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駕籠はいつ頃から姿を消したのですか。

noname#224207の回答

noname#224207
noname#224207
回答No.5

No.4です わざわざお礼を記入頂きありがとうございます。 お礼に「バネもなし」といされていますが、当時すでに欧米で馬車に使われていた板バネが人力車の量産と同時に日本でも量産されていました。 参考 ばねの歴史 www.nhkspg.co.jp/museum/01.html 大名駕籠はいざ知らず、辻駕籠というのは、乗って座っているだけではなく、駕籠の天井からぶら下げられた紐にしがみついていました。 要領よく乗らないと降り落とされました。 男はあぐらをかきますので比較的バランスがとれますが、女性は和服で正座した恰好になりますので、よほど静かに担いでもらわないとバランスが難しかったです。 こんなこともあり人力車は女性に人気がありました。 明治時代に日本へ赴任した外国大使の奥さんの中に、日本人は馬の代わりに人に車を引かせる野蛮なヤツらだと言って絶対に乗らなかった人がいたそうです。 駕籠であれば乗ったんですかね~

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 バネについてはよく分かりました。 私も一応調べて「バネなし」と書いたのですが、駕籠の方が乗り心地がよいはずという先入観で書いたので勇み足でした。 段差や穴ぼこがあっても駕籠なら駕籠かきの足の運びで「揺れ」を少なくできるのでは、という思いもありました。 人力車の歴史 http://jinrikishaseisaku.com/freepage_3_1.html この中の「バネ」の項に「まだバネがついていなかったころは、抱木(かかえぎ)を用いて、衝撃をやわらげたといいます。」という説明があるので、人力車が出た直後は「バネなし」だったのではと、解釈していました。 >こんなこともあり人力車は女性に人気がありました。 なるほど。人力車が急激に普及した一因ですね。

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