- ベストアンサー
牛車っていつごろなくなったの?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>牛車はいつごろまで使われていたのでしょうか? 室町幕府(家光は記録がありますが)義政まででしよう。 将軍といっても、参内する時は牛車だったようです。 道路事情が悪い地方では、牛車に代わって「輿」に乗っていました。 木製タイヤで牛が引ける牛車は、地方では使い物になりません。 >武士は馬や駕篭に乗っていたイメージがありますが、実際のところはどうだったのでしょう。 平家の棟梁・源氏の棟梁又は将軍は(参内の場合)畿内までは「馬」「輿」「籠」に乗り、畿内からは牛車でした。 その家臣は、馬・徒歩です。 やはり道路事情と、スピードが原因でしよう。 (馬と言っても、サラブレッドでなく日本馬です) >京の都以外の土地では牛車は使われていなかったような気がしますが、そのあたりもどうなのでしょう。 先に述べた通り、道路事情その他で牛車は使っていなかったようです。 ただ、応仁の乱を避け、領地の四国・宿毛に逃れた「一条家」は、京文化を懐かしんだのか、館を御所と命名し、地名を京風に改めました。飾りだったのか牛車もあったようです。大文字焼きもありますよ。^^; 公家文化に憧れていた、駿河の今川家も同様です。 確かな事は、実用的でなかった事ですね。 一条家では、戦国大名化し、馬に乗って戦い、滅んでいます。 お歯黒武将である今川家は、輿と馬を使っていたようです。 (史実では、乗馬の方が多いです) >貴族たちは鎖国が解かれて、馬車や自動車が登場するまでは牛車をつかっていたのでしょうか。 幕藩体制になると、天皇家・公家は自前の収入が無くなります。 幕府から毎年「10万石が支給され、うち3万石が天皇家、残りが公家」です。 牛車自体の運営費にも困っていたようですね。 基本的に、天皇家・公家は「御所近辺」を出る事はありません。 牛車を使う機会は、少なかったようです。 幕末、孝明天皇は幼い皇太子(明治天皇)の手を引いて、町の駄菓子屋でお菓子を買ったとの記録があります。 公式行事以外は、徒歩なんでしよう。
その他の回答 (3)
- fumkum
- ベストアンサー率66% (504/763)
>牛車っていつごろなくなったの? 文久3年の資料になりますが、加茂祭(葵祭)の浮世絵の中に牛車を用いたものがあります。祭りに関しては、現在でも葵祭に使われていますから、現在でも使われていることになるのでしょう? これに対して、「将軍家茂公御上洛図」(文久3年)の賀茂神社行幸図に、牛車らしきものが描かれています。牛は見えないのですが、牛車の様式ですし、輦(てぐるま)ではないようです。同じ御所・紫宸殿参内図も轅・軛の様子が違いますが、形状から言って、牛車だとと思います。 大正元年の明治天皇御大葬の図にも描かれているので、維新後も維持されていたようです。 以上、参考まで。 http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/03_back/ukiyoe/ukiyoe06.html
お礼
回答ありがとうございました。 参考URLを見てみました。 やはり江戸時代でも常用としての牛車はなかったようですね。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
源平盛衰記に木曾義仲が 牛車に乗れずに苦労するという話があるので、平安末期には、京都にはあったが、田舎にはなかったということが推測されます。 八瀬童子は、後醍醐天皇を輿に乗せて延暦寺に逃げた。 道路の整備されていないところは 輿 ですね。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/kyoto-kyoto.htm 御牛車1輌=慶長年間(1600年頃)、後陽成天皇御寄付。 ブツとしてはあったようです。
お礼
回答ありがとうございました。 >田舎にはなかった ある程度広い区域が舗装されていないと、徒歩移動の方が簡単ですものね。 おもしろいHP、ありがとうございました。 すごい人がいるものですね。
- toto07
- ベストアンサー率26% (63/234)
限定的な答えになってしまいますが、 >京の都以外の土地では牛車は使われていなかったような気がしますが ということに関しては、今のように道がきちんとアスファルトで舗装されているわけではないので、牛車を現実問題として引くことが出来るのが京の都など限られた場所だけだったという話は聞いたことがあります。 車輪だって空気の入ったタイヤを履いているわけではないので、駕篭のほうがはるかに乗り心地はよかったと思われますしね。
お礼
ありがとうございました。 そうですね、舗装の問題が大きいでしょうね。 平安時代でも滋賀への物詣でなんかは輿ですものね。
関連するQ&A
- 平安時代の乗り物はどうして牛車
源氏物語などを読むと、 平安時代の貴族の一般的な乗り物は牛車のようです。 どうして馬車を利用しないのでしょうか? 牛など遅すぎますし、よだればかりたらしていて美的ではないです。 当時の馬にパワーがなかったのでしょうか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 日本にどうして馬車がないのか?
平安時代貴族は牛車に乗ってました。戦国時代、武士は馬に乗ってました。 しかし、日本で馬車が活躍したという話しを聞きません。どうして日本の歴史に馬車が登場しないのでしょうか?
- 締切済み
- 歴史
- 牛車について教えて下さい
いつもお世話になっています。 趣味で拙い小説を書いているのですが、 登場人物の一人を牛車で登場させたいのです。 (平安貴族なんかが使った、豪華な感じの) 記憶でなんとかなるだろうと思ったのですが、 やっぱり間違えたら嫌なので、 正しいかどうか聞きたいのですが。 簡単でいいので、皆様の知識を分けて頂けないでしょうか。 ・牛は黒い牛ですよね?(なぜかそういう記憶が...) ・引っ張ってる車の上に乗ってるのは「輿(こし)?」 ・輿に掛かっているのは「御簾(みす)」?←すだれみたいなやつ ・牛は従者が引っ張っている? ・速度はまさに牛歩、かなりゆっくりである? ・乗り降りのときは、輿ごといったん下に降ろす? と、このくらいなのですが、できれば参考画像なんかの 載っているHPなど教えていただけるとうれしいのですが。 よろしくお願い致します。
- ベストアンサー
- 歴史
- 平安時代の邸宅について教えてください
平安時代の貴族の邸宅は寝殿造りが有名ですが、平安京の貴族すべてが寝殿造りに住んでいたのでしょうか? 上流貴族などは寝殿造りに住んでいたとして、中流・下流の貴族たちはどのような屋敷に住んでいたのでしょうか? また、農民は竪穴式住居に住んでいたようですが、下級官人など身分の低い人も同様の住環境だったのでしょうか? この場合、貴人から部屋を与えられたりしていない人、ということでお願いします。 いずれも画像や参照サイト等がございましたら、そちらもよろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の駕籠について
かねがね不思議に思っていたのですが、江戸時代の殿様などは移動の時に駕籠を使っていたと思います。ただ駕籠というのは前後に担ぐ人がいて、駕籠がぶら下がっている状態になります。これだと担いで歩く人も重くて大変だし、乗っている殿様もゆらゆら揺れて乗り心地が悪いと思います。結構酔ってしまう人もいたはずです。 ここで疑問ですが、なんで車輪のついた乗り物がなかったのかが不思議です。大八車のようなものに箱を載せれば乗り物になるくらい分かりそうなものですが、なんでそれがないのか不思議です。平安時代だって牛車があるし、その知恵がないはずはなかったと思うのです。ただ幕末に書かれた福沢諭吉の福翁自伝に、諭吉がアメリカに行ったときに馬が車輪の付いた箱を引いているのを見て、それが人を運ぶ馬車だと分からなかったとの記述があります。なので、当時は人を車輪のついた物で運ぶという概念がなかったのかもしれませんし、人力車も江戸時代にはなかったのかもしれません。 いずれにしても、駕籠という乗り物がいかにも人を運ぶには非効率的に思えてならず、馬車や人力車を使わなかったのか理由を知りたいです。 どうでもいい疑問ですが、よろしくお願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 飛鳥・奈良時代に机や椅子は?牛車のようなものは?
こんにちは。 趣味で飛鳥時代(天武・持統紀)を調べてます。 気になったのですが、飛鳥・奈良時代に、たとえば文を書いたりするような椅子や机はあったのでしょうか。平安時代には椅子はなかったような気がしたのですが…。古代中国(三国志時代)では、実は椅子や机はなかったのだと文献で見た記憶があります。この時代の人たちは、床に座り込んで話し合いをしたのでしょうか。 また、人を乗せて運ぶ牛車のようなものはこの時代に存在していたのでしょうか。この時代は牛より馬、というイメージが強く、もしかして牛車ではなく馬車だったりしたのかと…。 よろしければ、そういった飛鳥・奈良時代についてかかれた文献も併せて教えていただけたらと思います。 どうかよろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代に車(車輪)を使う乗り物が発達しなかったのはなぜ?
明治になって人力車が普及するまで、身分の高い人の乗り物は駕籠だったと理解しています。 駕籠は担ぐ人も大変だし、乗っている人も楽ではなかったと思うのですが、なぜ車(車輪)を使う乗り物が発達しなかったのか、不思議です。 江戸時代でも荷物を運ぶのには大八車などがありましたし、さらに古い時代には貴族は牛車に乗っていた時代もありました。 ですから、車輪を使う技術を当時の日本人が知らなかったわけではなさそうです。 しかし、なぜか、人を乗せる乗り物には車輪の付いたものは現れませんでした。 これは何か、理由があったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?
江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか? 一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか? ご教授願えませんか?よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 古墳時代に騎馬戦はありましたか?
古墳時代の馬は珍獣で、飾り立てた姿が権力の象徴であったという説が有力です。 では、実際に馬に乗って戦うということがあったのかが、知りたいところです。 古墳時代といっても永いので、中期以降には馬の数も増えて 実際の戦闘に参加するようなこともあったのではないでしょうか? それとも馬のサイズが小さくて、騎馬戦には向かなかったのか? 牛並みの力があったなら、平安時代に牛車代わりに馬車が使われていたと思います。 増えて農耕馬に堕してしまっていたのか。 いつごろまで馬は珍重されていたのか。 源平の時代には騎馬戦が華やかですが、古墳時代の馬と同種なのか? 馬に関する質問、あれこれ書きましたが、何でもいいのでご教授ねがいます。
- ベストアンサー
- 考古学・人類学
お礼
やはり牛車は都限定のようですね。 元は貴族の使用人である武士にとって、牛車は一種のあこがれや敬意を感じるものだったのかもしれませんね。 徒歩で駄菓子屋!? そんなくだけたこともできたんですね。 (それだけ権威がなく、困窮していたとも言えるのかな?) 「現人神」としてものすごく敬われていたイメージがありましたが、それってもしかして近代になってからのことなんでしょうか。 調べてみたらもっとおもしろい話もありそうですね。 ありがとうございました。