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仏教理解
高学歴の知り合いが、仏教とはザックリ言うと、欲をかくなって事だと言っていました。 私の理解では、欲というものは苦しみであり、人間はそれに気づくのが限界で、その欲を滅しようと修行する者を出家者と呼ぶ。 ザックリこう理解するのですが、どうなんでしょうか?
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こんにちは! それは仏教徒に苦しみを減らすにはどうしたらいいですか?と聞いたのではありませんか? キリスト教やイスラム教、神道なら幸せになるにはどうしたらいいですか?と聞くと「主の愛を感じなさい」とか「信徒になって加護を受けなさい」などと言うでしょう。同じことです。 そこまで興味を持っているならなにも出家することはありません。 苦しいのならその苦しんでる欲に名前をつけてときどき監視するといいですよ。楽しい、幸せ、苦しい、きついなどの感情が見られたりなにも感情が見られなかったりすると思います。 分析は質的には肉体的な欲か、精神的な欲か?量的には楽しいのはどの程度満たしたときで、苦しいのは満たされいないときか過剰に満たしたときか?などがあります。 肉体的な欲は満たすのが少な過ぎても多過ぎても苦しくなり、その状態が長く続くと健康を害します。 精神的な欲はやめれます。 観察した結果を考えて、満たす欲を取捨選択して、あらかじめ満たす量を決めておくなど対策が取れます。 出家するのは悟るためです。本人が何もかも捨てるため。それだけじゃなく誰かと同居してると好きでも嫌いでも同居人に悟られるのは嫌なので、妨害されて 3 歩進んで 2 歩戻るみたいになってしまい歩みは遅々として進まない。そのまま行くと今生では悟れないかもしれない、出家したほうが効率的、段違いに早いからでしょう。 仏教は悟るための船で、原始仏教は方法として欲に着目すると言えると思います。
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- nagata2017
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>多くの人を救うのを目的としている 念仏を唱えれば極楽に行ける と説くのが 多くの人を救うという意味になります。 一般大衆は 厳しい修行をしなくても 死後は極楽に行けると 経文に書かれていることの意味などわからなくても ただ念仏を唱えるだけでいいのだと
お礼
- oska2
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>ザックリこう理解するのですが、どうなんでしょうか? その通りでしようね。 釈迦は「人は、何故悩み・苦しむのか?」を、色々と考え(修行)していた様です。 そして「悩み・苦しみは、原因があるからだ。原因を取り除くと悩み・苦しみから解放される」と、悟った次第。 原因とは何か? 釈迦本人は、何も述べる事無く仏になりました。 弟子たちが、色々と「原因とは?」を考えた訳です。 結局、「色即是空・空即是色」が仏教の基本的な考えになります。 「無」なんですね。 修行僧は、欲望を絶つ為に修行します。 信者・庶民は、欲望を絶つことは不可能ですから「過度の欲望を持たない事」らしいです。 つまり「満足を知る事」らしい。^^;
お礼
- nagata2017
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そのふたつの解釈は 大乗仏教と小乗仏教のちがいのようですね。 個人が修行して悟りを開くのが小乗仏教です。
お礼
- runi_NGR
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その通りだと思います。 機会がありましたら、菩提寺さまなどに聞いてみるか、禅宗系寺院で修行体験など参加されてください。 危険なことは、その状態は、新興宗教に引っ掛かりやすいです。過激な活動をする新興宗教に入門する人も、初めはその疑問を持つ普通な人です。 余談 ・死んだら仏さまになるのであれば、悪いことしても仏さまになれるのだから、悪いことしても良いのではないか? ・異教徒がいるからいさかいが起こるのだから、異教徒を排除すれば、幸せになれるのではないか? など、危険な思想にも繋がります。 個人的には、色即是空です。 この世は無に帰る。だから優しくあるがままに生きよう。と思います。般若心経現代訳も面白いです。
お礼
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) あなたの理解は概ね正しいと思います。 b) 輪廻転生も、仏教の重要な教えだと思います。
お礼