• ベストアンサー

死に対する覚悟

mtjgktの回答

  • mtjgkt
  • ベストアンサー率17% (9/51)
回答No.2

私は寿命を考えています。 質問者様は まだ35才でたぶん平均寿命で長さを考えているのだと思いますが 実際は事故死や病死の可能性もあり 明日ではないかもしれませんが 一年後に死ぬかもしれません。 私は死ぬ時に 長患いをして 痛みや苦痛が続くなら安楽死を望んでいますが 生まれた日を自分で決めることが出来なかったように死ぬ日も自分では決められないのです。 自殺しても未遂の人がどれだけいるかご存知ですか? わからないことは考えないようにしています。 それと 今私や質問者様がしていることや話していることは 私たちがある日突然死んだとしても 家族や友人が覚えていてくれて 時々そういえば こういう人がいたんだよと思い出してもらえれば それ以上のことは望めないのです。 この世は生きている人たちのものです。 もう会えないもう触ることができなくなった人は もう記憶の中にいるしか出来ないのです。 と、私は思います。

kurogumino
質問者

お礼

生も死も自分で決められないものだという「生かされている」考えですね。死ぬ時に、出来るだけたくさんの人の心の中に「素敵な人だった」と記憶に残るような人生を歩んで行きたいです。

関連するQ&A

  • 覚悟したい 腹をくくるには?

    私は、なかなか本気になれない。 今まで本気になったことなんて一度もない。 それでも、学生時代 そこそこの学業成績をとることだって 部活でそこそこの成績を残すことだって出来た なのに、今私のキャパシティーを超える事態に陥った 今の私ではどうにも出来ない、 本当に覚悟する必要があるのだと思う。 よく、シングルマザーが人生死が迫る中 難関資格を取り一発逆転 死迫る極寒状態からの生還 いづれも、覚悟の玉ものだと思う。 そして私も、覚悟すべきときがきたのだ感じる。 でも、いままで私はそのようなことしたことないし、そのような場面もなかった ゆえに、これからどうすればいいか本当に深刻な問題だ 死が迫れば~とおっしゃる方もいるかもしれない。 でも、私の人生辛いことが多く精神的にも疲弊しているせいか 死への恐怖心が無い様にも思える。 私自身、守る物といったものは存在しない。 しいていえば、私の死へ導くことを防いでいる物 それは将来持ちたいと想い渇望してきた存在、すなわち家族という存在だ。 この山を乗り越えればその家族を養うために必要な条件がほとんど整う ゆえにこの山だけは、なんとしても乗り越えたい。 でも、私は変わる必要がある。 いったいどうすれば、前述の彼らのように覚悟を決めることが出来るのだろう。   ちなみに、私は、1日のうちで何か頑張ろうと湧き上がってくる物があれば その調子でやりこすことが出来る しかし、湧き上がるまでにとても時間が掛かる、鈍感な気がする。 朝起きた状態で、やる気の状態になりたいのだが、 朝起きたときはいつも、死にたいと思う気持ちから始まる モチベーションを一変させたい、誰かアドバイスをください。

  • 死が怖いのですが、皆さんはどうですか?

    24歳の大学生です。 悩みというほどのことではないのですが、 死に対する恐怖が異常に強いような気がしていて 皆さんのご意見を伺ってみたくて、質問させて頂きました。 これまでトラウマになるような特別な体験をしたこともありませんし 今やこれからの自分の人生に不安があるというわけではありません。 この件に関係ありそうなことで、強いて言うなれば これまで身近な人を亡くしたことがないことぐらいでしょうか。 死への恐怖は幼い頃からずっと感じています。 恐怖の対象は、死を迎える原因(病気や事故)そのものではなく 死の概念に対してです。 自分という存在がこの世からなくなってしまうということが 自分の中でうまく受け入れられずに、混乱してしまいます。 恐怖心は特に就寝時に強くなります。 加えて、日ごろから考えたり行動したりするとき、色んなことに対して 『これで○○くらい終わった、○○ぐらいまで来た』『あと○○くらい残っている』 と常に考えてしまうくせがあります。 例えば 旅行へ行けば『今日で旅行の3/1終わってしまったなぁ』『残り1/3か』 何日か先に試験があれば『もう勉強できる時間の1/2終わってしまった』『残り1/2しか勉強できない』 ジョギングをしたり、やらなければならない仕事があると『やっと3/4まで来たか』『まだ1/4も残っているのか』 といったようにです。 (理系なせいか、どうしても数字に換算したがるきらいがあるようです…) 同じように人生についても 『75歳まで生きれるとしたら、もう1/3終わってしまったんだなぁ。残り2/3か。 でも50歳過ぎたら、いつ病気になってもおかしくないし そう思ったらもう1/3しかないのと同じなのかな…。』 と考えてしまいます。 また年配の方を見かけると『あの人は死ぬことは怖くないのかな』と思ってしまいます。 物事には必ず終わりというものがあるし、誰でもいつかは死ぬのですから あんまりウダウダ考えてもしょうがないのは分かっているのですが。 残りの時間限られているのなら その時間を有効に有意義に使おうという風に考えればいいのにと 自分でも思うのですけど、どうもそういう方向へは行かないみたいで…。 取り留めのない文章になってしまい申し訳ありません。 大変稚拙な質問で大変お恥ずかしいのですが 皆さんにお伺いしたいのは ・自分の死に対してどのように考えているか、死に対する恐怖はあるか ということです。 特に、年配の方のお考えを聞けたら嬉しいです。 何卒よろしくお願いいたします。

  • 死との向き合い方

    私のような若い人間(大学生)が言うのも変な話かもしれませんが、時折「死」というものが非常に自らに迫ってくる時があります。 特段、病気を患っていたり、生命の危機的状況に現段階でいるわけではありません しかしながら、夜寝る時や夕方下校途中など、ふと人生について考えてみると、急に何とも言いがたい恐怖感に襲われてしまいます。換言すれば、「死」という絶対的なものの前での人間(自分)の無力さを痛感してしまうのです こうなると寝れなくなってしまったりしまい、「死の恐怖」を忘れようとするかの如く、漫画やテレビ、いわゆる娯楽に逃げこんでしまいます。 「現実逃避」「逃げ口上」と言われるかもしれません。実際、それを完全に否むことは出来ないです。 ただ上述のような恐怖を感じたりするといったことは紛れもない事実です 生きている以上、「死の恐怖」を感じるのは必然だと思っています。故に「死の恐怖」を完全に払拭することは不可能であるということも重々承知の上です。 私はただこの恐怖との、いわば付き合い方を知りたいのです もちろん絶対的な答えはないでしょう、ただ皆様のお考えを参考にしたいと思っています 自分の考えを思いつくままに書いていますので、駄文かつ長文となってしまいましたが、みなさまに回答していただければ幸いです。

  • 死が怖い

    自分は度胸のない小心者ということは自覚している60代後半のじじいです。 今年の3月にがんと診断され放射線治療と二度の手術を受けました。これで一応がんは落ち着いたようなのですが再発の可能性が非常に高いと医者からいわれています。そしてこんど再発したらもう治療の方法がないともいわれています。 そうなるとやはり考えるのが死です。 元気な時は、人間の死亡率は100%なのだから早かれ遅かれ死は覚悟しなければなどといっていましたが、いざそれが現実となるとやはり怖いのです。 死ぬ時はどんな状態なのか、死んだらどうなるのか、死んだら本当に何も分からなくなるのか、等々を考えると気が変になりそうです。夜も眠れません。 皆さんは死を考えるときはありますか、その時どうやって死の恐怖を克服していますか。教えてください

  • 病気による死への恐怖、自殺

    私の彼が治せない病気になり、死への恐怖で苦しんでいます。 これからの不安、病気の痛み、死への恐怖から逃れるならと自殺を考えたりします。 彼とは別れることになっていますが、メールだけは続いています。 死にたい、忘れてくれと言っていますが、本心は誰かに気にかけてもらいたいという気持ちが伝わってきます。 人生に絶望し苦しんでいる彼に何とか前向きになってほしいと思います。 私は、メールで何気ない会話をと思いますが、精神的に不安定で、なんと声をかけてあげたらいいかわかりません。 日々、眠れないようなのですが、治療に口出しをすると怒るので、カウンセリングや睡眠薬を薦めたりする事もできません。 彼に残された人生を生き抜いてもらいたい。 希望を捨てないでほしいですが、うつ病とは、またちょっと違いますし、なんてメールしたらよいのかわかりません。 みなさん、アドバイスお願い致します。

  • 死について

    この掲示板でも「死について」の投稿、回答を多数拝見しましたが、私の思いを投稿し、改めて皆様の意見、考えをお聞きしたいと思います。 夜寝る前や、ふとした時に「死について」考えた時にとてつもない恐怖心に襲われます。 ・死ねば意識は無くなり完全な「無」になる ・自分もいつか必ず死ぬ。100%その時は訪れる。 自分にも必ず訪れる「無」が怖いです。 人類、何百万年の歴史と、これから過ぎて行くであろう何百万年の未来。自分が生きている100年などほんの一瞬で、それ以外は全て「無」。 まぁ、「無」になれば時間の感覚も何も無いので関係ありませんが。(笑) 答えは見えてて、「人生を楽しく悔い無く生きる」事です。 それしかありません。 何人かに話しを聞きましたが、死への恐怖心を「持っている人」と「全く持っていない人」に大きく分かれます。 「全く持っていない人」は死について考えた事が無い人が多いようです。ある意味、羨ましいです。(笑) 人生すごく幸せで、特に悩んでいる訳ではありません。 皆様の考え方、意見をお聞きしたいです。

  • 妻の死を覚悟

    夫50代 私 40代の 結婚20年の夫婦です。 結婚して 子どもをもうけ 二人の子どもがそれぞれ 三歳になるかならないかの時に、私は大病を患いました。 幼子をかかえ 入院し数ヶ月の闘病になりました。 二回目の大病の退院後 女性特有の病気になったにもかかわらず、 主人から退院した日に 暴力的に求められ 医師の許可も出ていない状態で 行為に至った時は優しさのかけらもなく 果たされたと言う感じで傷つきました。 それ以来 レスになったのです。 私は女性特有の病気だから仕方がない と自分に言い聞かせてきましたが、 最近 主人の浮気を知ることになり 悶々と生活を続けていたところ 先日主人から 同僚の奥さんが幼子を残してなくなった話を聞き、 自分も私が病気をした時は、私の死も 覚悟した。と言うのです。 ところが浮気の疑いは 私が手術をした後から始まっており 疑っている女性の中には子どもの幼稚園の関係の先生もいており 私は主人は 私の死を覚悟して 女性との付き合いを始める人だったのかと 衝撃を感じています。 また、家庭を顧みることなく、子どもに関しても冷たくなったのもそのころからです。 かりに、私の死後 子どもを育てることに不安があったのか? 心のよりどころを求める人生に落ちたのかはわかりませんが もし、 皆さんが 子どもを置いて死ぬかもしれないパートナーが いるとしたら そのような状況で 浮気は考えられますか? もし、そういう弱い部分のあるパートナーに これから どういう気持で生活を続けていったら良いかわかりません。 結局、今は病気をした自分が悪いのだと責めることしか出来ません。 さんまさんと結婚した大竹しのぶさんも 御主人が闘病中に 付き合っておられ 夫さんの死後入籍されていますね・・・ 皆様のお考えお聞かせください。

  • 死ぬのは怖いですか?

    シニアの大先輩に質問です。 死ぬのは怖いですか? 私は歳をとると、死の恐怖感が薄まると思っていましたが、 人生の折り返しのいい歳になった今でも 変らず死は怖いままです。 もしかして60を超えても70を超えても怖いのでしょうか? 80を超えたら達観できるのでしょうか? もしかして死ぬ直前まで、怖いままなのでしょうか? 最近は痴呆(ボケ)は、死の恐怖を忘れる必要な事であり、 (本人にとっては)幸せな事かも? と思いはじめました。 死の恐怖の克服について教えて下さい。

  • 排尿時の恐怖について(希死念慮との関係)

    排尿時の恐怖について(希死念慮との関係) こんにちは。 ネットで調べても、載っていないので、質問させていただきました。 私は、排尿時に恐怖感があります。 よく言われる排尿恐怖ではないのですが、排尿時に、自分自身が実はここに居なくて、 学校や職場でもらしているのではないかという恐怖があります。 中学校頃から在り、気にならない日もあるのですが、 ここ最近、再び、排尿の度に感じるようになりました。 もう、どうでもいいや、的な気持ちで、いつも用を足しています。 中学校の頃は、一ヶ月に一度程度、雲の上を歩くような感覚に捉われ、 それ以降、あまり、自分自身がこの世に存在しているのかどうか、分からないまま過ごしています。 最近は、雲の上を歩くような感覚はありませんが、虚無感を感じています。 結構多くの人が持っているとは思いますが、希死念慮をずっと持ち続けています。 確かに、死にたいと思わない時もあるのですが、中学から考えてみて、ほぼ半分は、希死念慮に悩まされていました。 どんなに順調でも、偉そうな事をコメントしてても、確実に苦しまずに死ねる方法を探している自分に嫌気がさします。 同様の悩みがある方、もしくは、解決の方法をお教えくださいますようお願いします。

  • 死刑と安楽死制度

    宅間守や加藤智大のように 死刑になりたいというのは、つまるところ虚勢、パフォーマンスの一種なのでしょうね(*^^*) 「死刑になりたかった。」と犯罪犯した奴は、どの道行き詰まった人生で、死刑で死ぬか、自殺するか、野垂れ死ぬかのどれかでしかないわけですから、人生に意義を見出だす要素がないわけですね。 もはや残りの人生消化試合。このまま惨めに野垂れ死ぬ位なら八つ当たり的に幸せそうな他人を巻き込んで死んでやろう、そして死刑になってやろう、という思考回路なのでしょうね。 なので、「死刑が目的」というのは、やはり嘘なのでしょうね。実際のところは「結果的に死刑になっても構わない」という投げやりな気分なのでしょうね。巻き込まれる被害者にとっては災難ですが(*^^*) 個人的には、この問題の本質は安楽死制度が存在しないことにあると思います。 もう自分の人生はダメだと悟った時、苦痛もなくきちんと死ぬ方法が用意されていないから、グズグズと生きてしまい更に絶望を拗らせてしまう。 結果、悪意と絶望を暴発させ、無関係の人間に襲いかかってしまうのです。 もしも、行政が公的に認められた安楽死施設を運営していて、そこでは苦痛もなく人としての尊厳を尊重されたまま死ねるのであれば、誰だって絶望した時点で自ずから死ににいくはずです。 しかし、日本には自分で自殺して、惨めに死体を晒すしか死ぬ手段がない。 これは国家の怠慢であると私は考えます。 したがって、私は日本に安楽死制度がないことが問題であり、無差別殺人を犯すような犯罪者はその被害者であると考えます(*^^*) そこで質問ですが、 みなさんは 死刑になりたくて殺人を犯す人間の心理を どのように分析しますか?