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科学は宗教と見なせるか?

. 科学は、疑うことから始まり、宗教は信じることから始まるといいます。 科学と宗教は相反するもの、又は、別の物という言われ方をしています。 自分も、そう思っていました。 しかし科学は、事実と言う名の神を信仰する宗教ではないか? とふっと思いました。 その事について、すこし考えたのですが、 宗教では、神を絶対視します。 科学も、事実(実験結果)を絶対視します。 (自分も、実験結果は神聖なものだ、それは絶対的なものだ。と教えられました) たしかに、実験結果に疑いを持ち、別の角度から実験を行うことをしますが、これは、より事実を確認する行為で、事実を絶対視する心は同じだと思います。 事実を深く研究するように、例えば、キリスト教では、聖書を研究したりします。 これらのことから、科学者も、神聖とする神が違うだけで、宗教家という考えも成立する気がします。 この考えに対して、意見を聞かせてください。 .

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noname#135843

 はじめまして、Hidocchiと申します。  ご参考になればと思い、筆を取らせていただきました。  愚生と致しましては、逆に“信”なるものから、論を進めさせていただきたく存じます。ちなみに、結論は、ご質問者様と同様、科学も宗教とみなしうる(共通する点がある)というものでございます。  現在では、科学、例えばニュートンの万有引力の法則は皆様もご存知かと思います。また、質量保存の法則等の種々の“法則”も、もちろん、ご質問者様のみならず、大部分の方たちにも周知の事実かと思われます。  ですが、これら“法則”、例えば、引力の法則を例にとりますと、原因(メカニズム)はいまだに詳細は不明でございます。さらに、これらは経験則でもあるため、明日にどうなるか? とは保障できないとも考えられます。  確かに、各物理法則は今日まで、矛盾なく成り立ってきました。ですが、この経験則が明日、さらには1年後も確実に成立しているという保障はどこにあるのでしょうか?そもそも、そのメカニズムすらも判明していないのですから。    ですが、私たちは、これを“信”じて、生活をしています。おそらく明日も存続し続けると信じながらです。  一方、神社、お寺さん、教会もしくは各ご家庭のお仏壇、さらには、内なる神との対話の中で、今日の恵みに(無事一日終えることができたことに)感謝しておられる方もおられるかと思うのです。その前提をなしているのは、やはり超越的存在者(神さま等です)の存在の“信”に基づいてのことかと思うのです。  つきましては、科学も宗教と共通するところがあり、またみなすことも決して無理な論理ではないも のと考えております。  お役に立てるところがございましたならば、幸いでございます。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 僕の質問した、深いところに触れているので嬉しい内容です。 自分が、科学に疑問を感じたのが似たような理由です。 例えば、光の速度は30万km/sとなっています。 これは、観測結果ですが、何故、30万km/s かは、誰もわかりません。 この様な例が、様々な科学の分野で散見され、疑問が深まりました。 そもそも、科学とは何なのか? 神が、事実は教えても、そのメカニズムは教えない。というような印象を持ち、宗教との類似性を感じ、質問を投げかけました。 ありがとうございます。

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その他の回答 (14)

  • 回答No.15

宗教と科学の違いは、根拠を置くところが、その体系の内部におくか外部に置くかではないですか? 例1)宗教は神はこういった、なぜそれが正しいのかと問われれば、それは神がいったからだ 例2)この理論はこういう現象を説明する、なぜそれが正しいかと問われれば、それは実験で確認してくれ ※実験というのは私たちの経験で、経験自体を信じるかどうか、経験が何がしかの法則をもつはずである  という信念は、科学という体系とは別物だと思います。といいますか、それを議論するのが哲学だと思います。 ※例1はたぶん宗教を冒涜しているかもしれません。でも信じるって、極論すればそういうことだと思っています。

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質問者からのお礼

なるほど、根拠を置くところが違うということですね。 参考になりました。 ありがとうございました

  • 回答No.14
  • 0_asuka
  • ベストアンサー率40% (95/236)

その考え方をあらゆるものに応用したとき「宗教ではないもの」として何が残るのかと考えたのですが、私の想像力の及ぶ範囲でそれに当てはまりそうなものが思いつきませんでした。 で、もし全てが「宗教」であるという結果が出るのだとすると、その元になった「宗教」の定義かその解釈がおかしいのだろうと私は予想します。 なお、どうおかしいのかは判りません。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

  • 回答No.13
noname#98440

ご質問に対して、純粋に書き込みしています。 実際の言葉を置き換えているから、難解かと思います。 想像力と、社会問題を足して考えてみて下さい。 そうすれば、私の言い分は少しは理解出来るかと思います。 日本では、何が有りましたか? 「魔女裁判」の表現しか出来ません。続いていますよね。 論外と思うのは、道理です。 あれを認める事に成りますから。 科学と、宗教が一体に成った時、人間は、究極の道を歩みます。 自分たちの利益を重んじます。 あの事は、世界の民族や宗教紛争とも違いますよ、絶対に。 教義内容知りませんが、実際に起きた現実ですよね。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 そういう心配をもとに考えているのであれば、意見も分かります。 参考にさせていただきます。

  • 回答No.12
noname#101110

NO.7 です。 >ニュートンの万有引力による運動方程式が、アインシュタインの相対性理論で違うとされても、光速に近い場合の話なので、一般的には使われていますし、それに、アインシュタインは、光と同じ速度で移動したら光はどう見えるか?という疑問から相対性理論を作ったので、ニュートンの理論を疑うところからスタートしていませんよね。 質問者様は上記の例を >科学は、事実と言う名の神を信仰する宗教では? の傍証とされるのですか? 私はむしろ逆の例だと思います。 物理現象をより精緻に捉えるために、現代では宇宙科学者でさえニュートンの計算法を捨て、相対性理論に従っています。 アインシュタインは光のふるまいにおいてニューとン理論の矛盾に気づいて彼の理論を打ち立てたのです。有名な話だと思いますが。 それぞれ過去の事実を絶対としていたら得られなかった科学史の成果です。 ご参考になれば。

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質問者からのお礼

. >物理現象をより精緻に捉えるために、現代では宇宙科学者でさえニュートンの計算法を捨て、相対性理論に従っています。 アインシュタインは光のふるまいにおいてニューとン理論の矛盾に気づいて彼の理論を打ち立てたのです。有名な話だと思いますが。 それぞれ過去の事実を絶対としていたら得られなかった科学史の成果です。 宇宙科学者でさえ、といいますが宇宙科学者だからではないのですか? ニュートン理論の矛盾・・・の例は知りませんでした。詳しいサイトを教えてください。 私は、科学史に詳しいものではないです。 それにしても、科学史の成果・・・て表現おかしくないですか? .

  • 回答No.11
noname#98440

受付中なので、書き込みします。 落ち着く為に、気に成ってたから。 あなた様は「カルト系宗教」と科学との繋がりによる、影響や歴史を知っていますか? そこに「魔女裁判」を取り上げた理由が有ります。 宗教は自由だから、中傷,批判はしません。 図書館にて、日本の宗教辞典を見ると分かると思います。持ち出し許可申請が必要な場合有り。理由は書く必要は無いと思いますが、確か!?図書館にもよりますが。 内容は、 神道各宗派 キリスト教各教派仏教各宗派 イスラム教 ユダヤ教 新興宗教 カルト系宗教 個人的に宗教家名乗る者 セミナーと称する団体 などのカテゴリーから成る辞典です。 信仰する対象 創立者 本拠地の住所,電話番号 歴史(弾圧含めて) 信仰内容,思想 などの詳細が書かれいる。 それに目を通すのも良いと思います。 私自身、全部に目を通した事は無い。無理が有り過ぎ、あまりにも宗教が多くて。 代表的な話題性有る所だけを確認した、10年くらい前に。 科学は、矢張り学問的な探求,探究心(欲求)の世界に思います。 宗教とは、考えたくない。怖いもん、考えが…。

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質問者からのお礼

だって、 >私は、宗教には、色々と宗派有りの教派有りと、常々理解する者です。カルト系は論外ですが。 と、考えているんでしょ。 だったら、最初に「魔女裁判」を出す理由がないでしょ。

  • 回答No.9
  • pupurr
  • ベストアンサー率18% (129/705)

宗教は、人の幸不幸を扱っています。 ですから、勝手に作った邪教は結果、不幸になってますし、見極める基準では法を犯してるかどうかという点で見極められると思います。  物質を扱う科学の中には、仏教の考えから来る因果があります。  高等仏教(仏教では高低があり、低い教えは、導くための方便といわれます)  高等仏教からいえば、物と心は一体といわれています。  ですから、今、高い技術を手に入れて、クローン技術など、その用い方、人格、人間の行動、倫理、心のありよう、それが問題視されています。  つまり、科学技術によって邪な考えで使うと人が不幸になるレベルまで科学は進歩したと思います。  仏教では、非常に現実的で、仏とは自分の命の表現とも言われてます。  また神とは、外側から結果を手助けする「働き」手伝ってくれる人の行為として認識できます。  生命は独立して完全ではないので、恵みとして無条件に与えられてる水や空気、太陽の光などで完全となり支えられている存在であり、また周囲の人によって不完全を補足している存在です。  そういう自己自身が完全に自由ではない。つまり水や空気という束縛がある以上そこからの自由は少ない存在であり、その認識のない生命を無知の危険から、教えてあげるのが宗教で扱う道理などではないでしょうか?  まったく空想を扱うのは方便であり、自身の生命尊厳を教え信じるというのが正しい宗教にはあります。  つまり現実と通じるのが高等仏教です。  仏教の生命感から言えば、人間生命にかかわる俗世の法も含みますし、科学も含むのは当然です。  宇宙生命などは仏教から古くから言われていますが、すでにかたられています  今は、世界的に西洋哲学は生きずまり、経済も生きずまっているといわれています。  ですから、今、仏教でいう自力本願、自己の成長ということや他者に対して喜びを与える実力の人格が求められる時代となりました。菩薩の心とも言われ、誰の心にも存在するものです。  こういう真理の現実の正しい宗教観から言えば、物質も生命の一側面であり、外側の関係によって、多くの生命活動の姿を現す物質も、人類のために生かすという考え、哲学からすると、心と物質は一体であり、それらも含みます  ですから、科学者もよい人格考えで人に貢献できるのであれば、哲学宗教家ではないでしょうか。  ですから、認識を深め、科学で不幸を作らないという重大な部分の責任を負っているのが科学者と認識しましょう。  すでに、自分の精子から多くの人をクローンで妊娠させたアメリカの犯罪者がいます。無宗教や哲学がないとこういう人格。はっきりいえば犯罪者。自己の利益しか考えない独裁者的マッドサイエンティストを作ります。  人はやり方作り方を覚えます。これは真理です。そのやり方、その真理を知り、それを幸福に使うか不幸に使うかは、人の心によります。  ですから真実の教えの高等仏教では、昔から物質と心は一体であり、  すべては生命哲学で語られてるところです。  科学で使われる因果であっても、自己の性、力、相、作、原因、結果を助ける縁(これを神の働きとして人の行為としてみます)、そして結果、その結果を報じられる。  これらがすべて自分と一体であるといわれています。  高等仏教では詳しく述べられていますし、そこから幸福な生き方、道理なども自己の心から行動行為などに発展し自分の人生、生き方をも含みます。つまり一日に現れる何万という心の変化などすべては自分の生命の姿の実際の姿でたまたまというのはないといわれます。  ですから、堀江のように東大に行っても、犯罪を犯す命があり、その原因から逮捕され有罪となるという実際の姿が現れてくるといえます。  科学もやはりそれと同じように、原因や間接の影響で変幻し性質を明らかにし現れ、その特性を生かし製品にしたり利用していますから、生命哲学から言えば、科学も含むというのは昔から言われてます。  しかし、勝手に作るのではなく、物理法則のように、現実にあることが説かれているのが、高等仏教です。くれぐれも間違いがないように。  また、勝手に作る人がいたりするなどともすでに指摘されて、邪悪であると論じられてます。  宗教は手垢にまみれ汚れてますが、中には正しく認識している人がいますので、正しく理解されるといいと思います。

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質問者からのお礼

すみません。 頭が悪いので、長い文章は苦手です。 最初の書いてあったことを、最後の方では忘れてしまうんで・・・ ただ、気になった事を数点書きます。 >すでに、自分の精子から多くの人をクローンで妊娠させたアメリカの犯罪者がいます。 そういうのは、クローンと言わないでしょ。これをクローンとすると普通の夫婦生活で子供は、全てクローンになっちゃいますよ。 クローンをwikiで見ると 「クローン人間」というと、「自分と姿・形が全く同じ人間」というイメージが一般にあるが、仮に自分のクローンを作る場合、核移植した細胞を仮親の子宮に着床させ、妊娠・出産することにより作られるため、現在の自分とは年齢のギャップが生じる。 というように、精子は使っていませんから・・・ 回答者様の内容は全て把握していません。 できれば、今の1/3ぐらいの分量で、要約した内容にしていただくとありがたいです。 (自分の頭のいい訓練になりますし、文章力もUPしますよ。) それから、スペースの改行で文章を作っていただくと、読みやすいのでお願いします。 又の、投稿お待ちしています。

  • 回答No.8
  • k_jinen
  • ベストアンサー率30% (80/261)

科学的思考は、事実からの帰納にて、なるべく多くの物事に共通で無矛盾な論理的説明を与えようとすることにあるでしょう。 したがって、一見、相矛盾するような事象についても、包括的に説明可能な理論・論理が見つかれば、それで良しとするだけになるでしょう。 すなわち、「説明可能性」なだけで、それが「真理」かどうかは別問題と捉える立場だと思われます。 ただし、あらゆる物事が「包括的に説明可能」だという前提条件を暗黙裏に認めていることから、大統一理論といった概念が生まれるわけです。「包括的・統一的に宇宙全体の法則を扱いうる」ということをアプリオリに信じるところは、唯一神を信じるところと根底は同じだと思います。 言い換えるなら、唯一神との関係で、全体を統一的に扱いうる理論(的可能性)が見いだされたならば、(アインシュタインも信じていたといわれるところの)スピノザの神よろしく汎神論的な世界観を共有可能だと考えるところに科学的な方向性があると思います。 一方で、全体の部分としての個は、それぞれが異なっていて、全く同一の状態のモノは存在し得ないので、統一的な扱いとは相容れない訳です。こういったところに、哲学的な立場があると思っています。

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回答ありがとうございます。 大統一理論と唯一神を重ねる発想はありませんでした。 とても、参考になります。

  • 回答No.7
noname#101110

科学者は(自身が認めた個々の)事実を、その整合性によって一時は信じますが、そこでとどまることなく、更にその向こうにあるより整合性の高い事実を求めるために、究極的にはすべての事実を証明できる絶対的真実を得るために行動を続け、途中得られた「事実」を決して絶対視することはありません。途中「様々の事実」を総合してひとつの法則性を求めることはありますが、一旦得られた法則性それすらも捨ててしまうこともしばしばあります。科学者は常に疑い、動いています。一箇所にとどまることはありません。彼らが当面絶対視するものがあるとすれば、傍らにある個々の事実ではなく、自分の疑う心、日々動いて不安定な精神そのものです。 >宗教では、神を絶対視します。 その通りです。ですから科学とは全く違うと思います。 >キリスト教では、聖書を研究したりします。 神から離れることの出来ない宗教者は、聖書を(客観的に)研究したりは出来ないと思います。いるとすればそれは歴史研究とかの科学者でしょうね。

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. 回答ありがとうございます。 ちょっと分からなかったのは、 >一旦得られた法則性それすらも捨ててしまうこともしばしばあります。科学者は常に疑い、動いています。一箇所にとどまることはありません。彼らが当面絶対視するものがあるとすれば、傍らにある個々の事実ではなく、自分の疑う心、日々動いて不安定な精神そのものです。 の具体例を挙げていただけますか? ニュートンの万有引力による運動方程式が、アインシュタインの相対性理論で違うとされても、光速に近い場合の話なので、一般的には使われていますし、それに、アインシュタインは、光と同じ速度で移動したら光はどう見えるか?という疑問から相対性理論を作ったので、ニュートンの理論を疑うところからスタートしていませんよね。 思いつかないので、再考のために具体例を教えてください。 .

  • 回答No.6
  • kuro804
  • ベストアンサー率29% (508/1725)

”この世には自分以外は実在していないのでは?”と感じられたことはないでしょうか。私は時々この恐怖に襲われます。 人間の本質的な矛盾は自己の存在を確証するすべを持たない事。 これが17世紀の聖書研究者デカルトの科学的観察による事象の自己認識の正しさを問うた結論が”我思う故に我あり”のうめきになったと、そして科学が進歩した今もこの答えに変わるものはないと私は思っています。 思うに、宗教と科学は自己認識、自己存在の術としての方法論の2者であり、己の5感を信じず疑問を感じるならば、世界は自己の中で構築しされ、その中で自己を見いだされると、このことに共感すれば宗教につながり。 5感に頼ることに矛盾がなければ自己の外に世界は構築されそこに存在する自己を見いだす事に、それはすなわち広義の意味で科学に根ざすものと思われます。 人は不安定なものです。マイナス273度から何万度にも達する宇宙の中で、僅か36.7±5度が生存範囲です。5感を管理し思考の中心である脳はさらに狭い範囲でしか正常に働きませんし、病害虫ににも犯されやすいものです。科学も宗教も自己の存在を確証するような主が現れない限り常に人間には科学も宗教も必要とし、そして狂気も混在するでしょう。 ”事実”は真に見えにくいものです。”事実らしき”ものはある時は偽りの科学に、ある時は偽りの宗教に利用されます。 以上の解釈の元に、科学は宗教とは見なせないと考えます。あえて言えば両立する2者とみています。 いずれにせよ両者は 絶対的な真実 を求めています。ここに犬猿の間柄と思われる所があるのでしょう。 しかし本質的な違いは宗教は過去に真実を求め、科学は未来に真実を求めています。 ここに完成された押しの強さの宗教と、未完成の科学の弱さの(謙虚さ)差が生じてます。 たまに宗教が無遠慮に見えるのはこの違いでしょうか。 以上が自己以外の存在を”科学”という道具で認識出来ればありがたいと思っている哲学には無知の私の考えです。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 >しかし本質的な違いは宗教は過去に真実を求め、科学は未来に真実を求めています。 と書いていますが、気になり宗教について、色々調べました。 wiki、手持ちの辞書とか、 wikiの例は長いので、手持ちの辞書での解説を転記すると [宗教] 神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗な物から分離された禁忌された神聖なものに関する信仰。 と書いています。過去に関する見方では無いようです。 つまり、「神は現在でも存在して、信仰者を見守っている」様な現在進行形で、神を意識しているのではないかと解釈できます。 それから、デカルトの「我思うゆえに我あり」は、現在では批判も少なくないんですよ。 以下のwikiを参照ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E6%80%9D%E3%81%86%E3%80%81%E3%82%86%E3%81%88%E3%81%AB%E6%88%91%E3%81%82%E3%82%8A ただ、質問者さんは >この世には自分以外は実在していないのでは?”と感じられたことはないでしょうか。私は時々この恐怖に襲われます。 と書いています。 これは、哲学者が同様の不安に襲われ、哲学を始めた契機になっている例が少なくないんですよね。だから、質問者さんは、哲学をやっていく資質が高いかもしれません。 意見は、参考になる点も多かったです。 ありがとうございました。

  • 回答No.5
  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2419)

しかし科学は、事実と言う名の神を信仰する宗教ではないか? とふっと思いました。 良い気付きですね。 全ての学問は名前を変えた宗教と同じですね。これはどの学問でもトップを究めるとそのようにならざるおえないからですね。手本がなければ何かを信じるしかないのですね。そこまでに至らない者は哲学だの宗教だの科学だのと分けて考えるのですね。各人の個性や能力にもよりますが本質を究めたいと強く望む人はみな同じ気付きがありますね。 特に科学ということですので、ニュートンの万有引力、アインシュタインの光速度不変などは「私はそう信じる」として構築した学問ですね。後の人が法則にしてしまってそれ以上考えてないだけですね。素粒子論、宇宙論も同じですね。これは私は転生輪廻を信じると同じ思考なのですね。 哲学も同じですよ。ヘーゲルの世界観はヘーゲルが信じる世界に基づいた法・哲学体系なのですね。適当に解釈してもヘーゲルを信じないと到底理解できないのですね。これは宗教の教祖を信じると同じことですね。それが人に学ぶというあるべき姿勢なのですね。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 >良い気付きですね。 気付きをほめられるとは、思っていませんでした。 恐縮です。 それから、本文の後半は僕の考えに近いので嬉しく思います。 ありがとうございます。

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    宗教家は神と宗教ならどちらの方を優先しますか? キリスト教徒は神様が降臨してAをしろと言い、キリスト教の教えと違っていた場合、キリスト教の教えに反するので神のお言葉を無視しますか? それとも神のお言葉は宗教の戒律を超えますか?

  • どうしてその宗教を信じているのですか?(他の宗教は勉強しましたか?)

    ある特定の宗教(キリスト教、仏教etc)を信仰されている方にお聞きします。 あなたはその宗教を信じようと決心された時、他の宗教の教典を読んだりして比較検討はしましたか?しなかった場合、それはなぜですか? 質問の意図を明確にするため私自身の事を説明しますと、私は特定の宗教は持っていない、そこらへんによくいる日本人です。が、最近クリスチャンの知り合いに少しずつ聖書やキリスト教について教えてもらい始めまして、神について考える事が多くなってきている状態です。私は、神様(私のイメージではこの宇宙や人類を作り、全てを知っている絶対的な存在)はいてもおかしくないとは思いますが、それがキリストだとかアッラーだとか言われると、果たして何を根拠にしてそう言えるのだろうと考え込んでしまいます。例えばもしもこの先、聖書を熟読したり教会に通ったりした結果キリストが創造主であり救い主であると思えたならクリスチャンになってもいいとは思いますが、その場合でも、他の宗教についても相当勉強して、やはり他の宗教の主張は誤っている、キリスト教が正しいと確信できてからでないと洗礼は受けないと思います(真面目にやろうと思ったら一生かかっても無理っぽいけど)。 私が最近行っている教会には敬虔なクリスチャンが沢山いらっしゃいますが、仏教やイスラム教なども一通り勉強された方はあまり(全然?)いないようです。信仰を持つという事は一生を(その人にとっての)神に捧げる、神と共に生きるという事ですよね。そんな一大事を決めるのに、たまたま身近にあった宗教が良さそうだからと入信してしまえるのはどうしてなのだろうと思うのです。理屈ではなく、神の声を聞いた、神を感じたとかいう体験をしたとしたらそれが強い入信動機になるかとは思いますが、それにしたって、それが気のせいや脳がもたらした作用の結果(脳科学の分野になりますかね)でないとどうして言い切れるだろうとも思ってしまいます。(大変失礼な物言いですが) 長くなってしまいましたが、他の宗教と比較検討しなかった方を批判したいのではなく、ご自分の持っている宗教を信じるに至った理由や心理、お気持ちなどを本当に純粋に知りたいのです。気長にお待ちしてますのでご親切な方からのご回答心からお待ちしています!

  • 宗教って何?OTL

     私は休日ローカル局でやっているキリスト教の番組を見るのが日課になっています  そこで、紹介される人たちは「神の存在によってすくわれた」  という方々です  ある人は虐待の記憶から犯罪を繰り返したものの、聖書によって安らかな気持ちを得られた  また、違う人は障害や難病を背負って投槍な気持ちで人生を送っていたが、聖書によって性格が180度変わって明るく前向きになった  という体験談を語っています  とってもすばらしいことじゃないですか!  そのまま、腐った心で生きているよりかは、聖書によって自分に対する捕らえ方が変わることができたのならば、誰もそれを咎める必要もないと思います  でも先日POSOという動画の存在を知りました  イスラムとキリストの宗教対立からの戦争がリアルに紹介されていたんですが、民衆の幸せのためにある宗教同士によって人同士が不幸になるということに対する矛盾を感じました。  もし、「神の存在のおかげで救われた」と言っている人たちにこの点について問うてみたら、なんと答えるのでしょうか?   神に対する信仰心を失い、またすさんだ心になってしまうんでしょうか? それとも、神の存在を元に戦争を正当化し押し進める軍人のように「ほかの宗教が間違ってるだけ!」という偏った考えになっているんでしょうか?    

  • 宗教についての考え方(複数です)

    先日学校で習ったことで、不思議に思ったことが何点かあったので教えてください。 ・ユダヤ教やイスラム教徒の科学者や歴史研究者などでも、  本当に神様が人を作り、 最後はメシアによって救済されると  思っているのでしょうか?  科学者などには宗教を信じている人がいないとも思えないの  ですが。。。 ・例えば核爆弾などによって、「終わり」を迎えることの出来る  絶対的な力を持った気になるというようなことだそうですが、  その宗教以外の人(例えば無宗教な 日本人)が発明したものに  対しても、自分たちの宗教の力に結びつけたりするのでしょうか?  また、そのときどんな都合のいい考え方により、そう思えるの  でしょうか? ・キリスト教といえばキリストの張り付けられた十字架を思い浮かべる  のですが、どうして キリストの復活を信じていたくせに、いつまでも  貼り付けっぱなしなのでしょうか?  エジプトのミイラみたいに、どうして十字架から下ろして傷の手当てを  し、キレイに大切に しないのでしょうか?苦しんだままの格好を  象徴にするのでしょうか? ・そもそもなぜ宗教に入信するのでしょうか?  貧しい国で神に祈るしかもうどうしようもないっていう発展途上国の  女性をテレビで見ましたが、それは何となく分かる気がしました。  一方で、神様なんていない、夢もないと言っている別の発展途上国の  少女も見ました。  (幼い頃から家族を支えるためにごみ拾いをしていました)   現在の日本のように恵まれた条件で生きていくのに、どうして宗教に  はまるのでしょうか?  (心の隙をつく新興宗教ではなく、キリスト教等のような古くから  ある宗教です) 宗教を信じている方を馬鹿にしているとかではなく、純粋に疑問に 思いました。 周りに熱心に何かを信じている人がいないので、教えてください。

  • C・S・ルイスの宗教観

    C・S・ルイスについて調べています。 彼はクリスチャン作家であり、『ナルニア国ものがたり』も聖書を下敷きとして書かれて、 特にアスランはイエスであるかのように書かれていると思います。 ルイスはキリスト教信仰→無神論者→キリスト教信仰と、一度、無神論者になりましたが、 ルイスの宗教に対する考え方がキリスト教にはまったから、また戻ってきたのでしょうか? 彼の宗教観とは一体どういうものだったのでしょうか? 推測でも構いませんので、何かわかることがあったら教えてください。

  • 無宗教の方限定!!出来るだけ多くの方にお願いします。

    無宗教(無神論)の方への質問です。特定の信仰をお持ちの方はご遠慮ください。 ●問1 差し支えなければ、年齢を教えてください。二十代とか三十代というお答えで結構です。 ●問2 あなたが考える宗教とは何か?無宗教とは何か?定義をお聞かせください。 ●問3 あなたは「何か信仰をお持ちですか?」と聞かれたときに、無宗教であると答える理由についてお聞かせください。 ●問4 現代において宗教には「意味」や「価値」があると思われますか??ないと思われますか??その理由もお聞かせください。 1、ある 2、ない ●問5 ご自身が死んだらどうなるとお考えになりますか??その理由とともにお聞かせください。 (例・死んだら、無になる。生まれ変わる。極楽や天国に行ける。自然と一体となる。等々) ●問6 自分の葬儀はどのようにしようとお考えですか??その方法を選ぶ理由とともにお聞かせください。 1、無宗教での葬儀(音楽葬・故人の思い出をしのぶ会・自然葬・家族葬等々) 2、なんらかの宗教にそった葬儀(仏教や、キリスト教、神道等々の、宗教作法にのっとった葬儀) 3、葬儀をする必要はない。 4、その他(    ) ●問7 自分の遺体を火葬後どのようにしたいとお考えですか??その行為にはどのような意味があると思われますか?? 1、お墓に入る 2、山や川や海に撒く 3、廃棄物として処理する 4、その他(    ) ●問8 とある科学者が居ました。科学者は科学的で合理的でないものは信じない人でした。その人には一人娘がいて、科学者はこの娘を心から愛していました。ですから科学者は愛する娘が間違った方向へ進んではいけないと、娘に科学的で合理的なことを教えていったそうです。これは合理的ではない。これは非科学的だと。そういった教育を受けた娘は非常に聡明な女性に育っていったそうです。しかし、娘は当時の医学では治すことの出来ない病に冒されてしまいます。科学者はあの手この手で娘の病を治そうとしますが一向によくなりません。すると娘は震えながら父である科学者の手をとって「私ゴミになるんだね?」と訪ねたそうです。 このとき、この科学者は死んでいく愛娘に何と答えればよいでしょう??無宗教の立場からお聞かせください。 ●問9 またこの生き残った科学者は、娘の死後、死者としての娘とどのように付き合っていけばよいのでしょう??(これは宗教的な表現かもしれませんがご容赦ください。)無宗教の立場からお聞かせください。 以上9項目です。私のつたない文章のため文意を理解しにくいかもしれませんが、回答どうぞよろしくお願いいたします。