• ベストアンサー

出家の定義って、定められてますか。

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.10

>>再三の回答ありがとうございます。甘えて再度、疑問を述べてみたくなりました。    ヘイ。ではもうしばしお付き合いの程を。  私のように坊さんと呼ばれることをしている人間が、一番質問されることが多いのは「お肉食べちゃいけないんでしょ?」っていうことだと思うんですよ。私も飽き飽きするくらい聞かれてきました(笑)確かに日本の戒律の中には守るか守らないかは別にして「肉食は殺生になるから、お肉食べちゃいけません」ってことになっています。しかし、この「お肉を食べては駄目」という考え方は諸説あってややこしいので細かいことは横においておきますが、大まかに言うと基本的には中国に入ってから成立、または広く浸透した戒律の解釈だといわれています。  実はお釈迦様は悟りを開いた後でもお肉食べてたんですね。お釈迦様が亡くなったときも、キノコに当たったという説と豚肉に当たったという説と二説ありますし、『サンユッタニカーヤ』の中で釈尊に肉が奉じられそれは牛肉であったといいます。現在のインドでは牛肉は宗教上の理由から食べませんが、この当時は一般社会では普通に食されていました。ただし、この肉食に関してもルールがありまして、まず在家信者の食べ残しでなくてはならない、布施するためにわざわざ殺して調理した肉を受け取ってはいけない(これは在家信者にもむやみに殺生させない配慮だったのだと思います)、また残り物だったとしても人、象、馬、犬、蛇、ライオン、虎、豹、熊、ハイエナの肉は食べることが許されていません。こうかんがえますと、当時食べられていたのは牛、豚、鳥、羊、後は魚肉あたりですかね。  つまり、当時の出家者は基本的には布施としていただいたものはたとえ肉あっても食べられます。積極的に殺したり、自分のために殺されたことを知っていてその肉を食べることは殺生に当たりますが、布施していただいた肉を食すること自体は殺生には当たらないと考えられていました。  これは余談ですが、提婆達多という方が「今の仏教教団の戒律がゆるすぎますよ!!」といってお肉を食べちゃ駄目という項目を含めた五つの戒律(五事の戒律)をまとめて釈尊に提出していますが、あえなく却下。これが直接の原因かはなんともいえませんが、後には破門にされちゃうんですよね。  上記のことを踏まえて、この質問です。 >>「草木を採取してはならない」となると人間、生きていけなくなってしまうのではないでしょうか これも、お肉と同じと考えればどうでしょう?自分で積極的に草木を摘んだり、自分のために詰まれたことを知っていてその草木を食べたりすることは、先回答で述べた戒律に違反するが、布施されたものを食べること自体は戒律違反にはならないということです。  そもそも当時の出家者は原則として自炊することは許されていません。(パーリ律蔵には、飢饉の時に釈尊が自炊を許されたことがあるそうですが、緊急時の特例だったのですぐに元に戻されたことが記されています)出家者が乞食(こつじき)の時に布施されたもの以外で自主的に口に入れられるものは、水と歯ブラシぐらいという事になっています。つまり、自ら植物でも動物でも刈ったり殺したりして調理をするという行為事態が禁止されているわけですから、「草木を採取してはならない」という戒律があったとしても何の問題もないわけです。  また、戒律とはサンガにおける決まりです。サンガというのは仏教者の集まりという意味で広く出家者在家信者も含めた集まりとして解釈されることもありますが、基本的に当時は出家者集団をあらわし、戒律自体は在家信者に適用されるものではありませんでした。  上記の理由から、先の戒律は出家者に対してのものであり、また草木を「摂取(食べる)」することを禁止したものではなく、草木を「採取(積極的に刈り取ったり花を摘む等の行為)」を禁止したものです。在家信者からの布施でいただいたものを生活の糧にしていた出家者がご心配のように生きていけなくなるようなことはないわけです。   急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛

yy8yy8az
質問者

お礼

 日本の仏教界(と、言い換えます)では「出家の定義」なるものは明確にされてはいないんですね。  「授戒」は「入門」と受け止めてみました。  そして多分に曖昧さ、多様さを含んだ世界なのだとも思いました。  また“当時”の出家者は原則として自炊は出来なかったというのは驚きます。    真の出家を目指すなら、世間の俗事にかかわってはいけないのかもしれません。  でも仏事を必要としている社会を担っている“お寺”の役割が重要な事も事実で、そう考えるとこの“曖昧さ、多様さ”は“形式”にこだわる日本人には都合がよいと思います。  真の出家と、“お寺”運営のための出家との二本立てが、日本の仏教界には必要なのではないでしょうか。  こんな感想を持ちました。  回答ありがとうございます。  私にとってはまさに「教えて!goo」でした。        

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