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哲学と宗教の折り合い

hekiyuの回答

  • hekiyu
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回答No.2

折り合い、というか、哲学ってのは元来 キリスト教から発生したものだと思っています。 神は、人間を神に似せて創った。 このことから、キリスト教では、人間は神に選ばれた 特別な存在だ、ということになりました。 それで、神は何故人間を創ったのか、人間存在の意味は 何か、存在とは何か、となり哲学に発展したいったので はないでしょうか。 その為、キリスト教信者でないと、真に哲学を理解する ことは出来ない、とする哲学者もいるほどです。 日本に哲学が発生しなかった理由は、こういうところ にもあると、私は思っています。 日本では、人間は自然の仲間であり、一部であって 特別な存在などではない、と考えますから。 尚、宗教と学問は両立しない、と考えておられる ようですが、そうでしょうか。 確かに、相容れない場合もありますが、学問の端緒 になったり、原動力になったりすることもあると 思います。 キリスト教にはキリスト教神学、てのがあります。 これは、全知全能の神がいるはずなのに、どうして 世の中にはこうも矛盾があふれているのか、をうまく 説明する為の学問だ、という人がいます。 この神学から、近代法学理論が導出されました。 9条があるのに、なぜ自衛隊が存在するのだ。 これはこう解釈できるから、違憲ではないのだ、云々。 西欧で、近代科学が発達したのは、神の神秘を探ろうと する狂おしい情熱があったからだ、と江崎玲於奈氏が 指摘しています。

el156
質問者

お礼

有難うございました。 科学と宗教の対立は一過性のものであって、科学を含む哲学以外の学問と宗教とに対立があったとしても、それは本質的な対立ではなく、時間をかければ解決可能だろうと思います。しかし、特に疑うことに意味がある哲学と、信じることを求める宗教とは本質的に対立するように感じておりました。神の神秘を探ろうと西欧の科学がが発展したきたのだという歴史考えると、キリスト教というのは意外と寛容なのかもしれないと思いました。

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