• ベストアンサー

出家の定義って、定められてますか。

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.8

 私の書き方がいけなかったか誤解をうんでしまったようで、話に食い違いが有るようなので少しだけ。  まずはここですね。 >>釈尊が当時の戒律を無視してまでも出家した“悟り”への強い純粋な想い、を。 釈尊が出家した当時は仏教も仏教の戒律もありませんから、釈尊がその時戒律を無視して出家したわけではありません。 >>異議は、「釈尊の出家を仏教の出家の基本形と考えるのは違う」と云う処。  釈尊が出家した当時の出家作法がうかがい知れる資料としては『マヌ法典』があり、中に四住期というものがあります。ここには人間の一生を「学生期(生まれてから、結婚するまで)」「家棲(住)期(出家すまで)」「林住期(悟るまで)」「遊行期(死ぬまで)」という四つの期間に分けて詳しく説明されています。そして、当時は林住期に高い身分を捨てた人々を尊ぶ風潮にあったようです。  釈尊が出家された頃はバラモン至上主義に対して沙門と呼ばれる自由思想家達が多く現れ、先ほどの『マヌ法典』に記されるような出家は多くおこなわれていたようです。このようなことを基本にすれば、釈尊が家族も身分も捨てての出家は至極当然のことでだったのでしょう。 >>既成の戒律に捉われず出家したその心持(覚悟)こそ、出家の基本かと思いました。  ですから、釈尊の出家は「既成の戒律にとらわれず出家した」というような特別なものではなく、釈尊の出家は当時のインドの思想からすれば特に変わったものではなかったようです。(まぁ、親や嫁さんは困ったでしょうけど)  その後悟りを開いた釈尊が布教を始めると、釈尊を慕い人々が集まってきます。しかし、有る程度人が集まってくるとルールが必要になってきます。そして釈尊「戒律」というルールを作ります。特に「律」と呼ばれるものが集団のルールをまとめたものです。その「律」のなかに仏教者の出家の条件として先に申し上げました「親の許しが無ければ出家させられません」という一文が出ているわけです。そうなると、私達は教典等々でしか知る由はありませんが、釈尊自身の出家は親に許しを得ていないわけですから、仏教者の出家としてはNGなんじゃないかってことになります。  つまり、私が言いたいのは釈尊の出家はあくまで「最初の仏教者になった人の出家」であって、決して釈尊が考える「仏教者としての出家の基本形」にはなりえないのではないかということです。    大変文章がつたなくて申し訳ありません。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛

yy8yy8az
質問者

補足

 「悟れる人」ならば“戒律”なるものは作らないと思うので、“戒律”は釈尊の弟子たちが作ったものと考えていますが。

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