• ベストアンサー

アインシュタインがエーテルを否定したって本当ですか

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.35

 #31です。 >信じてみましょうか。 >が気に入りました。どうも相対論はそこに帰着するように思われます。  それはそうですね。光速度不変と聞いて「そんな馬鹿な!」と思った後、でもそんな面白そうな話はないよなぁ~と、実際に特殊相対性理論の啓蒙書を読みました。光速度不変という宇宙の秘密のメカニズムを説明してくれる理論なんだと、ワクワクしながら(^^;)。ところが光速度不変は原理だった(当時は、原理の意味も定かではありませんでしたが(^^;))。とにかくひどく幻滅したのを覚えてます(^^;)。今にして思えば、秘密のメカニズムを説明してくれるのは、ローレンツの理論の方だった。  (とりえず)信じてますが原理ですからね。信じるかどうかに、それは帰着しますよ。 >貴方は、「光速不変を証明した実験」をご存知なのですか?  これは3つの意味に取れます。(a)光速度は不変にしか測れなかった事を持って、証明した事にはならない。(b)光速度を不変にしか測れなかった実験には、不備がある。(c)そもそも、(a)や(b)の実験の風評は捏造だ。  たぶん(a)だと思うので、(a)についてです。  一般に実験で、何かを証明する事はできません。それはいつも状況証拠です。何回か言ったように、特に、何かが無い事の実験は不可能です。出来るのはただ、「それがあったら何が起きるか?」を、出来るだけたくさん試す事だけです。それら全てにNoが返ってきた時、「無いだろう」になります(それでも、だろうです)。#34さんの星取り表は、そのような意味にも取れます。言いたい事は、実験結果は常に反証にしか使えない、です。  そういう理由から、ある仮定が妥当だろうと判断される理由は、実験だけではないです。全ての実験をパスする事は当然ですが、手前味噌のURLの中で述べたように、他の理論との整合性や生産性も重要な試金石です。生産性とは、その方が都合良いという事でなく、仮定のアイデアの基となった理論とは直接関係ない理論においても、その仮定を応用する事で実験を全部パスするような、本質的進歩が可能になるという意味です。  従って、「光速不変を証明した実験」はありません。  ところで例のURLの中では、面倒臭くて「局所時(相対論の固有時に相当するもの)」の説明は省きましたが、当時局所時の物理的解釈はままならなかったというのが、本当のところです。#33さんの仰るように、ニュートン力学を逸脱するものだったからです。ローレンツは苦し紛れに、局所時は数学的便利ツールだと言って済ませてるくらいです。  そうではありますが、局所時の導入はアインシュタイン以前です。19世紀末には、光速度を不変にしか測れないメカニズムは解決済みだったと、言って言えない事はありません。局所時を認めたローレンツの電子論は、光速度を不変にしか測れない事を、理論的に保証するものだったからです。ここから、アインシュタインはローレンツの業績をパクった、というような意見も出て来ると思われます  そうではありますがまた一つ、エーテルには奇妙な性質が付け加わり、他のとても現実とは思えない特徴も沢山あって(通常物質の属性をどんどん剥ぎ取られ)、力学的特徴のみが残ります。それも宇宙全体の慣性基準座標系だという、言ってみれば仮想的な(数学的な)力学的特徴のみです。  ここに至って19世紀末の物理学者達も#33さんの言う通り、エーテルをいつでも捨てられる準備が整いました。止めの一撃さえあれば。ヘルツには、電磁現象(光学現象)とは、エーテルとは無関係にマックスウェル方程式そのものだ、という雰囲気が確かに濃厚です。  止めは特殊相対性理論になったはずなのですが、そうはならなかったのが歴史の面白いところです。光速度不変がここまで常識化するには結局、100年以上かかったんじゃないでしょうか?。そのためもあって、明確な「間違ってたぞ宣言」はなかったようにも思います(^^)。  「たられば話」は歴史の御法度ですが。言う事はできます。もしアインシュタインがいなかったら、ローレンツの電子論は現在も現役で、重力レンズ効果などの発見から、局所時の物理的解釈を巡って光速度不変が再登場し、今頃大騒動になっていた・・・(かも知れない(^^;))。「間違ってたぞ宣言」は出たはず・・・?。  本題に戻ります。アインシュタインは、エーテルを否定したか?。  アインシュタインは相当にSFチックな発想の持ち主です。光速度不変を原理に格上げするなんて、普通の感覚じゃできません。なのでエーテルの事をまともに考えていた時期も、恐らく確かにあったと思われます。しかし最後は否定したと思います。  それは自分の理論の帰結として、場の概念に接近して行ったからです。彼も電磁波の伝達機構は、やはり気になっていました。光速度不変を原理に格上げしたところで、それは解決できないからです。そこで電磁場を、物理的実体として認めろと言い出します。その頃物理的実体と言えば、ニュートン力学的特徴を持つ、まさに粒子のような実体だけでした。それに対して電磁場は、透明で触る事もできず、バネ秤に載せられるようなものでもないですが(どこかエーテルに似てますね(^^;)。当然ですが)、それは通常物質と同等な、独立した物理的実在なのだと。そしてその実在の性質として、電磁場は伝わると。結局、なぜ伝わるかはわからいと言った訳です。重力場に関しては、さらに微妙な物言いになります。  これらの考えが常識化するのにも、やっぱり100年くらいかかったのじゃないでしょうか?。これらの考えは、現在の場の理論の思想的な柱になっています。ちなみに電磁場の内部的力であるマックスウェル応力は、通常物質の内力と同じように、原理的には測定可能なんですよ。  もう一つの理由は自分で言ってるようにアインシュタインは、マッハの影響を明確に受けています。観測可能量とは何か?という事を、本気で考えた人でもあります。エーテルのように観測不可能なものは、理論には不要だと判断します。その意味で、否定したと思います。相対性理論は、エーテルのあるなしに関わらず成立可能な理論です。 >私の考えは、完全に >2)エーテルはない >   ⇒ エーテルの風は吹かないはず >   ⇒ 光速度はどうなるんだ? >   ⇒ (ガリレイ変換を信じて)普通に可変さ >   ⇒ 特殊相対性理論ではないだろう. >です。  一見そう見えるんですよ。引っかけた訳ではないですが、前回の1),2),3)は、ある意図のもとに書きました。前回の1),2)で言いたかった事は、光速可変と考える立場の多くは、エーテルのあるなしには、実は無関係だという事です。この文脈では、光速度不変かどうかは、ガリレイ変換を(ニュートン力学)を全面的に認めるかどうかで決まります。  その大多数はエーテルのあり得ないような性質から、「エーテルなし」かつ「光速可変」と確かになるでしょうが、それでも「エーテルの非存在」と「光速可変」は、全然別の根拠に基づいています。そして1),2)と3)は、論理的に無関係です。  3)については、「エーテルなし」の結論は後半の下りの拡張で、そこでは「エーテルなし」と「光速度不変」が論理的に関連します。  1)があるにも関わらず、躊躇なく2)を選んだという事から、あなたにとっては「エーテルなし」かつ「光速度可変」は、論理的に関連してるのだろうと思えます。その関連を知りたいのです。  まだ隠し玉と持ってるのでは?、と邪推してます(^^;)。

関連するQ&A

  • 死刑存続or廃止の議論は無意味では?

    死刑制度存続か廃止かがよく議論になります。外国には死刑を廃止している国もあります。 従って死刑存続廃止それぞれメリット、デメリットを記載した表を作成できるはずです。 その表を国民し示し良い方に丸を付けてもらい多数決で決めれば良いだけでは?

  • 「愛」をどのようにすれば発掘できますか?

    「人の愛」は隠されていると思います。 もしそれが顕在的だったら、世の中はもっとよくなっているでしょう。勿論「浄土」とはいいません。ここは現世ですから。 でもこのドライで、個人的社会的利益ばかり問われ、道を歩くのでさえスピードを求められ、民主主義(多数決主義)で皆多かれ少なかれもっているはずの「愛」は隠されていると感じます。 恋人同士「愛」を感じても、それが永遠の、真実の「愛」となるわけではない。本当の「愛」とは弱いものへの配慮?人類愛?それとも幻?いえ、形を問うているのではありません。なぜ皆隠そうとするのでしょうか?皮相的には文学、歌、芸術、密接な関係等では体現できるのに、リアルに「愛」をうたうと、人によってはピエロになったり、殉死しなければならないのでしょうか? それを発掘するツールのようなものは、いかにして持てばよいのだろうか?真実を見る目を養うには、どのようにしたらよいか?同じ価値観を共有する人に出会うにはどこに行けばよいのか? …と、いつものように悩んでいます。宜しくお願いいたします。

  • マナーの是非を問う時の、議論の仕方について

    電車での化粧や箸の持ち方、酒席で酌をする・しないといった、 社会的なマナーの是非を問うスレがありますよね。 たいてい否定派が「なぜしなきゃいけないのか?」と質問し、 議論の末、荒れることが多いような気がします。 私はそれらを見ていて、いつもモヤモヤします。 マナーの是非そのものよりも、議論の仕方が気になるのです。特に肯定派の。 否定派は要するに「その行為に何の価値も感じない」のでしょう。 自分がされても嬉しくないor腹も立たない。 そもそも全く興味がない、気にならないのに、 余分なコスト・忍耐・手間などを要求されるのが理解できない。 これに対して、肯定派は「常識だ」と述べますが、それは発言者にとっての常識であり、 「私はそうは思わない」と返されたら一巻の終わりです。 そして相手はまさに「そんなの常識だと思っていない」から質問しているわけで、 いくら「常識だから」と言っても、水掛け論にしかならないのは明らかです。 また「自分だけじゃない。大勢がそう言っている」という意見については、 言い換えれば「だって皆やってるもん」です。 これは子供がだだをこねるときの論法であり、我は多数派なりと述べただけです。 やはり案件の正当性そのものは、何ら説明されていません。 さらにしばしば、肯定派は相手の人格攻撃に走ります。 「レベルが低い・人として終わってる」など、こんなものは議論の方法としては論外でしょう。 そもそも「ある行為を常識だと思わない」のは、そんなに悪いことでしょうか。 人格の高潔さとは関係なく、単なる考え方の相違に過ぎません。 「理屈はどうあれ、現実には数の多い方が力を持つ」というのなら分かります。 しかし肯定派は、決してそういう言い方はしません。 「自分たちが正しいから従うべきだ」という言い方をします。 しかし「なぜ正しいと言えるのか」については「常識だから」としか言わない。 でも決して「なぜそれが常識でなければならないのか?」については言及しません。 「こういうものは理屈ではない。感性で分かるものだ」という人もいますが、 感性の異なる他人に、自分と同じ感じ方をしろというのがそもそも無茶です。 考え方の異なる他人と分かり合うために、理屈というものがあるわけです。 そこを「常識で分かれ!」とごり押しするから喧嘩になる。 言葉の限りを尽くして説明し、それができないなら己の正当性を疑うべきではないでしょうか。 「これぐらい常識だよね。言わなくても分かるよね」は 議論の場では、非常に甘えた態度だと思えてしまうのですが。 そういう経緯で、私は言い分としては、否定派の方がずっとまともだと感じるのです。 みなさんは、どう思われますか?

  • 否定ではない。本当に面白くない。ただそれだけ。

    ハリウッド映画だから楽しい。 発想が最高とは言わない。 たぶん、いや間違いなく 今際の国のアリスは高い評価を得ているだろう。 なんと言おうと、理屈で説明できる。 理論で説明できる。 それら理論で面白くないことは証明できる。 発想も、撮り方も、演技も、全て◯流表現が許されるなら、 とにかく三流。 ハリウッドと違い金がないから面白く作れない? 映画、釣りバカ日誌はハリウッドに引けを取らない面白みがある。 となりのトトロ、千と千尋の神隠しはハリウッドに負けない撮り方をしている。 その男凶暴につきは、撮り方は今一だが、視点は、ハリウッドに引けをとらない。 あれ「今際の国のアリス」が興行収入(利益があがる)ことが許せない。放映するのは自由だろう。 自主出版レベルの小説が直木賞をもらって稼ぐような世界が、映画界とテレビトラマ界隈に蔓延っている。 江戸時代、封建社会。この感覚があるからこそ、文化がない。 能無しの学歴や縁故者がプロデューサーの地位につき映画を撮る。 あるいはプロデュースできる権力がある。、、、、 それは権力でするもんじゃない。 しかし、日本は権力でする国だね。 そりゃそうだ。王族制度が、あるんだからね。

  • 男性に質問です(彼女からの感謝と自尊心)

    こんばんは。 ふと最近「男性が感じるHの相性が良い女性とは」をネットで調べてみました。 相手は「彼女」であることが前提です。 そのなかに、男性は彼女が自分とのHでとても満たされたことを知ると、 自分の能力全てを認められたように感じるという意見がありました。 自尊心が満たされることで、その女性との経験に好意的な心象が残り 「この女性とは相性が合う」と判断するのかなと私は解釈したのですが これには「なるほど」と思う反面で、びっくりもしました。 悪い意味では決してないです。 なぜびっくりしたかと言うと、仮に私が褒められたとしても、 私の全てにわたる能力が丸ごと肯定されたとは、ちょっと考えにくいからです。 それはそれ、これはこれというか…。 でもそれは私が受け身側である女性だからではと。 どちらかというとパフォーマンス能力の比重は男性にかけられがちなので そのHについて彼女から嘘ではない心底からの感謝を受けたとあれば 個人能力のすべてが肯定されたと感じるのも、 確かにわからなくもないと段々思うようになりました。 男性の皆さん、実際のところいかがでしょうか。 その通りだと思われますか。 ご意見をお聞かせください。

  • エーテルについて

    初歩的なことかもしれませんが質問させてください。 古典的な写真を嗜んでます。湿版写真に挑戦しようと考えてます。 文献をたどると、コロディオンをエーテルで希釈するように、と書かれているのですが、 エーテルというと、空間を満たす物質のことだと思ってたので、そういう液体が存在することも知りませんでした。 ネットでエーテルを調べると組成とかは書いてあるのですが、購入できる場所も見当たりません。 比較的入手しやすいのはエチルアルコールなのでしょうが、エーテルの代わりになるのかどうか、判断がつかない状態で悩んでます。 質問をまとめます。 1 エーテルは商品名として流通しているのか? 2 エチルアルコールはエーテルの代用品になるのか? 3 エーテルを購入したいのですが、一般人にそれは可能か?また、販売先はどこになるのか? 以上3点になります。 よろしくお願いします。

  • エーテルについて教えてください。

    エーテルって麻酔ですよね? どんな匂いがしますか?アルコールでしょうか?病院特有の匂いでしょうか? あと、使い方はどんな感じでしょうか? 映画で見たときは、ガーゼのマスクみたいなのをつけて、その上にポタッとたらしてましたが、他に方法はありますか? また、エーテルセット一式を、素人が入手することはできるのでしょうか? 一緒に使う器具の名前なんかもあれば、教えてください。 お願いします!

  • エーテル

    エーテルはそれに対応するアルカンの沸点より少し高い理由を教えてください

  • エーテルについて・・・

    今日学校でエーテルを使ってみたのですが、MPが回復する気配がありません。  何故なんでしょうか?わかりやすく教えてください。

  • エーテルとは

    エーテルといった場合、通常はジエチルエーテルを指す場合が多いのでしょうか?