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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:これらの文は、どちらも敬語として正しいですか?)

敬語についての質問

OKATの回答

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.14

ここはあなたが質問された所なので、もう少し質問に関係ないことを書き込ませてもらいます。 >なり得る[narieru] 泳ぎ得る[oyogieru] の[i]が抜けて可能動詞となったのでしょうね。  この発想に感心していたら、「Wikipedia」に出ている説(大阪大学研究紀要)なんですね。(笑い)最初からそう言ってくださいよ。  しかし、もう一つの説にも魅力があります。既にご承知かと思いますが、書いておきます。古語の「知る」という動詞に二種類あります。一つは四段活用他動詞の「知る」で、これは現在の「知る」とほぼ同様、もう一つは下二段自動詞の「知る」で、現在の「知れる」に相当する。言ってみれば「分かる」の意味ですす。  この「知る」がこの時代の流れで「しる」→「しるる」→「しれる」と下一段に変化します。この途中の形の「しるる」がほとんど「知ることが可能=解る」を意味していました。これからの類推で四段活用に可能動詞が誕生したと言うのです。(ただ、なぜ下二段動詞が四段に影響したか、疑問は残りますが)  この「類推作用」というのは語の変化には重要な働きをします。「なり得る」説でもどんどん類推によって拡がったと言うことです。  やっぱり、考える人が考えると、説得力がありますね。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >この発想に感心していたら、「Wikipedia」に出ている説(大阪大学研究紀要)なんですね。(笑い)最初からそう言ってくださいよ。 : \(-_-;)/ なかなか信用してもらえませんが、「読める」などの原型は「読み得る」であり、同様に「食べ得る」「着得る」から「食べれる」「着れる」なども正当性を持った表現ではないだろうかということは、以前から思っていました。当時は「読む(を)得る」のように解釈し、「u抜き」などという表現を使ったこともあります。 実は、3年ほど前に、ラ抜き と 可能動詞に関連した質問をした際、ウィキを初めとして種々の資料やみなさんのご見解に接し、色々と肉付けすることができた、という経緯はあります。 ただ、わたしの最も根本の感覚としては、 可能態のみを表すものとして、当初「読み得る」という表現が始まりだったと仮定すれば、それが「読める」と変化するのに、大して時間は掛からなかっただろう、ということです。 理由は単純で「そのほうが言い易いから」です。 これが、わたしのスタートです。 同様に可能専用表現としての「食べ得る」が「食べれる」、「着得る」が「着れる」となるのに何の不思議があろうか、というわけで、わたしはラ抜き擁護論者です。(ただし、現状のままでは不可。あくまで条件付きでです) つまり、言い易いからrを付けた、という単純な理由です。 また、tabeeru の e抜きだと 「食べる」に戻ってしまうし、もうひとつ他の理由で、一段のほうは遅れた、あるいは迫害?され続けている、といったことも関係してくるでしょうが、話すと長くなるのでやめておきましょう。 やっぱり、一素人が言うと、どうしても弁解っぽく、あるいは、牽強付会的に聞こえますね。 機会がありましたら、また、色々とお聞かせいただければと思います。 > この「知る」がこの時代の流れで「しる」→「しるる」→「しれる」と下一段に変化します。この途中の形の「しるる」がほとんど「知ることが可能=解る」を意味していました。これからの類推で四段活用に可能動詞が誕生したと言うのです。(ただ、なぜ下二段動詞が四段に影響したか、疑問は残りますが) : 知るが自他同型だったとは知りませんでした。 ウィキの説明はさっぱりわかりませんでしたが、そういう意味でしたか。 かなり興味深い話です。 受け売りですが、やはり、「れる・られる(る・らる)」は本来、自発が大元だというお考えでしょうか。 自ずと知れる→結果として知ることができる、という構図で意味が敷衍されてきた、と。 このように考えると、「読まれる」は「状況可能」であり、「読み得る」から変化した「読める」は「能力可能」という自説に弾みがつくのですが。^^ (自説と言っても、一部の方言として、そのように扱っている地域が存在し、それを支持するということなのですが、その原理を使っていない地域のほうが間違っているのだとわたしは思っています) 「この村にもやっと電気が通じ、明るい電球の下で新聞が読まれる」(状況可能) 「彼は視力が良くて、300メートル先の本の字が読める」(能力可能) これらは使い分けられるべき!というのが私の考えです。 また、その意味で、 「探していた箸がやっと見つかった。これでご飯が食べられる」(状況可能) 「彼はとても胃腸が丈夫で、一分間にご飯を丼で2杯も食べれる」(能力可能) と使い分けられるべきであり、ラ抜き言葉などとはもってのほかである!と絶叫マシンの女子高生より大きな声を上げたいところなのです。 長くなりますので、とりあえずこのへんで。 あちこちけしかけているのですが、新しくスレを立ててみませんか。^^     

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