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戦後の零戦などの航空機処分について

mm058114の回答

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  • mm058114
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回答No.3

NO2です よく考えたら、戦後ジュラルミンは、闇商売されていますね。 機銃弾も集められていましたね。 スクラップの可能性ありますね。 戦前の古地図を見ると、飛行場施設の場所が想像できます。 (防諜で桑畑け等になってる物もあります) それを、現在の地図に当てはめると、道路区画等で、見つける事ができます。 また、現在使われている、民間、自衛隊の飛行場は、旧軍の物が多いです。 もちろん、昔より拡張されてはいますが・・・ 私は、その方法で、日本各地の陸軍施設の場所を見つけました。 九州の占領は、西日本占領担当の米第6軍麾下の第2海兵師団だと思います。 1946年6月15日に占領任務が、陸軍第1軍団、第24歩兵師団に引き継がれます。 以上、お知らせします。

hiro2841
質問者

お礼

とても参考になる情報をありがとうございました。 いただいた情報をもとに終戦直前の九州方面の海軍施設の図面を入手することができ、そこからさらに終戦時の引き渡し目録の探索など、とても前進することができました。 まだ自分の納得できる情報には至っていませんが、貴殿のコメントがとても参考になりました。 ありがとうございました。

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