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駕籠はいつ頃から姿を消したのですか。

noname#224207の回答

noname#224207
noname#224207
回答No.8

No.4.5です。 再度のお礼ありがとうございます。 下記のようなサイトが目につきました。 参考 寺田寅彦 箱根熱海バス紀行 - 青空文庫 www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/42266_24582.html 明治十九年に両親と祖母に伴われて東海道を下ったときに、途中で祖母が不時の腹痛を起こしたために予定を変えて吉浜で一泊した。ひどい雨風の晩で磯打つ波の音が枕に響いて恐ろしかったのが九歳の幼な心にも忘れ難く深い印象をとどめた。それから熱海へ来て大湯おおゆの前の宿屋で四、五日滞在した後に、山駕籠を連ねて三島へ越えた 東海道箱根峠への道 第3部 tokaido.canariya.net/1-rene-tokdo/6book/3bu/19_fr.html 文中の写真に「国道1号改築以前は、江戸時代と変わらず山かごで坂を登った。」という説明があります。 箱根の道路が整備された大正12年までは山かごが使われていた様子がわかります。 仙人峠 (岩手県) - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/仙人峠_(岩手県) 徒歩連絡の旅客は5.5 キロメートルの道のりを2時間半から3時間掛けて歩いており、また駕籠の便もあったが花巻 - 仙人峠の特等運賃よりも高い運賃を徴収していた。さらに駕篭かきが追加の金を旅客から巻き上げるなどマナーが悪く、地元の新聞で不評を書きたてられるほどであったが、第二次世界大戦後までこの駕籠の運行は続けられた。 日本では歴史的に馬車の使用がなかったことから構造物としての道路の整備は遅れました。 明治政府は陸上交通は鉄道を主体として考えていました。 道路に関する基本法は大正8年になって初めて定められました。 自動車を想定したの道路の発達よりも鉄道馬車の方が早かったのもこのためかと思います。 東京の鉄道馬車は明治13年に始められています。 短距離の輸送手段としては人車鉄道が各地に設けられました。 人が貨車を押す形式の鉄道です。 現在の京成金町線などは帝釈天へ参拝客を運ぶ人車鉄道が前身です。 東京などの都市部では道路の整備が進みましたが上記の事例のように地方、特に山岳地帯の整備が遅れました。 上記のように仙人峠では昭和20年代まで実用的に駕籠が使われていましたが、明治大正期には各地で使われていたものと思われます。 構築物として道路の整備が難しのが車輪による轍ぼれ対策です。 現在のアスファルト道路でも悩まされています。 コンクリートや石畳では車輪によって摩耗して轍が出来てしまいます。 古代ローマの遺跡でも石畳に深い轍が残った遺跡が沢山出ています。 江戸時代の五街道も単に道巾を広げれば良いというものではなかったということです。 明治政府も鉄道の方がやり易かったでしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

態々「青空文庫」まで調べて下さったのですね。 真にありがとうございます。 山道や峠では、明治・大正は言うに及ばず昭和の時代まで実用として駕籠が利用されていたことはよく分かりました。 比叡山・高野山の参詣道でも同様です。 東京府のどこかには「駕籠」と「人力車」が並存していたのではないかと期待して質問したのですが、どうやら人力車の圧勝のようです。 人力車の方が速くて乗り心地もよかったのでしょう。 駕籠かきの評判がよくなかったのか、新奇なものに飛びつく時代だったのか、こればかりは当時の人びとに聞いてみなければ分かりませんね。 私も青空文庫は調べてみようと思っていました。 駕籠と人力車が並存していた証拠を見つけることはできませんでした。 沖縄でもあっという間に人力車の勝ちみたいです。 青空文庫の伊波普猷『私の子供時分』の一節です。 このころは首里・那覇に人力車は一台もなかった。沖縄中に知事さんの車がたった一つあったばかりで、これを県令車といっていたから貴族の方々や師範中学の先生達はおおかた駕籠で往復したものだ。師範中学の先生達は土曜日になると、よく集まって酒を呑んだものだが、ほろ酔加減になると、例の駕籠を用意させて那覇に下っていくのであった。その翌年すなわち明治二十年に、首里の安慶田という人が大阪から十二台ほど人力車を取寄せて、人力車営業を始めたが、この車が通ると、沿道の人民は老幼男女を問わず、門の外に飛出して見物するのであった。これからはもう師範中学の先生達の那覇下りも楽になった。私も時々高い車賃を払ってこれに乗った。車賃は確か片路で二十六銭であったと覚えている。

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