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色々な見方ができる選択肢
僕が使用しているテキストには、正答チェック項目というものがあり、以前問題を解いたその時に正解したか間違えたかを確認できるようになっています。で、今回挑戦した問題、以前に2回解いたことがあるようなのですが、その時は2回とも解けていたようなのですが間違えてしまいました。 次の文の趣旨として、妥当なのはどれか。 人と人との出会いは運命的である。その人に会ったということは、自分の人生に何らかの意味、あるいは重大な意味を持つ。人間の形成は、自分の努力にもよるが、出会った人がどのような人であったかによって、大きく左右される。出会いの経験と思い出は生涯消えることのない印を残す。人は師に会い、友に会い、夫または妻に会う。世界中のすべての人々を調べて、その人を師とし、友とし、夫または妻にえらぶわけではない。その出会いは偶然であり、しかもそれが自分の人生を形づくり方法を定めるのでる。よい人に出会うことは一生の幸福である。出会いは偶然であるが、よい人に出会うためには、これを求める必然が自分になければならない。そうでなければ、たとえよい人に出会っても、その人と縁を結ぶことはできない。雲水は、真師を求めて修行の旅に出る。求道の熱意と準備が師をとらえるのである。よい師、よい友、よい夫、よい妻を得なければならぬが、いかなる人々との出会いにも、茶事において実意を尽くすことと同様でありたい。 「心なしと見ゆるものも、よく一言はいふものなり」(徒然草) どのような人も人を感動せしめる一言を必ずもっている。それを掘り起こすことができるのは、こちらに、それを求め、受け入れる準備があるからである。 1.よい人に出会うためには、その人に何事かを見つけ誠意を尽くす覚悟が必要である。(これが正解です) 2.人生とは偶然の出来事との遭遇であり、その積み重ねである。 3.雲水のように、悟りに入る深い道を求める心が大切である。 4.人の人生は運命によって決定され、それから逃れることができない。 5.人生はよい人ばかりに会うとは限らないが、だれとでも分け隔てなく接しなければならない。 色々悩みましたが、僕は今回5を選びました。本文中の主張では、いい人と出会うためには「いかなる人々との出会いにも」「どのような人も…それを求め」とあります。 そう、本文で主張したいのは、よい人候補を1人選んでその人にだけ接しろと言っているのではなく、「誰に対しても…」という平等性なのです。それに対して1の選択肢は、「その人に」とあり、本文の主張とはまるでかけ離れています。 1を正解とした場合、本文中で幾度となく主張されていていた「いかなる人々との出会いにも」「どのような人も…それを求め」はどこにいってしまったのかで混乱します。宜しくお願いします。
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hypnosisさんは、【そう、本文で主張したいのは、よい人候補を1人選んでその人にだけ接しろと言っているのではなく、「誰に対しても…」という平等性なのです。それに対して1の選択肢は、「その人に」とあり、本文の主張とはまるでかけ離れています。】と書いています。 ◎「その人に」という言葉が、誰に対してもという平等性とは異なり、特定の相手を限定していると捉えているのではないでしょうか。 ⇒ここで使われている「その人」とは 1の文章を言い換えて考えてみると良く分かります。 ⇒よい人に出会うためには、Aという人に会ったならAという人に何事かを見つけ誠意を尽くし、Bという人に会ったならBという人に何事かを見つけ誠意を尽くし、Cという人に会ったならCという人に何事かを見つけ誠意を尽くし、このように出会った人それぞれに何事かを見つけ誠意を尽くす覚悟が必要である。 このような意味で「その人に」という言葉が使われているわけですから、出会う全ての人に対して誠意を尽くすことになり、平等性と相反するということはありません。 一方、5も正解のように見えますが、よい人と出会うためには単にわけへだてなく接するだけではなく、文中にも「よい人に出会うためには、これを求める必然が自分になければならない」「どのような人も人を感動せしめる一言を必ずもっている。それを掘り起こすことができるのは、こちらに、それを求め、受け入れる準備があるからである」 とあるように、接し方において相手に一歩も二歩も踏み込んで長所なり美点なりを探り出してゆくことが大切だということですから、5だけでは必要であるけど十分ではないということだと思います。
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- MockTurtle
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> 1を正解とした場合、本文中で幾度となく主張されていていた「いかなる > 人々との出会いにも」「どのような人も…それを求め」はどこにいってし > まったのかで混乱します。 「どのような人も人を感動せしめる一言を必ずもっている」 確かに筆者はそう書いていますが、これは言わんとすることの前段に過ぎません(つまり結論ではない)。後段の文において「それを掘り起こすことができるのは、こちらに、それを求め、受け入れる準備があるからである」と結んでおり、これがすなわち結論です。 例えば偶然ある人と出会う機会があって、その人が自分にとって師、友、夫または妻たるに相応しい資質を持った相手だったとしても、それに気付かなければ、結果はすれ違いに終わってしまいます。では、どうすればそのことに気付き、縁を結ぶことが出来るのか‥ それは、「これ等(師、友、夫または妻)を求める必然(= 熱意)」である。 これが筆者の言いたいことです。漠然とした意識でいても、自動的に最良の師、友、夫または妻が得られるなどということはあり得ない‥ 「求めよ、さらば与えられん」(新約聖書) つまりはそういうことだと思います。 ● 「いかなる」の解釈について 「よい師、よい友、よい夫、よい妻を得なければならぬが、いかなる人々との出会いにも、茶事において実意を尽くすことと同様でありたい」 この中の「いかなる人々との出会いにも」ですが、これはその前に掲げた「師、友、夫または妻」を受けて、「いずれを選ぶ場合においても」という意味に解釈すべきでしょう。当然ですが、人はすべての人と師弟、交友、夫婦関係を結ぶわけではなく、出会った人の中から最良の人物を選択します。これは5番の選択肢にある「分け隔て(= 差別)」とは意味を異にします。
お礼
確かに筆者はそう書いていますが、これは言わんとすることの前段に過ぎません(つまり結論ではない)。後段の文において「それを掘り起こすことができるのは、こちらに、それを求め、受け入れる準備があるからである」と結んでおり、これがすなわち結論です。 おぉ!(゜○゜;;) ありがとうございました!
- staratras
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質問者様は「よい人」という表現を「特定のひとりの人」と理解されたのではありませんか。この場合は「よい師」「よい友」「よい夫(妻)」などの総称としての一般的な表現です。 そういった「よい人」にめぐり合うこと(出会い)は偶然でも、自分にこれを求める必然がなければ、(「よい人」かどうか判断できずに)その人と縁を結ぶこと(師として学んだり、友として交わったり、夫(妻)にしたりすること)ができないというのが、この文章全体で筆者が言いたいこと(趣旨)です。その「これを求める必然」の例として問題文中では、雲水の「求道の熱意と準備」や「茶事において実意を尽くすこと」を例に挙げています。これを問題の選択肢から探せば、「その人に何事かを見つけ誠意を尽くす覚悟が必要である」という部分がもっともこれに近いでしょう。ですから正解は1番になります。 選択肢5番ですが、問題文でいう「よい人」は世間一般で言う「悪い人」の反対語としての「善い人」ではありません。また「よい人」にめぐり合うためには、単に「だれとでも分け隔てなく接」することが大事なのではなく、「分け隔てなく、『どのように』接しなければならないか」ということがポイントなので、『どのように』が含まれていない5番はこの点からも不適当だと思います。
お礼
>「その人に何事かを見つけ誠意を尽くす覚悟が必要である」という部分がもっともこれに近い >『どのように』が含まれていない5番 ありがとうございました。
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
「1.よい人に出会うためには、その人に何事かを見つけ誠意を尽くす覚悟が必要である。(正解)」 は必要すなわち普遍的な法則なのだから「いかなる、どのような場合にも」と一致します。ちゃんと含まれていますよ。
お礼
>「いかなる、どのような場合にも」と一致します ありがとうございました。
- tono__
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確かに1と5で迷う問題ですね。 国語ですので答えは一つではないのかもしれませんが、私なりの解釈として聞いてください。 答えの1での「その人」というのは自分にとっての重要な出会いである師、友、夫または妻を 指していると思います。 この文では、出会いは偶然であるが、偶然であるからこそ、その人に出会ったときに自分自身がその人の言葉 を受け入れられる器と見極める目を持ち、また、その人が持っているその一言を引き出すような人でなければならないと いうことではないでしょうか。 自分自身もその人の目にかなうようにしていなければならないという「必然」ではないでしょうか。 5は沢山の出会う人の中に悪い人も居るという意味ですが、本文では特に人には悪い人と良い人がいるという ことを言っている訳ではありません。 「分け隔てなく」というのは、ただ差別なく同じように接するということですよね。 「いかなる人々の出会いにも」というのは、その中に自分にとっての「その人」がいるかもしれないので チャンスを逃さないようにという意味だと思います。 「どのような人にも~」というのも、同じように、自分にとっての「その人」がいるということと、 自分自身にもその言葉を引き出すような求める姿勢と素質が必要だということだと思います。 上記のような解釈でいかがでしょうか。回答になりましたでしょうか。
お礼
>本文では特に人には悪い人と良い人がいるという ことを言っている訳ではありません。 そうですね。僕も選択肢5の前半部、「人生はよい人ばかりに会うとは限らないが」というあたりがとても不自然に感じました。むずかしい…むずかしいですね。 ありがとうございました!
- cosmos-kt
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前の議論は、読んでいないのですが・・・。 多分、前の議論は・・・文章前段に答えがあるとする、報告文的な解釈だったのだと思います。しかしながら、この文章の場合には、随筆もしくはエッセーと呼ばれる文体です。 その場合には、筆者の主張は・・・文章の後に結論、もしくは結語が来るから・・そのため、主張したいことと、結論が違ってしまったのかも知れませんね。
お礼
>主張したいことと、結論が違ってしまったのかも 設問文によって問われている内容が違うということもあり、混乱してしまいそうですね(^^;。ありがとうございました!
- ecoshopQ
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http://okwave.jp/qa4303415.html のNo.1の回答
お礼
ナハハ…ecoshopQさんは、面白いですね!ありがとうございました。
お礼
⇒よい人に出会うためには、Aという人に会ったならAという人に何事かを見つけ誠意を尽くし、Bという人に会ったならBという人に何事かを見つけ誠意を尽くし、Cという人に会ったならCという人に何事かを見つけ誠意を尽くし、このように出会った人それぞれに何事かを見つけ誠意を尽くす覚悟が必要である。平等性と相反するということはありません。5だけでは必要であるけど十分ではない とてもよくわかりました。ありがとうございました。