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法相に死刑執行を停止する権利があるの?

xx x(@hateha2_goo)の回答

回答No.9

『 人間の正義  人間の法と創造者の法の板ばさみになったときは、一瞬たりともためらってはいけない。人間の裁判官といえども、いつかは創造者によって裁かれるからである。人間の法も必要不可欠なものであるが、もっと改善する必要がある。人間の法は、愛と友情を考慮していないからである。  死刑は廃止されるべきである。なんびとたりとも、よく考え抜かれ組織された方法で、冷酷に他人を殺す権利はないからである。個人の暴力的行為を抑止し、科学の力によってそういった病気を治療することができるようになるまでは、犯罪者は社会から隔離し、彼らに欠けている愛情を与え、彼らが今まで行ってきた行動の残虐さを理解させ、償いをしようという気持を起こさせるように努めなければならない。  小さな罪を犯した人々を大罪人と同室させてはならない。大罪人は一種の伝染病患者であり、小さな罪を犯した人たちが、この病気に感染しないようにする必要がある。  犯罪者はすべて、一種の病人であることを忘れてはならない。病人として彼らを取り扱うことである。ある時代には、ヒステリーの発作を起こす人は、2枚の敷布団にはさまれて窒息死させられたものである。今にして考えるとゾッとする。やがて犯罪という病気が、治療だけでなく予防もできる日が訪れたら、昔は犯罪者は処刑されたと聞いて、同じように人々はゾッとするであろう。  間違えてあなたに害を与えた人は許してやりなさい。また、故意に害を与えた人をも、恨んではならない。彼らは病人なのである。隣人に害を与えるなどとは、病気にちがいないからである。そのうえ、他人に害を与える人は大変に不幸な人だということを忘れないように。彼らには、エロヒムの楽園で永遠の生命を得る権利はないのであるから。  もしだれかがあなたやあなたの愛する人に害を加えようとしたときには、それをとどめるようにしなければならない。それでも、それができないときには、あなたには自分や愛する人たちの生命を守る権利がある。だが、正当防衛のためではあっても、相手を殺すつもりで攻撃してはならない。相手が害を加えられない状態にしてやるべきである。たとえば、相手をノックアウトするなど、殺すつもりでしたのでなければ、もしあなたの加えた打撃が相手に致命傷をおわせてしまったとしても、とがめられることはない。なぜなら、あなたが必要にせまられた行動によって乱暴者を取り押さえたからである。暴力というものは許しがたいものであり、あなたは暴力を許してはならない。たとえ力によって乱暴者を取り押さえなくてはならないようになったとしても、乱暴ではない力、つまり害を与えるという意図のものではなく、暴力をふるう者をやめさせるという意図の、つり合いのとれた力を行使すべきである。  暴力に訴えるぞという脅迫は、すべて、実行に移された暴力と同じように、きびしく考えるべきである。暴力に訴えるぞ、という脅迫は、その暴力が実行可能だということであり、自己の目的を達成するための手段と見なすことである。暴力を使うぞと人を脅迫することのできる人間は、実際に乱暴を働いた人間とおなじように危険であり、そのような脅迫を口にするような人間を医学的に治療することができるようになるまでは、そのような人間は社会の外に隔離するべきである。そして、自分の振舞いがいかにひどいものであるかを、理解させるよう努めなければならない。  人質事件などが起こった場合には、まだ狂人たちの手に落ちていない罪もない人たちの命を救うことを最優先に考えなければならないが、彼らの要求に屈してはならない。社会は、人質をとるような無法者に譲歩すべきではないのだ。そのような脅しに屈することは、他の犯罪者たちに同じことを奨励するようなものだからである。  人種がどうであろうとも、万人は、生まれながらにあらゆる権利に関して平等である。逆に、愚か者はその皮膚の色がどうであろうと、愚か者なのだ。地球上のすべての民族は、エロヒムによって創造されたものであり、平等に尊敬されねばならない。  前に述べたように、地球上のあらゆる人々は、世界政府を樹立するために団結すべきである。 世界中の学童には、世界語を課すべきだ。ほかに適当な言語がなければ、以前からあるエスペラント語でもよい。貨幣を廃止するまでは、まず、各国の通貨に代わる世界通貨を採用しよう。これが通貨危機の解決策となる。もし、だれもほかによい制度を提案できないのなら、世界連邦制度を採用しよう。各国を宗とした世界連邦を設立するのである。どうしても独立したいという区域には、彼らが望みの組織をつくるのにまかせておけばよい。世界が、国家から構成されておらず、地球の運命の責任を取るべく、連邦となって結びついている各地域から構成されていれば、世界平和も維持できるであろう。 __( ラエル )』 >>法相にはそれを執行するしないを決める権利があるのでしょうか? >  なんびとたりとも、よく考え抜かれ組織された方法で、冷酷に他人を殺す権利はないからである。 >>生殺与奪の決定権は司法にあると思っていたのですが >  人間の法も必要不可欠なものであるが、もっと改善する必要がある。人間の法は、愛と友情を考慮していないからである。  _個人の暴力的行為を抑止し、科学の力によってそういった病気を治療することができるようになるまでは、犯罪者は社会から隔離し、彼らに欠けている愛情を与え、彼らが今まで行ってきた行動の残虐さを理解させ、償いをしようという気持を起こさせるように努めなければならない。~  犯罪者は社会から隔離し ~ 彼らに欠けている愛情を与え、彼らが今まで行ってきた行動の残虐さを理解させ ~ 償いをしようという気持を起こさせるように努めなければならない ~ それからでは?  _暴力を使うぞと人を脅迫することのできる人間は、実際に乱暴を働いた人間とおなじように危険であり、そのような脅迫を口にするような人間を医学的に治療することができるようになるまでは、そのような人間は社会の外に隔離するべきである。そして、自分の振舞いがいかにひどいものであるかを、理解させるよう努めなければならない。~ それからでは?  _ 小さな罪を犯した人々を大罪人と同室させてはならない。大罪人は一種の伝染病患者であり、小さな罪を犯した人たちが、この病気に感染しないようにする必要がある。~それからでは?   テロ組織とか軍事国、武器営利売買組織など非常に怪しい不正の輩も、世界に多数存在するみたいですがそれらからの感染防止したいものです ! 『  社会を変革するためには、まずその社会を構成する個人の変革から始めねばならない。暴力は常に不幸な人々によって引き起こされる。個人の幸福を増進することによって、人間に潜む暴力性を弱めることができる。 しばしば暴力は自分を不幸だと思う人々によって引き起こされる。政治家の技量の全ては、こうして権力の座にある人々を引きずりおろすために、この不幸の意識を強めることにあるといって良い。引きずりおろされた者は、同じ目的でまた同じことをする。こうして人々は常に不満の状態におかれ、ついにはこうしたことの繰り返しの後に、不満のはけ口を外に求め、それが一般的な意識に達すると戦争が起きるのである。 』  政治家の技量の全ては、こうして権力の座にある人々を引きずりおろすために、この不幸の意識を強めることにあるといって良い~  政治家の欺瞞 に なにかしらの対策 を講ずる必要あるのではないでしょうか?  しばしば暴力は自分を不幸だと思う人々によって引き起こされる~  政策的に所得格差の是正を推進、貧困を因とする犯罪を防止し、無駄な受刑者を輩出しない努力、また人道的な教育社会の創造構築が待たれるのではないでしょうか?

noname#138608
質問者

お礼

すいません。長すぎて上手く理解できないのですが・・・ようするに死刑は反対という事でしょうか?いやこれは皮肉ってるのでしょうか。 私が思うのは、どうも死刑が特別視されてるような気がするんですよね。 もしかして死刑によってもたらされる死というのは、事故死や病死とは異なる解釈があるのでしょうか?哲学なんでしょうか。 法相や総理になるような人は、所詮恵まれた人生しか送っていないから現実的な解釈ができないのではないかと思ったりします。

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