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「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか

kine-oreの回答

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.12

>>ご質問はあくまでも「辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください」でしたので、#4にて大石初太郎のケースをあげ、#7ではそのような見解と別の視角もある点に触れました  その点は理解していると思います。(←弱気)  : ここでの#4は誤りで、正しくは#3です。お詫びと共に訂正いたします。 #3で上げた大石初太郎の仕分け謙譲語Bについては、挨拶語「かしこまりました」の形として、会話の世界での相手に対する応答語としての位置づけなのでしょう。 その原形となるのは次の古語でしょう。 「かしこむ【畏む】[自動詞]《「受ける」意の謙譲語》つつしんで承る。承諾する。」(「全訳読解古語辞典」三省堂) この場合は話題の世界での補語を高める謙譲語Aと見做せます。 なお、ご質問にもありましたが、このような語解での「つつしんで承る。承諾する。」について、特に後段の「承諾する」については前段の「つつしんで」が重なった意味合いを考慮して、本来は「「承諾する」の謙譲語である「つつしんで承諾する」や「承諾申し上げる」と明記されるべき表記の簡略形であると見るべきでしょう。 ちなみに同書での次の記載(特に(2)と語義解釈)を引用しておきます。 「うけたまわる【承る】[他動詞](1)(「受く」の謙譲語)お受けする。(2)(「承諾する」の謙譲語)承諾申し上げる。(3)(「聞く」の謙譲語)お聞きする。拝聴する。(4)(「見る」の謙譲語)」拝見する。【語義解釈】目上の人のことばや命令をお受けする意の謙譲語で、転じて、承諾する、拝聴する意にも用いられる。」 一方、菊池康人「敬語」においては、謙譲語Aである「承る」の「聞く」の意ではなく「引き受ける」意のように「応答として使う場合(この場合は「かしこまりました」と同じような働き)もあるにせよ、あまり一般的ではない。」(「同書」343-4頁)と説明しています。 このように応答語や挨拶語として用いられる場合には、本来の謙譲語Aである側面が薄れて、会話の世界において直接対面している相手への謙譲語Bの面が強調されるのだと見てはいかがでしょう。

1311tobi
質問者

お礼

 No.13のコメントを尊重し、kine-oreさんへのお礼に限って謙譲語A謙譲語Bの書き方をします。 >ここでの#4は誤りで、正しくは#3です。お詫びと共に訂正いたします。  一瞬戸惑いましたが、すぐに単純なミスとわかったので、そんなことでいちいち「お詫び」するのはやめてください。そんなことが一般化したら、人一倍入力ミスが多い当方はコメントしにくくなります(泣)。 『敬語』の343-4頁の記述を確認しました。  これ微妙ですね。「承る」を「応答」として使う場合は「かしこまりました」と同様で、謙譲語Aではない……ととれる気もします。  なにしろ菊地本は「かしこまりました」を謙譲語にしていませんから。  にわか菊地信者としては、〈「かしこまりました」は謙譲語ではない〉のほうに傾きつつあります。

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