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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:同郷と一語なのに、同じ家と二語で言うのは?)

日本語の文法での「同郷」と「同じ家」の表現はなぜ異なるのか?

Tastenkasten_の回答

回答No.8

闖入失礼いたします。 gutefrageの質問を見てみましたが、あれにドイツ語で回答するのは大変、というか、無理ではないですか? 説明しなければならないことが多すぎます。 まず、「同家」のような語の「同」の部分をPräfixe/(Suffixe)と捉えることには疑問があります。このケースは、ドイツ語に即して考えるならば、接頭辞というよりは、「2語を組み合わせた複合語(Komposition)もしくは合成(Zusammensetzung)に当たると考えるのが妥当だと思います。ドイツ語で「同」に当たる「gleich」を含む語には、「gleichwertig」や「Gleichgewicht」などがあり、これらは、「gleich + wertig」、「Gleich + Gewicht」という2語の合成であって、「gleich」は接頭辞ではありません。ドイツ語の接頭辞とは、be- ver-のように単独で意味を持てないもの、もしくは、mit-やauf-のように、前置詞として機能できるものが付加されたものをいいます。接頭辞とするか、複合語とするかで説明の仕方も変わるので、この点を整理する必要があります。 ドイツ語という言語は、御存知の通り、複合語をかなり自由に造ることができる言語です。そして、この点は接頭辞の場合もある程度同じことが言えるので、独和辞典に載っていない語はたくさんあります。 mitessenはDudenには掲載されており、「一緒に食べる」という意味です。mitschlafenも、聞いた印象が不自然ではないので、当然使うはずだと思って調べてみると、やはり普通に使われています。「男女の同衾」に限らず、「赤ん坊を両親のベッドに一緒に寝かせてもよいか」などという場合にも使っていますね。 さらに複合語の例として、「大都市」を意味する「Großstadt」という複合語がありますが、これから連想して、「大皿」を「Großteller」、「大きなパン」を「Großbrot」などと言えるのだろうかと思って調べてみると、やはりそういう言葉も実際に使っているんですね。ドイツ語というのはそういう言語なので、「同」をどんな語の前にも置けるのだろうか、という疑問を持つのはドイツ人ならではないかと思います。 さて、「同家」という語は、文脈によっては「同じ家」という意味でも使えなくはないですが、一般的には、「同じ家」という意味で「同家」という語は使いにくいという印象を持つのが普通でしょう。 「家(いえ)」は「家屋という建物」の意味で日常的に使いますが、一方、社会を構成する要素としての「いえ」には重い意味を担ってきた歴史があります。「一族」、「家族」の意味で、「山田家」、「田中家」のように慣用するので、複合語で「家」があとに置かれ、「け」と読まれる場合は、当然こちらを連想します。具体的に何の家かという叙述が先行するはずですから、「山田家は古くからの知り合いである。同家の息子は・・・」という文脈なら、「同家」は「山田家」という、「いま名前を挙げたのと同じ家族」を指すことになります。 しかし、「事件は閑静な住宅地の一軒家で起きた。同家の住人Aは・・・」という文脈ならば「同じ家屋」で、この文中で「同じ家の」と書くのは無理です。もしここで、「いっけん・や」という読みと「どう・け」という読みが並ぶことにも不自然さを感じる、というのであれば、「同宅」とか「同所」と言い換えざるを得ません。 ちなみに余談ですが、「本家」「分家」などということを言った時代には、分家の一つがほかの分家を呼ぶときに「同家」という言葉を使ったということです。文脈だけでなく、時代それぞれの用法もあるわけで、そういうすべての用例を包括的に説明できる規則、文法などはないでしょう。 なお、念のために付け加えておきますが、ドイツ語の「Haus」にも「会社」や「家族」の意味はありますので、「dasselbe Haus」は、文脈次第では、「同じ一族の」という意味の「同家」の訳語として使用可能です。 それから、意味は少し違いますが、「同家」と「同じ家」から、ドイツ語でもやや似た状況があることにも気づきます。「同年齢の」という形容詞なら、「gleichaltrig」という複合語一語で言えますが、「同年齢」と名詞で書きたい場合、「Gleichalter」とは言えず、「das gleiche Alter」と言わなければなりません。 漢字2文字の複合語で問題になるのは、組み合わされている2語のどちらか、または双方が、複数の意味を持つ場合です。「家」に「家屋」と「家族・一族」の両方の意味があるのと同様、「同」ならば、「同一」という意味にもなれば、「~を同じくする」(「同郷」)や「共に、一緒に」(「同行」)という意味にもなり得ます。どういう場合にどの意味になるかは、規則や文法で決められるものではなく、組み合わされるそれぞれの字の意味によって、二つが合成されたときにどの意味が前に出てくるか、ということになるのだと思います。 「同車」という語も、状況と文脈によって誤解が生じないならば、「同じ車」と理解され得ます。「前方に容疑者の車を発見。同車追跡中です」、「当社が本日発表いたします新車、XXXでございます。同車には最新のシステムが装備されており・・・」など。しかし、「同じ車」の意味での「同車」は、こういう文脈以外では使いにくいでしょう。その理由は、同音異義語があるからと言うよりも、「同じ車に乗る、もしくは乗っている状況」を意味する語としての「同車」がもともと慣用語としてあるからだと思います。ここまでの回答中に、「同車」という言葉、言い方は無い、という話があって不思議に思うのですが、「同車する」という動詞、「同車の人びと」のような名詞としての用法は古くからあります。「同席」と同じ種類の複合語で、私には全く違和感がありませんが、すでに消滅の運命にあるのでしょうか? 春雨や同車の君がさざめ言(与謝蕪村) こんなことを思って、涙のこぼれるのを、同車する人々に見られることを御息所は恥じながらも(與謝野晶子訳『源氏物語』) 若し同車の人が無かつたら僕は地段駄を踏んだらう、帽子を投げつけたゞらう。(国木田独歩『湯河原より』) その夕方、頭の君は再び道綱と同車して帰って来られた。(堀辰夫『ほととぎす』) 三時五十分小宮君上野着(…)木下杢太郎君と同車で来る(寺田寅彦『日記』) 「同車」の「同」は、「(乗る)車を同じくする」、つまり「乗っているのが同じ車であること」に焦点が合います。「同乗」の「同」は「同行」の「同」のように「共に、一緒に」という意味であり、結果的には「同じ車に乗る」という事実は変わらないものの、「共に乗るという行為」に焦点が合い、「同車」とはニュアンスが異なります。 「同郷」という語にしても、「同一の郷里」の意味ではなく、「郷里が同じであること」ですよ。 また、同音異義語を問題にするのであれば、日本語には、読みが同じ漢字で書き換えてしまうという習慣もあります。「同者」「同社」の両語は、「神社・仏閣、霊場などを連れ立って参詣する人、巡礼、道衆」を意味する「道者」の異表記としての使用例もあります。 漢字はもともと中国のものです。しかし、我々が使っている漢語には、中国由来の古いものと、日本で独自に造られた和製漢語があります。特に、明治維新前後に欧米の書物を翻訳する必要に迫られてから、急いで考案された漢語も多いわけです。四書五経の暗記が当たり前だった時代ならともかく、現代では、日本語の感覚で自由に漢字を組み合わせるようになっていますから、漢語本来の組み立てになっているかどうかは疑問です。そうなると、中国語の文法に基づく古い漢語と日本の新しい和製漢語の両方を包括的に説明できる規則など作りようがありません。 「同人雑誌」の「同人」という語も和製漢語です。そしてこれは、最近また別の意味で使われるようにもなっています。「ファンによる二次創作物」などを意味する言葉として「同人〇〇」という言い方が出てきているのです。また、「どうじん」と「どうにん」という読みである程度区別していることは感じますが、複数の国語辞典を引いてみると、一応そのことに関する示唆はあるものの、意味に関係なく、どちらの場合にも「どうじん」「どうにん」の読み方を認める記述になっているので、決定的とは言えないようです。 「未登山」などという言葉は、ネットで検索してみて、初めてそういう言葉を使っている人がいることを知りましたが、「未だ登られていない山」という意味なら正しくないと思います。こういう造語は、中国からは出ないでしょうが、日本ではいずれ慣用になってしまう可能性もあります。例えば、「就職活動」を略した「就活」という語が使われるようになり、それに便乗して「婚活」「妊活」などという異様な漢語が出てきました。「終活」という語にいたっては、その意味するところから言って「活」の字はとても使えるものではなく、個人的にはふざけた造語だと思いますが、すでに広まってしまっています。日本人の漢語の作り方は、もはや説明不可能ではないでしょうか。 長い回答になっていますが、むしろここからが本質的な部分です。 字数オーバーなので、ここで切ります。

BASKETMM
質問者

補足

Tastenkastenさん お久しぶり。(インド人から友人は、懐かしぶりというので、感覚的にはいい言葉だなと思っております。) とても、短時間でお礼を書いたり、意見を述べたり出来ませんので、補足欄に、メモ程度を。 本日は、質問対象へのコメントではありません。 ==== >ただ、何か文法というか、規則性がないと、外国人は困るのです。 特定の外国人の性格を考えているのではありません。日本語を母国語としない人が問題に直面したときに、判断基準があれば便利だという程度のことです。 >>文法は後から附けた理屈です。 数学も、物理学も、生物学も、自然科学は全て後から附けた理屈だと私は思います。言語学も素晴らしい自然科学と私は捕らえます。第一に面白い。第二に実用性が大きい。(第一、第二の順序が大切。) 注: 全ての言語を総括する、チョムスキーの理論を死ぬまでに理解したいと、夢想しております。チョムスキー理論の数学的表現など、数回生まれ変わったら、分かるでしょうか。 >>gutefrageの質問にドイツ語で回答するのは無理ではないですか?  何かヒントは出せないかと、私は考えました。過去においても、誤解を解く程度のHilfe を出しております。その上、私自身も【答が】欲しいと思いました。 >>「同」の部分をPräfixe/(Suffixe)と捉える。 はい、最初に質問を見たとき、何のことが分かりませんでした。 >>学習の効率化という意味でも。 耳から覚える学習と文法から攻める学習を比べる気はありませんが、耳から覚えられる人を羨ましく思い、焼き餅を焼いております。(耳からだけでは駄目ですね。口から出すのも大切。) 変な言い方ですが、文法説明なら誰でも分かるからいいですね。いずれにせよ、上手なヒントをくれる友人は貴重です。よい本、よい辞書、よい資料、置き場が大変。(私が死んでも、素人の蔵書など誰も引き取ってくれないでしょう。) >>『Deutsch für Profis(プロのためのドイツ語)』というものがあります 『Japanisch für Profis』はありませんかね。私は一般人の日本語に文句を付けません。しかし新聞記事、有名作家の文章で、語順が悪かったり、句読点がでたらめであったりすると、とても悲しいのです。ベストセラー作家の小説を買い、あまりのひどさに、読まずに捨てたことがあります。 少し見方は変わりますが、否定文/否定語を略語にしないで欲しいのです。空気を読めない。→→KY。空気を読める人をなんと呼びましょう。(突然思い出しました。某官庁の外郭団体に海洋汚染防止協会というのがあります。みんなが、中の人も、外の人も汚染協会と呼んでいます。)

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