いま校正の仕事はだいぶ少なくなっています。
それと、ステップが間違いなく少なくなっています。
質問者様のところは何校までやっていますか。
以前は2校は当たり前として、4校5校ということもありましたよ。
これで相当精密になったはずなのに、実際に製版してみると何かが見つかることもありました。
無限にやったってゼロになるかどうかわかりませんから、ゴンペルツ曲線を描いて収束を確かめたものです。
ところが最近、無校という原稿があらわれるようになった。
そもそも字を拾っていない。
ワープロなんかで原稿が来ますから著者合意の文章です。それを全く改竄なしに印刷にかけたらおしまいです。
もしミスタイプがあっても著者の責任です。
KINKO'Sなんかがこのやりかたで、これをすると脱稿から印刷製本までがおそろしく縮まるわけです。
それの影響なんですけど、校正の回数を減らせという話になりつつあるようです。
おそらく印刷製版自体の価格競争があり、安くするためには工程を減らし人件費をおさえる必要があるからです。
3校4校があるのであれば、その回数によって、チェックするメッシュの目を変えてやることができ、それが視点の錯覚を減らしたのですが、2校で校了とされると1回あたりを精密にせざるを得ません。
それは逆に精密さに欠損を及ぼします。
リーダーとしてまとめている人からすれば、そのストレスは強烈で、怒鳴りまくるのも仕方がないところが有ります。
校正なんですから、一つ見つけたら必ず一歩先に進んだので、怒鳴られても、いい方向に進んでいるのだからとあきらめるしかありません。
ところで、無校がよくないこと、をあまり言う人がいませんが、それは校正に何をやってもらっていたかを把握していない人たちでしょう。
筆者は完璧な人間ではありません。生身の存在です。
ですから、ミスタイプはともかくとして用語を間違って使ったり、誤字を使用したり、送り仮名を誤ったりします。
これを何気なく修正するのが校正でした。
もちろん、意図してそう書いたのに校正で普通の用語にされたため台無しにされたと怒った小説家もいます。
でも、それは何校かを実際に見て自分でチェックするという工程をずるけたわけですから、著者の責任でないとは言えません。
これが、無校ではありえないのです。無校は、日本語が間違ったままで公開されます。
校正は、創作、執筆という作業を支え文章の質を上げるのに貢献しているのです。
その誇りをもって仕事をしてください。
どなりまくっている人と一度オフの時に飲んでみてください。
おそらく無口で温厚で、笑顔の絶えない人なんだということがわかるはずです。
職場でばかばかガスが抜けていますから、人格者でないわけがないのです。
職場では変に気を使うとか、相手の神経を逆なでないように、なんかは考えない方がいい。
怒鳴られて仕事だと割り切ってください。
お礼
詳しいご回答ありがとうございます。 勉強になります。 参考にさせていただきます。