• ベストアンサー

神様っていますか??

私は天に神様がいるものだと 信じていました。 先日彼と話をしていて 「最近良いことないんだよね。神様は私のこと 見えてるのかな」 って何気なく彼に話したら 「何言ってるの!!神なんているわけないジャン」って 言うんです。 でも私はこの地球、空、空気、人、・・・神がつくった ものだと信じていました。 辛い事とかあってもこれは神様が与えた試練なんだって 思って頑張っていました。 彼に言わせるといないそうです。 そして「神様なんてほかの人の前では言わないほうが良いよ。笑われるから」って 言われたんです。私はその日からなんだか 力が抜けてしまいました。どうして 彼はそんなこと言うんだろうと・・・。 私が20何年間信じてきた神様なんて本当に いないのかなって。 神様を信じている私って変ですか?? カテゴリーが違っていましたらすみません。 皆さんのご意見をお聞かせください。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • lovein
  • ベストアンサー率30% (47/155)
回答No.33

神様は質問者さんの心の中にいるのです。 天にいるのではなくて、 質問者さんの心の中にいるのです。 そして神様は時々目に見える形となって 質問者さんの前にあらわれます。 質問者さんのお父さんやお母さん、 おじいちゃんやおばあちゃんは、 まちがいなく質問者さんにとっての神様です。 好きで好きでたまらない愛しい恋人も、 質問者さんにとっての神様です。 いつか子供ができたら子供も神様です。 そういう人たち以外にも 質問者さんを愛し支えてくれている人や物や自然の 全てが神様です。 いつもそばにいて質問者さんを見守っています。 質問者さんが悪い事をしたり、 神様を大切にしないで自分の事ばかり考えていると、 神様が罰を与え、神様の数が減ってしまいます。 質問者さんが良い事をすれば、神様はご褒美をくれます。 質問者さんがみんなの事を考えるようになると 神様はどんどん増えていきます。 どうですか、お解かりになりますか、絶対に神様はいます。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 loveinさんの回答を読んで涙が こぼれ落ちそうになりました。 私の心に中にはいると信じています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (49)

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.9

私は無信心ですが、宗教と神様を頭から否定していません。 ただ、「神様」という、キャラクターや意志や力を持った存在がいるということは、世の中の真理をわかりやすく説明するための「おとぎ話」であることは認識すべきです。それが大人にとっての神様の信じ方だと思います。 それをわかった上で神様を尊敬するのでなければ、自分に不利益が来る場合があるだけでなく、人に迷惑をかけることさえあります。 宗教が「教義を訂正する」こともあります。キリスト教が、ようやく地動説(太陽の周りを地球が回る)を公式に認めてから、まだそんなに経っていません。天皇陛下が終戦後に「私は神でない」という宣言(人間宣言)をしたことも有名です。 つい最近「宗教はなぜ必要か?」という質問をしている人がいまして、それに対して色々な人から活発に回答が投稿されています。 参考URLをぜひ見てみてください。 No.7の回答が私です。 再度になりますが、私は神様を否定しません。 神様がいなければ、ちゃんと生きていけない人もいるのです。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=894830
stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 参考URLも大変興味深く 読ませていただきました。 奥が深そうですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • karl1205
  • ベストアンサー率14% (52/367)
回答No.8

彼の言う神様は、白いヒゲをはやしたおじいさんで、食べ物をひょいと出したり、危険なところからさっと救い出してくれるような人物でしょうね。まだ子供で幼稚なんです。 あなたの表現も変えてみてはどうですか。 神は存在する。人間や宇宙が存在することがその証拠でもある。神は試練も与えないし、甘やかしもしない。私たちのあるがままを見ているだけ。神の存在を信じれば、神を必要とするときに私たちは、あたかも神が手をさし伸べてくれたのではないかと思えるような奇跡を体験することがある。神を信じない人には偶然かもしれないが、神を信じる者にとっては、神が存在する証である。 などと、話してみれば。 神を信じる人間をこともなげに笑いものにするような人間は、人間として品性に欠けていますから、お付き合いはやめたほうがいいでしょう。 もっとも根本的なところで人間としての価値観がちがうのですから、一緒にいるのは互いの不幸です。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 私が神の存在を信じているのと同じで 彼は神の存在を信じていないんです。 いる証明なんて出来ませんが 私の心の中にはいるということを 彼に理解してほしいです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.7

こんにちは。 私は、神様が必ずしもいるとは思いませんが、神様を信じている方を変だとは思いませんよ。むしろ、「神様なんていないよ!」と頭っから否定してしまうのもどうかと思ってしまいます。 あなたにとっての「神様」が、あなたの心の支えとなっていて、他人を害する存在でないのなら、堂々と信じていて良いと私は思います。 というのも、私も、何だかんだ言って無意識のうちに神頼みをしてしまうことがありますし、私も、つらい事があったら「神様が与えた試練なんだ」と考えて乗り越えています。 それに、「神様」の存在を信じている方は、精神的に余裕があってそして深みのある人なのではないかなと思うからです。 私の場合は、ご都合主義な「神様」ですが(笑)。 あなたにとって有益で、他人を害することのない「神様」であれば、全然問題ないと思います。 素敵な考え方だと思いますよ。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 kazuki0312回答を読んで とても励みになりました。 精神的に余裕なんてないのですが 精神的に弱いのかもしれません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.6

#2です。 ちなみに、私自身ですが神様は「いる」と思っています。 正確には、人智でははかりえない大いなる「意思」のようなものは絶対に存在すると思っています。 少しでも科学をかじったものなら思っているはずなんですが、この世界は「ものすごく旨くできている」。神様もしくはこの世界をこのように作ろうという「意思」が存在しないと仮定すれば、この世の中のすべての事象は「偶然」によって生まれたものということになる。 熱力学第2法則、別名エントロピー増大法則ってご存知ですか? 水の中にインクを1滴たらすと、だんだん薄まって広がっていきますよね。これが逆に、1滴に戻ることはありえない。 これが熱力学第2法則です。 人間の体とかは非常に精巧にできていて、明らかに熱力学第2法則に反しています。こんなものが偶然にできるなんてありえない。 進化にしても、ダーウィニズムだけでは決して立証できないことが多すぎる。 背理法的ですが、だから神は絶対に存在します。

stay-by-my-side
質問者

お礼

再度ご回答ありがとうございます。 私は単純に神を信じていたのですが 奥が深そうですね。 これからも色々勉強していきたいと 思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • tsutwo
  • ベストアンサー率20% (12/60)
回答No.5

今日は 私も貴方と同じで神様を信じています。 神様が見守っていらっしゃると思っていますから、もちろん悪い事は出来ません。ちょっと悪い事をした時は”ごめんなさい”と謝ります。 神様のお陰で生かされている様な気がします。 その事は人には話しません。 変わった人だと思われます。 と言うところです。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 私は神がいるものが当たり前だと 思っていたので彼にも何も考えずに 話をしたんです。 ここに私がいる。ここにあなたがいる。 というような感覚なのですが・・・。 変わった人だと思われてしまうんですね。 神を信じている方からのご回答本当に 心強いです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Fleddy
  • ベストアンサー率30% (4/13)
回答No.4

信じる、信じないは思想の自由だと思うし、それを、批判する人は、知識や教養の欠如してる人だと思います。キリスト教などに少しでも触れれば、受け入れられないでも、認めることは可能です。たとえば、この先、あなたが、神様を信じてることで、馬鹿にされたとしたら、馬鹿にした人はその程度の人と認識するしかないでしょう。すみません。彼を責めてるわけではありません。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 「思想の自由」ですね。 私もそれを受け入れたいと 思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • chacha11
  • ベストアンサー率23% (30/128)
回答No.3

こんにちわ!☆ 私は神様って居ないと思っています。けどだからと言って居る事を信じてる人間をバカにしたり、笑いものにされるよなんて言う権利は全くなくて、信じていること自体まったく変ではないと思います。質問者さんはいわいるクリスチャンなのですか?この世の中に神という存在を信じて、頑張ろうという気になったり、幸福感を感じてる方々は沢山いるはずです。だからキリスト教があるわけです。 イエス・キリストの伝記を読んで見てください。いろいろわかると思います。 話がそれましたが、信じているのなら、今更無理に変える事はないし、それはとてもいいことでもあるのです。だから安心していいと思いますよ。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 優しいご回答とってもうれしかったです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

神様はいますよ。 少なくとも、あなたの心の中には。 でも、彼氏に「そんなのいないよ」といわれたくらいでぐらついているようでは、あなたの神様はまだまだです。 日本人の学生がフランスにホームステイ中に、ホストの両親が同じように「神様が・・・」というような話をしていたときに、その学生は調子に乗って「神様なんていませんよ」といったそうな。 そのとき、その両親は猛烈に怒ったそうです。「何を言っているんだ。神様は『いなければならない。』私たちが毎日を清く正しく生きているのは、死んだ後悪いやつらが地獄に落ちて苦しんでいるのをあざ笑うためなんだ!だから、神様は『いなければならない』」といわれたそうな。 あなたも、それくらいにならないとダメです。 そんなことでは、あなたの心の中の神様もいなくなっちゃいますよ。 大事なのは「何で神様が必要なのか」ということをちゃんとわかっていないといけないということ。上の例では、ちゃんと「神様がいなければならない理由」が述べられていますよね。上の両親は「この世を清く正しく生きる理由として」神様の存在を肯定しているのです。

stay-by-my-side
質問者

お礼

ぐらついたわけではないんです。 私がいると信じているものに 彼がいないと言ったのがショックだったんです。 私の心の中にはいるんだと 確信することができました。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • p-p
  • ベストアンサー率34% (1918/5502)
回答No.1

信じてる人にはいる 信じてない人には いない それだけです ただ 日本人は 宗教=うさんくさいというイメージがあるのは確かです。一歩間違えると 不思議な人扱いになるので 言い方や内容には 気を付けたほうがいいと思います

stay-by-my-side
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 今までは平気で神様はいるんだって 口にしていたんですけど これからは気をつけたいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 神は乗り越えられる試練しか与えない?

    神は乗り越えられる試練しか与えないとよく聞きますが 乗り越えられずに鬱になってしまう人、 また、自殺をしてしまう方も交通事故と 同じぐらいの数だと聞きました。 どちらも年間何万人単位だったと思います。 だから「神は乗り越えられる試練しか与えない」 は、ウソだと思いますが そもそも誰がそんなウソを言いだしたのでしょうか?

  • 苦しい時、神に祈りが聞かれていないと思うなら・・・

    以下の方法について、皆さんからのご意見を求めます。 - 【苦しい時、神に祈りが聞かれていないと思うなら・・・】 私は以前、「苦しみが過ぎ去るようにしてください」というふうに祈っていました。 しかし、私は考えるようになりました。神はその苦しみを知らないのだろうか? そんなはずはありません。あるいは、神にはその苦しみを防ぐ力がなかったのだろうか? そうでもないはずです。神は全知全能なのですから。 では、どうなるのか? 神はその苦しみを知っているし、それを防ぐ力もある、なのに、なぜそれを止めてはくれないのか? いずれ気がつく点です。 別れ道はここです。神は何か義にかなった目的があってそれを許しているに違いない、と考えるか。それとも、何て神は意地悪なんだろう、あるいは私のことを気に留めていないんだ、またそもそも神はいないんだ・・・などと考えるか。 ですから、もし、「苦しみが過ぎ去るようにしてください」というような祈りをしているなら、是非、前者に基づいて祈り直すことをお勧めします。つまり、「あなたがこの苦しみを許しておられる目的は何ですか?」と。 確かに、神は義にかなった目的をもって苦しみが臨むことを許しておられます。無意味ではありません。むしろ、その目的が果たされたなら、即座にその苦しみを取り除かれるでしょう。その義なる目的を知った人は、その深いお考えのゆえに感動をさえ覚えるでしょう。(創世記50:20) 苦しみに目的があることを知った人たちはそれに対する見方が変わります。自分がなぜ苦しんでいるのか、それによって何が成し遂げられるのかと明確に理解している状態になります。それが忍耐するための力となるのです。また、「苦しみを忍耐する力をお与えください」とも祈ることができます。(使徒5:41) ------------ しかし、苦しみは心に傷を負わせます。心が混乱している状態では、正常な思考力が働かず、問題に首尾よく対処できないかもしれません。そのような時こそ、神に心の中のすべてを注ぎ出し、話を聞いてもらいましょう。心の中のごちゃごちゃを言葉にして祈る、つまり言語に変換する時、そのごちゃごちゃは整理整頓されます。そして、話を聞いてもらったという安堵感を得ます。つまり、これが神のカウンセリングですね。24時間いつでもどこででも受付中です。そのように、ある程度心の混乱が収まれば、思考力も正常化し、問題に首尾よく対処できるでしょう。(サムエル第一1:18) ------------ また、神の愛を実感していますか? 神が愛であることは「頭では」理解しているでしょう。しかし、「心で」実感していますか? もし、まだでしたら、こう祈れます。「あなたが愛であることは頭で知っています。そして、あなたは確かに愛を示しておられるはずです。しかし、まだ、心では実感できていません。どうか、そうできるように助けてください」。劇的に即座にそうなるわけではありませんが、その敬虔な祈りは聞き届けられることでしょう。(詩編34:8) ------------ 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。 」(コリント第一10:13 新共同訳) 神はあなたが試練を忍耐できるようにしてくださいます。さらに、試練を通過した時、あなたは一まわり大きな人間へと成長していることでしょう。現在、イモ虫たちはチョウになるために懸命に脱皮中! そう、世界中のイモ虫「たち」が!!

  • 《そこここにうようよしているアルケーの神》とは?

     或る人とのやり取りで その或る人が書いています。  ◆ (アルケーの神とは?) ~~~~~~~~~~~    >(け) 冗談はさて措き 経験思考において認識しうるものが 神であるとは いったい何を考えているのか。もしそうなら 《信じる》必要はない。  だからアルケーの神は信じるものではなく、感じるものであると言い続けています。 アルケーの神を感じよーとすることは信仰ではなく、真理の探求であると。    >さ) それだったら アルケーの神は そこここにうようよしていることになる。・・・  もちろんアルケーの神はそこここにうようよしています。  だからアルケーの神は我々と接していると言ったのである。  しかしそのアルケーの神を感じるよーになるには、真理の探求ってゆー深く長く厳しい試練を経なければならないのである。  漬かっていてはアルケーの神を感じることはできませんってこと。    これらのことはこれまでに何度も繰り返し述べてきたことである。  もはやこれ以上の説明はできません。   さよーなら。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このやり取りを継ぐ人はいないだろうか――なぜなら わたしはチカラがないと気づきました――というコンタンを持ちますが この質問では ここに掲げた文章の内容を分かるように解釈して欲しいというものです。  どなたか分かる人で殊勝な方はおられませんか?

  • 苦手な言葉「神は乗り越えられる試練しか与えない」

    20代、女性です。 私は「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が苦手です。この言葉を聞くたびに何だか切なくなります。 これから何かを成し遂げようとする人にとっては素敵な言葉なのでしょうけれど、 虐待の果てに亡くなった子供は? 孤独死した老人は? 難病で苦しいままの人は? 災害で命を落とした人は?どうしようもなくなって、自殺した人は? これは乗り越えられる試練なのか?と思ってやりきれない気持ちになります。 「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉に対しての皆さんの ・言葉のとらえ方 ・こういう風に考えたらいいのでは? など、意見・感想をお聞かせください。 よろしくお願いします。

  • 神を信じるってどう言う意味?

    よく神様を信じている人と話すと、神様を信じて祈れば救われるとか、救われたとか話を聞きますが、どうも納得がいきません。 何故なら、神様を信じていなくても、それなりになる人は多くいますし、信じていても救われない人もいるからです。 まあ、そう言うと、「神を感じた事がないから」なんて事を聞きますがたとえ、何らかの存在や感動、快感、救いを感じたとしても、それが必ず結果に表れる訳でなく「感じた、体験した」だけで終わってしまう場合も在る訳です。 そんな人、何人も見てきました。 そう言う訳で、結果から考えると、神の存在と、救いは、ある意味、別のモノであり、神を信じれば救われると考えるのは変な思い違いなのではないでしょうか? そこで思ったのですが、「神を信じる」ってどう言う意味なのでしょうか?

  • 神はいない!?神はおられる!?

    天国はない、神の居場所はないとホーキング博士は明言されました。 すると世界中の数十億とも言われるキリスト教徒などは意味のないことを していることになりますね!?(他の宗教の人々も含めて) また一方で神がいるかいないかはわからない、だから一応神に祈って おこう、いれば救ってくださるし、いなければいないでもともとなのだから。 という人もおられるそうです。しかし、神は一応でもいいから祈っていれば 救ってくださるのでしょうか?また、逆に神は、ご自分のことを熱心に 祈る者しか救わないのでしょうか!?もし自分のことを熱心に祈る者しか 救わないのが神ならば、それはそれでなんだか自己中心的な方ですねー。 質問の内容=暗闇が怖いから、つまり無になるのが怖いから神とか 輪廻とか復活などという絵空事を主張しているだけですか? それとも神が実在するという確たる証拠はあるのでしょうか? (カテゴリー違いかもしれません)

  • 神様はいる?いない?サウスパーク

    このまえサウスパークというアメリカのギャグアニメを見ていて 宗教に関して面白い1シーンがありました。 無神論者のAさんと、宗教を信じるBさんのカップルが 神様がいる、いないで話していたシーンです。 A「君は本当に素敵な人だ。だけどもし君も無神論者だったらもっと素敵なのに…。   いったいどうして君は宗教なんてものを信じているんだい?」 B「別に、特別信じているって訳じゃないわ。だけど、神様が“いない”って証明できないから。   だから、もしかしたら…てね。」 A「よし。じゃぁもし僕が『さっき空飛ぶスパゲティーのお化けを見たんだ!!』って僕が言ったら   君は信じてくれる?」 B「そんなバカなもの信じるわけないじゃない。頭がおかしいんじゃないの?」 A「でも空飛ぶスパゲティーのお化けは“いない”って証明することはできないよ?」 B「(!!!) そうね!神様なんてスパゲティーお化けよ!今日から私も無神論者よ!」 僕はこのシーンを見て思わず笑ってしまいました。 彼は“いない”と証明できないから神様がいるなら、滑稽なスパゲティーのお化けが空を飛んでても不思議はないよね?と上手なジョークでを返すなぁと感心しました。もしみなさんがBさんなら、なんとAさんに返しますか?僕はなかなか上手な返しが浮かばず1本とられたな(笑)となってしまいました。 Aさんへの返しに限らず、この会話に意見等あったら聞かせてください。なかなか面白かったので、 意見を聞いてみたいなと思って書きました。

  • 神様って本当にいるのですか?もう絶望です・・・。

    私はこの2年間ある仕事がしたくてその勉強をしてきました。 しかしこの前の試験で落ちてしまい道は閉ざされました。 私の親がある神様を信仰しているので私も信仰していました。(そこは某教団のような変な所ではありません) 信者ではありませんがこの二年間、毎日神棚に手を合わせ日頃の身の安全の感謝し、また試験がある度にそこにお願いに行きお布施もしてきました。そこは願い事を紙に書いてそれを教祖さんが祝詞と一緒にそこの神様に願掛けしてくれる訳です。)そこの教祖さん(結構有名らしく遠い所からも人がお願い事をしにくるそうです)は「今度は大丈夫やと思うよ」と言ってくれたので少し気が楽になりました、しかし結果は・・・・。 私は人生に絶望を感じもう生きる気力はなくなってしまいました。 別に私は「神頼み」だけを当てにして努力しなかった訳ではありません。 出来る範囲で努力してきました。 しかし神様は叶えてくれなかった・・・。 神様って本当にいるのですか? 本当にいるのなら神様って不公平ですよね。 以前そこの教祖さんに地方の某政治家がその地区の選挙に当選するようにお願いに行き、通ったそうです。 その政治家は裏で悪い事ばっかししている奴で私は大嫌いなんです。 そんな悪人の願いを聞き入れる神様って何なんですか? 悪い奴でも神様は金さえあれば言う事聞いてくれるんですか? 私は今回の事で「神様なんていない」って思いました。 信じて持っていたお守りとかはすべて捨てました。 「お前があの仕事に就いたらえらい目に逢うから神様が止めてくれたんだよ」と母親は言います。 そんなの言い訳にしか聞こえません。 ちなみに私が目指したのは警察官です。

  • 宗教をやっている人にお訊きします

    何の罪も無い人が、悲惨な事件や事故に巻き込まれる不条理はあとを絶ちません。世の中には数多くの宗教があります。そして、その数だけ神が存在します。人間を遥かに超越した力を持っている神が、地球上には数多く存在しているのに、なぜ、悲しい出来事が無くならないのですか? 「人生の苦労は、神から与えられた試練だ。」 「不運な目に遭う人は、神を信じていないからだ。」 「実は神には、そんなに大した能力はない。」 上記以外で、出来るだけ短文でお答え下さい。

  • 私は神ですか?しかし、人間は神ではない。

    馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。 常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、 ただの人間ですよね。 だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。 だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多大なる影響を与えることは無理なわけです。 その上で、とあるブログをまた発見しました。 また、というのは、一度検索して発見していたブログだからです。 そこには、創造主が貴方、とあります。 つまり、創造主=神は貴方、という意味だと思います。 しかし、常識的に言って、私だって、他人だって、ただの人間であり、神ではありません。 神とは?そりゃ、すごい人で、なんだってできる存在ですよね? つまり、私は神ではないということです。 また、他人だって、神ではないということです。 これらは、常識であり、ほぼ100%合っていると断言できます。 この意見に反対する人達は、ただの馬鹿な、非常識な人々でしょう。 キリスト教など、宗教知りませんが、彼らだって、神=偉大な存在だと捉えていて、人間は神ではないとしています。 以下、引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://www.vcafe.jp/harukanaima/blog/entry-16343 神はサイコロで遊びたかった 2013年02月20日 23:35 カテゴリ : 基本的な理解の整理 「神は創造主なので、当然、「確率」というサイコロを創造できました。 そしてサイコロで遊べる世界、「確率の世界」も創造できました。 さらに神の壮大なところは、確率の世界をもっと楽しめるように、 神であることを忘れた自分までをも創ったことです。 「地球次元」、あるいは「人間」という体験は、こうして創造されました。 『創造主であることを忘れた創造主』、それがあなたです。 あなたは神、創造主の一つの視点を担っている存在です。 あなたは本来、無限に広大な存在です。 ですが、いまそれを忘れているのは「神の計画」によるものなのです。 「自分をもっと体験したい」という神の衝動によって、 自分が神であることを忘れたあなたが創られたのです。 すべてを忘れれば、すべてのものが初めて触れるものになります。 すべての体験が新鮮なまま、深く、詳細に味わえます。 神であることを、創造を、深く体験するためには、 神を、創造を、新鮮な驚きをもって深くつぶさに味わうためには、 神である自分を忘れる=「神ではない自分」、 創造を忘れる=「創造できない」 という体験が必要になります。 その体験をより強烈なものにしてくれるツールが、 「確率」という機能だったのです。 確率に翻弄されれば、 自らが創造主であることなど想像すらできなくなります。 確率に翻弄されるなど、 もっとも創造主らしからぬ振る舞いです。 どんなものでも思いのままに創造できる創造主にとって、 これほど楽しめる体験は他にありません。 神の計画ですから、当然、完璧に成功しました。 あなたは自らの無限の広大さを完全に忘れ、 「確率」というシステムは完璧に作動し、 確率に振り回される世界とあなたが完璧に創造されました。 あなたは神の計画に見事に協力してきたのです。 神は『「確率」という体験』を創造しましたが、 神自身は確率に振り回されることはありません。 なぜなら、 創造主は自分の創造したものに支配されることはできないからです。 「確率」は、創造主である神の計画によって、 その計画の通りに寸分違わず創造されたものです。 『神はサイコロを振らない(アインシュタインの言葉)』のです。 しかしながら、この地球次元の体験から確率性が排除できないのは、 単にそのようにデザインされているからです。 そもそも「位置(”ここ”、”そこ”)」や 「運動(”ここ”から”そこ”への移行)」 「時間("このとき”、”そのとき”)」という、 二元性の世界に特有の相対的な現象自体が、創造された幻想なのです。 (さらに言えば、 「現象」という概念も、また「概念」も相対的な性質のものですが。) そして、 それらの現象の現われ方にも様々なバリエーションがあるので、 地球次元的な「位置」や「運動」、「時間」の実現のために、 「確率」という機能をこの次元に組み込んでいるのです。 すべては、『自分が創造主であることを忘れる』という体験を 可能にするためのデザインなのです。 『自分が創造主であることを忘れる』という体験の次元においてのみ、 「確率」が効果を発揮する、 『量子の不確定性(「不確定性原理」:量子物理学上の理論)』 という体験が可能となります。 ですから、 『量子の不確定性』も『神はサイコロを振らない』も、矛盾し合う概念ではなく、 それぞれ 『「確率」がその効果を発揮する次元』と『「確率」を創造した次元』 を説明しているのであり、 それぞれが認識している次元、解明しようとしている次元が 異なるだけなのです。 つまり、 どちらの考え方も成立する、言わば”正しい”ということです。」