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アインシュタインがエーテルを否定したって本当ですか

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.39

 #35です。 >さて、光速不変とはどういう現象を言うのでしょうか? >明らかに、光源側にエーテルの風が吹いている、あるいは吹いているかの >ような現象です。 >つまり、相対速度分が、押し戻され、そのため光速が加減されない現象の >ことです。 >すると、真上に放たれた光は、その相対速度分、後ろに吹き飛ばされているかの >ような現象を起こすことになります。  それと、 >光源に対して光速度不変。 ですか。これを知りたかったんですよ。あなたの態度に納得がいきました。これらの組み合わせは想像し難かったけれど、こういう前提であれば確かに、アインシュタインはエーテルを否定しなかったという考えになっても、おかしくはない。   ・あるいはあなたは正しいのかも知れない。   ・電磁場の伝達機構は、アインシュタインも正直に認めたように、今もってわからないのだから。  以下は、観測者に対して光速度不変を妥当と思い、例えばMM実験などには不備が無く捏造でもなく、光速度の変化は実験精度内で0であったのが事実であろう、と思っている者の発言です。  ます観測者に対する光速度不変を認めると、光源こそが(それといっしょに動いている観測者こそが)第一の観測者です。光を真上に放てば、観測者に対する光速度不変の原理により、光は真上にしか進まない事になります。  観測者に対する光速度不変の原理からは、光が吹き流れるという結論は出せません。しかしその確認は必要です。でも職業的な物理学者というのは、およそやれる事は何でもやろうとします。調べれば、光を真上に照射しても真っ直ぐにしか進まなかったという結論を得た実験は、非常な高確率でありそうな気がします。これが第一点。  次に上記にも関連しますが、MM実験のような原理に直結する類の実験は、既に嫌になる程の追試を受けているのが普通です。明日にでもMM追試があったっておかしくはありません。量子現象の長距離相関を実証したアスペの実験のように。そして時代が下るほど、実験精度は信じられないほどに上がって行きます。  だから信じるんですよ。MM実験の機構を自分で調べ、その論法に納得した上で、オリジナルなMM実験でも光速度変化は0であったのは本当だろうと。これが第二点。  第三点は、オリジナルなMM実験そのものについて。  もし光源に対して光速度不変なら、天空の星々からは、ばらばらな速度で光波が地球にとどくはずです。ところが、オリジナルなMM実験の実験装置ですら、あれは干渉計ですから(光波測距儀:俗称レーダーと原理は全く同じで)、非常に感度の良いものです。少なくとも我々には作れないでしょうが、あんなに簡単な工夫では、その雑音は防げなかったはずです。彼らは、宇宙全体に対して一定速度で進む光波に対する、地球の相対速度だけを目標にしてたんですよ。  そのような測定機器を用いて、しかも天空の星々からばらばらな速度で光波が地球にとどいていたら、MM実験には雑音が多すぎて、実験結果そのものを出せなかったと思われます。マイケルソンやモーリーは、そのような雑音を見逃すはずがない。このような状況には実績があって、宇宙背景輻射を発見したのは、一介のラジオ技術者の2人でした、  マイケルソンとモーリーは時代を割り引いても、一介のラジオ技術者どころではありません。それでもマイケルソンとモーリーは、光速の変化を測定できなかったと報告した。だから雑音はなく、宇宙全体に対して一定速度で進む光波に対する、地球の相対速度は測定できなかった、という報告を信じます。もしくは、随伴エーテルか?です。でもそれはエーテル論内部で、既に否定されていました。  どう思われますか?。  あなたは今の常識と、かけ離れた事を言っているので、こういう話に逐一耳を貸さないと、誰もまともに取り合わないと思います。尻切れトンボにならないで。  あなたは、こんな事は明らかだと言うが、それで実際わからなくなります。あなたの真意が。  それは意外なのかも知れませんが。

okitarou123
質問者

補足

 >・あるいはあなたは正しいのかも知れない。 正しい、間違っているという結論は最後の最後に持ってくるくるものなのです。 >・電磁場の伝達機構は、アインシュタインも正直に認めたように、今もってわからないのだから。 アインシュタインが言っているから正しいにはなりませんよ。 >ます観測者に対する光速度不変を認めると、光源こそが(それといっしょに動いている観測者こそが)第一の観測者です そんな観測者を登場させてなんになりますか? 今議論で決着をつけなければならないのは、相対速度を持った観測者から見た話ですよ。 その観測者から、真上に放たれた光が後ろに流されるかどうかと言う話ですよ。 そして、相対速度分が流される、そういう現象が光速不変の原理と称するものなのですよ。 そんな現象を誰が確認したと言うのですか? 光が後ろに流されると言う現象をですよ!? そんな現象がありえると思えるその心理、その物理力を問うているのです。 言っている意味が分からなければ、申し訳ありませんが、回答をご遠慮ください。

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