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駕籠はいつ頃から姿を消したのですか。

Why-J-peopleの回答

回答No.11

No.9のうち[新聞集成明治編年史.第一巻/林泉社]関連の補完と その他です。 [新聞集成明治編年史.第一巻/林泉社] 明治五年十月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920323/279 [279/295](496頁4-5段目/挿絵「吉原売女解放退散雑踏の図」) 〔一〇・二、東京日日〕記事(496頁2-3段目)又は 〔一〇・五、東京日日〕記事(497頁3-5段目)の何れかに対する挿絵 のようですが、挿絵の上中央にも下左にも駕籠が描かれています。 なお、下記によればこの挿絵の出所は、 [明治奇聞/宮武外骨編/成光館/昭和4]<●娼妓芸妓解放令> http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146713/64 [64/208](14-15頁) 柳水亭種清(1821-1907)作の小説本中の挿絵で、 作者は楊洲周延(1838-1912)だそうです。 上記書籍タイトルゆえ、その中からネタ探しをしてみましたが、 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146713/21 程度で残念しました。 また、一部例外(病人・葬式・嫁入)のうち「倹約の葬式」関連にあたってみ ますと、「棺車」のところを倹約のため「駕籠」を用いることもあって、 「弔駕籠」と呼ばれるそうで、どうやら尾崎紅葉(1868-1903)の葬式では 「駕籠」だったとか。ただ、一部例外を漁っていては際限がありませんので これ以上は深く追求ぜす中断しました。 あと、明治期の駕籠と外国人とで何か見つからないものかとネット検索して みますと、本題からは逸れますが、下記など。 明治の巨大私鉄 日本鉄道(青木槐三の人物で見る鉄道史1) (鉄道黎明の人々 青木槐三より) 3 雇外人の大名駕籠で測量 http://ktymtskz.my.coocan.jp/aoki/nihon.htm#3 「駕籠に乗って険阻な山道を行くのはよいとして、その駕籠が大名の乗物で なくては、どうしても行かぬと頑張ったので、四方八方手を尽して大名の乗 物を求め、これに乗って貰った。」とか。 以上

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