「サラリーマン家系」の時代は終わったのか

このQ&Aのポイント
  • 最近は大手コンビニやスーパーが個人商店を置き換えている中、サラリーマン家系が生き残れるのか疑問が生じている。
  • 過去の時代では個人商店を継ぐことができればサラリーマンでなくとも生計を立てることができたが、現代ではサラリーマンに求められるスキルや人間関係の構築能力が重要視されている。
  • また、大手チェーン店や企業では愛想や営業スマイルなどの顧客サービスが重要視される一方、個人商店ではそれほど求められないため、「変な人」の居場所がなくなっていると感じる人もいる。
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これからの時代、「サラリーマン家系」が勝つか。

30歳です。 かつては個人商店とかも多かったでしょうが、最近はどんどん大手コンビニ、スーパーに置き換わっていますよね。 私の母方は、東京都内で個人経営のスーパーをやっていたのですが、結構前に廃業となりました。 私の記憶が正しければ、それはショボーい店でしたよ。 狭いし、品揃えも悪いし、新鮮なものを取り扱っていたとは思えません。 地元の縁だけで持ちこたえていたのかなあ~と。 そりゃ時代の波で潰れます。 私の父方も、天下の東京都港区で事業をやっていた時代があったそうですが、とっくに潰れました。 要するに、ウチはサラリーマン家系じゃないんだと思います。 私は会社員ですが、そこらへんが、学校や会社といった組織に馴染む事ができずに苦悩を抱えてきた理由の一つでもあるように思えてきました。 昔の時代であれば、サラリーマン様々の言う「変な人」であっても、実家の家業である個人商店を継ぐとかで何とかやっていけたのでは。 そこでは「愛想」「営業スマイル」「おもてなし」といった現代日本社会人に要求される要素は、あまり必要とされないわけで・・・。 私は転勤で地方にいますが、道を訊きたいというつもりで個人経営の店の爺さんに話かけてみたのですが、非常に感じが悪かったです。 あれでは大手チェーン店の店員は無理ですね・・・。 だから、現代社会では「愛想」「営業スマイル」「おもてなし」といった現代日本社会人に要求される要素を備えた、「サラリーマン」的な人しか生きられない状況でしょうか?? 変な人でも個人商店の店員なら勤まるが、大手の店員は勤まらず、今やイオン等大手に置き換わっているから、「変な人」の居場所がなくなっているというか・・。 「変な人」でもSEみたいな専門的知識に秀でていれば会社員も勤まるけど、コテコテの文系では・・・、みたいな・・。 あまりまとまっていませんが、ご意見お待ちしています。

noname#229570
noname#229570

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  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12621)
回答No.1

結局は受け継がれていくものとそうじゃないものは、ある程度棲み分けられ続けるっていうだけじゃないかな。 大手スーパーも必要だけれど、山奥まで軽トラに荷物満載で行くスーパーも必要だし。 個人商店の変人も地元民やお得意様には愛想がいいのかもしれないし。何故ってどうにかこうにか今現在やってるってことは、何らかの形で彼が生きるスキルを持っているってことでしょう? サラリーマンだって安泰ってわけじゃない。 得意な分野が人により変わるのと同じで、職業を選ぶ際に、親や身近な人の事を参考にしやすいというだけでしょう? だから、個人商店や個人事業は生き残れないというわけじゃない。と思う。 変人だけがやっているわけじゃないんだし。 良く考えてみれば、世の中変人がいるからこそ、発展したってことも言えると思うんですよ。必要悪とでもいうのかな。 こてこての文系だって生き残られる道はある。と思うし。 芸術とかスポーツとかは能力の継承だからね。やっっぱりDNAは重要だと思う。 個人商店も同じ。 サラリーマンも同じ。 マルチな人も存在する。 突き詰めて考えれば変人だけが生き残るんだと思うよ。 流されている人は、それだけだともいえるかも・・・。

noname#229570
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  • labev
  • ベストアンサー率13% (11/80)
回答No.4

そういう時は自分の過去の質問傾向を踏まえてみたり 自分がよくここで諭される思考の仕方を変えてみれば答えは出るかと。 疑問の結論は案外出てるんですが、それを認められないんじゃないですか? 『自分が悪いのは血統のせい』 『今、日本社会に求められてる人間像に合致してないから両親の家業は淘汰されてしまった。そしてその血統の自分もやはり淘汰される側。』 『昔なら社会不適合者でもそれなりにやれたはずなのに時代は変わったと考えている。』 『昔のような時代が来てくれれば、自分も自由に身の丈に合って生きられるのに』 といったところでしょうか? 断固とした考えがあってそれに間違いはないはずなのに、視野を広く持てず質問サイトで他人に言われても 「いやあ。僕の考えが正しいでしょう?世の中見てくださいよ??」 としか思えない。自分の確固とした考えに全然現実が沿ってくれないから悩むことになるんです。 世の不満を変えるには自信が変わること。とはよく言いますが現実は厳しいですよね。

noname#229570
質問者

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10491/32992)
回答No.3

アメリカには、ウォルマートというガリバーな小売業があります。ウォルマートは巨大資本を使ってものすごい大きさのストアをその地方に建設させます。 品揃えと値段でウォルマートに勝てないので、その地方の他の小売店は軒並み潰れてしまうそうです。それこそ、質問者さんのいうような個人商店なんかがね。 ウォルマートが本当にえげつないのは、ここからです。ウォルマートは非正規で法律で決められた下限ギリギリの雇用しかしないそうです。つまり、ウォルマートによって潰された店に勤めていた人たちはどうにかして他の仕事を探すか、最低限の給与しか保証してくれないウォルマートに勤めるかの二者択一が迫られます。ウォルマートの従業員はワーキングプアの右代表みたいな存在だそうですよ。日本でいうとすき家に勤めているみたいな感じですかね。 ドイツにも、このウォルマートをまんま真似している小売業があるそうですよ。このチェーン店ができた町は同じように地元の店が壊滅して後に残るはブラック雇用ばかり、となるそうです。BSのドキュメンタリー番組でやってましてね、わたしゃドイツってのは世界で一番労働時間が短くて給与が高いパラダイスだと思っていたのでそれを聞いてびっくりしました。 やはりガンダーラは心の中に生きる幻なのかもしれませんね。 日本の消費者も、若い世代は「個人の店より大手チェーンを選ぶ」という傾向があるそうです。自分のお気に入りの焼き鳥屋さんを探すより、鳥貴族に行くってことですね。とりあえずチェーン店にしておけば大失敗というのはないというのはあります。リスクを回避する世代ならではなのかもしれません。 ただ時代は回りますから、そのうちまた時代が変わっていくとは思います。チェーン志向のアンチテーゼから「自分のオリジナルを探す」っていう選択肢を選ぶ若者もそのうち増えていくことでしょう。それが何年後あるいは何十年後になるかは分かりませんけどね。 ただ小売業に関していえばAmazonの存在が日々大きくなっていってどうしようもないですよ。私も好き好んで通販にしたいわけではないですが、最近の小売店は売れ筋商品しか置いてなくて、ちょっと売れ筋ではない商品が欲しいと思っても大型小売店に行っても置いていないんですよ。それで帰宅してAmazonをチェックすると「在庫あり。明日発送」とかなってるでしょ。またお店に翌日に行って取り寄せてもらうより、そのままAmazonをポチってしまえば翌日に発送してヘタすりゃその日の夕方に着いちゃう(神奈川に発送センターがあるらしく、横浜の人は午前中に発送センターを出るとその日のうちに着いちゃうみたいですね)のですからね。「小売店のショーウィンドー化」が進んでしまうわけです。

noname#229570
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  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1808/5784)
回答No.2

個人経営だったけど維持できてないなら サラリーマン家系ではない、 というのは当てはまらないのではないですか。 むしろ「他人に雇われていた方がよかった」サラリーマン家系だったのでは。 自営業でそのやり方を見てきて 勤めるより自分でやるほうがいい、と考えるなら サラリーマン家系ではないとなるのでしょうけど。 居場所がないのは 自分で作ろうとしていないからでは? 待ってても望むような場所は誰も用意してくれませんよ。

noname#229570
質問者

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