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「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか

hakobuluの回答

  • hakobulu
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回答No.10

#8です。 #8では補足質問をさせていただきましたが、それとは別に述べてみます。 1. まず、大辞泉では、 【畏まる】 <3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」> http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/40481/m1u/%E7%95%8F%E3%81%BE%E3%82%8A%E8%83%BC%E8%83%9D/ となっています。 この説明文中の「承る」は、 <2 「聞く」の謙譲語。謹んで聞く。拝聴する。「ありがたいお話を―・りました」> という意味になるでしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/18316/m1u/%E6%89%BF%E3%82%8B/ であれば、「畏まる」も「聞く」の謙譲語と考えてよいのではないか、いうのがわたしの見解です。 2. では、なぜ謙譲語だと明記しているところが見当たらないのか。 「かしこまる」は、「承知する」の謙譲語1でしょうが、たとえば、「伺う」が「訪れる・聞く・尋ねる」の謙譲語1であるような、明確な関係が成立していないからだと思います。 ここで一応、「承知」の意味を再確認しておきます。 【承知】 1 事情などを知ること。また、知っていること。わかっていること。「無理を―でお願いする」「君の言うことなど百も―だ」「事の経緯を―しておきたい」 2 依頼・要求などを聞き入れること。承諾。「申し出の件、確かに―した」 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/109329/m1u/%E6%89%BF%E7%9F%A5/ 社長:「タクシーを呼んでください」 部下:「かしこまりました」 の場合、「かしこまる」という部下の行為が、「タクシーを呼んでください」という社長の依頼(命令)内容に向かっているわけではない、という点が問題なのだと思います。 「その依頼に対して(向かって)畏まっているわけではない」ということです。 では、何に向かっているかと言うと、社長本人に直接向かっています。 <敬語の指針>で謙譲語1の定義を再確認してみると、 『自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて,その向かう先の人物を立てて述べるもの』です。 (ex1)先生から話していただいた。 「(話して)いただいた」という自分の行為の向かう先⇒先生。 (ex2)先生からペンを頂いた。 「頂いた」という自分の行為の向かう物事(=ペン)⇒持ち主である先生。 のような構図。 後者の場合、「頂いた」という自分の行為がペンという「物事」に向かっている点が、「かしこまりました」と大きく異なることにご留意ください。 社長:「タクシーを呼んでください」 部下:「承知しました」 という例と比較すると、一層わかりやすくなると思います。 この場合は、「その依頼を聞き入れました」という意味になるので、「承知する」という行為が、社長の言った依頼内容(物事)に向かっていることは明らかでしょう。 そこから、その依頼内容(物事)の所有者である社長に対して敬意を表わす、という構造になっているわけです。 3. さて、以上の説明からは、ひとつの疑問が浮上するかと思います。 【畏まる】 <3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」> という辞書の意味があるのであれば、 上記2項での『「その依頼に対して(向かって)畏まっているわけではない」ということです』というくだりは矛盾しているのではないか、という疑問です。 まさに、これが今回、最大の要点となります。 つまり、【畏まる】の意味は、あくまで、上記辞書の、 <1 身分の高い人、目上の人の前などで、おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる。「陛下の御前に―・る」「―・ってあいさつする」> というものであって、 <3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。> という意味はまだ完全に定着していないのではないか、ということです。 言い換えると、意味として完全に独立してはいない、ということ。 定着・独立はしていないが、「おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる」という意味から敷衍して、結果的に「命令・依頼などを謹んで承る意を表す」という意味にもなり得る、というわけです。 こうした構造を持っているため、たとえば、 「おっしゃることは、たしかに承知いたしました」とは言えても、 「おっしゃることは、たしかに畏まりました」とは言えない。 「畏まる」の対象は、あくまで話している相手本人であって、「おっしゃること」ではないからです。 このような事情から、謙譲語2と捉える学者の方も出てきたのだろうと思います。 つまり、「畏まる」という行為の「向かう先」は何か、という謙譲語1の要素は無視されており、「常に話している相手」に対して丁重な表現をする、という用法だけに特化せざるを得ないからです。 また、「謙譲語1の要素は無視されている(普遍性を持たない)」という構造になっていることが、謙譲語1と明記するところが見当たらない理由ではないかと思われます。 4. 以上を踏まえ、「了解不敬問題」に関しても、若干触れさせてください。 「畏まる」の意味は、 <3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」> ですが、「承る」の意味から考えても、「理解する」という意味は無いと考えるのが妥当でしょう。 しかし、実際には、「了解しました」の意味でも自然に使うことが可能だと思います。 【了解】 1 物事の内容や事情を理解して承認すること。了承。「―が成り立つ」「来信の内容を―する」 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/232354/m1u/%E4%BA%86%E8%A7%A3/ [使い分け] 「了解」「了承」は、事情や事柄の内容などを理解して認めること。「了承」は、相手の示した案などを認める手続き上の行為であることもある。「承知」は、申し入れや頼みをききいれること。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/3242/m1u/%E4%BA%86%E8%A7%A3/ ここでも、 <1 身分の高い人、目上の人の前などで、おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる。「陛下の御前に―・る」「―・ってあいさつする」> という本来の意味が大きく作用していると言ってよいと思います。 つまり、『かしこまりました』というのは【無条件で相手に従う】というニュアンスになるため、 依頼・要求などを聞き入れること(承知する)という意味にも、理解すること(了解する)という意味にも【結果的になってしまう】わけです。 「無条件」というのは、いかにも傲慢な意味を含んでいるのですが、それだけに敬意としては最上級に位置づけられているのでしょう。 このように心地よい無条件の謙譲表現があるにも拘わらず、下位の表現を敢えて使うのはけしからん、という(無意識の)論法なんじゃないですかね、おそらく。 やたら、くどい、あるいは、無駄に長い、というお叱りも聞こえてきそうですが、わずかでもご参考になる箇所が含まれていることを願っております。   

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