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和歌を理解するのに仏教知識は必要でしょうか?

Nakay702の回答

  • Nakay702
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回答No.1

おっと、お答えしようと思って書いたのですが、ご質問文が…。取り下げられたのでしょうか。すみません、仏教と関係ありませんが、こちらに投稿させていただきます。 >コロナ禍のお陰で共感できるようになった和歌がありましたら、ご紹介いただけますでしょうか? ⇒明確に意識していませんでしたが、言われてみれば確かにコロナに触発されて意識にぼんやり上ってきた歌がいくつかあります。 それというのも、私は体が(頭も)弱いので、コロナにかかったらイチコロだと思います。それで、次のような歌を吟唱しながら、「身辺アラート」と「サバイバル意識」の一助にさせていただこうかなと考えています。 「心にも あらでうき世に ながらへば      恋しかるべき 夜半の月かな」(藤原清輔朝臣) 「ながらへば またこの頃や しのばれむ      うしと見し世ぞ 今は恋しき」(三条院) コロナ以前は、存在を知っていた程度でしたが、最近はやたらと脳裡をかすめます。この2首には、心なしか、共通語が3つもあります。すなわち、「うき世に≒うしと見し世」、「ながらへば=ながらへば」、「恋しかるべき≒恋しき」です。 「花の色は 移りにけりな いたづらに      わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町) 「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで      ふりゆくものは わが身なりけり」(入道前太政大臣) この2首にもまた、心なしか、共通語が3つずつありますね。すなわち、「花の色」:「花さそふ」、「わが身」:「わが身」、「移りにけり・世にふる」:「ふりゆく」です。 さて、不肖、私としては、当分の間、これら4首を日々愛唱歌とし、時に警告文と心得て愛唱・暗唱したいと考える次第です。

lived_in_room13
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すいません、あの質問は質問した後に「何人ものお方がお亡くなりになったのに、お陰で和歌が、、、」と申しましたら、不謹慎だったかな?とだんだん心配になり、、削除してしまいました。 >コロナ以前は、存在を知っていた程度でしたが、最近はやたらと脳裡をかすめます。 同じように共感していただけき、ありがとうございます。 >「心にも あらでうき世に ながらへば >     恋しかるべき 夜半の月かな」(藤原清輔朝臣) 私もコロナ以前には何にも感じられなかったかもしれません。しかし、今はこの歌を聞き美しい歌だと思います。 >「ながらへば またこの頃や しのばれむ >     うしと見し世ぞ 今は恋しき」(三条院) この歌には一番共感しました。 本当にコロナ禍で誰もが大変な思いをしていますが、長く生きればこれも「なつかしい思い出」になって欲しいですね。 >「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで >     ふりゆくものは わが身なりけり」(入道前太政大臣) こちらの歌も本当にそうですね。 今まで他人事だった「ふりゆくもの」が他人事でもなくなってしまいました。 本当に今ある人生を大切にしないといけないと思います。 >「花の色は 移りにけりな いたづらに >     わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町) この歌だけは、コロナ前から記憶に留まっています。 青春時代はあっという間に終わってしまったなあ、という思い入れがありますので。 本当に年取ってからの方が人生長いんですよね。(汗)(笑) >私としては、当分の間、これら4首を日々愛唱歌とし、 >時に警告文と心得て愛唱・暗唱したいと考える次第です。 私も、同じようにご紹介いただいた4首をありがたく日々思いめぐらし、過ごそうと思います。 そういえばNakayさんも和歌好きでしたね。 こちらでもありがとうございました。 また、よろしくお願い致します。

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