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神様っていますか??

私は天に神様がいるものだと 信じていました。 先日彼と話をしていて 「最近良いことないんだよね。神様は私のこと 見えてるのかな」 って何気なく彼に話したら 「何言ってるの!!神なんているわけないジャン」って 言うんです。 でも私はこの地球、空、空気、人、・・・神がつくった ものだと信じていました。 辛い事とかあってもこれは神様が与えた試練なんだって 思って頑張っていました。 彼に言わせるといないそうです。 そして「神様なんてほかの人の前では言わないほうが良いよ。笑われるから」って 言われたんです。私はその日からなんだか 力が抜けてしまいました。どうして 彼はそんなこと言うんだろうと・・・。 私が20何年間信じてきた神様なんて本当に いないのかなって。 神様を信じている私って変ですか?? カテゴリーが違っていましたらすみません。 皆さんのご意見をお聞かせください。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • lovein
  • ベストアンサー率30% (47/155)
回答No.33

神様は質問者さんの心の中にいるのです。 天にいるのではなくて、 質問者さんの心の中にいるのです。 そして神様は時々目に見える形となって 質問者さんの前にあらわれます。 質問者さんのお父さんやお母さん、 おじいちゃんやおばあちゃんは、 まちがいなく質問者さんにとっての神様です。 好きで好きでたまらない愛しい恋人も、 質問者さんにとっての神様です。 いつか子供ができたら子供も神様です。 そういう人たち以外にも 質問者さんを愛し支えてくれている人や物や自然の 全てが神様です。 いつもそばにいて質問者さんを見守っています。 質問者さんが悪い事をしたり、 神様を大切にしないで自分の事ばかり考えていると、 神様が罰を与え、神様の数が減ってしまいます。 質問者さんが良い事をすれば、神様はご褒美をくれます。 質問者さんがみんなの事を考えるようになると 神様はどんどん増えていきます。 どうですか、お解かりになりますか、絶対に神様はいます。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 loveinさんの回答を読んで涙が こぼれ落ちそうになりました。 私の心に中にはいると信じています。

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その他の回答 (49)

  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.29

変じゃありません。外国の人たちから見れば・・ 信仰というのをもっていなくて、何をよりどころとして生きていくのだろうか? そして持っていない人は持っている人を非難するものでもないし、また持っている人はもっていない人を非難するものでもありません。 見えない人には見えません。見える人には見えます(心の中で) まあ、私自身信じていないときがありましたから彼の言いたいことも理解できますが・・・

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 katyanさんの回答を読んで自信がもてた 気がします。

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  • izaya
  • ベストアンサー率35% (51/144)
回答No.28

人はとかく自分に理解できることしか、信じようとしないものです。できない、と言うべきなのかな。 科学を信じる・・ならば、それがその人の神様。「あなたの(形而上の)神は存在しないが、私の神(科学、数学・・ETC)なら確かだ。」なんて、それこそ大きなお世話。現代科学だって、「今現在では」と言わなければ化学的な態度にもなり得ない。 でも、そもそも実際は「信じる」ということは、確かな(実証可能なもの)には使わないのです。 「ここにコップがあることを信じる。」・・なんて、言いませんよね。既に確かにそこにあるのだから。 神の存在とは私の理解では、「愛」と同じようなもので、「愛は存在するか?」と彼に訊いて下さい。「ある。」と言うならば、証拠を出してみせよ、と。「ない。」と言うならば、彼にとってのあなたは残念ながら特別な存在ではあり得ない。 愛、というものは現象なのか、情理なのか、情動なのかはわからないし、人それぞれかも知れませんが、私達はその存在を「感じ」(体感し)、「実践する」ことだって可能なのです。 まあ、風が小枝を揺らしているのを見て、また肌で感じてその「風」という「存在」を「知覚」できるようなものです。 そんな存在が神、かな。 法則、と言うか、実体、と言うか・・。 そんな風に思います。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 愛も神も目に見えないものなので 存在を確かめるというのは難しいですね。

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回答No.27

                                                                                    たとえば、大腸菌は自分がホモサピエンスの中に存在している事を知る知恵を持っていないでしょう。 それでもホモサピエンスという主の意志による恩恵を享けながら自分の役目を持ち、それなりに生きているのです。                                                                       その彼は大腸菌によく似ていると思います(`~´)                       

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 大腸菌ですか・・・。 なるほど。

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noname#7049
noname#7049
回答No.26

日本では、宗教や神を信じないというのが公式見解です。幽霊もいません、神もいません、これが建前です。「私は信じないけど、人が信じるのは良いと思う」、これも常識的な決まり文句です。 「私は違うんだけど」と自分の常識人としての立場を確保してからものを言うのが通例になっています。いちいち自分が、どうであるかを前置きして言うのも、宗教ネタくらいのものかもしれませんね。 つまり、常識の場では、そういうことを否定することが常識ですので、その意味では変かもしれません。 だけど、その実、徹底して神の存在を否定するような強者も少ないんですよね。不幸続きになれば、とたんにお祓いしたりして・・・。こっそり幸福のお守りをポケットにしのばせたりもする。自殺者の出た部屋は、本気で怖がったもして、坊さんを呼んだり。また 神社に行けばお祈り、お盆には仏様を祈ります。それは、習慣であって、信仰心とは言わないと否定する人のいくらかは言うかもしれないけど、やっぱり行くからには完全否定しないでやっぱり祈っていたりするわけです。 家族が死ねば、信じてないという人でも冥福を祈るでしょう。炭素になりましたと割り切る人は、かなりの少数派です。それは、彼も同じはず。 こんな状態ですから、実は、日本にいる宗教信者も、延べ人数にすると、2億人以上います。つまり人口の二倍です。寺の檀家、神道の氏子、その他、宗教団体も腐るほどあり、それに複数入っている日本人がとても多いのです。 以上をまとめると、普段の会話では信じてないことがどちらかというと常識として要求されます(さすがにお年寄りの集会とかは、状況が変わると思いますが)。周囲と明らかに違った強い信心は、ことに引かれます。しかし、「常識人」たちが、何も信じてないかというと、多くの場合、常識にあわせてたり、常識の範囲だけで精神生活を送れたためか、何も考えてないかのどちらかですので、「私は信じてない」という括弧とした信念があるわけでもありません。「信じてない」というよりは、「信じるものが分からない」「何を信じて良いのか分からない」というところだと思います。だから、困ったことが起きると急に神に頼ったりして、そういう人に限って宗教詐欺にかかったりするのです。 なお、私はいわゆる神様は信じていませんが、それは彼の言った意味ではなくて、造物主とか宇宙の構造について考えない宗教を信じているからです。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 日本人はクリスマスをお祝いしたり 人が亡くなればお坊さんにお経を 読んでもらったりとしているんですよね。 >日本にいる宗教信者も、延べ人数にすると、2億人以上います。つまり人口の二倍 わかるような気がします。 難しい問題なんですよね・・・。

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回答No.25

自分も、運命や神様といったものが存在するとは思っていません。正確にはどっちでもいいのかな。 神様がいたとして、「それでなんなの?」って思ってしまうんですね。転んで怪我をしても神様が消毒して絆創膏をつけてくれるわけではありません。運命を信じてたらと考えると、逆に運命に頼りきりになってしまって、気合を入れて努力しなきゃいけないときにだらけてしまう自分が怖いのかもしれません。 ただ、あんまり大きな出来事が起こったり、ぼーっとただ窓の外を眺めて物思いにふけってるときに、ふと神様や運命の存在を感じてしまうときは自分にもあります。どうしてものごとは起こるんだろう、自分とはなんなのだろうと自分の過去を振り返ってみたときに、世界には世界の性質、自分には自分という性質があり、それらが不思議な法則によってつき動かされてるような直感があります。それを感じると、身の回りのものが生き生きとおもしろく感ぜられます。それは素敵なことだと思います。そしてそれは自分という哲学の始まりなのでしょう。このような感性はこれからも大切にしたいと思っています。 しかしやはり、神様がいるかどうかは自分にとってどうでもいいことなのです。今、ここにいる自分がどんな立場におかれても、過去の自分や他の誰かが助けてくれるとは自分は思っていません。神様もその限りです。自分の未来は自分の手で作るものであると信じています。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 komugi100gさんのようなお考えの方も いるということを知ることができて 良かったです。 >自分の未来は自分の手で作るものであると信じています。 確かにそうですよね。

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  • cyunen
  • ベストアンサー率4% (1/23)
回答No.24

あなたは、20年信じてきた神様を暫くちょっと貧乏くじを引かされたら信じることをやめるんですか?神様の存在を信じてるなら信じ続ければいいじゃないですか。  世界でどれだけの人が特定の宗教に帰依していると思いますか?

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 cyunenさんのおっしゃる通りだと思います。 信じることをやめるわけではないのですが 彼が神はいないと言ったことが 私にとっては信じられなくて・・・。 でも今はもう人の意見に心が揺らぐことは ありません。

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回答No.23

こんばんは。 創造神に関しては、我々が意図して「神」と当てはめて 呼称しているだけであって、他の言い方をするなれば 「宇宙の大いなる意思」とか「在りて在るもの」という 言葉の方が適切なのではないかと私は思ったりもします。 私は特別信仰心が厚い訳でも宗教心が強い訳でもあり ませんが、神は実在していると当たり前のような感覚を 常に持っています。(信じるというより、空気のように 「居る(在る)でしょ?」みたいな感じです。) 他人から何と言われようとバカにされようと、“自分は 信じている”それでいいではありませんか。そう思って いて何の不都合、支障がありましょうか? 私は他人から指摘されても批判されても悲しくなったり 力が抜けたりしたことは一度もないですよ。 「神は存在する。」何も科学的な説明は出来ませんし、 知りませんが、揺るぎない事実なのだと芯のようなもの が自分の中にある。唯それだけです。極端なことを言え ば、「他の人が信じないって言ったって、だってそこに いるじゃないか(目には見えないけど)」みたいな感覚 しかないんです。 創造神くらいのレベルの存在になると、「自分のことを 信じてくれてるから○○してやろう」とか、「信じてない なら○○してやらない」などといった低レベルの意思は ないでしょう。本当に唯、“在りて在る”だけの存在なの だと思います。自然とか摂理とかいった自然の成り行き 的な流れのことを“神がなされたこと(業)”と呼ぶ人も いれば、“単なる自然現象”と呼ぶ人もいて、呼び方や 考え方は様々であってもそこに「宇宙の大いなる意思」 が働いていることに変わりはないと私は思うのです。 その存在を認めるか否かは飽くまでも人それぞれ自由で あって、認め(信じ)なくても認め(信じ)てもその存在 自体には何ら変化がもたらされるものではないと思います。 また、存在を信じる人がご利益的なものを求めて信じて いるのであれば、それなりの神に繋がるでしょうし、何の 見返りも求めず純粋な祈りを捧げる人にはそのレベルの 神に繋がるのではないかと思います。 神と呼ばれる存在は、飽くまでも人間が作った言葉であり、 それを信じていても信じていなくても“在りて在るもの” “宇宙の大いなる意思”は存在しているというのが私の 意見です。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 とても参考になりました。 目に見えるものでなく信じている人 の心の中に存在するんですよね。

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noname#7082
noname#7082
回答No.22

#21です、 すみません! 文字を 書き間違えて ボタンを押してしまいました。 >【「神様なんてほかの人の前では言わないほうが良いよ。笑われるから」って…どうして彼はそんなこと言うんだろうと・・・。】 >「肉眼は“おそまつな機能”で限度があります、目にみえない“モノ”しか【信じ】られないだけです。」(慈愛) ↑…目にみえない“モノ”しか【信じ】られないだけ…を→訂正 『…目にみえる “モノ”しか【信じ】られないだけです。」(慈愛)』です。 ごめんなさい。 ******* ******* ******* わたしが “神”を“感じる詩”です。 …とくに 最後の、部分→…海の彼方にはもうさがさない 輝くものは いつもここに 私の中に見つけられたから 「いつも 何度でも」

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質問者

お礼

再度ご回答ありがとうございました。 「いつも何度でも」は千と千尋の神隠しの 主題歌ですよね。 とても良い曲ですよね。

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noname#7082
noname#7082
回答No.21

こんにちわ、 【信じる】に ついての独断です。(から、今後の参考にして下さいね。) 質問者様が 『…神様を信じている私って変ですか??』 と、質問した相手(の思想)によって “答え”は ちがいますよね? (あたりまえですが) 神様を 信じている人は 『…変なこと ないですよ~♪。』 そして、信じてない人は、あなたの彼が言ったことに 賛成なさいます。 ******* ******* ******* 【信ずる】 (辞典より抜粋) (1)疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。 「おのれの―・ずる所に従って行動する」「サンタクロースを―・じている」 (2)疑うことなく、たよりとする。信頼する。 「―・じていた友人に裏切られる」「わがチームを―・じている」 (3)神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。 「仏教を―・じている」「神を―・ずる人」 ******* ******* ******* …聴いた話しですが、 『 信じるの “裏”には、“疑い”が潜んでいて、信じている人は、“それ”が 覆されるのを(無意識に)恐れている。』 で、神様を 「信じる = 疑っていない」 質問者様と、「信じない = 疑っている」 あなたの彼。 と、なりますね。 ******* ******* ******* 信じると 【信頼】の 違い。 私達は、【…この地球、空、空気、人、】の存在を、【信じる】ではなくて、【信頼】してますので、 もし? あなたが、『…地球、空、空気、(の存在)を(信頼)信じてる。』って 言ったとしても… 誰も 『「○○なんてほかの人の前では言わないほうが良いよ。笑われるから」』とは言いませんよね。 で、(なにが言ぃたいのか)もし、【信頼】してたら 『他人から“どぅ 云われよぅとも”気にならない。』し、その人にたいして『慈愛の念が湧いてくる。』でしょう。 (その時…彼に 対して、慈しみの気持ちに なりましたか?) ******* ******* ******* これも、独断ですので…読み飛ばしてね。 【…天に神様がいるものだと信じていました。】 「神様は、(目に見えないけど)天だけではなくて、“至る所”に “存在して”ると 思いませんか?。」 「…目に“見えない”けど、“感じる”ことは、できるよね?…胸の奥の“存在”は、感じやすいし(わたしは)【信頼】してます。」 【「最近良いことないんだよね。神様は私のこと見えてるのかな」】 「神様は、“ずぅぅぅっと” 見守っている。と 理解しております。」 「…“ただ、見守っている”。」 【…この地球、空、空気、人、・・・神がつくったものだと信じていました。】 「…ん~。“神”&“つくった”は、意味的には解りますが、人間がなにかを作るよぅな“誤解”をうけますし、反論されると“窮地”に追い込まれる!、ので、言葉にしない方が賢明かとおもいます。」(その神は誰?が…) 【…辛い事とかあってもこれは神様が与えた試練なんだって思って頑張っていました。】 「…過去の“辛いこと”は、乗り越えてこられた。のですよね?。」 「その時点で“辛い事”と 感じただけで、過ぎてしまえば、“どぅってことなかった”ということは、 (胸の奥の)神様が、“あなたが乗り越えられる”と 判断して、“試練を与えた”。」 「その“辛いこと”に 挑戦できるし、逃げることもできた。全て、あなた次第です。」 【「神様なんてほかの人の前では言わないほうが良いよ。笑われるから」って…どうして彼はそんなこと言うんだろうと・・・。】 「肉眼は“おそまつな機能”で限度があります、目にみえない“モノ”しか【信じ】られないだけです。」(慈愛) 【私が20何年間信じてきた神様なんて本当にいないのかなって。】 「…。」 【神様を信じている私って変ですか??】 「全然! 変でないです。」

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 zenryuuさんのご回答を読んで何だか 心が落ち着きました。 神様は見守っていますよね。 今日も一日頑張れそうです。

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  • ranx
  • ベストアンサー率24% (357/1463)
回答No.20

神が存在するかしないかという問題に答えを出す前に、私は、 質問者さんの心が今危険な状態にあるということを危惧します。 「魔」に魅入られやすい状態にあるのです。 (この表現自体は、「魔」を実在するものと考えて下さっても、 比喩的なものと考えて下さっても結構です。) 神や宗教を信じる人・信じない人、それぞれに「魔」は働きかけます。 信じる人は、誰かを傷つけることを神が望んでいるという考えにとらわれる危険があります。 信じない人は、ばれなければ犯罪行為で利を得ても構わないという考えに陥ることがあります。 すべての人がそうとは言えませんが、長い人生の間、えてして一度や二度はそうした「魔」の 働きかけに遭遇するものです。「魔」には働きやすい時期というものがあるのですが、 今まで信じていた人が信じなくなった時とか、信じていなかった人が信じるようになった時というのは、 まさにそうした時期の一つなのです。 質問者さんが、深く考えて、慎重に行動されることを強く望みます。 前置きはこれくらいにして。 自然科学は「意志」とか「目的」といったものを排除して論理を組み立てようとします。 例えば、鳥の翼は飛ぶためにあるのではありません。たまたま進化の過程で翼のできたものが 飛行能力を獲得して、生存競争に勝ち残ったのです。 では、誰々さんの意志とか、誰々さんの目的といったものは、そもそも存在しないのでしょうか。 これは、きちんと答えを出そうとすると非常に難しいのですが、常識的に考えて、そんなことは ありえないでしょうし、そんな前提で人間社会はできていないと思います。 私はなぜこの世にいるのでしょうか? 両親ががセックスしたから、というのは結果論的な考え方で、それはそれで間違いではありませんが、 それですべてだと思ったとしたら、その人の心は貧しいと思わずにはいられません。意味もなく 存在しているのだとしたら、例えば小学生が同級生を殺害したとしても、格別悲しむほどのことでは ないでしょう。しかし、そう思いますか? この世はなぜ存在しているのでしょうか? 意味もなく、ただ結果として存在しているということを証明しようと努力している人もいます。 しかし、私はそうは思いません。この世はわけがあって存在している。人類はわけがあって存在 している。私も質問者さんも、わけがあってこの世に生を受けている。 根拠はありません。が、私はそう信じます。 さて、「神」は? この答えは、質問者さん自身が出して下さい。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 「魔」ですか・・・。 神の存在は昨日今日の話ではなく 小さい頃から存在するものだと思っていたので 自分では危険な状態とは思っていないのですが・・・。 やはりそうに思われてもしょうがないのでしょうか。  

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  • 宗教をやっている人にお訊きします

    何の罪も無い人が、悲惨な事件や事故に巻き込まれる不条理はあとを絶ちません。世の中には数多くの宗教があります。そして、その数だけ神が存在します。人間を遥かに超越した力を持っている神が、地球上には数多く存在しているのに、なぜ、悲しい出来事が無くならないのですか? 「人生の苦労は、神から与えられた試練だ。」 「不運な目に遭う人は、神を信じていないからだ。」 「実は神には、そんなに大した能力はない。」 上記以外で、出来るだけ短文でお答え下さい。

  • 私は神ですか?しかし、人間は神ではない。

    馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。 常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、 ただの人間ですよね。 だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。 だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多大なる影響を与えることは無理なわけです。 その上で、とあるブログをまた発見しました。 また、というのは、一度検索して発見していたブログだからです。 そこには、創造主が貴方、とあります。 つまり、創造主=神は貴方、という意味だと思います。 しかし、常識的に言って、私だって、他人だって、ただの人間であり、神ではありません。 神とは?そりゃ、すごい人で、なんだってできる存在ですよね? つまり、私は神ではないということです。 また、他人だって、神ではないということです。 これらは、常識であり、ほぼ100%合っていると断言できます。 この意見に反対する人達は、ただの馬鹿な、非常識な人々でしょう。 キリスト教など、宗教知りませんが、彼らだって、神=偉大な存在だと捉えていて、人間は神ではないとしています。 以下、引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://www.vcafe.jp/harukanaima/blog/entry-16343 神はサイコロで遊びたかった 2013年02月20日 23:35 カテゴリ : 基本的な理解の整理 「神は創造主なので、当然、「確率」というサイコロを創造できました。 そしてサイコロで遊べる世界、「確率の世界」も創造できました。 さらに神の壮大なところは、確率の世界をもっと楽しめるように、 神であることを忘れた自分までをも創ったことです。 「地球次元」、あるいは「人間」という体験は、こうして創造されました。 『創造主であることを忘れた創造主』、それがあなたです。 あなたは神、創造主の一つの視点を担っている存在です。 あなたは本来、無限に広大な存在です。 ですが、いまそれを忘れているのは「神の計画」によるものなのです。 「自分をもっと体験したい」という神の衝動によって、 自分が神であることを忘れたあなたが創られたのです。 すべてを忘れれば、すべてのものが初めて触れるものになります。 すべての体験が新鮮なまま、深く、詳細に味わえます。 神であることを、創造を、深く体験するためには、 神を、創造を、新鮮な驚きをもって深くつぶさに味わうためには、 神である自分を忘れる=「神ではない自分」、 創造を忘れる=「創造できない」 という体験が必要になります。 その体験をより強烈なものにしてくれるツールが、 「確率」という機能だったのです。 確率に翻弄されれば、 自らが創造主であることなど想像すらできなくなります。 確率に翻弄されるなど、 もっとも創造主らしからぬ振る舞いです。 どんなものでも思いのままに創造できる創造主にとって、 これほど楽しめる体験は他にありません。 神の計画ですから、当然、完璧に成功しました。 あなたは自らの無限の広大さを完全に忘れ、 「確率」というシステムは完璧に作動し、 確率に振り回される世界とあなたが完璧に創造されました。 あなたは神の計画に見事に協力してきたのです。 神は『「確率」という体験』を創造しましたが、 神自身は確率に振り回されることはありません。 なぜなら、 創造主は自分の創造したものに支配されることはできないからです。 「確率」は、創造主である神の計画によって、 その計画の通りに寸分違わず創造されたものです。 『神はサイコロを振らない(アインシュタインの言葉)』のです。 しかしながら、この地球次元の体験から確率性が排除できないのは、 単にそのようにデザインされているからです。 そもそも「位置(”ここ”、”そこ”)」や 「運動(”ここ”から”そこ”への移行)」 「時間("このとき”、”そのとき”)」という、 二元性の世界に特有の相対的な現象自体が、創造された幻想なのです。 (さらに言えば、 「現象」という概念も、また「概念」も相対的な性質のものですが。) そして、 それらの現象の現われ方にも様々なバリエーションがあるので、 地球次元的な「位置」や「運動」、「時間」の実現のために、 「確率」という機能をこの次元に組み込んでいるのです。 すべては、『自分が創造主であることを忘れる』という体験を 可能にするためのデザインなのです。 『自分が創造主であることを忘れる』という体験の次元においてのみ、 「確率」が効果を発揮する、 『量子の不確定性(「不確定性原理」:量子物理学上の理論)』 という体験が可能となります。 ですから、 『量子の不確定性』も『神はサイコロを振らない』も、矛盾し合う概念ではなく、 それぞれ 『「確率」がその効果を発揮する次元』と『「確率」を創造した次元』 を説明しているのであり、 それぞれが認識している次元、解明しようとしている次元が 異なるだけなのです。 つまり、 どちらの考え方も成立する、言わば”正しい”ということです。」

このQ&Aのポイント
  • 初対面で長時間連れ回す、ツーショット写メを撮るなど、歯科医師の行動が不快だった
  • 容姿もオンライン見合いの時より見劣りしており、背が低く後頭部に薄毛があった
  • 仮交際期間中に交際終了を希望し、相手からの誘いも断ったが、残念な気持ちをどうしたらいいか悩んでいる
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