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三つ子の魂百まで
「努力できるのも才能だ」それなら、すべて才能ってことになっちゃうじゃないですかみたいな話です。 ある人は躁うつ病で、リストカット癖があり、何度も自殺未遂をしている。ある日、彼は酔っ払い、車道に飛び出し車に引かれ死んだ。不慮な事故だと思いますか。僕は違うと思う。例えば、その日たまたま車に引かれなかったとしても、いずれ死んでいたでしょう。リストカットをし、出血多量で死んでいたかもしれない。ビルから飛び降りていたかもしれない。彼は死にたがっていたから、死んだのです。たまたま、交通事故だった。 ある女の子が僕に好意を抱いてくれました。そして告白し僕と付き合うことになりました。彼女は僕の事を『運命の人』だと言います。もし、僕がこの世に存在していなかったとします。それでも、彼女は他の誰かを連れ、その人の事を『運命の人』だと言うでしょう。彼女は僕の事が好きだ。彼女は誰かを好きになりたかった。それがたまたま、僕だった。 仕事もプライベートも何もかもうまく行かない男がいる。彼は悩み、苦しんでいる。書店に行き、『星の王子様』を読む。彼は感動し、ある命題に気が付く。そして、仕事もプライベートも充実する。仮に、この世に『星の王子様』がないとする。それでも、彼は遅かれ早かれ、仕事もプライベートも充実させることになっただろう。なぜなら、彼はそれを望んでいて、ただきっかけを探していただけで、それがたまたま『星の王子様』だったってだけだから。きっかけが変わるだけ。 この世に偶然などないそれを望んだ自分がいるだけだ。偶然はあると思います。事故に遭ったのも、彼女が僕にあったのも、彼が書店で星の王子様を手に取ったのもある意味偶然です。 つまり何が言いたいか。人生というのはある程度決まっちゃっていて、その命題に気が付くのも、それを行動に移すのも、何が起ころうと起こらまいと、そのような選択をしていたのではないかということです。そして、それをひどく虚しいと感じてしまいます。偶然はあります。でも、目の前にある意思(=運命)の前では些末な出来事であるのではないかと思ってしまうのです。もし仮に、自分の人生に偶然が大きく作用していたのしても、それはそれで虚しく感じてしまいます。なぜなら、偶然であり、コントロールすることが出来ないものだからです。 ならば、その意思はどこからできたのか。おそらく、遺伝と3歳までの育てられ方でしょう。つまり、三歳までエンジン全開で走り、その後の人生はエンジンを切り(切られ)、惰性で歩んでいるということです。嫌ですし、虚しいです。 誰と会っていても、どんな経験をしたとしても、僕はそのことに気が付いていた。過去はある程度決定していたし、未来はある程度決定している。多少の差はあれど、決まった道を歩いていく。何を考えたってレールの上。このことを考えているのだって、決定していた。 この考え方に上手に反論することが出来ません。だから、僕はこの考え方を受け入れます。そして、絶望するのかそうではありません。その中で希望を探すのです。 たしかに、どの道を選んでも結果はほぼほぼ同じようなものになる。しかし、現実に選んだ道は一つしかない。それこそが、その人自身なのではないか。 この理論は人生を上から見すぎている。今を見れていない。人生を連続する刹那であると仮定します。それならば、上記の理論は重要ではなくなる。重要なのは今をどう生きるかということになる。 考え、希望を持とうと努力しましたが、あまりしっくりきません。この二つも、何かとってつけたような理論のような気がしてしまいます。 こんな僕に何かアドバイスをください。お願いします。
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