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感情の変化について

昔経験した苦しかった時期や辛かった事が思い返してみると とても楽しかったように感じる現象に名称は存在するのでしょうか? もう1つ。 僕の友人は皆、辛かった時期の記憶はいつ思い返しても嫌な思い出でしかないと言うのですが これは僕の性格のせいでそう感じるだけで、あまり一般的な考え方ではないのでしょうか? 話の例えで引き合いに出しても「そんな事思わない」と一蹴されるだけで 一度も共感してもらえた事がないので疑問に思いました。

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noname#207821
noname#207821
回答No.3

>現象に名称は存在するのでしょうか? >あまり一般的な考え方ではないのでしょうか? 一般的じゃないということはないです。 心理学用語ではないですが、『懐古主義』という言葉があります。 昔を懐かしむことや、過去を美化する傾向や考えのことです。 例えば、転校したり転勤したりで、今の生活に馴染めずにいると、ふと昔が懐かしくなって、反りが合わなかった人のことを「今、思えば、あれってたいしたことではなかったな。嫌な人ではあったけれど、あの人は多少は手加減というものを知っていたような気がする。今は、もっと滅茶苦茶な人と組まなくちゃいけなくて辛い日々だから…」なんて思うこともあるでしょう。 他には、両親が離婚したり、お祖母ちゃんが亡くなったり、厳しい上司が外国に勤務することになったりで、今までのように会えなくなってしまうと「あの頃は精神的にきついことが沢山あったけれど、今思えばどれも良い想い出だ。叱られたこともあったし喧嘩したこともあったけれど、たくさん触れ合うことが出来たし、鍛えてももらえた。学べたことも沢山あった」と思うことも。 それらはホームシックに似た感情ですね。時間的にも物理的にも距離が出来たことで、過去が美しく思える現象ともいえます。 他には、一般的な言葉だと『昇華』が近いかな。 私がここで指しているのは、精神分析用語の『防衛機制』の「昇華」のような特殊な意味ではなく、辞書にある「情念などが、より純粋な、より高度な状態に高められること」という意味です。 理性では抑え難い、愛憎や悲しみや欲望を乗り越えた状態まで自分を持って行った状態、それを指して「昇華」としています。 質問者さんが過去の出来事でくよくよしたり、恨みに囚われることなく心から充実感を味わえているのだとしたら、フロイトの説く『防衛機制』的な世界観で考えるよりも、マズローの欲求5段階説の5段目の『自己実現欲求』に到達していると考えた方が理解しやすいと思います。 1)【マズローの欲求5段階説】 http://matome.naver.jp/odai/2138276425484692401?&page=1 http://matome.naver.jp/odai/2138276425484692401?&page=2 『自己実現欲求』ですが、参考リンク1には、 ≪最後は自己実現の欲求。これは、あるべき自分になりたいという欲求です。たとえば、自分の描きたい絵画に打ち込む芸術家は、自己実現の欲求に突き動かされているといえます。研究欲求、平和の追求、芸術鑑賞なども含まれますが、注意しなければならないのは、あくまで「自己実現」を求めてのことである、という点です。たとえば、そこに「人から賞賛されたい」という気持ちがあるのであれば、それは自我の欲求です。ここには、ある種の無償性が含まれているのが特徴です。≫ 過去に対して恨みつらみがあるというのは、第3欲求である「社会的欲求」と第4欲求の「尊厳欲求(承認の欲求)」が未だ満たされていない状態であることが考えられますから、それがないのであれば質問者さんは、それより先の第5欲求『自己実現欲求』に重きを置いているんだと思います。 マズローが唱えた『自己実現欲求』と辞書的な意味の「昇華」と防衛機制で言う「昇華」には通じるものがあると思います。ただ、防衛機制の「昇華」には他者からの承認なくしては達成できない感があるので、微妙に方向性が違う気がします。 2)【承認欲求】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82 余談になりますが、これには更に続きがあって、リンク1にはこんな言葉が続いています。 ≪※ちなみに、マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表しました。それは「自己超越」という段階。 「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭するという領域のようです。≫ ここまで来ると職人気質の極みというか創造の権化のようで、荘厳、孤高という感じがします。傍から見たら、まるでロボットのようにストイックな人に見えてしまうかもしれません。 質問者さんの今の心境が『懐古主義』なのか、それとも『自己実現欲求』なのか、『昇華』なのかは、私にはご質問の情報だけでは分りませんが、質問者さんが過去からこれまでのことを振り返ったならば、今の感情がどれにあたるのか分るのではないでしょうか。感情というのは複雑ですから、もしかしたら、一つではなくて、どれも思い当たるかもしれませんね。 >話の例えで引き合いに出しても「そんな事思わない」と一蹴される 質問者さんにとって、過去は今の自分の影響を受けて変化するものだけれど、周囲の人にとって過去とは今の影響を受けないものなのでしょう。ものごとを立体的に見るのではなくて、写真を見るように見やすい面だけ見えればそれでよく、掘り返したくもない出来事なのでは…。 嫌いなことや辛いことが沢山あると、ネガティブ思考に押しつぶされそうで嫌になるという人は、過去の事でも良いところ探しをしてしまうし、懐古主義な面を持っていて過去の捉え直しをしたがると思います。 そういう人にとっては嫌うということは、結構しんどいことなので、いつまでも嫌っているという感情を手放したくなって、そうしてしまうんだと思います。 *** 直接の回答は上記までで、ここからは補足になります。 長くなりますが、よろしければお付き合い願います。 『防衛機制』の概要ですが、下記のリンク3によれば、 ≪防衛機制とは、精神分析で用いられる用語であり、欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。広義においては、自我と超自我が本能的衝動をコントロールする全ての操作を指す。 元々はジークムント・フロイトのヒステリー研究から考えられたものであり、後に彼の娘のアンナ・フロイトが、父の研究を元に、児童精神分析の研究の中で整理した概念である。≫とあります。 3)【ウィキペディア 防衛機制】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6 4)【気まぐれコラム 防衛機制ってなあに?】http://iyashi.find21.net/column/c005boei.html 『防衛機制』にも「昇華」というものがありますが、この場合は意味合いが変わってきます。 参考リンク3では≪昇華(sublimation)とは、反社会的な欲求や感情を、社会に文化的に還元出来得るような価値ある行動へと置き換えること≫とあります。 現実社会に適応できないような野心や欲望を、社会的・道徳的に洗練されたもの、より高尚なものに高めるということなので、そうすると質問者さんのケースに当てはめた場合は、大仰でそぐわないように思います。 しかし、質問者さんの心の変化を辿るとき、『防衛機制』は無関係ではないと思います。リンク3と4にあるように、『防衛機制』には幾つも種類があるので、議題についてどれか一つにに焦点を絞ろうとすると難しいですが、『合理化』 『反動形成』 『補償』辺りで説明が出来るのではないかと思います。 リンク先では、自分の行動を正当化させたり自分を納得させる行動や思考として『合理化』が紹介されています。責任転嫁や保身に走ったときは、唯の「負け惜しみ」や「強がり」になってしまいますし、通常はイソップ寓話の『すっぱい葡萄』でみられるキツネの心理状態を表わす意味で使われます。 しかし、質問者さんの場合は、過去の苦い体験を、自らの成長を促すには必要な起爆剤や重要な課題だったとポジティブに捉え直すことで、自分にとって受け入れられやすい形にしているのだとしたら、これも一種の『合理化』と言えるのではないかと思います。 それと『反動形成』ですが、これは参考リンク3では、≪受け入れがたい衝動、観念が抑圧され、無意識的なものとなり、意識や行動レベルでは正反対のものに置き換わること。本心と裏腹なことを言ったり、その思いと正反対の行動をとる。憎んでいるのに愛していると思い込んだり、愛他主義の背後に実は利己心があったりと、性格として固定されることも多い≫とあります。 要するに、『反動形成』とは、とある事態が自分にとって都合が悪く好ましくないことであったときに、感情を抑圧しなければいけないと感じて、真逆の行動や思考を取ることで精神のバランスを取るということです。 『補償』というのは、劣等感を他の面で埋め合わせをすることです。 その方向性が自分の適性に合っていれば、達成感を得ることが出来ますし、劣等感をバネにすることで何かを成し得たのなら、劣等感を克服できたようにも感じられるでしょう。 『昇華』は『補償』と似ていますが、一番違うのは『昇華』のそもそもの関心対象が社会的には受け入れられない欲求や衝動に結び付いていて、反社会的であったり不道徳な面を持っているという点です。 現実から目を背けずに、精神性を高めて社会に受け入れられる形に自分で精錬して行くということですから、生みの苦しみを伴う行為でもあるし、創造に携わることでもあるので、他の防衛機制よりも忍耐力精神力を要するという印象を受けます。 ですので、質問者さんに向けて言った「昇華」には、そこまで重い意味は込めていません。 雑多な内容となりましたが参考になれば幸いです。

konnitiha_115
質問者

お礼

凄いです、凄すぎます。 人生でこれ程までに衝撃を受けたのは初めてです。 本当に為になりました。 今の自分の性格・これまでの自分・そしてこれからどう在るべきか。 全て教えて頂きました。 今までの僕は禅を学びひたすら自分の中へ中へと思考を巡らせ抜本的な解決法を求めて生きてきましたが いつまで経っても納得できない答えが出るだけで 何も成長して来れませんでした。 しかしactonisさんのこの文を読み今は心理学に救われた気持ちです。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#207785
noname#207785
回答No.2

蛇足だけど、世界で一番美しい数式を画像にするとはセンスありますね。 さて、名称はわかりません。 ただ、後になってみるとつらいことより楽しいことのほうが覚えていやすいというのはありますね。 で、その友人ですが。 昔嫌な思い出しかないと感じているのは、今不幸だからです。 人は今しあわせだと、昔つらかったことも美化し、あれがあったからしあわせになったと言う。 一方、今つらいと、たとえ昔楽しかったことがあっても、空虚に思えてくる。 むしろ、「あぁ、あの時に戻りたい」と余計落ち込み、あんな思い出いらねーよってなる。 よく哲学なんかで「今しか存在しない」と言うでしょ。 おそらくその中には今の幸不幸が過去の記憶にまで反映し、今までのすべての人生になる。 すなわち今しかない、今感じていることがすべてという意味合いもあるんじゃないかと思います。

konnitiha_115
質問者

お礼

ありがとうございました m(_ _)m

  • okdafu
  • ベストアンサー率40% (50/125)
回答No.1

名称は分からないのですが、克服されて今のご本人の糧となっているので、楽しいものに変換されたのではないでしょうか。 辛い思い出を克服できるのは素晴らしいと思います。 それが過去を乗り越えるといわれているもので、乗り越えられていない辛いままの思い出もないわけではないのだろうと推察しますがいかがでしょう。

konnitiha_115
質問者

お礼

ありがとうございました m(_ _)m

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