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塾生の大学志望変更問題とは?解決策を考える
- テストの点数を伏せて生徒に解けそうな問題を与えるべきか、志望校を変更させるべきか
- 目標と現実の重要性について考える
- 目指すものがあるならばまず目指す人がそのための志を持たせることが最も早いと思われる
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- nihonsumire
- ベストアンサー率26% (845/3162)
選択は、生徒にあるということが前提です。その選択を、サポートするのが先生の役割です。そこに道徳的問題は、存在しません。
道徳というほど大仰な話ではないのではないでしょうか。 塾ということですから、どうせ必ず模試はありますので同じことです。 模試を受けさせない塾はないです。 そして、模試の結果を本人に伏せる塾もありません。 ですからその講師は講師として普通のことしかしていません。 あと、生徒は点数を見てすぐに志望校を変えたとのことですし、そこまでしていきたい大学ではなかったんですよね。 絶対に頑張りたいと思う人はそこで違う反応をします。 講師側が道徳的に間違いないことしかしていないので、あとは生徒側の判断ですよね。 そこまで塾は責任持てないのでは? 別に全員東大に行かせる必要もないのですし…
- fumuslover
- ベストアンサー率25% (1031/4000)
私は先生と同じ行動をとりますね。 まずは自分の位置を自覚させます。 そして共に頑張ろうという意味で。 でもその子はそれを見て自分から決断を下してしまったわけでそこで「待った」をかけることも出来ますがそれはその時(それまでの)Aを知る先生ならそのAの判断を受け入れるかどうか判断できるのでしょう。
- maiko04
- ベストアンサー率17% (345/1956)
元も子もなくなりますが。こういうのは。 道徳という科目は小学校にある。 ここではしていいこととしてはいけないことを教わる。 高校以上になると倫理に変わり、 いろいろな学者の名前とどういう考え方をしていたかという話になる。 人間はいろいろな価値観があってどこに価値観を求めるかと言うのは 人それぞである。 例えて言うなら資本主義がいいか社会主義がいいか、自由主義ががいいか。 キリスト教がいいかイスラム教がいいか、ユダヤ教がいいかというだけの話。 なので、質問に答えると どちらも正しい。 目標を持つのはいいことだが現実をみることも重要である。 最低限しなければならないのはメシを食うこと。 メシが食えるだけの儲けは得られなければならない。 理想に走ってもいいのは最低限のメシ代が出る範囲。 ある程度のところで理想を追い求めるのを諦めて 現実に目を向ける日がやってきます。 スポーツ選手を目指してもメシが食えるのは一握り。 諦めたときに次が何もないでは困りますね。