• ベストアンサー

駕籠はいつ頃から姿を消したのですか。

oska2の回答

  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2183/4836)
回答No.2

>明治時代になっても近距離の移動には駕籠が便利だったと思います その通りでしようね。 幕府から朝廷に政権が移っても、庶民には無関係ですからね。 今まで通り、「駕籠」の方が便利だった様です。 >東京の街から駕籠が見られなくなったのは、いつ頃からですか。 確か、明治5年頃だったと聞いた事があります。 「駕籠」は、封建社会の名残として近代化した乗り物とは見做されませんでした。 明治新政府としては、既に多くの外国人が東京に住んでいる訳ですから「近代化」を見せる必要があった様です。 同じ人力でも、人力車と駕籠は色んな意味で異なります。 ※幕府は、車輪が付いた乗り物を認めなかった。 >駕籠に代わって登場した乗り物は何ですか。人力車ですか。 人力車と馬車ですね。 大阪府警の「大阪市街図附人力車賃金表」に、人力車の料金が決められています。 雲助(悪徳駕籠屋)が存在した様に、悪徳人力車も存在したのですね。 東京でも、同じでした。 府警が料金を定めていたのですから、人力車が「庶民の足」だったのでしよう。 ちなみに、人力車の運賃は・・・。 一里につき、一人乗り4銭8厘。二人乗り6銭5厘を追加料金。 風雨及び夜中や雪が降っている時などは、2割増料金。 となっていますね。^^; >新聞記事か何かで確認できますか。 新聞は、分かりません。^^; ただ、各種(歴史)資料館に行くと資料を展示している場合がありますよ。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「明治5年ごろになくなった」をヒントに調べました。 国立国会図書館デジタルコレクションで「新聞集成明治編年史」を見ることができるので、明治初年から5年間を見ましたが、駕籠に関する記事は一切なく、「人力車はびこる 西京は振るわず東京は四万台」という記事や、大阪他各地で人力車が普及しているという記事は数件ありました。 四万台とは、爆発的に増えた感じです。 政府が、日本の近代化を外国人に見せようと、駕籠をやめて人力車の使用を推進したのであれば、何か「お達し」があると思うのですが、見つかりません。 「人力車賃金表」は参考になりました。

関連するQ&A

  • 江戸時代の駕籠について

     かねがね不思議に思っていたのですが、江戸時代の殿様などは移動の時に駕籠を使っていたと思います。ただ駕籠というのは前後に担ぐ人がいて、駕籠がぶら下がっている状態になります。これだと担いで歩く人も重くて大変だし、乗っている殿様もゆらゆら揺れて乗り心地が悪いと思います。結構酔ってしまう人もいたはずです。  ここで疑問ですが、なんで車輪のついた乗り物がなかったのかが不思議です。大八車のようなものに箱を載せれば乗り物になるくらい分かりそうなものですが、なんでそれがないのか不思議です。平安時代だって牛車があるし、その知恵がないはずはなかったと思うのです。ただ幕末に書かれた福沢諭吉の福翁自伝に、諭吉がアメリカに行ったときに馬が車輪の付いた箱を引いているのを見て、それが人を運ぶ馬車だと分からなかったとの記述があります。なので、当時は人を車輪のついた物で運ぶという概念がなかったのかもしれませんし、人力車も江戸時代にはなかったのかもしれません。  いずれにしても、駕籠という乗り物がいかにも人を運ぶには非効率的に思えてならず、馬車や人力車を使わなかったのか理由を知りたいです。 どうでもいい疑問ですが、よろしくお願いします。

  • 牛車っていつごろなくなったの?

    平安時代、光源氏が乗っていたような牛車はいつごろまで使われていたのでしょうか? 農民や商人が牛に引かせた荷車ではなく、貴人の乗り物としての牛車です。 武士は馬や駕篭に乗っていたイメージがありますが、実際のところはどうだったのでしょう。 また京の都以外の土地では牛車は使われていなかったような気がしますが、そのあたりもどうなのでしょう。 貴族たちは鎖国が解かれて、馬車や自動車が登場するまでは牛車をつかっていたのでしょうか。 それともやはり駕篭を使っていたのでしょうか。

  • 江戸時代に車(車輪)を使う乗り物が発達しなかったのはなぜ?

    明治になって人力車が普及するまで、身分の高い人の乗り物は駕籠だったと理解しています。 駕籠は担ぐ人も大変だし、乗っている人も楽ではなかったと思うのですが、なぜ車(車輪)を使う乗り物が発達しなかったのか、不思議です。 江戸時代でも荷物を運ぶのには大八車などがありましたし、さらに古い時代には貴族は牛車に乗っていた時代もありました。 ですから、車輪を使う技術を当時の日本人が知らなかったわけではなさそうです。 しかし、なぜか、人を乗せる乗り物には車輪の付いたものは現れませんでした。 これは何か、理由があったのでしょうか?

  • 江戸時代の駕籠かきについて

    時代劇の1シーンで客を乗せて 「エイッホッ、エイッホッ」 と走る駕籠がよく登場しますよね。 早駕籠じゃなくて、街を流している駕籠です。 思ったのですが、軽量の樹脂なんて存在しない時代ですから、まず駕籠自体が数十キロあると思うんですね。 それと客の体重が約50kgあるとして、総重量は100kg近くになりますよね。 これを二人の人間が肩に担いで、全力とは言わないまでも、少なくとも歩くより早い速度で客を運ぶわけですよね。 皆さん、約50kgの重量を片方の肩に受けて、調子よく 「エイッホッ、エイッホッ」 とやれますか? それも客の目指す場所まで休憩無しで運ぶんですよ。 おそらく今だったら、プロレスラーか、ハンマー投げの室伏選手くらいの体力がなければ無理じゃないでしょうか? 江戸時代の駕籠かきって、そんなマッチョ並みの体力があったのでしょうか?

  • 『とても』という表現は、なじめないと思っていた明治時代の文学者は誰。

    明治時代の文学者が『とても』という表現は、なじめないと思っていたといったような新聞記事を昔見た覚えがあるのですが、どなたが言ったかわかりますか?芥川龍之介だったような気がしますが・・・また詳しい内容も教えてください。

  • 機関車の所要時間

    明治・大正時代に走っていた機関車で東京~秋田間を移動するとしたら、どれくらいの時間が掛かりますか?大まかなもので良いので教えてください

  • パパ、ママが日本に入ってきたのは。

    戦後、進駐軍から広まった言葉だと思っていましたら、大正時代にも広まっていたようです。 大正14年1月1日の新聞記事「大正生まれが初めて卒業 明治っ児に比べて根強い自由の芽生え」の中に 「……一体、パパとかママとか言うのは、父さんや母さんの方が国民らしい気持ちのする言葉だと思いますがね」 という東京府下のある訓導の話が出ています。 つまり、大正時代の東京では、明治政府の造語「お父さん、お母さん」に替わって ある程度、広まっていたようです。 大正時代のパパ、ママという言葉は、元は何から(例えば小説、演劇など)広まった言葉ですか。 なお、パパ、ママの語源を質問しているのではありません。 よろしくお願いします。

  • 明治~昭和初期の新聞記事について

     明治~昭和初期の新聞記事を調べたいと思っているのですが、そもそもどこで入手できるのかすらよく分かりません。  東京周辺で入手できる施設、または新聞社のオンラインサービスなど、入手方法をご存じの方は教えていただければ幸いです。

  • 千葉県から東京について

    千葉県の東京ディズニーランドから東京の芝パークランドまでについて お聞きしたいのですが ・距離 ・移動して安く済む乗り物 ・料金 をしりたいのですが できれば明日明後日?くらいまでには知りたいです どう調べたらいいのかわからなくて..... ほんと、助けてください お願いします!

  • 作文書換文字とは何ですか?

    明治時代の子供向け便利帳みたいな本に「作文書換文字」というタイトルの記事があり、「年甫の御手簡尚為御祝儀と佳き品賜り。御厚礼」と他12個の例文が書かれていました。何が書換文字なのか、さっぱりわかりません。いったいこの記事は何を言いたいのか、お教えいただけませんでしょぅか。 以下のページの中段の記事です。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918955/9 (次ページからも中段に他の例文が続いています) よろしくお願いします!