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「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか

OKATの回答

  • OKAT
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回答No.20

 質問者が、記述のバラツキについて疑問を感じられるのは、よく分かります。なぜそんなことになるのか、に焦点をじぼって書きます。  まず、一番聞き慣れた「参る」を『大辞林』『大辞泉』『明鏡国語辞典』『広辞苑』『現代国語例解辞典』の五つの辞書が、どう説明しているかを、抽出しました。『広辞苑』を除く四つは二項目に分けています。それはみていただければ分かります。さらに、『大辞林』『明鏡国語辞典』は「謙譲語」と「丁寧語」と明記しています。『現代国語例解辞典』は、動詞としては「謙譲語」補助動詞として丁重に言う、と区別。『大辞泉』は賢明な方法で、説明を避けています。あるいは、5分類がおおやけになったのを意識しているのかも知れません。『広辞苑』だけは(5)の一項目だけですが、その「行く。行き先を敬っていう。」は謙譲語Iのように思われ、「転じて、聞き手へのへりくだりの気持ちこめて、「行く」「来る」の意。」の部分は謙譲語IIと考えられます。その点で他の四つとは異なります。 「広辞苑」の信頼される一つの理由は、その引用文がおおむね最も古く使われたものであるということで、その語が何時から使われ出したかが分かるという点にあります。したがって、「参る」についての用例は、ほとんど中古を中心とした古語です。(余談になりますが、「かしこまりました」という「敬承」の意の謙譲語は、謡曲「熊野(ゆや)」から引用されているので、この語は室町期に使われたと分かります)しかし、古語では「参る」は受け手尊敬(謙譲語I)として盛んに使われたものであるのに、現代語ではご存じの通り謙譲語IIの用法しか有りません。この点で現状と齟齬があるかも知れません。      大辞林(書籍版第3版) (1) 「行く」「来る」の意の謙譲語。動作の及ぶ相手を敬う。聞き手と動作の及ぶ相手とが一致している場合に用いられる。 「また明日二時に-・ります」 「お客さま,お迎えの車が-・りました」 「はい,すぐにそちらへ-・ります」 (2) 「行く」「来る」の意の丁寧語。聞き手への敬意をこめていう。 「駅までご一緒に-・りましょう」 「このバスは市役所へ-・りますでしょうか」      大辞泉(web辞書) (ア)「行く・来る」の先方が聞き手のところの場合には、その先方を敬いながら、「行く・来る」を丁重にいう。「明日、お宅へ―・ります」「御当地に―・って、はじめて知りました」 (イ)単に「行く・来る」を丁重にいう場合。このときにも謙譲の気持ちは残るので、敬うべき人の動作には用いない。現在、「先生もまいられますか」のような言い方は適切でないとされる。「私の家に弟が―・るはずです」「列車が―・ります」「雨が降って―・りました」      明鏡国語辞典(電子辞書) (1)<多く「参ります多く」の形で>「行く」・「来る」の謙譲語。話し手が主語(=自分または自分の自分の側のもの)を低めることによって、聞き手い丁重さを表す。 「明日三時にお宅に参ります」「純子さんの結婚式には母が参ります」「当地に参って三日になります」「[話し手が手配したものについて]まもなく迎えの車が参ります」 『語法』「伺う」は動作の及ぶ相手を必ず高めるが、「参る」はそうではない。「すぐお宅へ伺います/参ります」では「伺う」ほうが敬度が高く、「明日出張で大阪に参ります」では「伺う」は使えない。 (2)<多く「参ります多く」の形で>「行く」・「来る」の丁寧語。聞き手に丁重さを表す。「さあ、そろそろ参りましょうか」「[ホームで]先生、お下がりください、電車が参りました」「日本チームに絶好の機会が参りました」 『語法』「先生は祝宴には参られますか」「ご面会の方が受付に参っていらっしゃいます」など、尊敬語のように使うのは誤り。      現代国語例解辞典(書籍版第二版) 一(1)「行く」「来る」の謙譲語。「明日から京都へ参ります。 二補助動詞「行く」「来る」を丁重にに言う。「雨が降って参りました」  ▼尊敬語としては用いない。「先生は何時ごろ参りますか(参られますか)」は誤り。 《この辞書は、「日本国語大辞典」「国語大辞典」の成果をふまえてなったものと、うたっていますので、「日本国語大辞典」と共通の記述である可能性もあります。》      広辞苑(電子辞書にある第6版) (5)行く。行き先を敬っていう。転じて、聞き手へのへりくだりの気持ちこめて、「行く」「来る」の意。また、一般的に、重々しい口調で言う時にも使う。おあん物語「おれが兄様は、折々山へ鉄砲うちにまいられた」。「只今お宅の方へ参ります」「ご一緒に参ります」「電車が参ります」「地下鉄で参ります」  次は別の話になります。謙譲語はI・IIの二つに分けられたと考えるのは、常識かも知れません。「敬語の指針」もそのように書いています。ところが「Wikipedia」の表はちょっと違います。それを言いたかったので、変な図を描いてしました。ここのサイトで表などつくるのは至難の業ですね。あれこれいじっている内に間違って投稿されてしまいました。そのことを反省して今回は画像を添付しました。Wikipedeia を見れば分かることを何故こうまでしたかというと、以下のことを言いたかったからです。  この表は当然、5段に分かれています。その格段に次のように言葉を付け加えて考えてください。    尊敬語 素材敬語   為手尊敬    謙譲語 素材敬語   受け手尊敬    丁重語 対者敬語   聞き手尊敬    丁寧語 対者敬語   聞き手尊敬    美化語        上品敬語   謙譲語II(丁重語)は、丁寧語と同じ「聞き手尊敬」という点で共通しています。《この点が重要》 わたしは、この表の考え方に、賛意を表します。こうして、丁寧語はある部分を丁重語に取られ、また別の部分を美化語とされ、「です」「ます」「ございます」と、後わずかな接頭語だけに痩せ細り、やがて敬体という文体でしかなくなるのではないでしょうか。

1311tobi
質問者

お礼

 各種の辞書の引用、ありがとうございます。  細かい部分で、疑問がフツフツと湧いてきますが、『大辞林』内で見てもバラツキがあるのですから、複数の辞書を見比べはじめるとこういうことになってしまうのでしょう。ほかの謙譲語IIを調べたらどんなことになるのか……。 「ここから先は学者の仕事」と思いつつ、せっかく引用してくださったのですから、『大辞林』以外の辞書の記述について、目立った点だけメモしておきます。 ■大辞泉(web辞書)  ご指摘のとおり、いち早く「5分類」に対応しているようですね。今後、辞書と「3分類」と「5分類」の関係は注意したいと思います。 ■明鏡国語辞典(電子辞書) 〈「行く」・「来る」の丁寧語〉……『大辞林』と同じ態度と思われます。個人的には同意できません。 〈「[話し手が手配したものについて]まもなく迎えの車が参ります」〉は謙譲語。 〈「[ホームで]先生、お下がりください、電車が参りました」〉は丁寧語……という考え方は、やはり5分類を出さなければ説明できないと思います。 「さあ、そろそろ参りましょうか」は丁寧語。『大辞林』も同様で「駅までご一緒に-・りましょう」 を丁寧語にしています。これは5分類の丁重語と考えればそのとおりのようです。個人的にはちょっと疑問を感じています(後述)。 ■現代国語例解辞典(書籍版第二版)  本動詞は謙譲語で、補助動詞は丁重な言い方……ウーン。  この「丁重な言い方」は「5分類」の丁重語ではないんでしょうね。 「電車が参りました」は謙譲語ですか(「3分類」ならそうなるのですが)。 「お呼びと聞いて、(私は)走って参りました」は「謙譲語」ではなく「丁重な言い方」ですか。  いささか無理な気がします。 ■広辞苑(電子辞書にある第6版)  3分類の「謙譲語」と考えているのでしょう。それはそれでアリだと思います。そのなかで「丁重語」的なものをどこまで説明するかは……。  当方は菊地本を何度か読んで、やっと少しわかってきました。  大辞泉(web辞書)と明鏡国語辞典(電子辞書)は「参られる」を誤用としているようですが、敬語界の〝二大鬼っ子〟とも言える「おられる」「申される」についてどう考えているのか是非訊いてみたいところです。  Wikipediaの表は、そういう読み方もできるのですね。  当方は3分類の「謙譲語」のうち一部分が丁重語(謙譲語II)になったと読みました。「敬語の指針」とほぼ同様の解釈です。すでに書いたように、菊地本は謙譲語IIの一部を丁重語にしています。 「参る」は謙譲語IIで「電車が参ります」だと丁重語。「申す」は謙譲語IIで「~とプラトンが申しています」だと丁重語……ということのようです。  そうなると「一緒に参りましょう」を丁重語にするのには無理を感じます。  たとえば師匠(女性)が弟子に向かって、 「私はこれから○○に参ります。一緒に参りませんか」  と言った場合、前の「参る」は謙譲語(謙譲語II)で、後ろの「参る」は丁寧語(丁重語)なんですかね。この「ご一緒に参りましょう」はいろいろな問題を含んでいて一筋縄には行かない気がします。  個人的には「ご一緒に参りましょう」は丁重語ではなく、謙譲語IIだと思っています(丁重語=謙譲語IIと考えればなんの違いもありませんが)。ただし、目上には使いにくいなど、制約がいくつかあるようです。かなりメンドーな話なので、ブログに書いたことから引用します。 ================引用開始 「参る」に関して再確認したきっかけは、下記の質問。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8296002.html 「参りましょう」が誤用にされている、という話が気になった。  正確な「誤用例」がわからないので、ここからは憶測をまじえる。メンドーなんで辞書は省略する。(←オイ!) 「参りましょう」の使い方は2つに大別できるだろう。 1)承諾  トラブルが起こり、解決のために赴いてほしいと要請されたとする。 「そういうことならば、私が参りましょう」  これはもっとも一般的な謙譲語II。語尾は「参ります」のほうが素直な気がするが、その話はパス。 2)提案  問題になっているのはたぶんこちらだろう。  同行者に「そろそろ参りましょう」と言う。この話は前にも書いているが、見つからなかった。キッパリ<( ̄- ̄)>  そのときは、女性の師匠と弟子を想起した。少しかえて、水戸黄門と格さんで考える。  道中、2人が茶屋休んでいる。黄門様が格さんを促す。 「そろそろ参りましょう(か)」  これも一般的な謙譲語IIと考えることができる。  逆に格さんが「そろそろ参りましょう(か)」と言ってもおかしくはないだろうが、厳密に考えるとちょっとひっかかる。黄門様も主語になるので、謙譲語IIの対象になってしまう。目上の人を自分の位置まで引きずり下ろすことになる。  さらに言うと、目下が目上に指図している印象になりかねない。これは謙譲語ウンヌンとは別の話になる。  現代の敬語として自然か否かという話になると、さらに微妙になる。「女性の師匠と弟子」「水戸黄門と格さん」なんて例を出したことと無関係ではない。  部長と平社員が一緒に会社から出かける場合。  部長が「そろそろ参りましょう」と言ったら、「誤用」ではないけどギャグでしかない。「そろそろ行こうか」くらいが自然だろう。  平社員が「そろそろ参りましょう」だと、「誤用」とまでは言えないけど厳密にはやはりヘンだし失礼だろう。ちょっとボカして「部長、そろそろ(お)時間が……」くらいが大人の言葉づかいってものだろう。 【20131023追記】  下記を見ると、敬語の問題で考えてもおかしいらしい。この書き手は敬語の専門家。ただ、修正案にはいろいろ疑問点もあるが……。(←オイ!) 【第29回「部長、そろそろ参りましょうか?」は○?×?】 http://www.web-nihongo.com/wn/j_manner/29.html/ ================引用終了  Wikipediaの表の話に戻ります。 「謙譲語」のうち一部分が丁重語(謙譲語II)になった。その丁重語は5分類の丁寧語と似た性質を持っている……その性質が「対者敬語」であり「聞き手尊敬」である……と考えることにしています。  いろいろ疑問があり、そんなふうに折り合いをつけるのが精一杯です。

1311tobi
質問者

補足

 新たに質問したい話ができたもので、古い質問を放置するのはよくない気がし、数日後にはこの質問を締めたいと思います。  いろいろと貴重なコメントをありがとうございます。  本題に即したコメントという意味で、ベストアンサーはほかのかたにしようと思います。申し訳ございません。  今後ともよろしくお願いします。  で、新たな質問の件なんですが、とりあえず、下記のやり取りに強い異和感があります。是非ご参加いただきたいと思います。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8557437.html

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