やり退院しましたよ(笑 私はその時に「なぜ生きようとしないのか」なんて 思いませんでした。 質問を拝見してそういう考えもあったのか思いました。 私は余命を宣告された父には 自由にして欲しかったです。 私は父の余命をいきなり半年と言われました。 その時には結婚が決まってたので、 式の時期と場所の変更とバタバタしました。 父と私の二人暮らしで妹が県外に就職してましたので 私の結婚後は妹に家に戻ってもらいました。 私は県外へと嫁ぎました。 結婚後は妹が父の傍についてました。 私はどちらかと言うと質問者さんタイプで 私が傍にいたら「あれもダメ、これもダメ」と いろいろ父に言ってしまったと思います。 でも、妹は父と一緒にパチンコに行ったり 二人でいろいろ遊びに行ってたみたいです。 父は余命も少ないのに家の新築を計画し、 最終的な図面が出来上がったのは父が亡った翌日でした。 工務店の方が図面を持ってきた時に 父が亡くなったと聞いてとてもびっくりしてました。 まぁ、二日前まで普通に会話してたので当然だと思います。 父は家を新築し、ハーレーダビットソンを飾るのを 楽しみにしてたみたいです。 もしちょっとでも長生きしていたら家を建て替えてたのかなぁ(笑 いろいろ書いてしまいましたが、 質問者さんの今回の人生の方向転換されたかも知れませんが 生きてる限りまたさらに方向転換も可能です。 恋人ですが、こういう時に支えてくれる人こそ真の恋人だと思います。 今一番の親孝行はお父さんの傍にいてあげる事だと思います。 お酒も飲み過ぎない程度に一緒に楽しく晩酌すればいいじゃないですか。 もし家に戻らずにお父様が亡くなったら自分の親不孝を責めると思いますよ。 月並みですが、親孝行は生きてるうちにしか出来ません。 少しでも生きて欲しいという質問者さんの気持ちも良く分かります。 でも、これまでの人生はすべて無駄じゃないですよ。 今、お父さんの傍にいてあげる事も意味がある事です。

momo_064
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人の命って健康であれ、分からないものですよね。 だから常に、たとえ病気になっても明日のことを夢見ながら生きて死んで行きたいと思っていました。 明日のことや、いつかあそこへ行こうと話す父をみて、嬉しく思います。治療に専念しないってことは、あきらめや絶望、生きていたくないってこととは違うのかな、と思い始めています。 離れていても支えてくれる恋人の存在はとてもありがたいです。 また、見ず知らずの書き込みに、皆さん丁寧に回答してくださって、大変ありがたいです。

  • floating
  • ベストアンサー率45% (18/40)
回答No.8

最近見つけた言葉なんですけど・・・ Our real blessings often appear to us in the shapes of pains, losses and disappointments, but let us have patience, and we soon shall see them in their proper figures. By Joseph Addison 「本物の祝福はしばしば、痛みや、喪失、落胆、という形で現れる。でも、それらが我々に忍耐を与え、我々はまもなくその祝福を正しい姿で見ることになる。」 本当にそうだと思います。これ、”単なる”精神論でもなければ、机上の空論でもないんです。 一つの波を乗り越えた時、我々が必ず感じる人生の不思議であり、喜びです。不安や恐怖や悲しみが「理解」に変わる瞬間です。これが、人生への信頼につながるのです。そしてその信頼が、さらなる忍耐力を与えてくれるんです。 この忍耐力が、実はあなたの持っている可能性を、最大限に引き出してくれるカギ、なんです。 なにも夢や希望を捨てる必要はありません。チャンスは何度でも巡ってきます。あなたがそれを受け入れる準備ができた時、チャンスの方からあなたに向かってやってきます。 人生という流れに逆らわず、自分の置かれた状況でベストを尽くすこと・・・これほど積極的で、効果的な生き方はない、と私は思います。 私も、あなたと全く同じ思いをしました。 それでも精一杯頑張ってやってたんですが・・でも苦しくて苦しくて、これ以上はもう耐え切れないって状態になって、落ち込みがはげしくて車の運転もできなくなって、心療内科でお薬をもらってました。そこへ・・・今度はもっと切羽詰った辛いできごとが起こり、もう苦しいとさえ言ってられない状況に陥りました。体力と精神力のギリギリのところで、やらねばならないことを無我夢中でこなす毎日でした。 それまで人生について、自分なりに十分勉強して、努力して、納得してきた(ハズだった)のに、なんでこんなことばかり起こるんだ?いったい何なんだこれは?!って感じでした。彼氏も仕事も失くしましたし、連絡とる暇もなくて友達とも疎遠になっていきました。 でもそんな中で・・・・・「流れに逆らって自分がやりたいことを追求するよりも、その置かれた状況の中で自分にできることを全力でやるほうが、自分という存在をフルに生かせるのではないか?」という感覚が芽生えたんです。そして、実際にその時の自分にできることを全力でやり始めた時、仕事の肩書きや何の付加価値もない、単なる自分という存在がどれほどパワフルであるか・・・それを実感したんです。 そして、ただ「自分」でいることの喜びをかみ締めながら、もう何にもいらないや、って・・毎日満ち足りた気持ちで暮らしていたある日、今まで願ってもなかった大きな仕事が、思いも寄らないところから舞い込みました。 この仕事が来た時、鳥肌が立つような思いでした。欲しなくなると与えられる・・・まさに、自然の法則を体験したからです。 お父さんの傍に居てあげること・・・・それは、今のあなたにできる、そしてあなたにしかできないことです。 あなたが正しいと思ってしたことなら、どうか貫き通してほしいと思います。あなたの今までの人生や努力が無駄になるどころか・・・それを貫き通した時に、あなたの今までの努力が、初めて生かされるのです。 その時あなたが得るであろうものは、これ以上なく素晴らしい、お父さんからの贈り物であり、あなたの一生の宝です。

momo_064
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >Our real blessings often appear to us in the shapes of pains, losses and disappointments, but let us have patience, and we soon shall see them in their proper figures. 本当にそうですね。スポーツなどでも、勝ち試合より負け試合のほうが学ぶことが多いといいますし。 >人生という流れに逆らわず、自分の置かれた状況でベストを尽くすこと 過去を振り返って、出来るときに出来る親孝行をしてきた、と思ってましたが、今現在出来ることをしていないのだと気づきました。 いま父の傍に居ることが出来、やれることがあるのに、これでよかったのか、と悩んでばかりでした。 何か吹っ切れた気がします。 ありがとうございます。

  • tosi-tosi
  • ベストアンサー率10% (20/193)
回答No.7

書き込み見ました(男性です) 縁あってあなたの書き込みをみました。 親孝行て....考えることが出来ました。 大切な人、長い人生でいつも見守ってくれてる人、人生の中できびしい先生....尊い存在です。 健康な時はあまり気にもかけてないのに親が病気て分かると..... 人の命て神様しか分かりません。 一日一日が大事なんですね。でも日々分かっていないのが実情です。 あなたは今までと状況が変わり書き込みをされいろんな意見を見あなたの人生の中で得る物が今回あったのだと思います。

momo_064
質問者

補足

回答ありがとうございました。 そうですね、今回皆さんに色々な意見をいただき、御礼などを書かせていただき、頭の中が少しすっきりしてきたように思います。 ありがとうございます。

  • iserlone
  • ベストアンサー率18% (99/525)
回答No.6

私も、高校の時に父を亡くしました。急性心不全でしたが、それまで何の予兆もなく、 いわば突然死でした。 ですから、質問者さんがいたましい半面、ご父君が生きていらっしゃるという 事実自体は(不謹慎ながら)羨ましく思います。 また、その影響で私自身が円形脱毛症になりました。といっても、 頭の一部分に円形の禿が出来るという生易しいものではなく、全身の毛が抜けるという 恐ろしいものでした。その時の絶望感、恐怖は 恐らく他人には分からないものでしょう。 そういった意味では、ご父君の心境の一部分は理解できるつもりです。 決して多い例ではないですが、思うようにさせ続けたところ、症状の悪化が遅くなったり 止まったり、更にごく少数の例ながら癌細胞が小さくなったという例もあります。 とりあえず、思うままにさせてみてはいかがでしょう? もちろん、酒とタバコに"おぼれる"のは決していい事ではないので、 例えば趣味に没頭させてみるのも、いいかもしれません。 質問者さんも、お辛いでしょうが、精一杯ご父君に寄り添ってあげて下さい。 ご父君との記憶をいっぱい作って下さい。たとえ、それが辛いものだとしても 質問者さんの今後の人生にとって無駄なものになるとは思えません。 かく言う私自身、父の生前は父が怖くて(暴力云々ではなく、いわゆる畏敬です)、 また父も仕事で忙しく、中学くらいからはなかなか話も出来ませんでした。 それを今、すごく悔やんでいます。 こればかりは、金を積もうが偉くなろうがどうにもならない事です。 せめて質問者さんには、そういう思いはして欲しくありません。 人並みな表現で申し訳ないのですが、頑張って下さい。 陰ながら応援しています。

momo_064
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 親を亡くすという(順番を考えれば当たり前ですが)ことを先に経験され、お話していただけるのは(不謹慎ですが)大変ありがたいです。 ありがとうございます。がんばります。

  • mintmiko
  • ベストアンサー率21% (128/605)
回答No.5

はじめまして。 私の父は1月の頭に癌でなくなりました。 癌だとわかったのは2年前で、胃がんでした。 悪性のものでリンパへの転移も認められていたので、 5年生存率が30%といわれていました。 胃の摘出手術が終わったのち、生きられたのはほぼ2年でした。そのうち父自身が自由に満足して生きられた時間がどれだけあったのだろうかと今になって思います。 生きるんだ、生きるんだといいつつ、抗がん剤による錠剤の飲み薬による治療は、先生の指示にしたがって続けることはしませんでしたし(体力が落ちて身動き取れないようになることがあったので。)、栄養のバランスを考えて、ゆっくり食事をしないといけない状況にあったのに、そういうこともほとんどしませんでした。 私はまだ学生で、父の傍には長期休みのときしかいられませんでした。 あきらかに早く訪れる死を、父は自分が生きたいように生きることで短くても人生を生きたと思います。 私自身は父に精神的にとても支えられていたので、その父がいないのは正直とても辛いですが、父は私に自立して生きて欲しいといっていたので、私はそうするつもりです。 ただ、父がいなくなるのではという不安はよくわかります。その中で自分自身がしたいこと、と、父が望むことと周りが望むこととが必ずしも一致しない状況、その中で自分自身が必死なのにそれを理解してもらえないで当たり前のことだと思われるつらさも、私自身がそうだったのでよく分ります。 父が余命宣告を受けた12月。 父がいなくなったら私はどうするのだろうか?と考えました。 父がいなくなってからも、残された私は、家族は生きていく。 決して父の死が人生の終わりではなくて、人生の中の出来事の1つでしかないこと。 父の価値観は父の価値観であって、私の価値観は私の価値観でしかないこと。 それを無理に共有してもらいたいと思わなくてもいいと思います。 あなたが実家に帰ったのは、あなたのお父さんのため。 あなたが、お父さんの側にいたいから。 でも、貴方の人生はそれによって決して駄目になったりなんてしない。 大切にしたい気持ち大切にしたい気持ち。 でも、自分自身の人生も生きたい。 けれど、今はあなたのお父さんが望むことを大切にしたいからしている。 お父さんを大切に思って、精神的に不安になっても一生懸命している貴方も、きちんとした人生を送っていると私は思います。 例えば、お父さんが回復なさったら自分が自分で父の側から離れた人生を送ればいい話ですし、お父さんがなくなっても自分が自分で人生を送ればいい話です。 ひげする必要なんてどこにもない。 私の兄は父が病のときにやりたいことがあるといって出て行きましたが、正直父がなき今、私はそんあ兄のことが許せません。何十年と続く人生の2年という時間を、その中でいったい父と過ごせるのはどれだけの時間だったのかわかりませんが、その時間もおしいほどやりたいことっていったいなんだったのだろうと今でも理解できません。 そんな兄をみているので、私は貴方を尊敬します。 今を大切に生きてください。まだ、あなたの人生は続きます。そして、その人生は決して暗いものではないって私は信じたいです。

momo_064
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私にも兄が居ます。実家に住んでいましたが、病気が分かる少し前に結婚の話が上がり、そのまま結婚して実家を出ました。車で15分くらいのところですが。好き勝手にしてきて、半すねかじりで、情けない、と思っていましたが、病気が分かってから少しましになりました。 私は思春期にも父親と険悪になったことはないし、出来る時に出来る親孝行をしてきたつもりです。そんなこともあって、兄が実家を出たときには、なぜこんな時に?結婚は待てるじゃないか、と思いました。 今実家に戻って、悩みながら過ごして、「遠くに居ても心いっぱい父親の幸せを願う」のと「傍に居て心半分」とどちらが良いのか、と思います。自然の流れに沿った兄が正解なのかもとも思います。そう思うと私だけ逆流しているようで。 例えば、同じ自己犠牲でも、自己満足に近い形もあると思うんです。父の傍に居たいと思うのも、父がそう言うからなのか、私がそうしたいからなのか。 魂の存在?とか目に見えない繋がりみたいなのを結構信じているので、父親が死ぬことは寂しいけれど、悲しくはないと思うんです。肉体はなくなっても、どこかで繋がってる気がするから。ただ、兄や母が泣くのは悲しいと思います。

回答No.4

こんばんは たとえば、1年間はお父さんの看病に専念し、1年たったら、自分の人生をやり直す、というふうに決めたら、どうでしょうか? お父さんのしたいように、させてあげれば、お父さんも満足すると思います。看病しながら、なにか資格をとるのもいいと思います。 恋人・・・といいますが、遠距離恋愛も出来ないような人は恋人とは言えません。会社も探せば、たくさんあります。 お父さんが死んでから、ああしてあげればよかった・こうしてあげればよかった、と後悔しないように、できる限りの事をしておきましょう。 今、できる事を精一杯しておかないと、一生、後悔します。お父さんのためでなく、自分のためなんです。 そうすると、自分に自信がつきます。

momo_064
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 初めは期間を決めて休職して実家に戻るという話しもあったんです。でも、なんか、私の休職中に、私が実家にいる間に死んで欲しい、って言っているような気がして、仕事はやめてしまいました。帰郷するのも、帰ってきたからもうがんばらなくて良いよ、って言うような気がして、それも帰りたくない理由の一つでした。 >お父さんのためでなく、自分のためなんです。 自分がどうしたいのかじっくり考えないといけないと思うんです。じゃないと単なる自己犠牲の責任転嫁になるから。でも、実家に帰って、母親に「いつもどおりに接してくれてありがとう。」ということを言われ、一生懸命、親切にしすぎない、泣いたりしない、病人扱いしない、とがんばってる気がします。何かを考える余裕がありません。時間もないのに、と思うと余計にです。 今まで築き上げた、自分の自身というものが、すべてどこかに飛んでいってしまった気がします。振り回されてばかりな気がします。

回答No.3

どうして、癌になっても、煙草をやめられないのか?私も大変みじかな人がそうだったので、少しは分かります。 お酒も煙草もやめてくれず、家族は癌で頭もやられてかんがえることができなくなったんじゃないか、と言う始末。 貴女はお父様のことを考えているのにどうして、お父様は貴女のことをかんがえてくれないのでしょうか?文章から貴女のつらさが大変伝わってきました。 お父様にとっては、健康だけを考えて生きると言うことはもうそれ自体が生きていることに値しないのではないでしょうか?ありのまま今まで通り生きるということこそがお父様にとって生きると言うことそのものなのかもしれません。好きなことをやめてまで、生きようとは思わない。万一健康のために好きなことをやめたのに病気のスピードは同じように進行したのではたまらないというところかもしれません。しかしお父様にも人生があるのとおなじように貴女自身の人生もあります。またそちらはまだまだ先が長い人生です。つらい決断になるかもしれませんが、少しは自分の健康と家族の気持ちを考えてくれないのなら、私は私の人生を生きる!とストライキしてみてはどうでしょうか?貴女の思いの深さをお父様にもう一度伝えてみる必要があるとおもいます。大変ですが、頑張ってください。

momo_064
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 母親が仏教徒なのですが、自然の流れに身を任せる、あるがままの姿を理解する、というような事を教えられて育ったように思います。 父親が病気になり死んでゆく、と同時に私は私の人生を送って行く、という形が自然な形ではないのか、と思っていました。変えられない事実を受け止めるということではないのか、と思っていました。 友人から自己犠牲は愛ではない、ということを言われました。犠牲により、罪悪感から逃れようとしているだけだと。父のそばにいたい、母を助けたい、という思いがありましたが、それが自己犠牲であると感じている間は帰ってくるべきではなかったのかもしれません。 悩みながら父親の傍にいても、残り少ない時間を楽しく過ごせないように思います。早く何かすっきりしたい、というあせりもあり、余計に泥沼化している気がします。

  • iiiisk
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.2

私とは少し状況が違いますが・・・少しでもお役に立てたらと思い回答します。 余命宣告を受けたお父様にとって、生きることだけを目標に治療に専念し、死を否定しながら死が近づいてくるのを感じるのは本当に恐ろしいことです。お父様なりに、これまでの自分の人生を認め、ひたひたと近づいてくる事実を安らかに受け止める準備をしているのではないでしょうか。治療に専念しないことは生きようとしないことと同義ではありません。 私の母は末期の胃癌でしたが、治療に専念して頑張れば生きられると信じて厳しい治療に耐え、可能性の低い手術に踏み切り、苦しみながら死にました。本人にとってそれが幸せだったのかどうか、今でも私には分かりません。けれども、本人が信じ、納得して歩んだ道を支えることしか出来ないし、正答なんてどこにもなかったんだろうな、というのが今の私の正直な思いです。 今が最も厳しい時期でしょう。 何もかもが終わってしまったような悲しみや苦しみが襲うこともあるでしょう。けれども、自暴自棄はいけません。今までの人生全てが駄目だったなんてことあるわけないんです。出口が無いくらいどん底に思えるときは、これ以上悪くなることはないと自分に言い聞かせて、一歩一歩踏みしめてください。

momo_064
質問者

お礼

回答大変ありがとうございました。 >治療に専念しないことは生きようとしないことと同義ではありません。 今まで考えてもみない方向からのお言葉でした。 ありがとうございます。

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