死が怖い

このQ&Aのポイント
  • 自分は度胸のない小心者ということは自覚している60代後半のじじいです。
  • がんと診断され放射線治療と二度の手術を受けました。再発の可能性が非常に高いと医者からいわれています。
  • やはり考えるのが死です。死ぬ時の状態や死後の世界について考えると怖さを感じます。
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死が怖い

自分は度胸のない小心者ということは自覚している60代後半のじじいです。 今年の3月にがんと診断され放射線治療と二度の手術を受けました。これで一応がんは落ち着いたようなのですが再発の可能性が非常に高いと医者からいわれています。そしてこんど再発したらもう治療の方法がないともいわれています。 そうなるとやはり考えるのが死です。 元気な時は、人間の死亡率は100%なのだから早かれ遅かれ死は覚悟しなければなどといっていましたが、いざそれが現実となるとやはり怖いのです。 死ぬ時はどんな状態なのか、死んだらどうなるのか、死んだら本当に何も分からなくなるのか、等々を考えると気が変になりそうです。夜も眠れません。 皆さんは死を考えるときはありますか、その時どうやって死の恐怖を克服していますか。教えてください

  • tamoht
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質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.4

誰でもそういうものですよ。私は若かりし頃「死ぬことなんか怖くない。死ぬ理由がないから死なないだけだ」とうそぶいていました。ところがちょっとした病気をこじらせて死にそうになっちゃったんです。 そしたらね、もう治すことで頭がいっぱいになりましたよ・笑。必死にリハビリしてね。 治ってからしばらくしてふと、ああ、俺必死で病気を治そうとしちゃったと気づきました。人生観が大きく変わるターニングポイントになりました。以来、私は「死ぬことが死ぬほど怖い」と公言して生きています。 そんなことがあった後に、美輪明宏さんが今まで食べたもののなかで一番美味しいものはなんでしたかと聞かれて、戦後すぐのときにお腹が減って死にそうになったときに助けてくれた人が作ってくれた目玉焼きが一番美味しかったと答えて妙に納得しました。私も今まで食べた食事の中で一番美味かったのは、手術の翌日に出てきた重湯でした。 その後人生いろいろありまして、ちょっと大げさですが、「今日が最後かもしれない」というのを心のどこかに置いて生きています。特に対人関係については「今日会えるのが最後かもしれない」と思うところはありますね。もちろん、毎日すべての人に思えているわけではないですけれども。 例えば家族が出かけるときは必ず「気をつけてね」と声をかけています。いやもしかしたら出かけた先で事故で死んじゃうかもしれないじゃないですか。そのとき一言添えていたら、と後悔したくないからです。 生まれること、老いること、病を得ること、死ぬこと、は仏教で逃れられない定められた苦しみであると説いています。この人が生まれながらにして得る苦しみと、愛する人と離れる愛別離苦、ヤな奴とも会わなきゃいけない怨憎会苦、望んでも手に入らない求不得苦、生きるエネルギーそのものが苦しみとなる五蘊盛苦を合わせて四苦八苦になるわけです。 むしろ残された(というとオーバーですが、天寿を全うしたとしても何十年も先の話ではありません)日々をいかにして生きていくか、ということをお考えになってはどうでしょうか。あくまで個人的見解ですが、いかに生きるかを説くのが宗教だと思うのですけどね。 「生かされている自分」というのにお気づきになったのですから、病いを得たことはよいことだったのではないでしょうか。

tamoht
質問者

お礼

ご丁寧なご回答をいただき本当にありがとうございました。 「生まれること、老いること、病を得ること、死ぬこと、は仏教で逃れられない定められた苦しみである」という心境にどこまでなれるかは分かりませんが、これからの日々をいかに生きていくかを考えて行きたいと思います。 とても参考になりました、ご親切なご回答心より感謝申し上げます。

その他の回答 (3)

  • Kai_jin
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.3

こんばんは。 今まで回答をしたことがありませんが、なんとなく考える歳になったので、意見させていただきます。 死は若いうちや想像しない?できない?うちはイメージがつかないから、生きていけるんだと思います。 でないと、恐怖で生きていない人が多々でてくるんではないでしょうか? あと何日の命です、とか、山で海で遭難し、死のイメージがリアルになったときに、恐怖を身近に感じるんだと思います。 死後の世界は死んだ人しかわかりませんし、いや、たぶん自覚がないかもです。 でも、だから、今、生きてる実感が切実に湧く瞬間なんだと想像します。 あと、数年・数か月・数日・数時間の命と感じたら、残された時間を大切に生きれるんじゃないんでしょうか? 時間の大切さが身に染みるんのではないでしょうか? プラス思考と言えばそうなんですが、誰も知らない死後の世界に旅立てるときが来たと思うことができればいいですね。 まだ、貴方からすると若者なんですが、いつ死ぬかわかりませんことを想像すると、死ぬと意識した時に、人生悔いなしと思いたいです。 何はともあれ、今を、この一瞬を大切に生きてください!

tamoht
質問者

お礼

ご丁寧なご回答をいただき本当にありがとうございました。 死ぬと意識した時に、人生悔いなしと思えるように、時間を大切にして生きて行きたいと思います。 とても参考になりました、ご親切なご回答心より感謝申し上げます。

回答No.2

こんばんわ。 決して小心者ではありませんよ。 誰しも死を考えれば、怖いものです。 ただ、今生きているではありませんか、この 時、この瞬間を幸せに感じ楽しもうじゃあり ませんか? そうすることで、多少の不安や恐れはなくなります。 こうして、知らないもの同士が質問して回答していますよね。 私なんぞ、これだけでも、何かの縁で、こうして回答している だけでも、何か不思議な感じがして、楽しいものです。 死を考えるのでしたら、朝を起きて、今日も生きていると思 い、今日一日何をするか、何を食べるかなど、楽しいことを 想像してください。 なかなかまとまった回答ができなくてすみません。

tamoht
質問者

お礼

ご丁寧なご回答をいただき本当にありがとうございました。 これからは、一日一日を大切にして、瞬間瞬間をいかに楽しく過ごすかということに心がけて行きたいと考えます。 とても参考になりました、ご親切なご回答心より感謝申し上げます。

回答No.1

>皆さんは死を考えるときはありますか、その時どうやって死の恐怖を克服していますか。教えてください 死の恐怖は克服できないものです。 私は、小学生のころが死の恐怖が一番強く、日夜、死の事ばかり考えて眠られぬ夜を過ごしました。 長じて、死の事を考える頻度は減少してきましたが、ひとたび死の恐怖に取りつかれると、2‐3日はそれ以外の考えが上の空になります。 死の恐怖に取りつかれる頻度は、だんだん減少し、最近では年に2‐3回ぐらいです。 死の恐怖に取りつかれたときは、悪あがきをせず、素直に怯え続けることにしております。 2‐3日、怯え続けると、不思議な事に「飽きてくる」ものです。 人間の脳は、たとえどんな感情であれ、それほど長続きしない(=飽きる)様に作られていると思っています。 だから、飽きるまで、怯え続ける。 私も大腸がんの診断を受け、毎年の精密検査を命令されておりますが、その命令はテキトーに誤魔化しております。 お互いにそれほど長いことは無いでしょうね。 死の恐怖を克服しようなどと言う無謀な欲は捨て、キチンと死の恐怖におびえながらも、残された日々を楽しく過ごそうではありませんか。

tamoht
質問者

お礼

ご丁寧なご回答をいただき本当にありがとうございました。 死の恐怖に立ち向かわずに、率直にこれを受け入れるようにして行きたいと思います。 とても参考になりました、ご親切なご回答心より感謝申し上げます。

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