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駕籠はいつ頃から姿を消したのですか。

takurankeの回答

  • takuranke
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回答No.3

東京にあった辻駕籠(町駕籠)は1872年(明治4年11月21日 - 明治5年12月2日)にはすべて無くなったといわれています。 人力車は東京・日本橋で発明(江戸時代末)され、 明治3年3月(旧暦、現在の4月)に東京府から製造許可を受け、 同じ年の年末に大阪に伝わり関西にも普及。 以降地方では行政が普及奨励しました。 山越えなどでは駕籠が残っていたそうで、 こちらはいつごろ廃れたのかはわかりません。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 国立国会図書館デジタルコレクションで「新聞集成明治編年史」を見ることができるので、明治初年から5年間を見ましたが、駕籠に関する記事は一切ありません。 明治4年4月の記事で「人力車 東京市中に二万五千」とあります。 「明治3年3月(旧暦、現在の4月)に東京府から製造許可を受け」たということですから、あっという間に普及していますね。 >東京にあった辻駕籠(町駕籠)は1872年(明治4年11月21日 - 明治5年12月2日)にはすべて無くなったといわれています。 確かにそんな感じですね。

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