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『我々は患者に治らない病気を告知すべきか』賛成・反対意見を教えてください

『我々は患者に治らない病気を告知すべきか』という議題について賛成派・反対 派に分かれて英語でディベート対決することになりました。 私は賛成派で告知することによるよい点と反対派側があげてくる告知しないことのよい点を予想して反論を考えることになりました。 今まで私が考えたことは、 賛成派(告知すべきである)で ○残りの人生を悔いなく過ごせること ○死に対する準備ができること(家族や遺産について) 反対派(告知すべきでない)のよい点 ○告知されることによる絶望・ショックを受けずにすむこと ○『知らぬが仏』(上のに若干かぶる) ○病気に対して患者が治る希望を捨てないこと を思い付きました。 自分が考えた反対派さん意見に対するこちらの反論も考えなくてはいけないと、大忙しなんですが、本番は英語で言い合いなんでパニクルことが大いに予想できますので、もっと意見を出して考えておかないと、と思っております。 心強いみなさんの意見お待ちしております。 (カテゴリ間違ってたらごめんなさい)

質問者が選んだベストアンサー

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noname#13376
noname#13376
回答No.11

十分に長く書いた上で、つけたすのも何ですが(^_^;)。 私自身は告知をしてもらうつもりです。 もし、賛成派が勝ちたいのなら、次のように展開できます。 ~~~ 告知には、最大のデメリットとして「絶望」がある。 しかし、告知までに十分な愛情関係と、告知する家族の側の固い意志、そして患者自身の病気に対しての正しい理解があれば、絶望をまねくことはない。 そしてそのような環境があれば、単に病気と闘うだけではなく、病気とうまく付き合い、生を「生き生き」としたものとして送ることができる。 告知がなければ、何と戦っているのか分からず、成果がいつまでたっても出てこないことに、かえって「絶望」するではないか。 絶望とは最大の病である。 だから、われわれは患者を絶望させないように、告知をし、愛情関係のもとで患者と共に病気と闘い、または病気と仲良く付き合うことが必要なのだ。 そのためには告知が必須である ~~~ 反対派は、先ほどの#10のままいけばいいでしょう。

その他の回答 (15)

noname#7361
noname#7361
回答No.16

再登場です。回答ではありませんが、下記のサイトが役に立つかもしれません。長いですが、読んでみてはいかがですか?

参考URL:
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/word/argmnt1.html
  • chouk
  • ベストアンサー率15% (3/20)
回答No.15

#3のchoukです。励ましの回答なのですが、よろしいでしょうか。 私の元彼は生まれつきの心臓病で小学校は卒業できないだろう(それまで生きられないだろう)と言われていましたが、実際は32才まで生きました。もちろん本人はそれを自分で知っていました。 長期に渡る不治の病は、日常生活において注意すべき事が多くあるケースが一般的だと考えられますし、そうなると当然告知しなければならないでしょう。告知するかしないか、と誰もが悩む場合、やはり死を前提とした不治の病ではないでしょうか。だから、死を前提でいいのではないかと思います。 私は元彼の苦しみを同じように感じることはできませんでしたが、想像して、理解しようと努力はしたつもりです。でも、こういったトピックは普通に友達とも話せないし、いつも一人で考えて、本を読んだりしています。だから学校の授業にしろ何にしろ、考えるきっかけとして、私はとてもいいと思います。何も知らない、考えないのが一番ダメなような気がします。 質問の答えではなくてごめんなさい。がんばってほしかったので、書き込んでしまいました。

noname#129050
noname#129050
回答No.14

#1・12のameyoです。 #12だけでは、○残りの人生を悔いなく過ごせること ○死に対する準備ができること(家族や遺産について)とかぶさった感があるので、もう一つ(^_^;) 例えばガンの場合、日本では使えなくても海外では使える薬だとか療法なんかがありますよね。これだけ情報を得るのに便利な時代ですから知るのは簡単です。 進行したガンでしかも日本の病院ではもう効く薬もないとなった時、できるところまで可能性を求めたくはならないでしょうか?「できればアメリカの○○医師に治療を受けたい、日本では未認可の抗ガン剤を使ってみたい」と。(柳美里さんの本を読んで思いました)もしかしたら代替療法や民間療法の方向に目が行くかもしれません。こういうことを実行するのは、本人が告知されている場合だと思います。あと#12とも絡みますが、自由になるお金がかなり必要だと思うのです。 結果的には最後の悪あがきになるかもしれませんが、知らされた上での生き延びるための努力もあると思います。 んー、今まであまり考えたことがなかったんですが、反対側の意見がまるで考えつかないとこを見ると、私は告知して欲しい人なんだろうか...。

  • sight2000
  • ベストアンサー率25% (47/183)
回答No.13

質問者様の開頭になりませんが、#4の方の意見を見て、勘違いされるようでは話がちゃんと進まないと思ったので。 告知しない場合、医者が隠すことを決めるのではなく、基本的に決めるのは病気を持った本人の家族です。告知しないでくれ、と家族に頼まれて告知しないようになります。医者が勝手に隠すのではありません。 この場合にも、本人に話す前に家族に話していいのか、というのが議論になるところかと思いますが、(例えばアメリカではー特にHIVや妊娠ですら本人にパートナーに話すことを勧めることしかできないー本人の前に家族に話す、本人の承諾なく家族に話すことは法に触れたかと思います。) 痴呆等で判断できないという場合等、告知できない・しても理解していただくのが困難だが、話す家族もいないという場合にはどうしていたか、すぐにはわかりませんが。(普通配偶者・親・子供でなくてもだれか身寄りの方がいらしたので。)

noname#129050
noname#129050
回答No.12

#1です。 わー、何かエライことになってますけど、これって単にディベートの材料ということでいいんですよねぇ...? ちょっと書きにくくなっちゃいましたが。。 賛成派・・・生保の「生前給付金」ってあるじゃないですか、余命○ヶ月と診断されたら給付される、というやつです。 私だったら、それを自分で好きに使ってから死にたいです。家族のために使うとしても、自分でそのようにしたいです。 告知しないことは、本人のその権利を奪うことでしょ? 本人に告知されないまま、家族が受け取ったとしても「これ、好きに使っていいよ」と自分に渡された時点で気が付きますよね、普通(^_^;) これじゃ弱いですかねぇ、、ごめんなさい!

noname#13376
noname#13376
回答No.10

#9さんのおっしゃることに、全面的に賛成しつつ。 1.病気とは死につながるものか? まず「治らない」の定義を明確にするのが、このようなとき大切なことです。 「治らない」とは「現在の医学では」とか「現在見つけられている方法では」とか「現在の捉え方では」ということができます。 現在の医学では、以前にあったような病気がほとんどなくなり、どんどんと新しい病気が「発生」しています(正確には「発見」ともいうべき)。 そして、それらの病気は初めはすべて「治らない」病気です。 なぜなら、西洋医学の対処の主流は「病根を明確にして、その病根をつぶす」ことを目的としているからです。 そうすると、もぐらたたきのように、ひとつひとつ「つぶす」わけですが、その時『病状を細かく分ける』という手段を使うわけです。もともと「科学」という言葉は「分ける学問」という字義をもっています。 自然と病気の種類は「増えて」、治るものと治らないものが「分けられていく」わけです。 そうして残ったものが、「予防はできないが、ともかく何らかの対処治療をしようとする病気」となるわけです。 たとえば ・アレルギー:メカニズムはわかっても、防止できない ・癌:メカニズムは全部解明されていない、防止も出来ない ・免疫不全(AIDS、白血病など):癌と同じ ・心臓病:メカニズムはわかっても、防止できない というのがありますね。 そして、われわれに与えられている最も大きな、そしてメカニズムも完全に分からなければ、対処することも絶対に出来ない「病気」があります。 それは「死」です。 このような見方、捉え方はつまり 「病気と死は本質的につながっている」 とするものです。 2.病気は生のひとつのあり方である しかし、一方で、病気が生のひとつのあり方である、という捉え方も可能です。このとき「死」は病気につながるものではなく、生のゴール、ということになります。 私たちが「健康」とおもっているものには、実は大変な「幅」があるのだと思います。 ・「病気」というものがない、 ・「怪我」がない、 ・「障碍」がない、 ・「ココロをわずらって」いない、 という状態をすべて満たしているとき、われわれはもっとも健康な状態と考えているかもしれません。 しかし、 ・障碍があっても、元気で健康 ・病気があって入院していても、元気 ・怪我をしても、怪我以外は健康 ということもいえますし、この方が普通です。 またココロだけがわずらっている人は、見た目ではいたって健康です。 3.ふたたび「治らない」を考える 先に「現在の手段では」治らない、ということを述べました。これをもう少し考えて見ましょう。 糖尿病という病気は、現在の医学では治らないといわれています。 また、癌は、西洋医学では完璧に治す方法は見つかっていません。場合によって治せる、のが西洋医学の限界です。 しかし、癌は、「場合によって治せる」ではなく、「場合によっては治る」とも言えるのではないでしょうか。つまり人間がもつ自然治癒力によって「治る」ことがあるわけです。 また、アレルギーをもっていても、生活に不便なことがあったり、ぜん息になりやすかったり、かゆみがでやすかったり・・・と生活の上で「不愉快」なことが大変多いので困ります(私もそう)。これは一生治らない、とも言われます。 しかし、症状が出ないときは、いたって快適です。 つまり「治らない」ということはけっして「死」に直結しているのではなく、また同時に「不健康」「病気」ということではない、ということです。 現在の西洋医学では治らなくても、東洋医学、たとえば中医学(中国の医学)やアーユルベーダ(インド)では治ることもあります。 また、「治さ」なくても「治る」ことだってあります。 でも「治らない」からといって、多少(少々、という意味ではありませんよ)の不便はあっても、生き生きと生活することは可能なのです。 4.告知をするべきか 以上見てきたように、治らない病気にかかっても生き生きとした生活は十分可能ですし、また多くの人がそうして「生」を送っています。 しかし、すべてのひとが、1~3に述べたようなことを「理解」したり「受け入れたり」できるわけではありません。 ですから、相手の思想や、理解度、許容度、そして、告知する者とされる者との信頼関係や愛情関係などを要因として考え、これらがすべてクリアできて、かつ上記の1~3がなりたつと信じられる場合にのみ、「告知」ということが成り立つ。 そう私は考えます。 なお、告知によるメリットと告知によるデメリットを比較しても意味はありません。 それは告知に反対するひとたちの主張するデメリット、すなわち「絶望」を、告知のメリットが上回ることは絶対にないからです(「絶望は死につながる病である」という言葉がありますね)。 ここまで述べてきたように、「絶望」が完全にありえない、という状況においてのみ、告知の「メリット」を語りうる段階になります。 ~~~ 蛇足 まったく、とんでもなく難しい問題ですから、こんなになってしまいました。 読んでくださった方、ありがとうございます。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.9

  こんばんは。 何か勘違いしているようなので一言回答したいと思います。  治らない病気=死に至る病気という前提で議論をしようとしています。これは大きな間違いです。  命に別状がなくても治らない、あるいは治りにくい病気で苦しんでいる人が多くいます。私も、治りにくい病気でもう半年以上医者に通院しています。でもなかなか良くなりません。原因が分からず、医者もお手上げに近い状態です。自分でも他に、針治療、漢方薬などの民間療法をしていますが、それでもなかなか改善されません。命には別状ないのですが、それでも病気は苦しいものです。精神的な病ではないのでまだ良いのかもしれません。  人の命についての議論は大切なものですが、死が最も人間の存在に対して最も悲しく、命の尊さはについては否定しませんが、長年苦しんでいる治らない病気で苦しんでいる人の心情をもてあそび、踏みにじるようなテーマの扱いには反対です。  このことはどのようにお考えですか?  病気になっていない人にこのようなディベートはして欲しくないし、本当の事は苦しんでいる人でないと分からないと思います。私も医者からなかなか治らないと言われていますが、それでも何とか直そうと可能な限りの努力をしています。こんな気持ちは質問者さんは理解できないと思いますし、ディベートしても自己満足しか残らないと思います。  

yoko_18
質問者

お礼

申し訳ございません。 とまず個別に誤らせていただきます。 実際私は病気ではないですが、病気の人やその家族、医者のことを少しでも分からせようというのがこの英語の授業の隠れた要点なのかもしれませんね。 みなさん真剣に考えて意見を出してくださって本当に言葉もないです。

noname#7361
noname#7361
回答No.8

私の個人的な見解を一つ。 ○恐らく、信頼関係の構築の度合いによると思います。このことには、担当医が癌患者のことをどれほど知っているかという問題も含みます。医者の実績や経験も含まれるでしょう。「知らせたらまずい」と思えば知らせないだろうし、「知らせても大丈夫」と思えば知らせるだろうと思います。文面は軽いですが、もちろん絶大ともいえる信頼関係の基に考えるものです。 ○本来なら『知る権利』は権利を持つ当人が主張するものですが、このような場合は本人は主張できずにいる場合もあると思います。そして、『知る権利』はあるけど『知る義務』はないのです。さらに、権利を主張したからといって、余命幾ばくもないことを教えてしまうことに躊躇することもあるでしょう。医者だって人間ですから。簡単に「貴方は癌ですよ。余命は~年(~ヶ月)ですよ。」と平然と言える人間が、そうそういるとは思えません。そして、安易に癌宣告をすると、患者の持つ自然治癒力を弱らせてしまう可能性があると思います。癌は薬だけで治るものではないと思いますので。ただ、知らせることによって、それが増す場合もあると思います。この辺は、やはり医者(と家族)の判断でしょう。 権利が主張されすぎて、その裏にある義務を軽視して安易に権利を主張し行使することに関しては、日本人の悪い癖だと思います。 ○QOL(生活の質)の問題があるでしょう。これは、質問者様の言っておられる『残りの人生』の問題です。これは、カウンセリングによってある程度はカバーできると思います。この場合、癌患者についてしっかりと知っているカウンセラーが必要になるでしょう。しかし、それを生かすかどうかも患者本人しだいなので、やはり難しいところです。 両面的な意見ばかりで混乱させるかもしれませんが、以上です。参考になれば幸いです。

yoko_18
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 癌にしぼっての回答でしたが、やはり言いたいことは伝わりました。 難しいです。(本音) がむばり、ます。(汗)

  • michina
  • ベストアンサー率37% (68/179)
回答No.7

私個人としては、告知賛成派です。 ただ、時と場合を考える必要があると思います。 私の妻の母親は、妻が妊娠中にガンで亡くなりました。病気の状態を逐次親戚のものが私に報告するので、妻にばれてしまい、大変な状況でした。そして、とうとう亡くなった時は、妻はショックのあまり流産しそうになったのですが、何とか持ち直しました。 それでも出産の時は難産で、その時生まれた長男は障害があり、7才になる今も言葉が不自由です。(訓練によってだいぶ良くなりましたが、、、。)私としては、ただでも精神的に不安定な妊娠中は、一緒に住んでいる者にも、身内の命に関わることは、黙っていて欲しいと思いました。これは基本的なことだと思うのですが、親戚の人たちは逐次報告してきたものですから、私には大きな苦痛とストレスでした。 妻の母親は自分が助からないということを知っていました。そして、私にも電話して「○○(←妻のこと)のことをよろしく頼むよ」強く頼んでいました。本人にとっては告知は良かったようです。 医者は家族の状況まで配慮するのは難しいと思いますが、少しばかりは周囲の者たちにも指導して頂けれ助かると思います。

yoko_18
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考にさせていただきます。

  • megu_7
  • ベストアンサー率33% (147/438)
回答No.6

最近の医療界は「告知」が当たり前らしく、猫も杓子も容易に告知しすぎる傾向にあり、私にはどうも納得がいきません。 医師と患者、双方の信頼関係が成り立つ上での告知は、当然今後の治療にプラスに働くと思います。 が、中途半端な告知ならかえって迷惑です。 告知する側の医師にとっては、単なる業務の1つに過ぎないかもしれません。 が、患者・家族にとっては、告知されたその日から、病と真っ正面から向き合う事を余儀なくされ、否応なく「死」の恐怖と向き合わねばなりません。 要は、告知後の精神的フォローがいかに出来るか。 告知しっぱなしで、自己満足に終わっている医師が多く、その結果、患者・家族は誰にも相談出来ず、それがかえって病状を悪化させる可能性もあります。 「告知」は本当に難しい問題です。 医療界の風潮に流される事なく、誠意ある告知をして頂きたいものです。 以上。 癌患者を持つ家族としての意見でした。

yoko_18
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

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