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解決済み

科学と宗教について

  • 暇なときにでも
  • 質問No.31764
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お礼率 100% (22/22)

哲学のところでする質問かわからないのですが・・。
科学と宗教を同等のものと見る見方がありますが、納得いきません。
科学信仰なんていう言葉があることさえ理解できません。
科学は宗教と違って、全ての人にとって客観的に、事実として存在するものです。
熱心なキリスト教信者も「イエスは存在します。」と、疑いなく言うでしょうが、それとこれとは違うでしょう?イエスは、そのキリスト教信者の心の中には確かにいると思いますが・・・。
“僕は~教を信じていません。だから僕の中には神はいません。”と言うことは論理的ですが、“~教徒は科学を信じていません。だから彼の中には科学は存在しません。”とは言えません。もしそう言えるならば、彼の乗った飛行機は墜落してしまうでしょう。
(宗教がデタラメだと言う気は全くありません。)
どなたか助言をよろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.2
レベル11

ベストアンサー率 36% (141/389)

科学が「事実として存在すること」と、「その考えかたを信じる」ことは、別の事象です。
~教徒の乗った飛行機は(めったに)落ちません。それが事実です。その理由を説明するとき、「エンジンの推進力により翼が揚力を生み出して飛ぶ」と説明するか、「~の神がお助けくださるからちゃんと飛ぶ」と説明するかの違いでしかありません。fummmさんの心には科学が存在しているので(わたしも同じだし、これは正しい立場だと「信じて」いますが)前者の説明のほうが納得できるのでしょうが、それが宗教に置き換わってもすべての事実を明解に説明することができるなら、論理的には「どちらが正しい」とは言えない……かもしれません。
もっとも、一般に「科学信仰」という言葉は、近代科学とそれが生み出した技術を絶対的に信じ込む人々を指して、やや揶揄的に使われます。「君たちはよく分かっていない科学を絶対に正しいと言い張り他人にもむやみに勧めるが、それは宗教の信者と同じじゃないのかね?」と。

哲学の立場からいえば、科学とは「飛行機が飛ぶと信じ込むこと」ではなく、「何が正しいかを常に疑い、調べる姿勢」です。それでも論理学や定理といった最低限のことは信じてかからないと、科学そのものが成立しなくなります。その意味では、神を信じる宗教と、本質的な差はないのかもしれません。このように、常に自らの姿勢を疑ってかかる、そういう考え方が科学には重要なのだということは覚えておいてください。
補足コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

飛行機が飛ぶことを説明する方法が、科学と宗教だというのはわかったんですが、
その事実を導いたのは科学ですよね。
科学がなければ、鉄の塊は空を飛ばないですよね。
(nobor3さんの回答を見て思ったので付け足させてもらいました。)
堂堂巡りになりそうなので、この辺で止めておきます。
とにかく、ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-01-24 22:27:18
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

なるほど!大変よくわかりました。
科学を、事実を説明する方法ととらえれば、全て納得いきますね。
科学という方法を信じるか、宗教という方法を信じるか、それだけの違いなんですね。どちらを信じようと、事実は変わらないんだから。
わだかまりが解けました。ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-01-24 22:12:18
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その他の回答 (全12件)

  • 回答No.5
レベル9

ベストアンサー率 45% (38/83)

 科学と宗教はもちろん別のものです。おっしゃるように、科学は実験と追試、理論提唱と検証など、万人が確認できる手法によってのみ構築されるものですが、宗教はそのような手続きを必要としません。物語や象徴によって情緒に道筋を与えられる経験が宗教を構成しているのであり、主観的納得さえあれば成立するのですから。科学が物理的事実を扱うのだとすれば、宗教は心理的体験を扱うものだといえるかも知れません。
 ただ、人は物理的事実すら心理的体験として受け止めるのだ、という事は重要です。nobor3さんも大槻教授の例を出しておられますが、科学という体系を信奉しそれに反する意見に対して激しい感情的敵対意識を持つケースは、その人にとって科学が客観的事実であるという以上に心が固執するものである事を示していますね。これを譬喩表現として「科学信仰」と呼ぶことは私には納得がいきます。
 逆に宗教的事柄を科学的に証明したとの主張や、宗教の教えと科学的知見との不可思議な一致をことさらに強調したりするのは、一部の新宗教やニューエイジムーブメントによく見られます。これは科学技術の現実的かつ圧倒的な力によって支えられている近現代社会に生きる私たちにとって、その力が宗教的なものに転換して意識され得るためではないかと思います。
 科学と宗教の関係については、下記アドレスの2000年6月17日、18日、20日、24日、28日辺りで思う所を詳しく述べています。ご参照下さい。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

このオンライン説法はfukuyoriさんが書かれているんですか?お坊さんでらっしゃるんですか?貴重なご意見ありがとうございます。
宗教にとって重要なのは客観ではなく、主観だということですね。
物理的事実と心理的体験、どちらが人を幸せにするか、と言われれば、迷わず後者でしょう。
しかし、客観的な事実が知りたい、という煩悩は捨てきれません。
私も、典型的な科学信仰者のようです。
投稿日時 - 2001-01-24 21:17:36
  • 回答No.6
レベル8

ベストアンサー率 24% (8/33)

ルネサンス期にいたるまで、西欧社会において、キリスト教が、現在の科学と似た働きをしていました。さまざまな事象の説明を宗教的なものによってしていたのです。その意味では、ほかの文化圏もそれほど大きな差はありません。すなわち「神父様がこういったから、これこれはああなんだ」というように納得するのです。現在それが「事実」に基づく「科学」が、そういった宗教の「不合理」な説明に取って代わったかの感があります。ですが、実際、私たちが多くの科学によって「証明された」事象に対してどれだけの見識を持っているでしょうか?むしろ科学者のいうことを「盲信」しているだけだと思うのです。わざわざパソコンの動く仕組みを知るのに半導体の動き一つ一つに至るまでその仕組みを調べたりしませんね?それは私たちが科学者という、科学教の「神父」のいうことを信じているからです。
科学という概念は「未知の領域の探索と解明」によって支えられていると思います。それによって、古い認識はその正当性を否定され、より新しいものが真実となっています。ですが科学の妥当性は私たちの日常的な認識能力を遥か超えてしまっています。例えば重力の説明を「空間の歪みである」とする現代物理と「物体は重いものほど下に位置する性質を持っている」とするアリストテレスの説明ではどちらがより日常的な感覚に近いでしょうか?私はアリストテレスの説明のほうがより、納得はいくのです(正しいといってるのではありません)。とするなら、納得できない説明が多くを占めている科学に私たちは「盲信」するしかなく、それは宗教性を多分に秘めていると思うのですが・・
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

レスありがとうございます。
科学者=科学教の神父というのには大変納得できます。
科学に盲信することと宗教を信じることが相似であることも納得できます。
ただ、私達のような知識のない人が信じようが信じまいが、科学が導いた事実は科学者だけでなく、全ての人に影響できるのに対し、宗教における事実は信者にしか影響せず、また、その事実を証明できるのは神父や神だけです。
そこが問題だと思います。
投稿日時 - 2001-01-24 20:42:50
  • 回答No.4
レベル12

ベストアンサー率 26% (249/938)

>科学は宗教と違って、全ての人にとって客観的に、事実と
>して存在するものです。

これは微妙に間違っていると思います。

つい最近まで常識とされていた宇宙は「ビックバン」に
よって始まったという説だって、ただの「説」で
事実ではないと、最近は言われています。

これまでだって、一度科学によって実証されていたことが
覆ることは少なくありませんでした。

天動説から地動説。

宇宙には何も無いという説から、今では、宇宙には
色々な物質が漂っていることになっているようです。

ダークマターという物質など、理論だけでいまだに
証明されていません。

「全ての人にとって客観的に、事実として存在する」
というのも、言ってみれば「科学信仰」による
錯覚であるという見方もできるのではないでしょうか?

熱心なキリスト教徒にとっては「主」だって
「客観的に、事実として存在」しているのではない
でしょうか?

物事にはすべていくつかの解釈があります。
「これが正解」と決め付けることは危険であることは、
他ならぬ科学が証明してくれているのですね。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

ごもっともです。が、それは承知の上でした。私は生物学を勉強してますが、生物学は今ものすごい勢いで発展しています。最近まで常識だったことが、全く違っていた、なんてことは日常茶飯事です。
しかし、目の前で飛行機が飛び立つのを見て、それが「科学信仰」による錯覚だ、とは言えないでしょう。
そう言う意味で、科学は事実として存在すると、私は言いたかったのです。
ご指摘ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-01-24 21:40:53
  • 回答No.3
レベル4

ベストアンサー率 0% (0/1)

科学は絶対的なものではないと思います。理論的にはうまくいくはずが、ずれてしまったり、うまくいかなかったり。論理的に証明されたものの積み重ねが現在は正しく見えても後々ひっくり返されたります。もしかすると今の私達の常識を根本からくつがえす何かが私達の死後、未来に発見されるかもしれません。本当の、真実のことは、一つかもしれませんが、私達が知ることはできない気がします。科学を信じるか信じないかの選択権があると思います。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

確かに、「ポ○リスウェットはスポーツをした後の体に良い」なんて言われて、そのまま信じるのはどうか、と私も思います。それを信じる権利はありますよね。
でも、“飛行機は空を飛ぶものだ。”ということに対して、それを信じるか否かを選べるでしょうか?(飛ばない!と言い張ることもできますが・・・。)
私の言い方が悪かったせいで、難しく考えさせてしまったようです。すみません。
投稿日時 - 2001-01-24 21:56:19
  • 回答No.1
レベル11

ベストアンサー率 16% (68/404)

あくまでも私の考えです。おしつけるつもりはありませんのでそのつもりでお読みください。
科学は宗教では無いかも知れませんが、信仰の対象である事は間違いないと思います。大槻教授とかは熱心な科学信者ではないでしょうか?
よく「そんな事が科学で証明されたのか!」みたいな事を言う人がいますが、科学で何かが証明されると思うこと自体間違いです。科学にできるのは、ある事柄をもっともらしく説明することです。で、他のひとより面白く説明した人が偉大な科学者と呼ばれるのだと思います。
一昔まえの科学の本を読むと、現在とは全く違う事がかかれている事ってよくありますよね。これは科学がその時点での知識の範囲である事柄を説明しようとしているから当然そうなるわけですが、その説明を鵜呑みにして「科学で証明されたから事実だ」って決め付ければ、これはもう信仰としか言い様がありません。
だからと言って、科学が悪いものだとは全く思いません。面白く物事を説明してくれるんですから。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

全くそのとおりですね。
「科学で証明された」という言葉を拠り所にすべきではありません。
でも、科学で何かが証明されるというのは間違いでしょうか?科学は、鉄の塊が空を飛ぶことを、もっともらしく説明するだけでしょうか?
少し疑問です。
投稿日時 - 2001-01-24 22:25:06
  • 回答No.7
レベル14

ベストアンサー率 25% (873/3452)

科学信仰とは、例えば

「幽霊なんて、そんな非科学的な・・・」

という台詞に象徴されるように、科学という手法を信仰しているのでは
なく、コンピューターや人工衛星のような科学技術の成果の、しかもそ
の成果物を信仰する人を指します。科学とは物事を捉えるための手法
(プロセス?)ですから、信仰の対象とする事は出来ません。その辺り
の皮肉も込めて私は「科学信仰」という言葉を使っています。ですので、
科学信仰という言葉の“科学”とは、科学そのものは指していません。


> “僕は~教を信じていません。だから僕の中には神はいません。”と言うこと
> は論理的ですが、“~教徒は科学を信じていません。だから彼の中には科学は
> 存在しません。”とは言えません。もしそう言えるならば、彼の乗った飛行機
> は墜落してしまうでしょう。

恐らくこれは言葉のあやとは思うのですが、ここで言っている科学こそ
が科学信仰の科学とイコールです。空力を科学的手法で応用せずとも、
鳥は飛んでいます。飛んでいる秘密を知ろうとする手法の一つが科学で
あって、トンビが飛んでいる事は物理現象と捕らえる事は出来ても飛ん
でいるという現象そのものは科学ではありません。
補足コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

科学で証明されたことが全て正しい、と思い込むことが「科学信仰」なんですね。「科学信仰」という言葉の意味、勉強になりました。ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-01-24 20:11:52
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

間違えました。
補足じゃないです。お礼です。失礼しました。
投稿日時 - 2001-01-24 20:18:43
  • 回答No.8
レベル5

ベストアンサー率 25% (1/4)

僕はいわゆる”キリスト教信者”です。
さて、”神を信じている”とまじめにいうと、

大多数の人が、”ありもしないものを信じる”であったり、”心の中で信じ込んでいる”であったり・・・。
それぞれ、要するに実在しないものを信じ込むといった答えが多い事と思います。

>科学信仰なんていう言葉があることさえ理解できません。
>科学は宗教と違って、全ての人にとって客観的に、事実として存在するものです。
”宗教は科学ではない”これは、宗教の意味の取り方によって答えが違うので、
避けておきます。


>“~教徒は科学を信じていません。だから彼の中には科学は存在しません。”
の意味がいまいちわからなかった(←僕の読解力が不足でしょうが)のですが、
意味合い的には神を信じるという事は科学とは関係ないということでしょうか??
もしそうでしたら間違いです。

まず、神がいないという根拠には、進化論が一般的に支持しているといえます。
ここでは、進化論を否定する事は致しませんが、

創造論というものも知っていただきたい。
創造論は、神が存在しているという事を前提とした、立派な学問です。根拠があります。

僕は、創造論のホームページを制作していないので、僕が時々訪れるHPを
紹介いたします。
”創造論再評価のホームページ”http://members.xoom.com/norih/earth.htm
”創造学校”http://www01.u-page.so-net.ne.jp/qd5/itoyk/

少なくとも、僕もあなたと同じように、”神などいない”と考えていました。
これは布教でもなく、伝道でもありません。ただ、あなたに根拠を知っていただきたい。

そう思って書かせていただきました。
少なくとも、あなたのいっている事は、信じる前の僕なら、間違いなく共感していますから。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

おすすめのHPを拝見させてもらいました。
しかし、内容といえば残念ながら私の心を打つものではありませんでした。
あなたの信仰心を侵害する気はありませんので、これ以上のコメントは控えさせてもらいます。回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-01-26 16:42:37
  • 回答No.12
レベル10

ベストアンサー率 33% (53/157)

いや~なかなか面白いですね。みなさんの意見、考え方読ませていただきました。

最初のいくつかのお礼で述べられていた「飛行機の考え方」についてはおそらく納得されているでしょうから、触れません。

直前の「お礼」コメントに対して。

> ---科学は事実を導いて利用することが目的であるが、一方、宗教は正しい事
> 実を導くことが目的ではなく、事実を主観的に理解して教訓を得ることだ。目的
> が違うのだから2つを比べることは意味がない。

「科学」とは実験ないし観測事実に基づく(あるいはそれらからの推論、仮説に基づく)合理的、論理的な思考方法のことであり、その目的は「何か自分の知りたいことの答え、法則や、やりたいことの方法、手段を知ること」であって、「事実を導いて利用することが目的」だけではないと思います。「利用」が目的なのは「科学技術」であって、大きな「科学」の枠組みの中の一分野にしかすぎません。実際、たとえば私が素粒子物理を研究していたのは、「利用することが目的」だったわけではなく、「単に私自身の知的好奇心を満足させることのみが目的」だったわけです。
また、「宗教は正しい事実を導くことが目的ではなく、事実を主観的に理解して教訓を得ることだ。」と書かれていることから、fummmさんが「宗教でいわれていることは『正しくない』」と考えられていることが推察されますが、そうだとすれば、その考え方には「落とし穴」があります。
そもそも「事実」とは「実験や観測の結果」のことであり、すでに「客観的に正しいこと」であって、改めて導くことではありません。
宗教が言うことは「正しくない」という考え方は、すでに下で述べられているような「科学信仰」に他なりません。
真に科学的な思考とは上述のようにあくまで合理的、論理的でなくてはなりません。すなわち「いかなる主張であれ、合理的かつ論理的な反論ができない限り、『真実である可能性』が常にある」という、合理的かつ論理的なポリシーをもてるかどうか、発揮できるかどうかです。このポリシーに依れば、たとえば「神は存在する」という主張は「間違い」と断定することはできません。逆にたとえば大槻教授の「科学がすべて」というような考え方は「似非科学」であり、盲目的な「科学信仰」の表れです。

#「神は存在する」という命題を証明するためには、そもそも「神」の定義が必要
#です。また、もしも証明する手段自体が存在しない命題であれば、これを「科
#学」で証明しようとすること自体おかしな話で、議論の意味がありません。全く
#扱っている領域が違うと言えるでしょう。しかし、宗教における主張のすべてが
#こういった畑違いのものとは限らない、という可能性も考えておいて損はないと
#思います。

> それから、科学も宗教も、ある事柄にアプローチするための単なる手法である。
> どちらの手法を用いるかは個々の好みであり、どちらも間違いではない。その点
> で、科学と宗教は同等のものだ。---

「個々の好み」だから「どちらも間違いではない。」というのは、私は納得できません。
私は「どちらも間違いではない」という一般的結論には同感ですが、その理由は上述のように「宗教の問題提起(あるいは考え方)に対して科学が証明、もしくは反論できていないため、どちらか一方が正しいとは言えない現状がある」からです。
これは「どちらも(考え方として)正しい」というのとはわけが違います。
名探偵コナンではありませんが(知りませんか?)、私は「真実はいつもひとつ」と考えています。

#「真実」という言葉の意味を定義する必要がありますが、ここで私が書いた「真
#実」とは「科学的思考により導かれた推論、ないしは仮定で、覆ることがないと
#証明されたもの」という意味です。(ですから、現状「真実」と呼べるものは、
#ほぼ「事実」とイコールです。)「主観的に『そうである』と思うこと」という
#意味は含みません。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

素粒子物理を研究されていたそうで、細かいご指摘ですね。(^^;
科学の目的については、私も全く同感です。
私も、大学受験の時には医学部や工学部は避け、あえて理学部を受験しました。
「宗教の言うことが間違いである、とは言えない。それを論理的、合理的に否定できないかぎりそれが真実である可能性があるから。」というのにも、異論はありません。
ただし、宗教の言うことが正しくない、とは私は言っていません。
私が言いたいのは、正しさを立証することを目的としない、ということです。
atsuotaさんのご意見と私の意見は、おそらく矛盾しません。間違っていたのは私の言葉遣いでしょう。お気に召さないのなら、
> 科学は事実を証明して自然を理解すること、もしくはその結果を利用することが目的であるが、一方、宗教は事実
>を証明してその正しさを主張することが目的ではなく、現実を主観的に理解して教訓を得ることだ。
と、訂正しましょう。私の言いたいことは変りません。(日本語は難しいですね。)
「どちらも間違いではないのは、宗教の考え方を科学的に立証できず、どちらか一方が正しいとは言えないから。」という意見は、私の意見を誤解されているようです。
例えば、イブはアダムのあばら骨から生れた、ということに対して、科学は完璧に否定できますが、その信仰を、間違っていると言うことは、誰にもできません。
ある事柄が間違いであると、科学的に証明されようがされまいが、反論できようができまいが、さらにそれが(atsuotaさんの言うところの)真実であろうとなかろうと、“何を信じるか”はまさに「個々の好み」だ。と言いたかったのです。
投稿日時 - 2001-01-27 18:25:45
  • 回答No.11
レベル7

ベストアンサー率 64% (9/14)

はじめまして。
科学と宗教についてのお話、fummm様、回答者の皆様の質疑と応答を興味深く拝見させていただきました。とても奥の深いテーマですね。
私も回答させていただいたいと思い、内容をまとめていたのですが、一つ確認をしておきたいことがありましたのでよろしくお願いします。

>科学と宗教を同等のものと見る見方がありますが、納得いきません。
とのことです。一般論としてこうした意見があることは理解できるのですが、fummm様は何か具体的な「科学と宗教を同等のものと見る見方」を念頭におかれて質問をされている訳ですよね? その辺りを不都合のない範囲でかまいませんから明示していただけるとありがたく思います。
もし「一般論として」ということでしたらばそのように理解して回答させていただきますね。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

例えば、「科学者にとってある諸定理が事実であるのと同様に、ある宗教の信者にとって神が存在するのは事実だ。要は、何を信じるか、であり、その点で科学と宗教はそう変わりのないものだ。」という意見に対して疑問に思い、質問しました。
皆さんの回答で大方は納得いきました。
---科学は事実を導いて利用することが目的であるが、一方、宗教は正しい事実を導くことが目的ではなく、事実を主観的に理解して教訓を得ることだ。目的が違うのだから2つを比べることは意味がない。
それから、科学も宗教も、ある事柄にアプローチするための単なる手法である。どちらの手法を用いるかは個々の好みであり、どちらも間違いではない。その点で、科学と宗教は同等のものだ。---
というのが私の得た一応の結論です。
centrisさんのご意見もぜひお聞きしたいです。回答お待ちしています。
投稿日時 - 2001-01-26 17:34:46
  • 回答No.10
レベル11

ベストアンサー率 16% (68/404)

またまたNobor3です。もうちょっと発言させてください。
飛行機が飛ぶ事に関しては、たしかにベルヌーイの定理でわかりやすく説明されてますね。ベルヌイは偉大です。
ベルヌーイの定理に関しては、ほとんど確立されていて、天道説のようにひっくり返るって事はなさそうですが、同じようにすべての理論がそうかって言えば全く違うと思うのです。
それを、「有名な科学者がそう言ったから」とか「教科書に書いてあるから」といって信じ込んでしまうのが科学信仰だといいたいのです。
それとは別に、「科学ですべての謎が解明できるはずだ」と言うのもまた科学信仰だと思います。このような考え方は傲慢な思い上がりだと私は思っています。人間の力にはおのずと限界があるのです。宗教が万能では無いのと同じ様に科学も万能では無いと言う事です。
だからといって、謎を科学で解明(説明か)しようと努力するのが無駄だと言っているわけではありません。謙虚に努力すべきだと言いたいのです。
100mを4秒で走る事は不可能かもしれませんが、8秒台になら到達できるんですから。
お礼コメント
fummm

お礼率 100% (22/22)

「科学信仰」の意味はとても良くわかりました。
前回の回答で私が誤解していたことも良くわかりました。
>それとは別に、「科学ですべての謎が解明できるはずだ」と言うのもまた科学信>仰だと思います。このような考え方は傲慢な思い上がりだと私は思っています。
私も全く同意見です。ハイゼンベルクの不確定性原理がその良い例ですね。
もっともらしく説明することしかできない事実も、沢山ありますよね。
投稿日時 - 2001-01-26 17:01:46
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